第19話 糾問会 後編
「そうだ!」
突然、川上の声が響いた。
「俺は聞いたんだ。お屋敷の中で、そこにいる澤渡の若様が家来の人と話しているのを。先代の伯爵様を罠にかけて死なせたことを喜んでいるのを! 当主になって大喜びしているのを! だから、その話を聞いた俺を口封じするために屋敷から追い出……」
「黙れぇ!!」
咆哮が川上の言葉を遮った。
「黙れ、黙れ、黙れ! 私が母上を死に追いやった? そんなデタラメを言うな! 私が、私が……」
――反論をしろ!
――明快に論理的に、ヤツが二度と口を開けないほど!
けれど、感情が高ぶりすぎて、将典の口からこれ以上言葉が出てこない。
それどころか、生前の母との最後の別れとなった時の笑顔と、荼毘にふす前の目を閉じた死に顔が脳裏に浮かんできてしまう。
口から涙声が漏れ出ないように、逆に歯を食いしばるしかなかった。
代わりに、咆哮した声が本堂の中でさざめくように響いて消えていく。まるで、悲しみですすり泣く泣き声のように。
「なあ、おっとお。若様、泣いてるよ」
本堂の隅の方で子供の声が響いた。
「こら。泣いてなんかいらっしゃられないだろ」
「泣いてないけど、泣いてるよ。おいらにはそう見える。なんで、若様が虐められなくちゃいけないんだ。あんな立派で心優しい人なのに」
この声を中心として、また、ざわめきが広がっていく。
「本当に。あの男はなんてひどいことを言うんだい」「先代伯爵様の死を汚すなんて、最低だな」「見下げ果てた男だ」「俺は御曹司のこと見誤っていたかもしれないな」「アタシもねえ、いけすかない貴族様だと思っていたさ」「でもよ、やっぱり、あの人も俺たちと同じ血の通った人間なんだな」「親を失ったばかりの子供だよ」「親近感を感じてしまうねえ」「なのに……」
将典は誰かに気づかれないように、静かに小さく息をひとつ吐くことで、冷静さを取り戻す。
ふと、何気なく送った視線の先には真宙がいた。後ろには咲哉と康嗣の姿も。
心に温かなものが広がる。力が宿る。
ステッキを握りしめる。
改めて、下条へ顔を向けた。
「下条、他に言うことはないか」
誰が見ても分かるほど、彼の顔は怒りで真っ赤になっていた。キッと将典をにらみつけてくるその目は血走り、憎悪の色に染まっていた。
と、その時、下条の身体から彩気があふれ出して、本堂全体へ広がっていく。
かつて見た時よりも、はるかに流れがよどみ歪んでいた。
――だが、効かないぞ。下条。
「贅沢は戒めましょう。とりわけ、贅沢の象徴たる砂糖への執着は堕落の始まりです。五戒の1つ、不飲酒戒と同じように、砂糖への過度の執着が私たちの心を鈍らせ、飽くなき欲望を煽り、御仏への祈りを妨げます」
彼の口から小さな呟きが漏れ聞こえて来た。
洗脳術が発動する。
「さあ、俺に従え!」
「断る」
確信と自信に満ちた下条の声を、将典は一刀両断した。
「……は?」
抜けた声が下条の口から漏れた。彼が辺りを見回しても、人々はキョトンとした顔をして下条を見つめるだけ。
「な……なぜだ? なぜ、効果を発揮していないんだ?」
「なんの効果かね?」
「それはもちろん洗脳術の……」
慌てて下条が振り向けば、そこには失望の表情をはっきりと顔に浮かべた古閑妙隠がいた。他の糾問会の僧たちは、目の前の事態を把握しきれず、うろたえたり、目を白黒させるばかり。
