第十一話:増員
気がついたらすでに放課後だった。
何度確認しても時間は昼過ぎで、何度周りを見回しても帰り支度をする人であふれていた。
おかしい……、朝起きて朝飯食べて家を出て学校に着いたあたりまでは記憶にあるのだがそれから時間が立つごとに記憶が曖昧になり、ある一瞬を境にしてまったくの記憶が残っていない。
その間に一体何が起こっていたのだろうか……一体俺はナニヲシテイタノダロウカー。
「現実逃避はやめろ……悟」
後ろから肩に手をかけられる。
首筋を弱く、そして優しく風がなでる。
「補習、がんばれよ」
そして肩に置いた手でガッツポーズを作る。
瞬間、あらゆる現実が脳裏に蘇って来た。
ほとんど勉強に手がつけられなかった初日のテスト、採点して返される前から結果がわかりきっていたとはいえ改めて現実として受け止めると思いのほかダメージが大きいようだ。
慣れるもんじゃないな……。慣れるのもどうかとおもうし。
「そういえば綾のヤツ、いつも通りだったな」
昨夜雄から聞かされた事。
部活を早退し、夕飯も作らずにそのまま寝てしまうなんて事は普通の高校生ならばともかく綾にしてみれば珍しい。
それとなく心配して声かけてみたのだが、至って普通。変な所なんて見当たらなかった。
「んー、一晩寝てすっきりしたんじゃないのか?見た目通り単純なヤツだから」
切り替えが早いのは綾の良いところだ。
とりあえず心配事が一つ減っただけでもヨシとしよう。
「はぁ……」
大きな溜息が洩れてしまう。
昨夜もずっと考えていた……メグへの返答。
結局俺は何て言うべきか、何て言いたいのかわからないまま今日を迎えてしまっている。
部活を辞めてメグとの大きな接点が無くなってしまった以上、学年が違うと会う機会というのがほとんどない。
「先輩、溜息なんてついちゃって……」
「ああ、溜息の一つや二つくらいつきたくなるってもんだよ。こんな時に日本人らしく日本語を巧みに操れなくてどうすると」
ふと、何か違和感を感じた。
俺はさっきまで雄と会話をしていたのだから、今の声は雄のはず。
でも明らかに女の子の声で……明らかに先輩って……。
「……どうして二年の教室にメグがいるんだ」
「入っちゃいけないなんて校則は無いですよ。それに入れてくれたのは雄さんです」
その雄は……もういねぇ。
それにしても割と冷静だなぁ、俺。
冷汗は相当量でてるけど。
「それで先輩、話があるので一緒に来てください」
「お、俺はこれから研究会に顔を出さなきゃならないんだ」
ここで逃げを選択するか、俺は。
「その行きがけで済む内容なので行きましょう」
しかし回り込まれた。
仕方がない、観念しよう。
正直、とりあえず自分が納得できる答えを見つけてないまま答えるのは気が進まなかったのだが……。
「まず初めに、昨日私が言った事はとりあえず忘れ……るのもなんなので頭の片隅の方にしまって下さい」
教室を出て最初にメグはそう言った。
昨日の事ってのはつまりあれの事だよな……。
しまっておく、というのはつまり?
