P2-18.8 彼が狭間に笑み零すまで
第二節19でヘイが言っていた「一昨日の夜」の話。
椋とヘイの、麻酔に関するあれこれ無理問答。
あてどなく、果てしなく、行く道も分からず。
それでも彼はただひとかけの、光を求め、足掻き、もがく。
「体の一部だけをマヒさせる魔術だァ?」
家へ帰ってくるなりリョウが向けてきた意味不明な言葉に、半ば反射的にヘイは眉を寄せた。
今更リョウが妙なことを一つ二つ言ってきたところで大して驚いてやろうとは思わないヘイであるが、しかし何がどうなって、いきなりそんなワケのわからんことを聞く結果になるのか。相変わらず目の前の黒い居候は、絶好調に理不尽なまでに意味不明で理解不能である。
明らかに変な表情をしているのだろう彼にしかしリョウは構うこともなく、あっさりと首肯して続けてきた。
「ああ。できれば一部だけに効くやつがいいんだけど、ないなら全身に作用するやつでも使えなくはない、と思う」
「ンなもん、一体何に使おうってンだリョウ、テメエは」
一応静かに続きを聞いてやったところで、やはり、ヘイにはリョウが言わんとする事柄がさっぱりわからない。
腕を切るだの、切るための同意が得られるかどうかだの、魔術はどれくらいのサイクルでどれくらいの感覚を置いて使えば互いに変な関与をせずにちゃんと発動するのか、だの。そんなことを心配していたのが昨日で、その翌日の今日はまた今日でこれだ。
本当に「治癒」という分野に選別される事柄に関してだけは、リョウは間違いなく「異常」だとヘイはいつも思う。もしリョウの言う「元の世界」にはこいつのような人間が山と溢れているというなら、何というかその世界は、どう考えたところでムチャクチャ以外の何とも思えない。
しかしそんなヘイの内心など知らず、こちらの直接の質問に答えるべくリョウは口を開いた。
「腕を切断しないと、ほぼ確実に助からない患者がいて」
「それはテメエからさっき聞いた」
「俺のいたとこには、マスイってものがあってさ。本当ならものすごく痛い、普通ならまず耐えられないような、結構凄まじい、体への負担がでかいことも山のようにやってたんだ」
「……は?」
過剰な起伏はなくいつものように、ごく当然のように珍妙なことを言い放つリョウにまたヘイはしかめっ面をする。本当になんでこう、こいつの「元」の世界というのはいろいろがムチャクチャなのか。思わずには、いられない。
なんとも気分のよくない内容を聞かされることになる気しかしなかったが、しかし敢えてヘイはリョウへと問いかけた。
「一応聞いてやる。たとえばそのマスイ? 使って、何してたってンだ」
「え、と。胸を開いて心臓の悪い部分を切除するとか、腹を開いて内臓の出血を止めるとか破れた血管の再建をするとか、背中を開いて、背骨を削るとか」
あとは事故なんかで切れた手足をもう一回つなぎ合わせるとか、頭を開けて脳みその中にある変なものを取るとか、病気のせいで使い物にならなくなった器官を、人工のものに取り替えたりとか。
つらつらと何の気もなさそうな顔で述べられるひとつひとつに、さらにヘイは眉間のしわを深める結果になった。
……それぞれを想像するだけでも、色々な意味で不気味すぎる。
「……うェ」
思わず吐き出した声に対し、理不尽なことにリョウは若干心外そうな顔をした。
「うぇって……いや確かに俺も断り入れなかったのは悪いけど、お前が聞いたんだろ」
「やかましい。テメエの感覚がおかしいつッてんだろこのバカ」
「わかったわかった、悪かったって。…で、そのマスイってのがさ、作為的に、薬を使って痛みを感じさせなくするものなんだ」
適当にヘイをいなして言葉を続けてくる、リョウの瞳の光は相変わらずだ。
それは希求するものの目。ただひとつの目標のために、それが何でどこにどう作用する結果をもたらすかなど一切考えようともせずに突っ走ろうとする、単純なバカの双眸だ。
しかし突っ走りかけなのは分かるが、一体何に向かってどうリョウが突っ走ろうとしているのかが相変わらずさっぱりヘイには分からない。思わせぶりなため息とともに、彼はリョウへと向かって両腕を組んだ。
