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古竜との戦い


第11話:霊峰の古竜と、驚愕するヒョットコ鳩の高速白鳥ムーンウォーク


王都の冒険者ギルドは、かつてないほどの異様な緊迫感に包まれていた。

普段は荒くれ者たちの笑い声や怒号で騒がしい酒場も、今は水を打ったように静まり返っている。

屈強なベテラン冒険者たちでさえ、顔面を蒼白にさせて俯いていた。


ギルドマスターのガルドが、重々しい足取りで掲示板の前に立ち、一枚の分厚い羊皮紙を貼り付けた。


「……緊急事態だ。王都から北東に位置する霊峰ガランにて、数百年の眠りについていた『古竜エンシェント・ドラゴン』が目覚めた」

その言葉が響いた瞬間、ギルド内の空気が完全に凍りついた。


古竜。それは生物というより、歩く自然災害そのものだ。


吐息一つで山を丸ごと吹き飛ばし、巨大な翼による羽ばたきだけで街を更地にしてしまう、Sランク指定の超常存在。


通常の討伐隊など何百人集めようが無意味であり、国軍を総動員したところで足止めすらできるか分からない、絶望的な相手だった。


「霊峰ガランの麓には、人口一万を超える防塞都市がある。古竜が山を下りれば、あの都市は半日と持たずに消滅するだろう」

ガルドの額には脂汗が浮かんでいた。


「国軍の到着には三日はかかる。それまで、何としても古竜の足止めを行わなければならない。死地に赴く覚悟のある者は、前に出ろ」


誰も動かなかった。当然だ。

足止めと言えば聞こえはいいが、要するに「古竜の餌になって時間を稼げ」と言っているに等しい。


そんな重苦しい空気の中、俺、リオンはギルドの片隅の席で静かに腕を組んでいた。

向かいの席では、セレスがいつものように『氷の聖女』の無表情を完璧に装いながら、優雅に紅茶を口に運んでいる。

だが、ティーカップを持つ彼女の手が、カチャカチャと微かな音を立てて震えているのを俺は見逃さなかった。


恐怖から震えているのではない。

これから起こるであろう『事態』への期待で、すでに笑いを堪え始めているのだ。

「行くわよ、リオン」


セレスがカップを置き、スッと立ち上がった。

「相手は古竜。魔法耐性も物理防御も規格外よ。半端な魔法じゃ傷一つつけられないわ。……ふふっ、あなたの『本気』を見せる時じゃないかしら?」


「……お前、語尾に笑い声が漏れてるぞ」

「気のせいよ。私はただ、聖女としてこの世界の平和を心から願っているだけだわ」


絶対に嘘だ。

こいつの頭の中は、俺が次にどんな顔面崩壊を起こすかで一杯に違いない。

ため息をつきながら、俺は立ち上がった。

俺たちが討伐に名乗りを上げると、ガルドをはじめとする冒険者たちは驚愕し、そして「死に行く若き英雄」を見るような悲痛な目で俺たちを見送ったのだった。


霊峰ガランの中腹。硫黄の臭いが立ち込める険しい岩場を、俺とセレスは進んでいた。


古竜の放つ圧倒的な魔力の残滓が、空気そのものを重く泥のように変えている。

普通の人間なら、この場に立つだけで呼吸困難に陥り、発狂してしまうほどのプレッシャーだった。


「リオン、今回は結界魔法での支援も難しいかもしれないわ。古竜の魔力圧が強すぎて、私の魔力じゃすぐに中和されてしまう」


「分かっている。最上級……いや、俺の持つ魔法の中でも最高峰の『特級魔法』を使うしかないだろうな」

俺がそう答えた瞬間、セレスの歩みがピタリと止まった。

「と、特級魔法……っ!」

彼女は両手で口元を覆い、肩を激しく上下させ始めた。


「特級……ひふっ……それは……さぞかし強力(で、ものすごく面白い)なんでしょうね……っ!」


「だから括弧書きで心の声を漏らすな。俺は今から、命と尊厳を懸けた戦いに行くんだぞ」

山頂付近の広大なカルデラに到着した時、それは突如として現れた。


「――グルルルルォォォォォォォォッ!!」

大気を震わせ、鼓膜を破らんばかりの咆哮。

空が暗くなったと錯覚するほどの巨大な影が、上空から舞い降りた。

全長五十メートルを超える赤銅色の巨竜が、巨大な翼を広げて岩山の上に降り立ったのだ。


全身を覆う鱗は鋼鉄よりも硬く、真紅の瞳は燃え盛るマグマのような光を放っている。

その威圧感は、これまで戦ってきたどの魔物とも次元が違っていた。

「グルァァァッ!」

古竜の口元に、規格外の熱量を持った魔力が収束し始めた。


竜息ドラゴンブレスの予備動作だ。

放たれれば、俺たちどころか、このカルデラ全体がマグマの海に沈むだろう。


「リオン!」

セレスが鋭く叫んだ。

(やるしかない……俺の尊厳と引き換えに、この山と都市を救う!)


