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第六感の彼女  作者: 朱月
8/22

第七話:幕開け

新しい週の始まり……厳密に言えば一週間の最初の日は日曜日なのだが、休み関係無しに忙しい人や平日関係無しに休んでいる人以外は週の始まりといえば月曜日と言えるだろう。

その月曜日の朝、昨晩解決する事ができなかった懸念事項がテーブルの上に置かれていた一枚の手紙によって俺の心の支配率を大きく上昇させていた。

『お姉さんと出かけてきます。悟さんが帰宅する頃には戻ると思います』

昨晩綾と雄が帰った後、美代さんともう一度話をしようと姉貴の部屋に向かった所、部屋の前で待ち構えていた姉貴に『今日のところは何も言わないでおいてあげて』と言われ、美代さんが予想以上に今回の事を気にしていると知った俺は、せめて学校に行く前に一言……と思っていたわけで、それがこの手紙によって叶わないと知らされたのだから心穏やかになどなれるわけがなかった。

姉貴と一緒ということだからそれほど心配しなくても良さそうなものだが、落ち着かなさというのはどうにも拭えるものではなかった。

晩飯の残りを暖めて朝食の体裁を取り、顔を洗って制服に着替えても俺の心の揺らぎは収まらなかった。

夏の日差しはこんな日に限って容赦なく照りつけてきていて、家を出る前からうっすらと汗をかいてしまっている。

まるで……一週間前のあの日を思い出させるような熱気だった。

もしかしたら、家を出た瞬間に、また……。




「今日はまたあっちいなぁ、江藤!」

平手による鈍痛が背中に走る。

ただでさえ暑いというのに、更に暑くなる挨拶をしてくるな。

「ああ、暑いな……」

まったくもって暑い、暑すぎる。

家から出ても、学校へたどり着いても今日という日は暑いままだった。

もう一度あんな極寒地獄を味わいたいわけでも、更に一人同居人を増やす事体になりたいわけでもないのだが、心の中の不安は気持ち悪い事この上なかった。

「何だ、元気ないな。まだ本調子じゃないのか?」

「んー……。体はもう良くなった……って何で知ってるんだよ」

コイツには俺の体の事を話した事は無かったと思うのだが。

「土曜にグラウンドで部活してたヤツは大体知ってるよ。俺は俺で陸上部からの依頼でカメラ回してたからな」

こんなヤツでもカメラを回せば有能なヤツらしいから、そういった依頼は度々来るとは聞いていたけどあの日に限って仕事してる事はないだろう。

とりあえず俺の足について知っているわけでもないし、純粋に心配しているようなのでその気持ちは素直に受け取っておく。

別に、隠してるわけでもないんだが……知られて余計な心配をかけられるわけにもいかない。

「なら元気が無いのは別の理由か。……さては平坂さん関係だな」

ギクッと体が素直な反応を返してしまう。

馬鹿正直な俺の体が憎らしいぜ、まったく。

「そうかそうか。なら俺はノータッチを決め込まないとな。姐さんに惚れ込んじゃいるけど、巻き込まれたいわけじゃないし」

何で美代さんの事が姉貴がらみの人だと……って雄のヤツが喋ったのか。

「いんや、狩谷兄からは何も聞いてない。ただほら、一昨日の時コイツにばっちり映らなかったからな。普通の人じゃないだろうと思ってたけど、まさか本物とは思わなかったさ」

