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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒い木槌

作者: pueburo

「ああ、大丈夫みたいだ」

 穏やかな、全てを包み込む声。

「死んでいればよかったのに」

 厳しく非難する声。

「そう言うな」穏やかな声で諌める。「何事も選べないのだ。彼だって死にたかっただろう」

「これまで何人殺したと思ってる? これまで悪行をどれだけやったか。……なのにまだ、生きてるなんて」

「君は、死ぬことがすなわち罰になると、思っているのか」

「そうだろう」叫んだ。有無を言わさない怒りが伝わる。だが、相手は気にも留めない。

「しかし、こいつにとっては死ぬことが救いだったはずだ。見ろ、もう心臓が動き出したぞ。そのうち神経も回復する。そうなれば、全身からの危険信号が痛みとなってこいつの脳へと押し寄せる」

 そうした説明に対する答えは、舌打ちだった。

「君がこいつに罰を与えるというならば、殺し続けることだ。死ぬことはない。痛みが罰。だが、永遠だぞ」

「あなたはどうするんです。このまま見逃すんですか」

「――もう、わたしは関わり合うことは無いだろう、という気がする。そろそろこの国を発たなければならないのでな」

「やっぱり、放っておくんだ」

「そうかもしれん」

 ダンッ

 諦めに満ちた穏やかな声が答えるのと、ほぼ同時に重たいものが振り下ろされた。

 びしゃびしゃと液体の中、ゴリゴリと堅いモノ同士が擦れる。

「これでいいんでしょう。心臓が動くたび、潰してやる」

「終わりはないぞ。お前が死んだら、またこいつは生き返る。意味がないのではないか」

「それでも、俺はこいつに罰を与える。俺が死ぬまででも」

 一人は去っていき、一人は残った。

 彼はほぼ一日中、そばに立ち心臓の鼓動が回復する度、大きな木槌を心臓に向けて振り下ろした。

 一日に何度も繰り返し、はたと気付いた。

 痛みを味あわせなければならない。ただ心臓を潰すだけではだめだ。神経が回復してからでなければ。

 それからは鼓動が戻っても、すぐに木槌を振り下ろすことはしなくなった。しばらく観察をして機を図る。

 痛みを感じているかどうか。見た目には分からない。

 だから、あるところを決めた。

 肋骨が再生するとき。

 心臓を潰してから、いつも同じ時間が経ってから、それは始まった。

 早朝、潰せば次は正午。その次は夕暮れ。その次は夜中。

 一日四回、木槌を振り下ろすことが、彼の日課になった。そうなった理由は、肋骨が元通りになれば心臓が潰しにくいから。

 彼は、死体ともつかない血と肉だまりの側に小屋を建てた。

 そこでいつも寝泊まりをする。来る日も来る日も、彼は時間きっかりに木槌を振り下ろした。

 心臓はいつもパチンと弾けるように潰れた。

 彼はとても規則正しい生活をした。

 彼は、保安官の助手をしていた。彼が罰を与える男の起こした、過去の、悪夢のような惨劇以来、すっかり忘れてしまったような平和な田舎街で、事件らしい事件もほとんどなかったから、彼は昼休みになると小屋へ戻って木槌を振り下ろした。

 彼の両腕はとても太かった。木槌を振るうようになってさらに逞しくなった。力もそれだけ強かった。

 だから、街で催される競技会には、彼が望まなくとも出場を推薦された。そして出る度に、栄光を得ていた。だが、隣り街で開かれるより大きな競技会に出場することは、推薦されても頑なに断った。

 それは日課をこなすことが出来ないからである。

 そして彼は、さも当然のとことして独身を貫いた。

 縁談はいくつも、舞い込んだ。街では彼を知らないものはいなかった。競技会で優勝することは数知れず。人々が事あるごとに頼りにした保安官の信任も厚い。自発的に縁談を申し込む者もいれば、保安官を介して、申し込まれることも少なくなかった。

