第十三話:突然の祭
俺自身には特にそんな気はないが、恐らく記念すべき第一回オカルト研活動を終えた俺は美代さんと一緒に十数分程度の帰路を歩いていた。会長に古屋、そしてメグは電車通学なので坂を下りた後の分かれ道にて別れた。会長と古屋が電車の中で乱闘……とまではいかずとも何かしら物騒な事を起こさないか少し心配ではある。
隣を歩く美代さんは相変わらず会長から渡された入門書を熱心に読んでいた。比較的車や人通りが少ないとはいえ、まったく前を見ずに歩く美代さんは限りなくあぶなっかしい。ほっといたら川にでも落ちかねない。
「というより、まだ漢字とか読めないのが多いんだろ?そんな状態で本なんて読んでても面白いのか……?」
部室で美代さんが言っていた事が事実なら美代さんが読んでいる本はさながら中途半端に解読された古文書である。読み解くという事を楽しんでいるのだろうか。
「すごく面白いです。それに難しそうな漢字は読めませんけど前後の文脈からおおよその内容は推測できるのでそれほど大きな問題という訳でもないです」
そうなのか、と普通に流そうとしていた俺がいたが冷静に考えるとそれってかなりすごい事なのではないだろうか。
「……美代さん、漢字読めないって言うけどそれも記憶が無いからだよな。てことはひらがなは?というか言葉自体もわからかったとかしてたのか?」
にわか知識ではあるけど、記憶喪失にも色々な種類があるという事くらいは俺でも知っている。美代さんの場合は読み書きや常識といった事は覚えているけど自分が何者だとか自分の人間関係の事とかをすっぽりと忘れてしまうタイプのモノだと思っていたが違うのだろうか。前提からして現存するタイプでくくれるのかどうかも怪しいが。
「そうですね。読み書きに関しては本当に何も知りませんでした。この一週間でなんとかひらがなと簡単な漢字はお姉さんに教えてもらいました。でも聞いたり話したりする分には問題は無かったです。そもそも会話してたじゃないですか、私が悟さんの前に現れた日には」
そういえばそうである。あの世にも恐ろしい食事会で綾の料理を口にしながら喜びの声をあげていたではないか。
「にしても一週間で基本的な読み書き……かぁ。言葉自体は元から知っているとはいえ美代さん実はすげぇ頭いいんじゃないのか……」
「はい!お姉さんにも夏休みが終わる頃には十分学校の授業に追いつけるだろうって」
つまりは今の授業に置いていかれている俺以上になってしまっているという事か。俺も少しは真面目に勉強したほうがいいのだろうか……。
「待てよ。読み書きは覚えてないのに言葉自体は覚えてるって何か妙じゃないか……。えらく限定的に忘れたというか」
教科書の間にはさんだプリントだけ持っていって肝心の教科書を忘れるような……ありえなくもないが何らかの意図が絡んでるのではないかと疑いたくなるようなそんな感じだ。
「そうですか?言葉だけしか教えてもらえてなかったとかそういう事ではないんでしょうか」
言葉だけか。昔ならばそれも珍しくなかったのだろうけど、このご時世でそれは珍しいんじゃないだろうか。美代さんが昔の人なのかもしれないが、それだと俺の事を知っているという事と矛盾してしまう。もしや俺の前世と何か関係があったのではないだろうか!