「答えてくれるのはまた今度でいいです。いいえ、今度にしてください。私、少し納得できない事ができました」
憮然とした口調でそう言うメグの横顔を盗み見るとわずかに怒りの色が見えた。
そんなメグを見るのは本当に稀……というよりも見た事がない。
同じような表情を見せていた時はあったが俺がまだ小学校の、メグに会った頃の事だ。
「あ、先輩に対してじゃないので安心して下さい」
その言葉に甘えて安心する。
今でこそ明るく元気な彼女ではあったけど、出会った頃は無口で無愛想とほとんど逆な性格の子だった。
違う中学だったので確かな事は言えないが、いい中学生活を送れたのだろう。
「でも……それを俺に言うって事は少なくとも俺が関係してる事なのか?」
安心したところでふと違和感を感じたので尋ねてみる。
納得できないのが俺に対してでないのなら、それを俺に言う必要は無いのでは。
あるとしたら間接的にでもその『納得できない事』に俺が関わってるって事だ。
「そう言う事になりますね。もしかしたら先輩が悪の根源かもしれないですし」
一気に不安が沸き上がってくる。
やっぱり俺はメグに何かしてしまったのだろうか……。
思い当たる節は無い事も無いのだが、今ここで大々的に話題にする事となると首をかしげてしまう。
「先輩にはきっとわからないと思います。わかったらちょっと嫌です」
「何だよそれ。結局のところ俺が悪いのか悪くないのかどっちなんだ……」
どうにも原因があっちこっちにいっててよくわからない。
「そうですね……」
メグは一瞬考えた後、優しく微笑みながら言った。
「きっと、悪い人なんてどこにもいないんですよ」
そのまま俺たちは並んだまま無言で階段を降り、廊下を進んでいく。
何か新しい話題を出す雰囲気でも無かったし、出せる話題も無かった。
ただ居づらいというわけではなかった。無言だというのに、柔らかくて和んでしまいそうな空気。
いつまで居ても苦にならず、それを破ってしまうのが惜しまれる。
しかし旧校舎の突き当り、つまりオカルト研究会の部室前でそれは終わりになった。
「あ……っと。悪いな、話は終わってたっていうのにこんな所まで付き合わせて」
「え?何か謝るような事ありました?」
不思議そうに首をかしげるメグだったが、その仕草に俺も首をかしげてしまう。
「いやだって、下駄箱はもうとっくに過ぎただろ。サッカー部は今日も練習あるだろ。マネージャーだからといってさぼったらいけないんじゃないのか?」
辞めた人間が言っても説得力に欠けるものがあるが。
「先輩、私の服装見てくださいよ」
そこで気づいた。メグが今着ているのはジャージではなく制服である。
マネージャーが制服で部活に出るのは一応禁止はされていないが、良い事ではない。
「じゃあ今日はもう帰るのか。なら尚更悪かったな。何か用事があるんだろ?」
「確かに用事はありますけど、学校に用事なので下駄箱は通り過ぎても全然かまいません」
つまり旧校舎に用事があるという事か。
「そっか。でもこっちには階段無いし、どっちにしろ引き返す事になるんだろ?じゃあその分だけでもすまないなという事で」
「だから、何で謝るんですか?先輩、私に何かしましたか?」
「いやだから余計な労力使わせちゃったなと」
「いえ?特に余計な労力は使っていませんけど」
口早に交わされる問答に悪い予感を感じざるを得なかった。
隣を見れば部室の扉、前を見ればニコニコ笑うメグ。
ああ、ちょっと頭痛が。
「二人とも!いつまで部屋の前で騒いでるの!そんな所にいないで中に入って!」
扉が開いて中から会長が現れる。
「お待たせツキちゃん!これからお世話になるね」
二人でハイタッチを交わす。
同学年で同じ女の子だというのに結構な身長差があるので、メグにとってはいわばロウタッチのようだったが。
「だぁ〜……」
本日二回目の溜息は脱力感をふんだんに含んだものだった。
思えば最近溜息の回数が増えてきているような気がしてならない。
「基本的に同好会も、研究会も開始時刻は従来の部活と同じ……つまり遅刻です、江藤君」
そして部室に一歩踏み入れた時に、更なる違和感が俺の心を支配した。
トーンの低い女性の声、美代さんのか?
美代さんは既に部室にいたが、無言で例の本の続きを読んでいる。そもそも声質が美代さんのものじゃなかった。
というよりこんな特徴的な声質、俺で無くとも聞き分けられる。
「なんで古屋がここに……」
「それは私も今日から研究会の一員だからです」
ああー、なるほど。
「って、ええぇぇーーー!?」
お、落ち着け俺!
どういう事だ?メグだけでなく古屋が?よりによって古屋がオカルト研に?