俺は深く息を吸い込み、古竜の真正面に歩み出た。

そして、特級複合魔法【天国からの審判ヘブンズ・ジャッジメント】の発動態勢に入った。

特級魔法ともなれば、その代償たるフォームは常軌を逸している。


これまでの恥辱の集大成とも言える、連続的かつ複合的な動きが必要だった。

まず、俺は両腕を白鳥の羽のように優雅に、そして大きく広げた。

そこから、つま先立ちになり、凄まじいスピードで後方へと滑るように移動し始めた。

そう、完璧な『高速ムーンウォー○』である。

ズサーーーッ!という小気味良い摩擦音を立てながら、俺は広大なカルデラの中心を、白鳥のポーズのまま華麗に逆走していく。


だが、地獄はここからだ。

顔面は、限界まで目を見開きながら、首を前後に激しくガクガクと振る『驚いた鳩』の動き。


さらに口元は、極限まで唇を尖らせ、左右に不規則に動かす『荒ぶるヒョットコ』を維持しなければならない。


名付けて、特級魔法発動フォーム『驚愕するヒョットコ鳩の高速白鳥ムーン○ォーク』だった。

「……ピギョッ!?」


まさに必殺のブレスを放とうとしていた古竜が、俺の姿を見た瞬間、ブレスをむせ返って喉の奥で小爆発させた。


ゲホッ、ガホッ!と巨大な竜が咳き込み、黒煙を吐き出しながら涙目で俺を凝視している。


無理もない。

絶対的な強者として君臨してきた古竜の前に、ヒョットコの顔をした男が、首を激しく前後にガクガク振りながら、白鳥のポーズで高速ムーンウォークをして迫ってくる(いや、逆走している)のだ。


古竜の数百年に及ぶ長すぎる歴史の中でも、かつてない未知の恐怖バグに直面した瞬間だった。

「ル、ルル……?」

野生の本能が「こいつは関わってはいけないヤバい生物だ」と警鐘を鳴らしたのか、あろうことか古竜が一歩後ずさりをした。


Sランクの超常存在にドン引きされるという、筆舌に尽くしがたい屈辱。

俺の心臓(ハート)はすでに千に千切れて血を流していた。


『ブフォォォォォォォッッ!!!』

背後から、噴火山が爆発したかのような凄まじい奇声が響き渡った。

振り返るまでもない。

氷の聖女が完全に決壊した音だ。


だが、恥辱の代償を支払った俺の体内には、古竜すら凌駕する神話クラスの魔力が満ち溢れていた。

全身の血管が発光するほどの膨大なエネルギーが、荒ぶるヒョットコに収束していく。

「消し飛べぇぇぇぇっ!!」

俺がヒョットコのまま叫ぶと、天から無数の巨大な光の柱が降り注ぎ、同時に俺の口から極太の神聖レーザーが放たれた。


光の奔流がカルデラ全体を真っ白に染め上げる。

「ギャァァァァァァァァッ!?」

古竜は回避する間もなく光の渦に飲み込まれた。

その強靭な赤銅色の鱗も、鋼のような肉体も、特級魔法の圧倒的な破壊力の前に一瞬にして光の粒子へと分解され、空間ごと消滅していった。


山の上半分を消し飛ばすほどの衝撃波が突き抜けた後、そこには塵一つ残らない、静寂だけが残された。

「……ふぅ」


俺はムーンウォークの勢いをスッと殺し、白鳥のポーズを解いて、乱れた前髪をクールに払い退けた。


世界を救った最強の魔法使い。

その威厳を示すように、何事もなかったかのような無表情を作り、静かに振り返る。


そこには、言葉にならない光景が広がっていた。

「……ひぃっ! あ、あははははははははははははっ!!!」

岩肌に張り付き、酸欠になった魚のように口をパクパクさせながら、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたセレスが、地面を転げ回って大爆笑していた。


「む、無理ぃぃぃっ!! 白鳥でっ! 首がガクガクしててっ! ヒョットコで後ろに滑ってくぅぅっ! あははははははははっ!」


彼女はついに地面に仰向けに倒れ込み、両手両足をジタバタと激しく振るわせながら悶絶している。


「たす、助けてぇぇっ、息が、息ができないぃぃっ! 顔がっ、顔がヒョットコォォォッ!」

もはやそこに、神秘的でクールな『氷の聖女』の姿など微塵もなかった。


ただの笑い死に寸前の、腹を抱えて痙攣する変な女である。

「……頼むから、せめて呼吸してくれ。本当に死ぬぞ」

「む、無理よぉぉっ! あはははははっ! 古竜がっ、古竜がドン引きしてたぁぁっ!」

俺は深い、底なしに深い溜息をついた。


古竜は討伐し、見事に王都と都市を救った。

間違いなく歴史に名が残る偉業だ。


だが、共に戦った(見学して爆笑していただけだが)相棒の前で、俺の尊厳は完全に灰と化していたのだった。


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