 しかし、全てを断わった。

 彼の上司だった保安官の死に目において、保安官は彼を後継にと指名した。誰もが納得する選択だった。独身でいたことが、憶測を呼びはしたが、そのことで大きく信頼が揺らぐことはなかったのだ。

 だが、彼はやはり、辞去した。

 その後、上司の葬儀には、間を抜けだすことが多くの人々に目撃される。

 彼は年を取ってからも、保安官の助手をしていた。彼の上司はずっと若い人間になっていた。

 ある時、街を大混乱に陥れる事件があった。

 ほかの街で何人もの人を殺した男が、彼の街へと逃れてきて、家に立て籠ったのである。家の住民を人質に取った。それからは夜通しで、家を囲むよりなかった。勿論街の人も総出で、保安官の指揮の下、四方を取り囲んだ。

 保安官は、もう老齢に入っていた、しかしまだ腕っ節の強い熟練の助手を裏口に配置した。そしてその体制を組んで、状況は膠着した。

 そして、夜。そのまま深夜になった。

 翌日、朝も早くに裏口には、死体が転がっていた。それは裏口を押さえていた街の人と人質で、立て篭もっていた犯人はすでに逃げた後だった。愕然とした表情の保安官の前に現れたのは、老齢の助手だった。

 即座に助手は解任された。

 彼はとくに反対もせず、受け入れた。彼は職を失うと、小屋に籠るようになった。時々、街に出ても食料を買い求めるだけで、誰かと会話することも、言葉を発することもしなかった。

 かつて、栄光を手中にした彼は、街ではむしろ避けられる存在に、その時変わっていた。

 事件の不手際もさることながら、頑なに独身を貫いたこと。保安官も就任を拒んだことが、全て悪い方へと解釈されるようになっていた。

 それはますます悪い方へと進む。

「あの事件で、犯人を逃したのは、他ならぬ奴だ」と囁かれる。「あいつはあの薄汚い小屋で人を殺してる。あの犯人だって、奴には同志だったのさ」

 噂は噂を呼び。静まることはなかった。

「小屋には、いくつもの死体がある」「人間を食べている」「血を啜る」「いや、血抜きをして食べる」「いやいや、骨まで砕いて、まるまる食べるんだ」

 やむことはなく、街に入るだけで石を投げられるようになり、彼の足は次第に街へ向かわなくなった。

 彼は、すっかり年老いても、震える手で木槌を振り下ろした。

 いつも規則正しく、近くの森で採ったきのこや野草を食べていた。彼が行うことはもう、決まり切っている。何十年としてきたことは、身体に染み付いていた。

 ソコの周りの土は、ずいぶん昔から色が変わっている。

 血は滲み渡っていた。

 滲み渡っていたが、いつまで経っても、何十年と涌き続けている。

 ダンッ

 ダンッ

 ダンッ

 ダンッ

 音が、一日を告げた。

 ダンッ

 ダンッ

 ダンッ

 ダンッ

 変わることのない、日々。

 ダンッ

 ダンッ

 ダンッ

 ……

 空が明るく、男は重さに呻いた。

 胸に圧し掛かるのは、大きな木槌だった。

 すかさずひんひんと、痛みが押し寄せていた。

 涙も出ない。叫ぶこともままならない。ただ、耐えるしか術はない。

 数時間後、木槌を退かしてみれば、柄に寄り掛かる老人がいた。彼はもう、息をしていなかった。心臓の鼓動も止まっていた。だが、木槌はしっかりと握られていた。

 男は彼をその場で埋葬した。木槌を握る手は、死しても離れなかったため、柄を地面から立たせて、墓標とする。

 再び生きた男は、旅をした。

 一抱えの荷物を持つ。それは木槌の頭だった。男の血肉に満たされたそれは、もはやただのものではないと、男は考えた。

 旅の中で、男は足を止める。

 川に向かって釣りをする背。

 男は近寄った。その釣り人が同類であることを、男は知っている。

「あなたに一つ、聞いてみたいことがあった」

「なんだい、言ってみるといい」

 穏やかで、全てを包み込む声。

「どうして、生きているんだろう」

 釣り人は、振り向かずに頷いただけだった。



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