第八話:今決める事
私立巫山高等学校、我が母校だ。
以前にもお伝えしたが、我が母校は風変わりな構造をしている。
一階に職員室、保健室等があるのは普通だとして、二階に三年、三階に二年、四階に一年の教室が連なっているというのは珍しい部類に入ると思う。
というわけで、俺は二年の教室を出て保健室へと向かっている最中なのである。
隣には入部届を抱えた美代さんが、後ろには鬼人のごとく形相でついてくる古屋を伴って。
「古屋……俺や美代さんに文句を言うのは筋違いだと思うが」
恐る恐る声をかけてみる。
「わかってます。ええ、わかってます。ですが……」
拳を震わし、納得がいかないことからくるやるせない怒りを表現する。
「私に話が通らないうちに転校してきた人がよりにもよってあの鳥居槻実率いるオカルト研最後の一人だなんて、納得できるわけがありません!」
先週末に会長が言っていたもう一人新入会員の目途があるというのは美代さんの事に他ならない。
つまり会長はあの時点で美代さんが転校してくる事を知っており、あらかじめ姉貴を通して美代さんがオカルト研に入るように仕向けていたのだろう。
「これは陰謀です!私を陥れるための陰謀です!江藤君、その辺りの事承知しているんでしょうね!」
その辺りって一体どの辺り!?
「陥れるって……。別にオカルト研が古屋に何かするわけでもないだろ」
あの会長が個人に対しての嫌がらせとかする人なわけがない。
あまりにも似合わなさすぎる。
「もし会長が何か古屋に何か仕出かそうとしたら、俺が止めるからさ」
「……あまり頼りになりそうにないですね」
まったくもってその通り。
何といっても会長のバックには我が家の絶対権力姉上様がいらっしゃるのだから。
「あの……オカルト研究会って怖いところなんですか?」
俺と古屋の何やら物騒な会話を傍で聞いていた美代さんが不安げな表情で尋ねてくる。
「平坂さん、貴女何も知らないでオカルト研究会に入ろうとしているの?」
もしかしたら美代さんはオカルト研究会がどういう所か、というよりオカルトという単語の意味すら知らないかもしれない。
自分自身がまさにオカルトだというのに……。
「え、あの、会長さんにはお会いしたことがあります。この学校で知っている人って余り多くなくて……、お姉さんがオカルト研にいればいざという時も大丈夫って……。あ、これは、あの秘密です。忘れてくださいっ」
忘れてくださいと言われると、逆に忘れられなくなるものですよ美代さん。
まぁ今のでなんとなく姉貴の意図が掴めた気がする。
美代さんに何かあったとき、医者……陵先生ならなんとか出来そうな気もしないでもないけどやっぱり専門(?)の会長がいてくれたほうが安心だ。
「…………?」
事情を知らない古屋は首を傾げている。
納得できない事がまた一つ増えてしまったようだ。
「それにしても、入部届ならぬ入会届を渡すなら朝のうちでもよかったんじゃないのか?顧問、陵先生なわけだし」
話は最初に戻るわけだが、今俺達は保健室へと足を進めている。
部活や同好会に入る時、入部届に希望する場所を記載したのち顧問に提出するというのがルールとなっている。
オカルト研の顧問は一応陵先生という事になっているのだから朝のHRの際に渡しておけば済む話なのだが……。
「えっと、お姉さんが渡すときは放課後、悟さんと一緒に行ったほうがいいって」
また姉貴の不可解な指示か。
悪い事にはならないだろうけど、少なくとも何もないというわけにはいかないんだろうなぁ。
一階へとつづく階段を降り、数十メートル歩いた先にある保健室へと到着する。
「失礼します」
先頭をきって入室し、保健室の主に一礼する。
続いて後ろから美代さん、古屋と続きそれほど広くない保健室に計四人が集まった。
「お、来たね。灯さんも一緒か。まぁ来るんじゃないかとは思ってたけど」
白衣の保険医は珍しく眼鏡を着用し、それなりの厚みをもった紙の束と睨めっこをしていた。
俺達が来たのを確認すると、紙の束を机の引き出しへとしまい、眼鏡もはずしてケースに収める。
「で、例のものは?」
「はいっ」
元気よく美代さんは返事をし、陵先生へと手渡した。
それを恨めしそうに睨みつける古屋。
