交差点前まで
星は、まだ消えていない――。
この物語は、作者が「こんな子と友だちになれたら」と思って書きました。
子供の頃に夢を諦めかけた人、そして今も何かに立ち向かっている人たちへ。
主人公の十和と一緒に、霧の中を進み、”北”を探す旅へ出てください。
迷っても、立ち止まっても、北は必ず教えてくれる――。
彼女が最後に見つけるものを、あなたもいつか手にできますように――。
※ AIによる補助で制作した作品です。
第2話は止まっていた時計の針が動き出します。
そんな思考を断ち切るように、スマートフォンが震える。
画面には、「音華」の名前。
中学からの親友で、今でも数少ない気を許せる相手だ。
〈久しぶりにお茶しない? 駅前のエトワールで〉
十和は少し迷ってから、短く返信した。
〈いいよ。15時くらいに〉
窓の外には、初夏の光が滲むように広がっていた。
十和は白衣を脱ぎ、静かに席を立つ。
未来を変える変化が――この日、確かに始まっていた。
午後の光がカップの縁に反射して、淡く揺れている。
十和と音華は、駅近くの静かな喫茶店でテーブルを挟んで向かい合った。
カウンターからは、コーヒー豆を挽く低い音と、わずかに甘い焙煎の香り。
「十和ちゃん、“サンクチュアリィ”って知ってる?」
音華がそう切り出すと、十和は眉を寄せた。
「最近ニュースでよく見る名前だよね。裏金とか麻薬の密輸で捜査されてる宗教団体」
「そう。それ」
音華は鞄からスマホを取り出し、画面を十和の方へ向ける。
そこには、美術商のパーティーで撮られた写真が映っていた。
豪奢な照明の下でワイングラスを手にする人々の中、ひとりの男性が中央に立っている。
――年齢は三十代半ばほど。
スーツをきっちり着こなし、淡く笑みを浮かべている。
その笑みの奥に、何かを見透かすような静かな鋭さがあった。
「この人、“サンクチュアリィ”側の担当者。何か、見覚えない?」
十和は、息を止めた。
ほんの一瞬―視線の奥に、かつての先輩ー横浜勇斗の面影がよぎる。
けれど、すぐに首を振った。
「……似てるけど、違うと思う」
そう答えながらも、胸の奥ではざわめきが止まらなかった。
画面の中の男の立ち姿、少し俯いたときの視線の落とし方――
どこか、記憶の中の“彼”と重なって見えた。
音華は、十和の表情を静かに見つめ、スマホを閉じる。
「気になったんだ。寄付金の流れを整理していたら、名簿にこの人の名前が何度も出てきたの。名前は違うんだけど、、、警察も確実な証拠が掴めてないって話題だよね」
「……音華ちゃん」
十和は、まっすぐ彼女を見た。
「もし何かあったら、すぐに私に教えて。絶対に一人で動かないで」
「ありがとう」
音華は少し笑って、コーヒーカップを傾ける。
その音を聞きながら、十和はカップの底に映る自分の顔を見つめた。
そこに重なるのは、遠い日、研究室で笑っていた先輩の横顔――。
先輩が異動してから、もう3年が経つ。現在十和は当時の先輩の役職に就いている。
新部署の詳細は伏せられたままで、表向きには「防衛関連の研究所に転属」とだけ伝えられた。
だが、送別会のあと、先輩の連絡先は職員録から削除され、メールも一切届かなくなった。
「任務の都合だろう」
上司はそう言っていた。
でも、どんな任務なのか、誰も説明できなかった。
音華と駅で解散して、研究棟の廊下を歩いていると、誰かの気配を感じた。
でもそこにはいつもと変わらない蛍光灯の光があるだけ。
けれど、胸の奥にざわりと風が通り抜けるような感覚が残る。
研究室に戻ってきた。
十和は音華から渡されたパンフレットを、何気なくコーヒーの染みがついたデスクに広げてみる。
金色の活字で書かれたその文字――「サンクチュアリィ」。
“魂の浄化と真実への導き”という言葉が、淡々と並んでいる。
ページをめくると、活動の紹介欄の、ひとつの写真が目に留まった。
暗い背景に浮かぶ横顔。
わずかに影がかかっていて判然としないが――
瞳の光の揺れ方、頬の輪郭。
胸が、きゅう、と締め付けられる。
似ている。
先輩に、あまりにも。
「……まさか」
理性が否定しようとするのに、心が勝手に確信していく。
写真の人物が見ている先――
その先に“光”があると信じているような目をしていた。
十和はそっとパンフレットを閉じる。
