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第六感の彼女  作者: 朱月
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第六話:目覚め

意識が途絶えた瞬間、激しい後悔に襲われた。

少しでも意識を保てていれば、後悔を埋め尽くす痛みがあったというのに。

やってはいけない事、越えてはいけない境界を知っていたはずなのに俺はまた繰り返していた。

何が原因だったとか、誰のせいだとか……そんなものはわかっている。

全ては俺が原因で、俺のせい。

ゼロからイチまで全てを自分自身で背負わなければならないのに、また俺は。







深い、深い底まで落ちていた意識が再び目覚める。

その瞬間に目覚められたということが、どれほどの犠牲を払っての事かを知っているのに、また目覚める。

薄暗い部屋、光源はカーテンの隙間から漏れる太陽の光のみ。

どれくらい意識が無かったのか、その時間を推測するにはそれだけでは不十分。

しかし、広がっていく視界には俺が意識を失っていた時間を推測させる要因に溢れていた。

普段からは想像もつかないくらいにやつれた兄妹。

綾が……俺の右足を満遍なく濡れたタオルで拭いている。

数回繰り返したら再び濡らして、また数回拭く。

一体それを何回繰り返したのだろうか。

既に彼女の目には意識を示す光は灯っていない。

だというのに、一連の動作は止まる事を知らない。

「よぉ、気づいたか」

俺の隣で、俺と同じように体を横にしている雄が声をかけてくる。

綾と違って雄は意識を失ってはいない。いや、失う事ができない。

体中脂汗にまみれ、顔色も悪い。

「俺が大分楽になったって事は、お前ももう大分楽になってるだろ」

そう言われて初めて自分の右足が痛んでいるという事に気付く。

休むことなく濡れタオルで拭かれているというのに、拭かれる事のない時間……再びタオルを濡らすその時間のうちに乾いてしまうほど熱をもっている。

「また……やっちまったか。悪い」

前に二度、同じ状態になった時も二人にはかなり世話になった。

本来ならどれだけ謝っても許されないほどに。

「何言ってんだ。まだ三回目だろうが。こっちは百回程度なら付き合う覚悟でやってんだ。これくらいで謝るなよ」

「ああ、すまん」

また謝ってる、と苦笑混じりの返答がくる。

「ん……、また少し落ち着いたな。これくらいなら、寝れ、そうだ」

気を失っていた俺とは違い、眠気をずっと痛みに殺されていた雄はようやくまともな痛みに治まってきたと同時に眠りにつこうとしていた。

「お前も、大丈夫そうならもう一回寝ろ。綾も、そろそろ休ませてやってくれ」

静かに雄は眠りに落ちていった。

俺も今さっき気がついたばかりとはいえ、体は眠りを欲している。

再び体を倒して目を閉じる前に、無意識で体を動かす綾の肩を掴む。

びくっと体を震わせた後、完全に力を失くして床に倒れこみそうになったところをなんとか支える。

そのままベッドの上に引きずりあげて優しく寝かせる。

その隣に俺も体を預けて、再び意識を眠りの中に落とした。




事故の後遺症、現代の医学でもそうとしか言えない原因不明の症状。

中学の終わり、俺と父さん、母さんを乗せた車が事故に遭った。

命があったのは、俺一人。

そして俺は命の代わりに生き方を失った。

何度検査しても大した異常が見つからない俺の足は、大きな枷を背負っていた。

時間にして一時間、それが俺が全力で動けるタイムリミット。

それを過ぎると……この有様だ。

空気に触れるだけでえぐられるような灼熱が俺の足を駆け巡る。

長く続けば軽くショック死する痛みの半分を雄が肩代わりする。

姉貴の怪しげな特技の成せる業で、俺が知る限り唯一俺のためにある業だ。

そして綾が休むことなく俺の足を拭く。

濡れたタオルで拭く事が、直接的に痛みを和らげる数少ない方法だからだ。


姉貴に、綾に、雄。

俺が馬鹿みたいに無茶するせいで、三人にはこれ以上のない借りを作ってしまう。

少しずつでも返さなくちゃいけないのに、今日また上乗せしてしまった。

まったく……何やってんだか。




再び眼が覚めた。

感覚としては眼を閉じた瞬間に開けたくらいの短い間だったが、実際の時間はそうでもないらしい。

部屋には人工の光が溢れていて、今が夜だという事が推測される。

多分……もう日曜の夜だろう。

「ようやく起きたわね。食欲ある?リンゴむいてあるけど」