「灯さんもあんまり怖い顔しないの。気持ちはわかるけど、これはもう校則にのっとった正しい手続きなわけなんだから」
「……わかってます」
校則を出されると古屋は弱い。
校則を何より重んじる生徒会員の鑑だ。
「これでオカルト同好会、もとい研究会は正会員が三名となり改めてこの学校の研究会と認められるわけだけど、悟君はそれでいい?結構無理やり入れられたみたいだけど」
「別に、いいです。反対したところでどうにかなるものでもないし」
それが姉貴の意思なら、俺に反論があるはずがない。
「ところがどっこい、そういうわけにはいかないのよね」
先生の目つきが、変わる。
どこか姉貴に似た、逆らえる気がしてこない強い強制力を持っているような目。
「それって、どういう事……ですか」
俺をオカルト研へと入れようとしたのは姉貴だ。
だというのにそういうわけにはいかないとは、どういうことなのだろうか。
一瞬のうちに緊迫していく空気に、美代さんも古屋も……もちろん俺も動揺を隠せない。
「祓奈からの伝言。そろそろケジメをつけろ、だとさ」
がくん、と。
その一言で何か大切なものを握られた気がした。
「これから貴方のそこそこプライベートな話になるけど、人払いする?」
どのような内容の話かは大方予想がつく。
予想通りの話ならば聞かれても特にどうということは無いけど……。
あまり人に聞かせて気持ちの良い話ではないし、二人には悪いけど……。
「じゃあ……」
「ちょっと待って下さい!」
二人に外に出ていてくれないかとお願いしようとした最中、美代さんの声が保健室に響いた。
「ごめんなさい。聞かれたくないのはわかります。けど、悟さんの事なら私聞きたいです。知っておきたいです!」
強い意志が感じられる言葉。
「学年が違えばいざ知らず、同じ学年、ましてや同じクラスで過ごす仲間の事なら私は大抵の事を把握しています。その範疇でなら聞いていても構いませんか?」
それに古屋が続く。
大抵把握してる……ってやっぱり古屋はタダ者じゃないな。
「そう……じゃあ、どのくらい知っているかも兼ねて灯さんに悟君の経緯をざっと並べてもらおうかしら。それでいい?」
元々二人に聞かせたくないわけじゃない。
聞いてもつまらない思いをさせるだけだと思ってたから出ていてもらえないかと言おうとしたのだから、二人が聞きたいというのなら断る理由はない。
頷き一つで、先生に、古屋に合図を送る。
「じゃあ、灯さん。悟君が受験生の頃に起こった事、教えてくれないかしら」
そう言われた古屋は、懐から一冊の手帳を出し俺のページらしき場所を開き読み始めた。
「江藤悟、自らが所属する中学サッカー部を県大会優勝へと導き、巫山高特待生へと挑戦する切符を手にする」
自分の経緯を晒されるのはやはり少し恥ずかしい。
この学校、巫山高のサッカー部は夏、冬ともにその名を毎年連ねる強豪であり、そんな高校のサッカー特待生というのはかなりの優遇を受けると同時に、それを勝ち取るには生半可な実力では到底無理だ。
中学時代、全国レベルの成績を上げてようやく特待生試験へと挑戦する切符を手にする事ができるくらいだ。
古屋によって、俺がそういう人間だったという事を思い出した。
「合格確実と言われて臨んだ特待生試験。期待通りの成績を上げ、文句なしの合格と審査するまでもなく言い渡される」
その中でも俺は飛びぬけていた。
自分で言うのも、何なんだけど。
思えば、あの時が俺の最後の煌めきだったのだろう。
「…………」
その次を古屋は言い出さない。
そこまで知っていて、その先を知らないというわけはないだろう。
ただ単に、言いづらいだけ……か。
「その、試験の……帰り、運転席に父、助手席に母、そして後部座席に江藤君を乗せた車が……事故に遭う」
右足が、じくりと痛んだ気がした。
なんてことない普通の事故だった。
飲酒運転のトラックが、信号を無視して突っ込んできた、ニュースの中では誰もがよく目にしていながら、自分には起こらないだろうと楽観視するような、ありふれた事故。
医者に言わせれば運が悪かった。
俺に言わせても、運が悪かった。
だから一人で電車で行くと言ったんだ。
息子の晴れ舞台だといっても、両親揃って車で送迎なんてする必要無かったのに……。