そういって手に持っているカメラを叩く。

実体を持ってるとはいってもやっぱり幽霊ってカメラとか鏡の類は映らないのか。

別にコイツになら知られても構いやしないだろうけど、一応気をつけておくか。

とはいってもほとんど家にいるし、出かける時は姉貴がついてるのがほとんどだし大した事でもないか。

「おはようっ。悟、筒井君」

「ふあぁぁ……。ねむ……」

後ろから投げ掛けられた挨拶におはようと返す。

「二人とも遅いな。狩谷兄はともかく、妹は朝練無いのか?」

陸上部期待の星であり、また自らの進級がかかってる綾にとって朝練をサボるとはあってはならない事なのだが。

「そんなもの出れるわけないじゃない。あっはっは」

わざとらしく笑いながら俺の背中を叩く。

筒井のヤツは意図を把握しかねて首を傾げているが、当然のごとく俺はその原因を知っている、というより原因そのものだ。

今の俺にとってはこういう綾の態度がとても心地よい。

「んじゃもうHR始まるし、またね」

そう言って自分の席へと向かっていく。

雄も眠たげな足取りでその後に続いた。




わずかに間を置いて遅刻かそうでないかの境界を示す予鈴が鳴り響く。

回りの教室から教師が中へ入ったと思われるドアの音が鳴る。

少し遅れてこの教室のドアも開き、担任が中に……。

「って陵先生?」

入ってきたのは担任の光坂先生ではなく保険医である陵先生だった。

自然と教室の中がざわめきに溢れた。

「はーい、静かに。光坂くんは今日お休みなので私が代理でHRします」

ざわめきはおさまらない。

それだけあの先生が休むのは珍しい事であり、保険医がその代理というのも何かおかしくはないだろうか。

「先生、今日の朝のミーティングには映先生来ましたけど」

ざわめきの中で筒井が陵先生に問いかける。

そういえば映研の顧問は光坂先生だったっけ。

「あー。正確に言えば休み、じゃなくて早退か。何でも古傷が痛むようで。流石の私も手の施しようがないのよね、アレは」

陵先生は笑いながら話すが、生徒にとっては心配するに値する内容だった。

俺はというと、心配というより嫌な予感がした訳だが。

「それと、出席をとる前にこんな時期ですが君たちに新しい仲間を紹介したいと思います」

先ほどまで先生を想う理想的な生徒達がその言葉で一転し、先ほどとは違う意味でざわめきだした。

「転校生?先生、私は何も聞いていませんが」

異を唱えたのは古屋だった。

生徒会が強い権限を持つこの学校では転校生等の情報も生徒会を通している。

「本当は夏休み明けに転校してくる予定だったんだけど、少しでも早くここに馴染みたいっていう本人の強い希望で急遽今日からということになったのよ」

そうなんですかと、やや納得しきれて無い様子だったがそのまま古屋は口を閉ざした。

「いいわよー。入ってきなさい」

先生が手招きして教室の外へと合図を送る。

ゆっくりとドアが開き、外から制服を着た───

一際強まるざわめきの中で、ゴンッという鈍い音がかすかに響いた。

俺が机に頭をぶつけた音なわけなのだが。

「やっぱりか……」

まず最初に教室のドアから現れたのは揺れる長い黒髪だった。

恐る恐るといった風に中を覗く姿は、リスのような小動物を思い出させる。

既にこの時には歓声、主に男子の声があがっていた。

一目で男の期待を引き上げる美しさは同姓をも魅了し、羨望の眼差しを向ける人もいる。

しかし彼女が一歩教室の中に入るとそのざわめきは落ち着いていく。

ざわめくなど無駄な事はしていられない、少しの間も視界から外していられない、そんな空気が漂っていた。

それほど彼女の美しさとはある種の完成を見せていたのだ。

身に纏っているのは毎日のように目にし、毎日のように袖を通している物なはずなのに、とてもそうには思えない。

まるで、彼女のためにデザインしたような……彼女が着るために作られたような幻想的な雰囲気を放っている。

きつそうな胸元もその雰囲気を強めている要素の一つなのかもしれない。

俺も俺で机なぞに頭をぶつけている場合などではなかった。

毎日顔をあわせている美代さんが、制服を着ただけでこんなに受ける印象が強くなるなんて思っていなかった。

ゆっくりと先生の隣まで歩いて行き、深くお辞儀をする。

「あ、あのっ。私、平坂美代と言います。よろしくおねがひ、……します」

ただそれは、あまりに人間味にあふれた自己紹介によってあえなく砕け散ること事となった。




そして半日を掛けたテスト返却を終えて放課後となった時には、授業の合間に設けられている休み時間を経て作られた二つのグループが形成されていた。

一つ、美代さんを取り囲み質問を浴びせる女子の集団。

一つ、俺を取り囲み逃がすまいとする悪鬼と化した男子の集団。

「てめぇ、江藤!どういう事だ!」

その中の一人が声を張り上げる。

「どうもこうもねぇよ。さっき美代さんが言ってただろ。美代さんは俺の従兄妹でこの学校に通う間うちに下宿してるだけだ」

俺もついさっき知った事をさも当然のように口にする。

どうにも美代さんはあらゆる質問に対する答えを用意してあるようで、俺と同居している事実もそういう風に答えたようだ。

しかしそれで納得できるほど美代さんは普通の人ではなく、余りにも羨ましい状況下にある俺を許せない哀しい男の性がそこにはあった。