何で?何故、どうして?この前まではオカルト研の存在をあれほど認めていなかった古屋が……。
「規定を満たしてしまっては付け入る所がありません。なので何か起こせばすぐ然るべき対処ができるようにと内部の人間になったまでですが」
「まさに獅子身中の虫だねっ」
会長、それは嬉しそうに言うセリフではありませんよ。
「悟さん、人数は多い方が楽しいですよ」
本から目を離して俺に微笑みかける美代さん。
癒されるけど、なんだか涙がでてきちゃうよ。
「……あれ?」
そして今日何回目かの違和感を感じる。
「なぁ古屋、ちょっといいか?」
立ち上がって扉に近づきながら古屋を呼ぶ。
無言で俺の言葉に応え、俺より先に部室を出て行く古屋。
「っと会長、少し出てきます」
一言断りを入れて古屋を追いかける。
古屋は廊下の中程で立ち止まり、こちらを見ていた。
「何か」
いつもと変わらない声で尋ねてくる。
「古屋はオカルト研が同好会の規定を満たしていないにも関わらず、部室を持ってるから会長に立ち退きを命じてたと思ってたんだけど、こうしてめでたく規定を満たした後も関わってくるって事はそういうわけでもなかったのか?」
確かに古屋自身納得のいかない満たし方ではあったものの、基本的に校則に違反していなければ古屋はノータッチのはず。
「ええ。他の同好会ならば規定を満たした時点で私は関与しません。しかし、オカルト研究会だけは別です」
古屋の瞳にはわずかに怒りの色が見える。
しかし、先ほどのメグにあったような色とは違う。
もっと濃くて深い……そんな感じの色だった。
「もしかして古屋は……俺の姉貴と知り合いだったりするのか?」
ふと思いついた事を訪ねる。
古屋がオカルト研に対して普通じゃない感情を抱いているのは何となくわかった。
しかし今のオカルト研は今年の四月に会長が一人で始めたもので、特に何かしたというわけではない。
つまりはオカルト研にそんな感情を抱く原因になったのは前のオカルト研……つまり姉貴の代の事になる。
そうなると古屋と姉貴は……。
「祓奈さんですか。祓奈さんとなら何度かお会いした事があります」
やっぱりか……。意外と世間は狭いな。
「姉貴が原因じゃ良からぬ印象を持つのは仕方のない事だけどさ。今のオカルト研は昔とは違うんだから、そんなに気にしなくてもいいんじゃないか?」
大方姉貴に怖い思いでもさせられたのだろうと、古屋に対して僅かな同情を抱く。
「いえ、祓奈さんには感謝こそすれ恨むような事は何一つとしてありません」
しかしその同情は見事に的外れだったようだ。
「じゃあ、何でそんなにオカルト研に執着するんだ?」
聞いてはいけない事だったかなと、一瞬思いはしたが聞かずにはいられなかった。
「理由は単純です。ただ単にこの学校にオカルト研究会等という物は不要だからです」
いつも以上にはっきりとした口調で、オカルト研究会の存在そのものを否定する。
俺の中に僅かな憤りが渦巻いていた。
「俺は……オカルト研を楽しいものにしたいと思ってる」
美代さんが、心の底からそう思えるような……そんな場所にしたいと思ってる。
「あの会長の事だから、きっと変な事件が起きたり、起こされたりすると思うけど……。俺はそれでも楽しいと思う。古屋がオカルト研に対してどう思ってるのかは知らないけど、今のオカルト研が不要だなんて俺には思えない」
息を吸い込み、呼吸を整えてから俺は続けた。
「だから古屋も、楽しもう」
古屋は何かを考えるかのように頭を垂れて下を向いている。
そして消え入るような声で、再び言う。
「オカルト研究会はこの学校にあるべきではない」
その声に俺はかける言葉を忘れてしまう。
「でも少しくらいなら」
その顔が再び上がった時にはいつもの生徒会副会長の顔だった。
それにつられて俺の顔にも自然と笑みがこぼれた。
メグだけでなく古屋も加入ということで不安に苛む事になるかと思ったが、この分じゃその心配はないようだ。
きっとオカルト研は楽しい所になる。
その楽しさで古屋の考えも変わってくれるといいのだけれども。
「ああそうだ」
忘れていたことをふと思い出す。
「なぁ古屋。先週言ってた俺の痴情って一体何なんだ?」
部室立ち退きの最後の切り札でもあったそれは、俺にとっちゃ切られたら困るものだったので今のうちに聞き出しておく必要がある。
「え……、あ……」
古屋の顔が少しだけ朱に染まる。
俺の痴情とやらはそんなにやばいのか。
「私は割とどんな事があっても貴方の味方なので安心してください」
そして変な返し方をされごまかされる。
最初のほうにつけられた割とという言葉が、俺の不安をさらに膨れ上がらしていった。