ベッドの脇に置いてある椅子に姉貴が腰をおろし、綺麗に皮が剥かれ、手頃な大きさに切り分けられたリンゴを差し出してくる。

それを手に取り、一口食べる。

甘酸っぱさが口の中に広がっていく。

「二人はまだ寝かせといてあげなさい。悟と違ってぜんっぜん寝てないんだから」

隣には綾が、ちょっと離れた反対側には雄が穏やかな寝息を立てている。

俺は……もうすっかり治まったようだ。

姉貴の態度がいつもどおりな所からもそれがわかる。

あんなでも一応医学に携わってる人間だ。自業自得な病人とはいえ少しくらい優しくなるというものだ。

「そうだ、美代さんは?」

今もそうだが、一度眼が覚めた時も美代さんの姿が見えなかったのが気になった。

「私の部屋。あんたがそんなだと実体が保てないから、私の部屋で待機してもらってるわ」

「実体が保てないって……何で?」

「そりゃあ、悟の体を媒介にしてこの世に定着させてるんだから悟が不安定になったらダメに決まってるじゃない」

姉貴の言い分は理解できる範疇を結構越えていたが、今回俺は姉貴達のほかに美代さんにまでに迷惑をかけてしまったということだけはわかった。

「今回の功労賞は確実にあの子よ。消えかけの体で練習中の綾ちゃんの所まで助けを呼びにいったんだから」

それなら寝ている二人が起きるのを待つより、まず美代さんにお礼を言っておいたほうがいいか。

重い体を引きずりあげてベッドから降りる。

寝すぎたせいか、体のあちこちが軋むがこれといって痛む場所はない。

ゆっくりとドアまで歩いていき、たどり着いた所で一言。

「姉貴、ありがとう」

「弟を助けるのは、姉の義務であり権利よ。気にしちゃダメ」

残っていたリンゴを頬張りながら、姉貴は優しく笑った。




「美代さん」

姉貴の部屋は明かりがついていてもどこか薄暗い。

相変わらず頭がぼうっとする臭いは健在で、どこか浮世離れした雰囲気が漂っている。

その部屋の中に一人、ベッドに腰掛けて床を向いている人がいた。

「悟さん……、もう大丈夫なんですか?」

少しやつれたように見える。

実際のところ彼女は幽霊なので外見的変化はない(らしい)のだが、恐らく彼女という存在が少し薄くなってしまっているのだろう。

「ああ、もうすっかりよくなった。美代さんのお陰だよ」

姉貴の言っていた事から推測すると、俺の体が治れば恐らく美代さんも回復する。

だから今は俺が元気だということを精一杯彼女にアピールしておきたかった。

「ううん……、元はといえば私が案内してなんて頼まなければ」

やっぱり、そういう風に考えがいっちゃうか……。

美代さんならそうなると思ってたけど、これは正しておかないわけにはいかない。

「あー、何だ。そういうのは無しにしてくれ。無茶しなけりゃどうってことないんだし、その、美代さんを案内できたのは楽しかったしな」

俺の事を気遣ってくれるのは嬉しい。

けれどそのせいで遠慮ばっかりされるのは正直悔しいんだ。

本当に俺は壊れてしまったんじゃないかと思ってしまうから。

「俺が出来る事、出来ない事は俺が決めるし、無茶するかしないかも俺が決める。まぁ……それで迷惑するのは俺以外かもしれないけど、それ込みで俺の事は俺に任せて欲しい」

ベッドの上の美代さんは俯いたままこちらを見てくれない。

彼女にとっては辛い事かも知れないけど、今は責任とかそういう事をすべて俺に押し付けておいて欲しい。

「……わかりました。悟さんが全部悪いっ!それで……いいんですか?」

「うぐっ。やたらストレートだなぁ。ま、文句無しで合格だ。その調子でこれからもよろしく頼むな」

がっちりと握手を交わす。

美代さんの体はしっかりと実体をもっており、先ほどまで見えていたやつれた感じも今では消えていた。

「それで、あの。悟さんにちょっと話しておきたい事があるんです」

握った手を離した後に、美代さんがそう切り出した。

「私、少し思い出した事があるんです」




「白い壁?」

冷蔵庫の中身を確認し、今夜のメニューが決定した所で先ほど美代さんから聞いた事を姉貴にも伝える。

姉貴と一緒に台所に立つなんて驚天動地さながらの出来事なわけだが、相談を持ちかけるにはまたとない機会だ。

「美代さんが言ってた。白い壁をずっと見ていた気がするって」

思い出せたのはそれだけだという。

というよりそれが本当に自分の記憶だったという確信もないらしい。

だけど姉貴なら思い当たる事があるかもしれない。

「白い壁……白い壁……。私が一番最初に思い浮かべるのは病院ね。多分正解とそう遠くないと思うけど」