「……下条玄悔は禁忌を犯した。彼を捕縛せよ」
残念さが乗った妙隠の言葉に、旧都から来た役僧たちが応えた。
3人の屈強な若い役僧たちが一斉に下条に飛びかかり、
「な、何をする?!」
虚を突かれた下条はなすすべもなく床に抑え込まれた。
「く、くそ! 放せ! 俺は宏徳寺の次期貫主だぞ!」
その時、人混みの中から姿を現した了成が、下条の前で膝をついた。彼の口から紡がれた声には、悲しさと優しさが入り混じっているように、将典には聞こえた。
「玄悔師はん。ここまでになさりまへんか」
「貴様か! 了成! 俺をはめたのは!」
下条は目を血走らせ、怒りの声を発するばかり。それどころか、
「許さんぞ! 落ちこぼれが俺の邪魔をするな!!」
彩気が彼の身体を満たす。
右腕を取り押さえていた役僧が、その右腕の動きとともに振り飛ばされた。
「は?」
背中から抑え込んでいた2人目の役僧は、驚きで目を丸くした。そうしたら、下条の右腕に法衣を掴まれ、そのまま投げ飛ばされた。
「え?」
左腕を押さえていた最後の役僧は今起きた出来事を理解できずに力を抜いてしまう。そして、立ち上がった下条に胸ぐらをつかまれて、さらに遠くへ投げ飛ばされた。
全ては彩気を使った身体強化術によるもの。
でも、この場でその術を使えるのは下条だけではない。
――雑で、無駄が多い。
将典は両足にのみ彩気を満たすと、立ち上がりざま、下条の背後に移動する。
移動の途中に取った彼の右腕の関節を極めると、そのままもう一度、
ダン
下条を床に抑え込んだ。
さらに、彩気を具現化して、仮初の拘束具として下条の身体を完全に拘束した。
「離せ! くそ!」
下条は拘束下に置かれても、あきらめず、まだ足掻こうとする。
「ありえない! 俺は間違ってなんかいない!」
だから、さらにしっかりと抑え込むように、将典は顔を下条の近くに近づけた。実際は、彼の耳元で囁くため。
「洗脳の効果が発揮しなかったのは不思議か」
下条が血走った目でギヌロッとにらんできた。けれど、将典は囁き続ける。
「砂糖をたっぷりまぶしたスイーツをここの観衆全てに配っておいたことに、気づかなかったのか。砂糖を口にしないように、洗脳が効くように、あんたはあれだけ口酸っぱく言っていたのに、寺の坊主も含めて、みんな喜んで食べていたぞ」
「き、貴様ぁ」
洗脳の効果が発揮しなかった理由を聞かされた下条が、さらに目を怒りで見開き、真っ赤に血走らせる。拘束具が内側からの圧力でギシギシと軋み音を立てた。
だが、拘束が解かれることはない。
もっとも、将典の心も晴れやかなものになっていなかった。
ここまで至れば下条との戦いの勝利は確実。最後の最後で足をすくわれないように油断はしない。実際、視界の端に入れている十河はすでに戦意を失ったのか、その場に座り込んでしまっている。川上も少し離れているため、どのように動いても対処できる。
だから、勝利の高揚感が心の中で浮かび上がってきていてもおかしくなかった。それが欠片もない。
代わりにあるのは何か。
ふと、了成の顔が将典の視界に入ってきた。彼の顔から見えたのは悲しみと憐れみ。
――……そういうことか?