事情を知っている三人は、そんな様子を遠くからさも楽しそうに眺めていた。

相変わらずここぞという時には非情になりやがる。

悪鬼達はいよいよヒートアップしていく。

ねっとりとした呪いじみたオーラを撒き散らし、胃の一つや二つが悲鳴をあげかけている。

「どきなさい」

そのオーラを抑揚の無い声による一言が一刀両断する。

「古屋……」

声の主が我がクラスの事実上トップに君臨する副会長様と分かるや否や、蜘蛛の子を散らすように俺から離れていく。

秒を数える間に出来た道を古屋がゆっくりと歩いてくる。

先ほどまで群がっていた男共が放っていたオーラなどとは比べ物にならない何かを放ちながらゆっくりと歩いてくる。

俺は知っている。

知らない人からすればいつもとさほど変わらない声だったが、知っている人には悪魔のそれに近い。

「ちょっと、トモ!」

たまらず綾が止めに入る。

傍観を楽しんでいた綾が飛び出す様がこの状況のヤバさを物語っている。

「大丈夫、少し江藤君に質問があるだけだから」

一瞬綾に優しげな微笑みを向け、再び獲物を食い殺すような目で俺に迫ってくる。

「いつから?」

一言、主語なんて影も形もない言葉の意味を何とか推測する。

「一週間……前から」

古屋から感じる威圧が俺の発声器官を不安定にする。

「一週間前というと、江藤君が早退した日……。それについて何か言うことは」

言うことは、と言われても取り憑かれて生命の危機に立たされていました等とは言うわけにもいかず、俺はうわ言のように偶然、偶然と繰り返す事しか出来なかった。

「年頃の男女が一つ屋根の下で生活を共にする。学生の身分ではいささか問題があるように思えます。間違いが起こってしまってからでは遅いのですが」

間違いと言われても姉貴という絶対防御の前では起こしたくとも起こせない。

「大丈夫。うん、大丈夫」

まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を口にするあたり実に説得力に欠ける。

「何があってもですか?」

「何があってもです」

「神に誓えますか?」

「ち、誓えます」

この誓いは男として少し惜しくはあるが、誓わない=死っぽいこの状況では誓う以外に道が無い。

「……やはり、江藤君……貴方」

食い殺すような剣幕で迫ってきていた古屋が一転して口元に手を当てて一歩下がる。

その顔はわずかに赤く染まっているように見えた。

そしてふらついた足取りで自分の席へと戻り、机に伏してしまう。

「何なんだ……古屋は」

古屋と仲の良い綾も、今のやりとりの真意が掴めず首を傾げている。

とにかく嵐は去った。

一度散った悪鬼達は再び集結することなく、帰り支度を済ませさっさと教室から退去していった。

とばっちりを受けないための、賢明な行動と言える。

「悟さん」

ほっと一息ついた所に鞄を持った美代さんがやってくる。

先ほどの古屋の一件で、美代さんを取り囲んでいた女子達も散会したようでほんの数分の間に教室にいる人間は数人にまでになっていた。

「えっと、その……ごめんなさい!」

突然深く腰を折り、謝罪の意を示す美代さん。

「うぇ?」

謝れるような事が思い当らなかった俺は素っ頓狂な声をあげてしまう。

「えっと……昨日の夜の事と、今朝の置手紙の事。多分悟さん、かなり私の事心配してしまったのではないかと思って」

今朝の置手紙……。

確かにあれは思わせぶりな内容ではあったけど、それは昨日の夜姉貴に美代さんをそっとしておいてあげてって言われたから……ってまさか!

「その……昨夜は私、落ち込んでいたわけじゃなくて……コレ、読んでたんです」

そういって美代さんが鞄から取り出したのは一冊の大学ノート。

表紙には『必勝!転校生がクラスに馴染むための質問応答マニュアル!幽霊編』と書かれていた。

「はぁ〜〜〜〜〜……」

聞く人全てのやる気を削ぐような長い溜息が俺の口からあふれ出す。

事の顛末がようやく掴めた気がする。

「つまり、昨夜の姉貴の言動も、今朝の置手紙も俺に揺さぶりをかけるためのものだったって事か……」

相変わらず姉貴の弟いじめはさりげない陰湿さで困ったものだ。

俺が今朝から……正確に言えば昨夜から抱いていた不安はものの見事に無駄な気苦労と化した。

「本当にごめんなさいっ。人生にはサプライズが必要だから協力してってお姉さんに言われて……」

あんなのを姉貴に持ったせいで人生の半分くらいがサプライズなんだから、これ以上増やさないで欲しいものだ。

「まぁいいさ。今日はもう学校終わりだから、帰るか」

部活に顔を出そうとも思ったが、美代さんの初下校なわけだし、今は右足に負担をかけるのは避けたいので、今日のところはまっすぐ下校しよう。

「あっ、そうです。職員室にこれを出してねってお姉さんに言われてるので、一緒に来てくれませんか?」

そう言って大学ノートのページの合間に挟まっていた一枚の紙を出して俺に手渡す。

「ん……入部届け?美代さん、部活でもやるのか……って、ちょっと待った!!」

渡された紙の真ん中あたりにつづられた『オカルト研究会』という文字が俺の心を再び不安色に染め上げていった。

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