毎日のように通っているだけあって姉貴が最初に浮かべるのは職場だった。

俺も俺で、病院の他に何か白い壁で思い当たる場所は無いかと言われても答えられない。

病院は人の命を救う場所ではあるが、それ故に多くの人が病院でその命を失う。

美代さんもその中の一人なのだろう。

救われなかった、救う事が出来なかった命のなかの一つ。

「なぁ姉貴。もしかして姉貴は美代さんの事、知ってるんじゃないのか?」

ふと頭に浮かんだ事をそのまま口にする。

姉貴は一言、『どうしてそう思うの?』とだけ口にして料理を続けている。

「もし美代さんの言う白い壁っていうのが病院だったとして、美代さんと俺に何か接点があるってのも本当だとしたら巫山の病院が一番可能性あるだろ?俺が世話になった病院ってあそこだけだし。まぁ病院以外での接点だったとしたら話は別だけど……」

美代さんが何者か、それを知る手がかりは今のところ美代さんの記憶だけだ。

今さっき思い出した『白い壁』の記憶、そして俺の事を知っているという感覚。

俺のほうも美代さんとどこかで会っていないか、と記憶を探ってみたが思い出せた事は何も無かった。

「ねぇ悟。悟は、運命の糸って信じる?」

返ってきた答えは、俺の予想とはかなりかけ離れていた。

「運命の糸……?姉貴にしちゃロマンチックな言葉が出てきたな」

「ロマンチックね……。知らない方が夢がある事って、この世の中結構あるわよね」

姉貴の意図が掴めない。糸なだけあって。

我ながらどうでもいい。

「実在するのよ、運命の糸って。生まれる前から人は、誰かと霊的な繋がりを持っていて、自ずと引き合う存在……まさしく運命の糸」

ロマンチックな話から一転して、姉貴らしいオカルトじみた話に切り替わる。

「もしかしたら悟と美代ちゃんは正にそれだったのかもしれないわ。亡くなる事が無かったら、どこかで出会って、もしかしたら結ばれていたのかもしれない」

姉貴の言いたい事が何となくわかったような気がした。

「つまり、俺と美代さんは生きてるうちには出会えなかった。でも姉貴曰くその糸を辿って俺の所にきた、そしてその糸があるから俺の事を知っている感覚がした……てことか?」

「大正解。さすが私の弟。物分りが良くてよろしい」

こういう類の話に対しての物分りのよさは姉貴に叩き込まれているのだろう。

姉貴の教育の賜物だ。嬉しいかどうかは微妙だけど。

「……でだ。つまるところ姉貴は美代さんの事を……」

話を微妙にそらされた気がしてきたので修正を入れる。

二度目の問いに、姉貴は答えた。

「覚えがないわね」

それは予想通りと予想外れの間で揺れるような曖昧さを孕んだ返答だった。




「二人とも、今日は悪かったな」

最近頻度が増えてきた江藤家と狩谷家合同の食事は終わりを告げ、玄関で二人を見送っていた。

見送るといっても、我が家の玄関から狩谷家の玄関まで三十秒もかからず到着するのだが。

「悟、謝るのは禁止って約束しなかった?」

「そうそう。謝るくらいなら体で返せって言っただろ?」

そうだった……と、苦笑を漏らす。

二度ならず三度も馬鹿してしまったせいで、借りを全部返すまでにはかなり時間がかかってしまいそうだ。

借りの有り無しに関わらず、俺達三人の関係には大した違いは出ないから問題なんて有りはしないが。

「ところで美代さんの事だけど、大丈夫なの?私達より彼女の事気にかけたほうがいいんじゃない?」

食事の席に美代さんも同席したのはいいが、終始無言、あまつさえおかわり無しという前代未聞の事態が起こった。

今はもう姉貴と一緒に部屋に戻っており、この場にはいない。

「うーん、大丈夫だとは思う……けど」

今日最初に美代さんと顔を合わせた時のような虚ろで、消えそうな雰囲気は食事の時には見えなかった。

責任は全部俺にって事には納得してもらったと思ってたけど、そうでもなかったのかもしれない。

「寝る前にもう一度声かけてみる。それで駄目なら……明日からコツコツとやってけばいいさ」

悟らしいわと綾が軽く笑う。

「さて、と。帰って寝直すか。徹夜した分を取り戻すにはまだ寝たりねぇ」

「そうね。私なんて部活した後に徹夜よ?明日起きれないかも」

「……返す言葉もありません」

くすくすと兄妹揃って意地の悪い笑いを浮かばせる。

そしてその笑いを崩さぬまま、自宅への帰還を済ませていった。

「二人とも、本当にありがとう」

二人の姿が家の中に消えたのを確認して、俺は一番言いたかった言葉を口にした。

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