「江藤君の両親は、その事故で……他界。奇跡的に一命を取り留めた江藤君も、右足に……後遺症が残る」
右足に、後遺症。
それを聞いた美代さんが一瞬体を震わせる。
俺が右足に後遺症を持っているという事は、古屋でなくても知っている人は多い。
ただ……それがどういった後遺症なのかを知る者はほとんどいない。
「特待生の件は、白紙になり……、その後一般入試により巫山高へと入学。サッカー部へと入部し、今に至る……」
古屋が手帳を読み終える。
流石、としか言いようがない。
俺が抱えている事情を、余すことなく把握していた。
手帳を懐へとしまった古屋が少し俯く。
やはり、聞かせても、思い出させてもつまらない思いをさせるだけの話だった。
「……すごいわね。さすが副会長。さて確認が終えた所で聞くけど」
再び俺を姉貴と似た目で捕えながら、言った。
「どうして、サッカー部に入ったの?いえ、未だにサッカー部に残っているの?悟君」
この人は本当に学校の保険医なのだろうか。
ただの一言で核心をついてくる様はまるで捕虜を尋問する軍人のようだ。
「だって悟さんは……っ」
答えられないでいた俺に代わって美代さんが答えようとしたのをすんでのところで止める。
この答えは誰かに代わってもらっていいものではない。
「諦めきれなかったから、出来る範囲だけでもしたかったからなんて甘い事が許されるとは思ってないわよね?」
普通ならば、それでも良かった、許された。
ただ、俺にはそんな甘えが許されるはずもなかった。
「灯さん、去年サッカー部に起きた事、わかる?」
「え……っ?」
突然話を振られて驚く古屋。
去年の出来事は手帳に記録していないのか、自らの記憶から該当する情報を探している。
「特に……これといった事は無かったと思います。強いて言うなら……その時からあまりサッカー部の成績は芳しくは無いという事ですか」
そう、なのだ。
我が校が誇る全国の常連であるサッカー部は去年からぱったりとその姿を、その名を消した。
正確には県大会の一試合目、二試合目で敗退している。
これまでの成績から考えれば、調子が悪かったで済まされる結果ではない。
「その原因が……俺なんだ」
口にして、再び自分がしでかした事の大きさを噛みしめる。
それと同時に、未だに部にその名を連ねている浅ましさを呪う。
「今のサッカー部にとって、悟君は百害あって一利くらいしかない。そんな事、自分でもわかってるんでしょう」
今現在、サッカー部は建て直しの真っ最中だ。
去年の成績のせいか学校からの援助はかなり減り、全国から選りすぐりを集める……といった事ができないでいた。
かといってその年の成績が悪かったからといってサッカーをする場所としては申し分ない所というのは変わりはない。
サッカー部目当てで難しい入学試験をパスしてまで巫山高を志望する人は後を絶たない。
しかし特待生として引き抜く事が出来ない以上、新入生の質は下がってしまう。
だから今はその新入生の育成に総がかりでかかっている状態なのだ。
俺も……それに協力しようとしてもいるだけでマイナスを与えてしまう上に一時間しか俺は参加することができない。
あまりにも中途半端で……誰も喜ばない行為だ。
「この学校でボールを蹴る。それがどれだけの事なのかは私にはわからない。だけど今何が大事か、わからないわけはないでしょう?」
そんなもの、わかっている。
蹴れないものは蹴れない。
わかっているのだから、今できる事といえば僅かしかない治る可能性にかけて足に負担をかけない事。
姉貴が俺の足を治す方法を探している事だって知っている。
だというのに俺は、それを無碍にするような事を……。
「わがままを通すのも通さないのも貴方の勝手だけど、それでいいの?」
先生が椅子から立ち上がる。
一枚の紙を取り出して。
「オカルト研が正式にスタートするのを機会にもう一度考えてみて」
そしてそれを俺に渡す。
先ほど美代さんが、先生に渡したものと逆の意味を持つ紙を。
「悟さん……」
美代さんが、心配そうに俺を見てくれる。
「美代さん、悪いけど先に部室に行っててくれないか?」
手渡された紙を見ながら、決める。
「少し、寄る所ができたから……」