「テメエの言いたいコトがよく分からん」
「あーっとな。痛みってのは、体の中に存在して、それを感じるだけでも体にとってはかなりのストレス、負担になるんだ。下手すれば死にもつながりかねないくらいのさ」
「……フム?」
「で、さ。ただでさえ状態の悪い患者に、これ以上の負荷はできるだけかけたくないんだ。片腕の切断なんてとんでもないことをやろうとしてる以上、余計に」
「……あー。で、その痛みってェのとマヒの魔術が関係する、ッつー話か」
「ああ。そういう話だ」
要するにマヒがかかったとき特有の感覚の「消失」を、腕を切る患者のために使いたいと。そういうことをリョウは言っているわけだ。
さきほどまで聞いていたことに負けずとも劣らない無茶を口にするリョウに、ヘイはまたため息を吐くしかなかった。マヒなど悪いもの、害意をもってのみ相手へぶつけるものとしか考えていなかったヘイにとって、リョウの言葉はまさに正しく異世界語だった。
そこまで来て俄かに、リョウはわずかに不安げな顔をした。
「やっぱそういう魔術は、……ない、か?」
「……」
「いや、そうだよな。そんな便利なもんなんてそうそう、」
「ねェことはねェがなァ、ンなもんただのゴーモン用の性悪魔術じゃねェかよ」
「あるのかよっ!?」
ヘイの言葉の後半はきれいに無視して、前半だけに迅速かつ大げさなまでの反応をリョウは返してくる。いつものことなので別に、もう面倒なのでいちいちそんな些事にカリカリする気にはまったくなれない。
瞳には相変わらずまじめな光を宿したまま、リョウはまたさらにと言葉を続けてきた。
「なあヘイ。おまえ、その魔具って作ること、できるか?」
「……」
「ああいや、ちょっと待て、それを聞くのはさすがにまだ早すぎるか。……ええと、ヘイ。おまえ、その魔術についてどれくらい知ってる? どれくらい痛みとかの感覚を遮断できるかとか、どれくらいの範囲に効果があるとか、術の持続時間とか、マヒが抜けたあとあともマヒを引きずったりしないかとか、そういうの」
今更こいつのヘンテコに、頭を抱えてやるような殊勝な感情など持ち合わせてはいないが。
こいつのなにが一番面倒なのかといえば、本気で自分が何を言っているのか分かっていないことである。しかも他人のために、という枕詞付きで。
やれやれと、ヘイはため息を吐いた。
「それなりに色々と知ってるっちゃァ知ってるがな。一応言っとくが、誰にも喋ンじゃねェぞ、リョウ」
「え? ……あ、わかった」
ついでにもう一つ面倒なのは、こちらが言わんとすることを理解する程度の頭は普通にあるということだ。
若干低めたヘイの声に、今の場合は二歩も三歩も遅れて自分の言ったことの意味を何となく悟ったわけである。要するに普通はそんな、相手を拘束し害を与えるだけの魔術など、使おうとするはずもないのだから。
魔物に使うことはできないのかとも思うが、拘束目的で魔物に使用するものならば、もっと効率の良い魔術が多くあるのだ。
従ってヘイが知っているのは、普通ならまず知らなくていいような裏めいた魔術――準禁術、とも呼べるような界隈に存在しているような、若干の後ろ暗さがあるようなものなのである。
「俺の知ってるマヒの魔術はな、術式に流し込む魔力の量によって作用範囲が変わるモンだ。感覚の遮断は基本的に完璧。魔術さえかけちまえばなァ、そいつのマヒした部位の指を落とそうが腕を足を潰して箱詰めにしようが、なァンも本人は感覚としちゃ分かンねェ」
「……うわ」
淡々と説明の言葉を連ねていくヘイに、わずかにリョウは眉をひそめる。
つい先ほどとは完全に逆の状態に、ついついニヤリとヘイは意地悪く口の端を歪めた。
「テメエが聞きてッつッたんだろが、リョウ?」
「いやまあ、そうだけど……って、何だよ、その明らかにしてやったりな顔は」