だから、ひとつ息を吐くと、将典は再び下条の耳元で囁いた。
「なあ、あんたは川上一夫のかつての働き先を知っているのか。番匠町に屋敷を構えていた公森家の分家だぞ」
下条の目が驚きで見開いた。将典は大きく溜息を吐きたくなったが抑える。代わりに、
「いい加減、怒りと憎しみを捨てたらどうだ。このままだと、あんたは公森家の呪いに囚われ続けることになるぞ」
再び、下条の目が怒りで見開き、拘束具が軋み音を立て始めた。
「自分の指を見てみろ。宝石のついた指輪をいくつもはめて、働かない者の手だ。贅沢にふけった公森家の者たちとどこが違う? あんたはあんたが憎んだ者たちと同じになっているぞ」
そこに、別の役僧たちが近寄ってきたため、将典は下条を渡す。
彩気を無効にする効果を持った手枷口枷をはめられて、下条が立たされた。将典を睨みつけてくるが、将典の心には波ひとつ立つことがない。
下条が本堂の外へ連れ出されていった。
代わりに、了成が将典の前に立ち、合掌すると深く頭を下げて、
「兄弟子に代わりまして、将典様には深う御礼申し上げさせていただきます」
「なんのことだ」
「最後に兄弟子はんへ施された慈悲のお心です」
「聞こえていたか。私がしたのは余計なお世話か、無駄なお節介だ」
「いえいえ。遠ない将来、きっと兄弟子はんの真心に将典様の今日のお言葉が届きます」
――「そうだろうか」か。「そうだといいな」か。
次に何と言えば分からなくなった将典は、了成から視線を外すと、乱れていた衣服を整えた。
「将典様」
人々の間に紛れ込んでいた真宙が近づいてきた。
「お怪我はありませんか」
その後ろには咲哉の姿も。康嗣は床に置いたままだったステッキを拾い差し出してくる。
「ないぞ。大丈夫だ」
必要以上に心配する真宙の様子を見て、将典は笑いたくなった。
けれど、その前に、
「澤渡将典様」
別から近づいてきた僧侶、古閑妙隠に声をかけられた。了成も、真宙たちもかしこまった。
「澤渡様にいわれのない疑いをかけたこと、糾問会の長として深くお詫び申し上げます」
妙隠の朗々とした声が堂内に響き、全ての人々の耳に届く。
合掌して深々と頭を下げた妙隠の姿も、人々の目に映る。
それは糾問会の敗北宣言であり、将典たちの勝利の証。
「詫びを受け入れよう。以後、このような誤りを犯さないように」
改めて、妙隠の頭が下がる。
バシャバシャ
ストロボによる眩い光とともに、カメラのシャッター音がいくつも響いた。
「こら! 本堂内での撮影は禁止だ!」
役僧たちがカメラを没収しようと新聞記者たちを取り押さえに動くのだが、捕まったのは動きが遅かった一人だけ。
「逃げろ!」「逃げろっ!」「号外だ!」「特ダネだ!」
残りは、蜘蛛の子を散らすように、逃げ出していった。最初に開けられていた入口だけでなく、他の出入口も勝手に開けて。
開けられた入口の扉からは冬の冷たい外の空気が一気に入ってきた。いつの間にか曇天が晴れたのか、明るい日差しも一緒に差し込んできて、堂内が一気に明るくなる。
人々の中には気が早く外へ出ていこうとしている人もいた。一部の私服警官は川上のそばに集まっていた。
ふと、将典は誰かに呼びかけられた気がして、後ろを振り返った。
本尊と目が合った。その慈悲の眼差しは、将典の行いを祝福しているようにも見え、これから先に待ち受ける彼の未来を憐れんでいるようにも見える。
――どちらでも構わない。
身体を戻して、真宙たちと向き合う。
「咲哉。急ぎ、屋敷に戻り、残っている使用人たちに結果を伝えてくれ」
「はい! 直ちに!」
駆けだそうとする咲哉を見て、将典は少し気が変わった。
「すまない。少し待ってくれ」
「?」
3人と順に目を合わせながら、問いかける。
「礒橋、真宙、板家。お前たちはこれからも私に付いてきてくれるか」
「もちろんでございます」「もちろんです」「はい。もちろんです」
「ありがとう。これからも頼む」
将典の顔から笑みがこぼれた。
――……もう、私は一人ではない。
――私はここから歩み始めよう。
――スイーツを人々の間に広げ、そして、良き貴族となる道を。