「思考が姉貴や会長に毒されてきたか……?」
突飛な発想にいらぬ苦悩を強いられてしまう。俺は普通の人、俺は普通の人、俺は普通の人……よし、大丈夫だ。
「でも、別に戻らなくても困りません。私、今すごく楽しいですから」
優しくふわりとした微笑みを見せる美代さんを見ていると、なんだか安心する。
まるで年を重ねていくと共に忘れてしまう純粋な微笑みを見ているようで。
そう長くもない帰路を終え、ただいまと言いながら玄関のドアを開けようとした時何か違和感を感じた。
「悟さん?どうしたんですか?」
怪訝な顔をしながら首をかしげる。
そんな美代さんをよそに俺はドアの奥に意識を集中する。耳を澄まし、気配を感じ取り、視覚に頼らないで中の状態を読み取ろうとする。その結果、何やら家の中が騒がしく、玄関の所に誰かが立っているような気配を感じる。また姉貴が何かを企んでいるのかと思ったが、それにしては中にいる人数が多いような気がする。経験からして綾や雄は姉貴のイタズラには関与しないはずだし。
「どうしたんですか?早く中に入りましょう」
そして我が家の違和感を感じたせいか、美代さんの態度が……思えば今日一日どこかおかしかったように思えてくる。
「そういえば美代さん、今日は無口というか淡白というか……やけに大人しくなかった?」
ピクッと美代さんの体が一瞬震える。それでほぼ答えてしまったようなものだが。
「そ、そ〜んな事ないよぉっ。いつも通りです、よ」
その答えに裏付けるような妙な口調で弁解しはじめる。
「ふぅん、そう。あー、俺ちょっと買い物してくるから先に入っててくれないか?」
少し面白くなってきたので少し揺さぶりをかけてみる。
「だ、駄目です!先に悟さんが入らないと駄目……あっ」
案の定、簡単にボロを出す美代さん。
苦笑いをする美代さんを見て、姉貴の差し金であるという事はほぼ確信する。となれば俺がこのままドアを開けて家の中に進むという事は全弾装弾済みのロシアンルーレットに参加する事と同意である。もちろん最初に銃口を眉間に当てるのは俺だ。
「悟さん!今回は平気です!本当ですっ。私もう隠しませんから……とはいっても何をするかまでは言えませんけどとにかく危なかったりはしないですからっ」
必死に引きとめる彼女を見ると、このまま家に入らないというのも何だかかわいそうになってきてしまった。美代さんの言葉に嘘は無さそうだし、今回に限っては姉貴の差し金だというのに危なくないという珍しいパターンなのかもしれない。
「わかった。わかったから。危なくないんだな?」
再三確認する俺の姿を傍から見れば臆病な男に見えるかもしれないが、俺にとっては生きていく上で大切な事なのだ。いわゆる生活の知恵である。死活問題である。
俺のしつこい問いかけに熱のこもった頷きで返す美代さん。これ以上は男として色々と駄目になってしまうので俺は覚悟をきめて玄関のドアノブを回して……開けた。
最初に飛び込んできたのはクラッカーのような炸裂音。そして一瞬後に俺の上に降りかかる紙吹雪によって、それが本当にクラッカーの音である事を知る。
「悟。誕生日おめでとう!」
姉貴のご機嫌そうな声。その後ろには雄に綾が控えており、バタバタとリビングのほうから筒井までもが顔を出してきた。
「よぉ、江藤!俺が今日一日の思い出を記録しにきてやったぜ」
そう言いながらいつもどおりにカメラを回していた。
「姉貴、俺の誕生日は一週間以上前だぞ?」
思い返せば美代さんが現れた日の前日が俺の誕生日だ。
「そんなのわかってるわよ。ただ当日は私忙しかったし、翌日には美代ちゃんが来たから慌ただしかったじゃないの。だから何となく今日祝おうかなと」
また唐突に……。まぁ、祝ってくれることについては素直に嬉しいが、十七にもなってこんなに盛大に祝ってもらうのも何だか気恥ずかしい。
「ま、悟の誕生日はついでよついで。盛大になるのは……」
姉貴がそこまで言ったところで真後ろにある玄関のドアが勢いよく開かれる。
「先代会長!飲み物買ってまいりましたー!……あれ?サトー君、まだ玄関にいたの?」
二リットルのペットボトルが入った買い物袋を片手に会長が登場する。
「ついでにつまむものも買ってきました」
その後ろにメグと、
「何で私はこんな事に付き合わされているのだろうか……」
頭を抱えている古屋の姿があった。この顔ぶれを見れば何が行われるかは大方の予想がつくが、その予想を口にしようとした所で姉貴の静止がかかる。
「綾ちゃん、雄!横断幕!」
姉貴の号令で後ろに控えていた狩谷双子が何か棒きれのようなものを持ったまま左右に展開した。それにより視界の大部分を占領せんとするかのような布が広がり、そこには『祝、オカルト研究会再興!』の文字が刻まれていた。
