第三話:歓迎会と嵐の予感
翌日、大学の講義を終えると、スマートフォンが短く震えた。
アオイ先輩からのメッセージだった。
『今日の歓迎会、七時に駅前の居酒屋ね。店の名前は「どんちゃん亭」!』
地図アプリへのリンクも添付されている。
……本当に、マメな人だ。
正直に言うと、少しだけ行くのが億劫だった。
知らない人たちの中に、一人で飛び込んでいくのは勇気がいる。
でも、アオイ先輩の顔を思い出す。
あの人を惹きつけるような笑顔と、頼りがいのある雰囲気。
それに、このまま一人でいるのも寂しい。
僕は『行きます』と返信し、重い腰を上げた。
指定された居酒屋は、学生たちでごった返していた。
賑やかな喧騒と、食べ物の匂いが入り混じっている。
店の奥、座敷席の一角がやけに盛り上がっていた。
すぐに分かった。あそこだ。
輪の中心で、一際大きな声で笑っているのがアオイ先輩だった。
「お、ハルキ!こっちこっち!」
僕の姿を見つけると、アオイ先輩は大きな手振りで僕を呼んだ。
その隣の席を、ぽんぽんと叩いている。
「遅かったじゃん。さ、座って座って」
「すみません、ちょっと講義が長引いて……」
僕が言い訳をしながら席につくと、先輩は「はい、これ」と僕の前にビールジョッキを置いた。
「まあまあ、細かいことはいいから。まずは飲も!」
その豪快な笑顔に、僕は緊張が少しだけほぐれるのを感じた。
「紹介するね、今年入った新入生のハルキ!私がスカウトした逸材だから、みんなよろしく!」
先輩の紹介に、周りにいた先輩たちが「おー!」と歓声を上げる。
男性の先輩も何人かいたけれど、みんな大人しそうな人ばかりだった。
逆に、女性の先輩たちは、みんなアオイ先輩と同じように、快活でよく喋る人たちばかりだ。
……このサークルも、やっぱり女性が中心なんだな。
「ハルキ君、よろしくねー。あたしは三年のミサキ」
「隣、失礼するよ。私は四年のユウカ。まあ、気軽に話してくれ」
次々と、女性の先輩たちに酌をされる。
押しに弱い僕は、されるがままにビールを呷った。
その様子を見て、アオイ先輩が満足そうに笑っている。
宴会は、終始女性の先輩たちが主導権を握っていた。
バイトの話、恋愛の話、果ては将来の夢まで。
そのパワフルな会話に、僕や他の男子学生たちは、ただ相槌を打つことしかできない。
アオイ先輩は、そんな僕らの様子を気遣ってか、時々話を振ってくれた。
「ハルキは、なんでこの大学に来たの?」
「えっと、特に深い理由はなくて……ただ、東京に出てみたかった、というか」
「ふーん、そっか。まあ、最初はそんなもんだよね」
先輩は、驚くほどのペースでジョッキを空けていく。
その飲みっぷりは、見ていて気持ちがいいほどだった。
二時間ほど経っただろうか。
宴会がお開きになる頃には、アオイ先輩はすっかり出来上がっていた。
顔は真っ赤で、目はとろりとしている。
呂律も怪しく、さっきから同じ話を何度も繰り返していた。
「だからー、バスケはねー、チームワークが大事なんだってー」
「はいはい、分かったから。先輩、飲みすぎですよ」
ミサキ先輩が、呆れたように言う。
「うるさいなー、ミサキはー。あたしはまだ飲めるー」
そう言ってテーブルに突っ伏したアオイ先輩は、そのまま動かなくなった。
……完全に、潰れている。
「あーあ、またやっちゃった」
「アオイは酒癖悪いのが玉に瑕だよなー」
他の先輩たちは、慣れた様子でその光景を眺めている。
誰かがタクシーを呼ぼうとスマートフォンを取り出した。
でも、この状態の先輩を一人で帰すのは、なんだか危なっかしい気がする。
サークルの勧誘の時に助けてもらった恩もある。
僕は意を決して、声を上げた。
「あの、もしよかったら僕が送っていきます。アパート、この近くなんでしょ?」
僕の申し出に、周りの先輩たちは一瞬きょとんとした顔をした。
「え、ハルキ君が?でも、大丈夫?」
ミサキ先輩が、心配そうに僕を見る。
その反応は、まるで夜道を一人で帰る妹を心配するような、そんな真剣な眼差しだった。
「はい、体力には自信あるので」
僕が力強く頷くと、ユウカ先輩が「……そう?じゃあ、お願いしちゃおうかな」と助け舟を出してくれた。
「本当に助かるよ。じゃあ、これ住所ね」
ユウカ先輩はそう言うと、一枚のメモを僕に手渡した。
そこには、アオイ先輩の住所が書かれていた。
アオイ先輩を背負うのは、想像以上に大変だった。
僕より少しだけ背が高い彼女の身体は、ぐったりと重い。
甘いアルコールの匂いと、シャンプーの香りが混じって、僕の鼻をくすぐった。
夜風が、火照った僕の頬に心地いい。
なんとかメモの住所のアパートにたどり着き、先輩のバッグの中から鍵を探し出す。
部屋のドアを開け、電気をつけると、そこは意外にも綺麗に片付いたワンルームだった。
ベッドに先輩をそっと降ろし、僕はほっと一息つく。
これで、僕の役目は終わりだ。
静かに部屋を出て行こうとした、その時だった。
「……ん……」
ベッドの上で、アオイ先輩が身じろぎした。
そして、その目がゆっくりと開かれる。
焦点の合わない、潤んだ瞳が、まっすぐに僕を捉えた。
「……ハルキ……?」
「あ、はい。起きましたか、先輩」
「……なんで、ここに……あたしの部屋に、いるの……?」
「酔い潰れた先輩を、僕が送ってきたんですよ」
僕がそう説明すると、彼女は数秒間、何かを考えるように黙り込んだ。
そして、次の瞬間。
彼女の口元に、妖艶な笑みが浮かんだ。
「……そっか。家まで来たんだ」
その言葉に、僕は嫌な予感がした。
「……ってことはさ」
アオイ先輩は、ゆっくりと上半身を起こす。
そして、僕の腕を掴んだ。
信じられないほどの、強い力だった。
「――いいってこと、だよね?」
抵抗する間もなく、僕はベッドの上に引き倒された。
目の前には、いたずらっぽく笑う、先輩の顔。
僕の初めては、こうして突然、奪われることになった。