掌の中に残る微かな震えを、コーヒーの香りはやわらげてくれない。
もし、先輩がこの“サンクチュアリィ”に関わっているとしたら――。
それは、失踪の理由であり、
そして、星が再び輝きを取り戻すための“狼煙”なのかもしれない。
だが同時に、胸の奥で別の声が囁く。
その光は、ほんとうに“救い”なのか。
あのお茶会を最後に、音華からの連絡が途絶えた。
既読のつかないメッセージが時間を追うごとに重くなり、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
最初は「仕事が忙しいのだろう」と思い込もうとした。
だが三日目の朝、管轄署からの連絡でその願いは打ち砕かれる。
「春木技官、あなたのご友人――小日向音華さんの件で確認したいことがありまして」
言葉の途中で、十和の心臓が跳ねた。
会社からの捜索願によって家宅捜索が行われ、微量の麻薬反応が検出されたという。
キッチンの隅のコーヒー缶、リビングの引き出し、そして寝室の机の上。
それぞれから一致した反応があり、科捜研に鑑定依頼が回ってきた。
音華の部屋の麻薬は組織のものと一致した。
だが、最も十和の心を凍らせたのは、押収資料の中にあった一冊のファイルだった。
『サンクチュアリィ/内部構造一覧』
薄いフォルダに挟まれた資料。
それは見覚えのある形式でまとめられていた。
行頭の配置、注記の付け方、そしてグラフの配色。
先輩が残した研究ノートの記録様式と酷似している。
ページの端に、手書きで小さく書かれている文字がある。
“星は、まだ消えていない”
呼吸が止まる。
どうしてこの言葉がここに?
十和は机に手をつき、ゆっくりと深呼吸した。
冷たい金属の机の感触が、現実へ引き戻してくれる。
仕事中だ、感情を挟むな。
それでも、感情のコンパスは回転を止めない。
ファイルの最終ページに、崩れた走り書きがあった。
“Anima=光の中に眠る意思”
サンクチュアリィの象徴文句だ。
組織が音華に近づいたのは偶然じゃない。
そしてその奥には、先輩が関わっていた何かが確実に存在している。
十和はファイルを閉じ、唇を噛みしめる。
夜の庁舎は、蛍光灯の光だけが無機質に瞬いていた。
廊下の奥、ただ一つの蛍光灯が瞬くたびに、十和の心拍が重なる。
資料室の奥で、ひとりファイルを開く。
音華の検出記録、押収物、そしてその中に紛れ込んでいた組織の内部文書。
内部の関係者、しかも幹部級の者しか知りえないものに違いない。
「……やっぱり、同じだ」
印字のフォント、図表の並び、脚注の癖。
――すべての特徴が先輩の報告書と一致している。
勇斗が科捜研を去る直前に残した未完のファイル。
「外部研究機関との連携調査」とだけ記されたあの案件。
当時は詳細を知る権限がなかったが、今こうして照らし合わせると、そこに浮かび上がる単語は同じ――“サンクチュアリィ”。
十和は椅子に背を預け、目を閉じる。
彼が去ったあの日のことを思い出していた。
夕方だった、急に銀のコンパスを手渡された。
「……星はまだ消えていない。」
あれが、最後の言葉だった。
目を開けると、机の上の資料が少し歪んで見えた。
蛍光灯の音が耳鳴りのように響く。
何かが繋がっている――音華、先輩、そしてサンクチュアリィ。
偶然ではない。
十和は立ち上がり、机の引き出しからICレコーダーを取り出した。
音華が失踪前に残した留守電を再生する。
「十和ちゃん、ねぇ……この世界、思ってたよりずっと、綺麗じゃないね。
でも――光は、あるよ。
ちゃんと、見つけて」
雑音と一緒に、微かに笑う声が混ざる。
それは、彼女の最後の声だった。
「……音華、あなたはどうして……」
十和はファイルを閉じ、バッグに収める。
すべての始まりは、勇斗の失踪にある。
そしてその終わりは、音華の失踪の向こう側にある。
夜風が廊下を抜ける。
蛍光灯が一瞬だけ明滅し、光が途切れる。
だが、彼女の胸の中では、確かに小さな星が瞬いていた。
――星は、まだ消えていない。
その言葉を胸に、十和は庁舎をあとにした。
足音は静かに、しかし確実に、過去へと続く霧の道を踏みしめていった。
音華の残した言葉が、胸の奥で灯のように揺れる。
“光は、あるよ。ちゃんと、見つけて。”
十和は、霧の奥へ踏み出す決意をした。
次回、第3話「霧の中へ」――




