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第六話:責任のカタチ

気まずい沈黙が、部屋を支配していた。

僕と先輩は、部屋の小さなローテーブルを挟んで向かい合って正座している。

まるで、何か重大な話し合いをするみたいに。

先輩が入れてくれた麦茶の入ったグラスの表面に、水滴がゆっくりと伝っていく。


「……あの、本当に、ごめん」


沈黙を破ったのは、先輩だった。

俯いたまま、か細い声で謝罪の言葉を繰り返す。

スウェット姿の先輩は、大学で見る堂々とした姿とはまるで別人だった。

その姿を見ていると、僕も責める気にはなれなかった。


「いえ、だから、僕も……その……気持ち、よかった、です……」

僕が蚊の鳴くような声でそう言うと、先輩は顔を真っ赤にして固まった。

「き、気持ちよかったって……!?な、何言ってるの、君は!そういう問題じゃ……!」

慌てふためく先輩の姿は、昨夜の妖艶さも、大学での格好良さも見る影もなかった。

なんて言えばいいか分からない。

昨夜のことは、僕にとっても初めての経験で、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

ただ、目の前で縮こまっているこの人を、少しでも安心させてあげたい。

そんな気持ちが、僕に余計なことを言わせたのかもしれない。


「そうだ、責任……」

先輩が、はっとしたように顔を上げる。

その目は、まだ少し潤んでいた。

「さっき、責任を取るって言いましたよね。それって、どういう……」

僕が尋ねると、先輩は一度ごくりと唾を飲み込み、意を決したように口を開いた。


「……私と、付き合ってください」

「へ?」


予想の斜め上を行く言葉に、僕は間抜けな声を出した。

付き合う?僕と、先輩が?

「……それが、私の責任の取り方だから」

先輩は、まっすぐ僕の目を見て言った。

その表情は、冗談を言っているようには見えなかった。


「いやいや、待ってください!なんでそうなるんですか!?」

「なんでって……当然でしょ?私、君の初めてを奪ったんだよ?だったら、私がちゃんと君のこと、守ってあげなきゃ」

守る?誰から?

僕の頭の上には、たくさんのクエスチョンマークが浮かんでいた。

僕の知っている「責任の取り方」とは、あまりにも違う。


「君、田舎から出てきたばっかりで分からないかもしれないけど、都会の女は積極的なんだよ。特に、ハルキ君みたいに可愛い子は、すぐに悪い虫に狙われちゃうから」

可愛い……。

またその言葉が出てきた。

この世界では、男の子に対して「可愛い」って言うのが普通なのだろうか。


「だから、私が彼女になって、他の女を牽制する。それが一番いい方法でしょ?」

先輩は、さも当たり前のように言う。

その言葉には、昨夜の勢いとは違う、妙な説得力があった。

これが、この世界の常識……?

だとしたら、僕はとんでもない世界に迷い込んでしまったのかもしれない。


「で、でも、そんな急に言われても……」

僕が戸惑っていると、先輩はしょんぼりと肩を落とした。

「……そっか。やっぱり、嫌だよね。酔った勢いで襲ってくるような女なんて……」

その姿は、まるで捨てられた子犬のようで、僕の罪悪感を刺激した。


「い、嫌とか、そういうわけじゃ……!」

「じゃあ、何?」

「その、心の準備が……」

我ながら、情けない言い訳だ。

でも、それ以外に言葉が見つからなかった。

僕の返事を聞いて、先輩は少しだけほっとしたような表情を見せた。


「……分かった。今すぐとは言わない。でも、私の気持ちは伝えたから。君が他の誰かに取られる前に、絶対にもう一度、ちゃんと言うからね」

それは、ほとんど宣戦布告のように聞こえた。

先輩はそう言うと、ふぅ、と一つ大きなため息をつく。

少しだけ、いつもの調子が戻ってきたようだった。


「……お腹、すいたでしょ。何か作るよ。朝ごはん、まだなんだよね?」

先輩はそう言って、椅子から立ち上がった。

その切り替えの速さに、僕はついていけない。

「あ、いえ、そんな……!もう帰りますから!」

「だめ。ちゃんと食べさせて、駅まで送る。それくらい、させなさい」

有無を言わせぬ口調。

そこには、僕が知っている「格好いいアオイ先輩」の姿が、少しだけ戻ってきていた。

僕は、その迫力に逆らうことができなかった。


結局、僕たちは二人で朝食を食べた。

メニューは、先輩が手際よく作った卵焼きと、お味噌汁、それにご飯。

意外にも、先輩は料理が上手だった。

気まずい雰囲気は変わらなかったけれど、温かいご飯は、僕の冷え切った心を少しだけ溶かしてくれた気がした。


食事が終わると、先輩は宣言通り、僕を駅まで送ると言って聞かなかった。

アパートを出て、並んで歩く。

朝の太陽が、やけに眩しかった。

駅までの道すがら、僕たちはほとんど何も話さなかった。

何を話せばいいのか、分からなかったからだ。


駅の改札前で、僕たちは立ち止まる。

「……じゃあ、ここで」

僕がそう言うと、先輩はこくりと頷いた。

そして、何かを決心したように、僕の目をまっすぐに見る。

「昨日のこと、忘れないでね」

「……はい」

「……あと、その、付き合うって話も、本気だから」

真っ赤な顔で、でも、はっきりとした口調で先輩は言った。

僕は、頷くことしかできなかった。


「じゃあ、また大学で」

先輩はそう言って、僕に背を向け、逃げるように去っていく。

その後ろ姿を見送りながら、僕は大きくため息をついた。

僕の大学生活は、とんでもない形で幕を開けてしまった。

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