ちなみに『ついでに悟の誕生日』と、視力が一以下の人には見づらいくらいの文字でそう刻まれていた。
その日は、狩谷家以外のご近所が比較的遠いという事を幸いだとこの上なく思った日だった。姉貴、綾、会長、筒井の四人が率先して騒ぎ、美代さんがアルコールなんて一切無いのに場の雰囲気だけで酔い、古屋はあくまで落ち着きはらっていたが、たまに姉貴の杯を満たしていた。テーブルに展開された料理やお菓子はその大部分を雄とメグが片付けていた。事前に姉貴から代金を受け取っていたらしいメグは、それをいい事に自分の好きな物を買ってきていたのだろう。料理以上にお菓子に手が伸びている。そして俺は……。
「悟さん、どうしたんですか?」
リビングの喧噪に当てられた俺は自室のベッドの上で体を休めていた。すぐに戻るつもりだったが、美代さんが呼びにきたという事は自分が感じていた以上に時間が経っていたようだ。俺は体を起こしてドアから入ってきた美代さんに視線を向けた。
「ん、もうちょっとしたら戻るよ」
実際に流れた時間通りの休息を得られなかった俺は、もう暫くここにいる事を告げて再びベッドにその体を預ける。今日も割と色々な事があったせいか、瞼はわずかに重い。恐らく十分程度こうしていれば眠りの中に落ちていってしまうだろう。リビングに行けば眠気など一瞬で去ってしまうのだからあくまで休息のために視界を閉じた。
目を閉じてほんの数秒が経ったとき、軋む音と一緒にベッドが僅かに片方に傾く。
「美代さん?」
目を開ければ美代さんが俺の足元に腰をかけていた。
「悟さん、大丈夫ですか?何だか嬉しいような、悲しいような複雑な顔しています」
思わず吹き出してしまう。
「あ、笑うなんてひどいですよ」
悪い悪いと謝りながら上体を起こして美代さんと同じようにベッドに腰をかける。いつもどこかぼんやりしてる感じの美代さんらしかぬ鋭さだったから思わずおかしくなってしまった。
「そうだな。今俺は嬉しくて、悲しい……じゃないな。何というか申し訳ないようなそんな気分だ」
ふぅ、と一息つきながら俺は喋りはじめた。
「俺が中三の頃に事故で両親と、夢を……失った事知ってるだろ。それから姉貴は何かにつけて俺を気遣うようになった。親を失ったのは姉貴だって同じはずなのに……自分だって悲しいはずなのに俺の事ばかり考えてくれた。綾や雄だってそうだ。普段と変わらないように見えて、色んな所で俺を気遣ってくれた」
もちろん、それ以前から姉貴だけじゃなく綾や雄は家族だ。家族同士気遣い合ったり優しくし合ったりするのは自然だった。ただ、俺はその中で特別になってしまった。
「今回だって、ついでなんて銘打ってあるけど、きっと俺に重く感じさせないようにわざとやってる事だと思う。姉貴にとっちゃ半ば強引に部を辞めさせた代償みたいに思ってるんじゃないかな。俺にとってあれは気持ちを切り替えるために必要な事であって、むしろ姉貴に感謝したいくらいなのにさ」
自分が夢を失った事を自覚した頃はそれを感じる余裕なんて無かった。だけど、落ち着き始めてからどこかに違和感を感じ始めた。最初俺が夢を失った事で回りが変わったのかと思った。だけど失ったのは俺だ。だから変わったのはきっと俺なんだ。
「たまに、そうたまに。例えば今日みたいな日。皆の視線が俺を通り抜けていくみたいに感じるんだ。俺を通り抜けて……皆昔の俺を見ている。昔の俺を知っている人は皆昔の俺しか見ていない……そんな錯覚がするんだ」
いつの間にか、俺の声に涙が混じりはじめていた。今まで誰にも話さなかった事なのに美代さんの前で何故か漏らしてしまったのは、きっと……。
「大丈夫です。私は知りません」
そう、美代さんは昔の俺を知らないからなんだろう。
突然、美代さんの腕がふわりと俺を包み込んだ。
「……っ!美代さん!?」
驚いて咄嗟に後ろに下がろうとしたががっちりと両の腕で固められ、身動きがとれない。零距離まで近づいた美代さんの、その、母性の象徴とも言えるものの感触に俺の体温は急上昇していく。
「悟さんは辛い時とか、こうされる事が好きだってお姉さんに聞きました」
姉貴め……また妙な事を。
しかしこれはとても気持ちいい……じゃなくて非常に恥ずかしいものの、悪い気はしない。
「私は、今の悟さんしか知りません。だから……私が悟さんに優しくしたりするのは、今の悟さんにそうしてあげたいからです」
優しい言葉、優しい感触。嘘や偽りばかりだった俺の心を問答無用に溶かしていくようなその優しさに俺は……何を思ったのか。
「悟に美代さん、二人とも遅い!何やって……、本当に何やってるの……?」
ただ、この瞬間の言い訳を考えるのは困難を極めるだろうなと考えるもなく思った。