「べッつにィ? ついでに魔術の持続時間は基本的に一フィオ(一分)ってェトコか。基本的にただ目の前で、テメエの大事な指手足を切り落として、すぐに痛みを戻してっつーのを繰り返すゴーモンのために、性質の悪ィサイテーな魔術師が開発したッつー魔術だからな」
「術が解けたあとは?」
「後にもマヒが残るかどうかは知らねェが、ま、何とかなるンじゃねェの。ソレ使ったゴーモンの後も、みーんな頭は普通なままだったしな」
「……他の手の指とか腕とか、術がかかった以外の部分に関しては?」
「知らねェよ。ついでに言やァ別にとりわけた興味もねェ」
「……」
何とも微妙な、苦そうな顔をしてリョウは黙り込んだ。
正直なところ、ヘイの知るマヒの魔術については思い出したくもないような記憶しか基本的にはない。リョウ以外の人間であれば、話そうという気すら浮かばないようなケッタクソ悪い以外の何でもないような、こればかりは己の記憶力の良さを若干恨みたくもなるようなものだ。
しかしどうせ、そんなものであろうとリョウは「患者」のためにしか使おうとはしない。
そういう愚直が続くなら、まあ何の知識であろうと道具であろうと、供給してやらんこともないとヘイは思う。狂った宗教家に患者を殺されかけても、それでも逃げようとせず先に進もうというなら、いつまでもウジウジ小さな枠の中に閉じこもってなんぞいないで、少し前にヘイが望んだとおり、外へ外へと目を向け続ける努力をしようとするなら、だ。
意地の悪い笑みを浮かべたまま、口を曲げて黙りこんでいるリョウにヘイは問うた。
「で? どーォすんだァ、リョウ?」
「ん~…」
何と何を、今リョウの中では天秤にかけているのかヘイには分からない。実際に聞いてみたところで、何でそこまで考えるのかという類の質問しかできないであろう確信もある。
だからこそただ、目の前の異者の答えをヘイは待った。表情を変えずに腕組みして待ってやれば、ややあってリョウはまた口を開く。
「なあヘイ、さっきおまえ、その拷問って、痛みを感じないまま指とかを切って、すぐに痛みを戻してってのを繰り返すものだ、って言ってたよな」
「あァ」
「術が切れればすぐ感覚は戻るってことは、……キョクショマスイ、と、同じように考えても大丈夫なのか、それ…?」
というか下手に魔術とか使うと、やっぱり切断後の治癒魔術発動に影響したりするのか?
ぶつぶつと、さっぱりヘイには分からないことをリョウは一人呟いている。現在のリョウが使えるか使えないか迷っているのは、まず人間を害し侵し犯し、蹂躙するためだけに創られたはずの外道の魔術。
一方リョウがその使用法として応用できないかと目論んでいるのは、またしてもこの世界の、ヘイたちの持つ常識が通用しないトンデモな病にかかった、患者。
「……ブッ」
考えていたら、不意に物凄くおかしくなった。目の前にいるリョウの表情が真剣そのものなのが、余計にヘイの奇妙な笑いを誘う。
思わず吹いてしまった彼に、俯きがちに思考を巡らせていたリョウがいかにも心外そうに顔を上げた。目を見開く。
「何だよ、何でお前笑ってんの?」
「く、っアッハッハッハ、これが笑わずにいられるかッてんだ! 普通なら要らねェ魔術をオオマジメに患者のためなんかに使おうとする、しかも魔術そのものについて細かくキチンと考えようなんてなァ!」
「……」
「あーチキショウ、ホンットテメエとつるんでッと飽きねェなァ、リョウ。マヒの魔術なんざ、まァず治癒職のやつらなんて覚えようたァしねェモンだっつーのによォ」
「……そりゃどうも」
至極嬉しくなさそうに、ヘイの言葉をリョウは受ける。こっちは真面目に言っているのに、なぜここでこんなにも笑われなければならないのか。などということをおそらく、現在のリョウは考えているのだろう。
至極不満そうな黒眼を見やり、ニヤリとヘイは笑った。
「ま、使えるかどうかはさておき、二日待ちな。明後日の夕方までにゃァ、テメエの思い通りになるモン作ってやるよ」
「え?」
「どうせ魔術なンつーのは、創るこっちの意思がすべてだかンな。要するに魔具を使った瞬間だけテメエの狙った場所にマヒが起きて、それなりにすぐ切れて後に引かねェモンなら文句ねェってんだろ?」
