可愛さ余って憎さ百倍―――①
―――序章1―――
きた。
覚悟はしていたけれど、きちんとやりきれるだろうか。
一年前に決着を。
僕の決意を、罪を、人生を。それらすべてをかけて、全力で。
それがキミとの約束だからね、愛。
――――――――――――
久しぶりに学校に行くことにしました。
近頃、私にとって良いことがあったようで、気分がすこぶるよかったからだろう。
「行ってきます…」
誰からの返事もない家にそう告げて私は玄関を閉める。朝陽を反射した窓ガラスが、私を学校へと送り出す。
あぁ……良い気分。朝早い時間帯は空気が美味しく感じますよね。
けれど、私のそんな陽気な気分は次の瞬間、モノの見事に憂鬱へと変わる。
「おはよう。今日はきちんと学校に行くんだね、榊さん」
私の家の前に植えてある樹齢ウン十年の木に背を預けて、こちらを一人の男が見据えていた。
……鬱陶しい。私は、そんな感情を隠そうともせずに、彼の横を抜けて、学校へ足を向ける。
知りもしない男に付き合ってやる時間を、私は持ち合わせはいません。
しかし、どうやら彼は人の機嫌をうかがうということを知らないようで、無神経にも私の隣に並ぶように歩き始める。
……思わず、男の鼻っ柱に一発入れたくなりました。
「………何の用ですか?」
「いやね、この頃学校に来てないから心配だなぁ…ってね」
「それで、わざわざ住所を調べて、朝早くから家の前で待っていたんですか」
「そうだよ」
「………、」
「というのは冗談で。前に僕と一緒に遊んだことがあるんだけど、覚えてない?」
「覚えてません。これでも私、記憶力は良いほうなのでアナタとは過去に一度も話したことはないと断言できますよ」
「正解」
人をおちょくってるんでしょうか。何が目的かはだいたい予想はつくけれど、何がしたいのかわりません。
けれど、一つだけわかった。目の前のコイツは信用してはいけないヤツです。
「実はね、僕は榊さんに興味があるんだ」
「私はありません。すぐさまに私の視界から消えてください」
「つれないね。結構本気だったんだけど」
「問題ありません。あなたの本気という言葉を信頼できないだけですから」
正解。
そう言って、男は薄っぺらい笑みを顔に貼り付けた。そんな万人受けしそうな笑顔の中にある悪意を何人の人間が理解できるのだろうか。
理解したところで、私には興味はないですけど。
学校へと続く、長くて広い一本道。そこの入り口に差し掛かってもなお着いてくる男に、私は内心舌打ちしながら、不意に、といった風に話しかけた。
「どこまで着いてくるおつもりですか?」
「どこまでも」
「ストーカーです。警察に訴えますよ」
「警察より先に先生に相談することをオススメするよ」
結局。
どこまでも、と答えた彼は本当にどこまでもついてきた。
さすがに、私のクラスの教室まで入ってきた時には咎めようと思ったが、『いやさ、僕も同じクラスなんだよね』と先に釘を刺されたので私の機嫌の悪さは留まるところを知らない。
さて、どこまで私は不機嫌になれるのか見物ですね。私はいまだに自分の憎悪の限界を知りませんから。
記憶を頼りに、私は一番後ろの窓側の席の一個隣の席へと腰を下ろす。椅子がもたらす冷たい感触が、私の気分をいささかクールダウンさせた。
椅子にクールダウンさせられる私の機嫌はどれほどに適当なものなのでしょうか。
自分で、そう思った。
「榊さん。そこ、席が違うよ」
「………、」
またこの男に気分を害された。慰謝料を請求したい気分です。
クールダウンした瞬間に話しかけてくるなんて、この男はそのタイミングをはかってでもいるのだろうか。
「席替えでもしたんですか?」
「ちょうど昨日ね。実は、一週間学校を休んでいた榊さんには席替えのことがわからないだろうと思って、家まで行って伝えようと思ってたんだ」
「ダウト」
「正解」
男が、私の座る左隣の席、すなわち窓際の一番後ろの席を指差す。
思わず嘆息して、私は指差された席へと移動して腰を下ろし、頬杖をついて外を見た。
そんな私の隣の席に、男は座った。自分のバックを席の荷物掛けに置いたということは、そこが男の席なのだろう。
……嫌な席。窓際の一番後ろだというのに、ちっとも授業中に気を休めそうに無い。
「ねえ、榊さん」
「………、」
「右の頬に、ご飯粒がついてる」
「………、」
ダウト、と言ってやらないのは私がこれ以上目の前の男と話をしたくないという無言の訴えのつもりだった。
私は、学校で誰かと会話する気はありませんから。特に、私に好んで近づいてくる人とは。
「……んー」
男は仕方ない、とでも言いたそうな表情で私の耳元へと唇をよせて、小さく呟いた。
「―――愛」
「―――――ッ!!??」
思わず。
そんな一言だけで、今している行動を言い表すことが出来るのは、それほどまでに私の行動がシンプルだったからだろう。
シンプルで、純粋で、真っ直ぐ。それでいて力強い行動は、男の胸倉を掴んで強引に引き寄せ耳元で小さく用件をささやくというものだった。
「私とお友達になりたいなら、屋上でお話しましょう?」
「いいね。屋上で愛を確かめあう二人。なんてドラマチック」
「気持ちの悪い言葉を吐かないでください、怒りますよ?」
「それは悪かった。謝るよ、誠心誠意ね」
「言葉ではなんとでも言えます」
胸倉を掴んでいた手を離すと、男はゆっくりと自分の椅子へと腰を下ろした。
あの椅子に爆弾でも仕掛けてあって死ねばいいのに。
制服の襟を正しながらこちらを見る男を見て、そう思った。
「やっぱり、気に障った?」
「当たり前です。初めて会った男性から下の名前で呼ばれて嫌がらない女はいません」
「居るかもしれないよ?」
「居たとして、それは私ではありません」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「なんとでも呼べばいいじゃないですか」
「矛盾してるね。そんなことを言われたら僕はキミのことを愛としか呼べなくなっちゃうじゃないか」
「いいですよ、別に。アナタには何を言っても無駄だとわかりましたから」
「男子は誰でも猪突猛進なのだよ」
ダウト、と私は言わなかった。
ニコニコと、したり顔の男の………あ、そういえば、まだ名前を聞いてなかった。
名前も知らない男に下の名前を呼ばれるのは、少しばかり抵抗がある。
呼ばれること自体にも、抵抗はありますけど。
「ねえ、アナタ…名前は?」
「ん? あぁ、そういえば今回はまだ言ってなかったね」
水野、と男は名乗った。
フルネームは水野景。
どうにも聞き覚えがある名前だった。
どこだったかなぁ………まぁクラスメイトですし、いつか聞いたのかもしれません。
「よろしく」
「えぇ。よろしくお願いします、けーくん」
私の軽口に、水野は珍しく(そう言えるほどには知り合って時間もたってはいないが)目を見開いた。