「……できる、のか? そんなの」
半ば呆然としたような口調で、リョウがこちらに訊ねてくる。
既にヘイの脳内では、これから構築すべき術式回路と、現在彼の知識の内にある術式紋のどの部分をどう改造してやろうかという考えが渦巻き始めている。無論それは容易な作業ではないが、同時に、ヘイにとってはこれ以上なく心躍る作業でもある。
その結果として導かれるのが、破滅ではなく再生の息吹であるのなら尚更だ。
成功率は決して100%ではないが、そんなことは今ここでこいつに話すようなことではない。――笑って、ヘイは目の前の居候へと向かって胸を張ってみせた。
「はン。魔具師ナメんじゃねェってンだ」
「や、別におまえが凄いのはすでに俺には分かりきってる事実だけど」
「ンならテメエはボヘッといつものバカ顔で俺を待ってろってンだ、リョウ。俺が魔具に関して、一回でもテメエに嘘なンざついたか?」
「……いいや。ないな」
「じゃァいいじゃねェか。まだ何か文句あるってェのか?」
「ないよ。……ありがとな、ヘイ」
「礼なンざ要らねェよ。どーォでもイイもん創るより、テメエの訳わかんねェ考えに付き合ッてやる方がよっぽど面白ェしな」
さらにニヤリと笑ってやる。本当にこいつはどこぞへと動くたびに、確実に何か変なものを引っ掛けて帰ってくるのだから救いようがない。
そして同時にそんな男を、面白いと思ってしまうヘイもまたどうしようもなく、救いようはないし別にそんなところから救われたいとも思ってはいない。
「おまえの行動理念ってホント、自分が面白いかどうかがすべてなんだな」
肩をすくめてリョウが笑う。全くその通りなので、否定をするつもりは一切ない。
同じように肩をすくめ、わざとらしく目を半眼にしてヘイは首をかしげてやった。
「ンだよ今更。まッさか知らなかったたァ言わねェだろーな」
「言わない言わない。てか、そこまで突き抜けるって、逆に凄いと思うぞ、俺は」
「凄い、ねェ」
「だって治癒魔術の魔具にしたってそうだけど、おまえって全然、金儲けしようとか有名になろうとか、そういうこと思ってないだろ」
「ンなモン持ったって面倒なだけだ。金にも別に不自由してねェし、いいンだよ俺はこれで」
「あとおまえが思ってないと言えば、俺に魔具を創ることで、結果的にお前が被ることになる面倒とかな」
「それこそどーォでもイイわな。おまえが俺の魔具でメチャクチャするってンならともかく、今のところ俺はおまえに使わせるための魔具を創ンのに否やはねェよ」
「はは。……ったく、俺がお前を変なヤツだって思うの、これで何度目だろう」
「ハッ。確実に俺がテメエを変だっつッた回数のほうが、多いことは保証してやるよ」
互いに互いの「何」が利益か、「何」を為そうとし、「誰」のために何を、どのように何を使って為そうとしているのか。
リョウはヘイの中で渦巻く、種々の面倒な過去とそれに対する放棄を知らない。別に何かない限り、知らせる必要もないと思っている。
そもそもこいつはそれを知ったところで、まずこちらの望むような反応はしてくれる気がしない。それこそまったく何もしない。
ある意味それだけで十分だ。――ただの生きる死体状態だったヘイに、もう一度立ち上がってその手を身体を、頭を動かせ、自分の役に立って見せろと無理やりに命じたのはこの男であり。
その要請にまぁ少しなら、応じてやってもいいかと思ったのはヘイ自身なのだから。
「……ふッ」
わずかな沈黙ののち、笑い声がその場に二つ重なる。
どちらからともなく差し出された拳が、中空でコツンと打ち合わされた。
「ま、やれることはやってやる。せいぜい目いっぱい足掻けや、リョウ」
「もちろん。今更後になんて引けないし、引いてやる気もないしな」
随分イイ顔をするようになったと、妙に保護者めいたことを不意にヘイは思った。
そんな己のほだされっぷりに笑ってしまいつつ、しかし決してその感覚は、ヘイにとって不快なものではないのだ。