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第二十二話:ため息の理由

あの後、僕たちは三人でミサキ先輩の部屋で朝食を食べた。

もちろん、作ったのはアオイ先輩だ。

その光景はあまりにも奇妙で、僕は自分がどこにいるのか、何をしているのか、時々分からなくなった。

食事が終わると、二人の先輩は「じゃあ、また明日ね、ハルキ」「月曜日はあたしだから」と言い残し、まるで何事もなかったかのようにあっさりと帰っていった。

一人残された僕は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


そして、夜。

僕はバイト先のバー『HOUND』のカウンターに立っていた。

土曜の夜ということもあって、店内は客で賑わっている。

僕はオーダーを取り、ドリンクを作り、グラスを洗い、ただひたすら機械のように身体を動かした。

そうでもしていないと、頭がおかしくなりそうだったからだ。


『二人で、共有するの』


ミサキ先輩の悪魔のような、しかし無邪気な提案。

それに、なんだかんだで同意してしまったアオイ先輩。

そして、そのとんでもないルールを受け入れるしか選択肢のなかった僕。

僕の大学生活は、一体どうなってしまったんだろう。


「……はぁ」


無意識に、深いため息が漏れた。

グラスを拭く手が、止まっている。

いけない、集中しないと。


「あんた、さっきからため息ばっかりついてるけど」

不意に、隣から声がした。

鴻上先輩だ。

彼女はカウンターに肘をつき、僕の顔を面白そうに覗き込んでいた。

「もしかして、このあたしと働けるのが幸せすぎて、感極まってるとか?」

「か、からかわないでくださいよ!」

僕が顔を真っ赤にしてそう言うと、鴻上先輩はけらけらと楽しそうに笑っている。

「冗談だよ、冗談。……でも、何かあったのは本当でしょ」

その瞳が、僕の心の奥まで見透かすように、細められる。

ドキリとした。

この人には、敵わない。

そう、直感的に思った。


「いえ、別に何も……。ちょっと、疲れてるだけです」

僕がそう言って目を逸らすと、鴻上先輩はふん、と鼻を鳴らした。

「ふーん。あたしには分かるよ」

彼女は僕の耳元に顔を寄せ、囁くように言った。

「あんた、あたし以外の女のこと考えてるでしょ」

その言葉に、僕の心臓が大きく跳ねた。

図星だった。

それも、一人じゃなく、二人だなんて、口が裂けても言えない。


「な、何言ってるんですか……!」

「隠したって無駄。顔に書いてある」

鴻上先輩は、僕からゆっくりと身体を離すと、カウンターの向こうにいる客に完璧な笑顔を向けた。

その切り替えの速さに、僕はついていけない。

彼女は僕の動揺を楽しんでいるようだった。


閉店時間が近づき、客足がまばらになってきた頃。

僕は、スタッフルームで一人、休憩を取っていた。

冷たいお茶を飲み干し、もう一度、大きなため息をつく。

これから先、僕はどうすればいいんだろう。


「――まだ、ため息ついてんの」


不意に、ドアが開いて鴻上先輩が入ってきた。

その手には、僕がこの間飲ませてもらった、綺麗な青色の炭酸飲料が二つ。

一つを僕に押し付けながら、彼女は僕の隣にどかりと腰を下ろした。


「……で、誰のこと考えてたわけ?」

単刀直入な質問だった。

僕は、言葉に詰まる。

「……別に、誰ってわけじゃ……」

「嘘つくの下手だね、あんた」

鴻上先輩は、僕の答えを待たずに、炭酸飲料を一口飲んだ。

そして、呆れたように、でも、どこか優しい眼差しを僕に向ける。


「まあ、言いたくないならいいけどさ。一人で抱え込みすぎて、パンクすんなよ。あんた、そういう顔してるから」

その言葉は、予想外だった。

いつも僕をからかって、面白がっているだけだと思っていた。

でも、そうじゃなかった。

この人は、ちゃんと僕のことを見てくれている。

アオイ先輩とも、ミサキ先輩とも違う。

僕を自分のものにしようとするんじゃなく、僕を一人の人間として、心配してくれている。

そう思うと、僕の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。

気づけば、僕は彼女にすべてを話したくなっていた。


「……先輩」

僕の声は、少しだけ震えていた。

「ん?」

「あの……実は、相談したいことがあって……。すごく、変な話なんですけど、聞いてもらえますか?」

僕の真剣な眼差しに、鴻上先輩は少しだけ驚いたような顔をした。

でも、すぐに、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

その瞳は、僕がこの間見た、小悪魔のような色をしていたけれど、どこか温かかった。


「変な話?いいじゃん、面白そう。……聞かせてみなよ」


僕は、意を決して、ここ数日で僕の身に起こった、信じられないような出来事のすべてを、彼女に話し始めた。

アオイ先輩とのこと、ミサキ先輩とのこと、そして、あのとんでもない『共有ルール』のこと。

僕が話し終える頃には、鴻上先輩は腹を抱えて笑い転げていた。

「……っははは!あんた、最高!マジでウケるんだけど!」

涙を流しながら笑う先輩の姿に、僕は少しだけむっとする。

こっちは、真剣に悩んでいるというのに。


「ご、ごめん……。いや、でも、面白すぎるでしょ、それ。少女漫画でもそんな展開ないよ」

一通り笑い終えた後、先輩は涙を拭いながら言った。

「で?あんたは、どうしたいわけ?その二人と、本気で付き合う気あんの?」

「どうしたいって……僕には、どうすることも……」

「はぁ……。だから、あんたはダメなんだよ」

鴻上先輩は、呆れたように、深いため息をついた。

その瞳は、さっきまでの面白そうな色ではなく、真剣な色をしていた。

「いい?あんたは、完全に舐められてるわけ。その二人も、あんたのこと好きっていうのは本当だろうけど、結局は自分たちの都合のいいように、あんたを振り回してるだけ」

その言葉は、僕の胸に鋭く突き刺さった。


「……じゃあ、僕はどうすれば……」

「決まってるでしょ」

鴻上先輩は、にやりと笑った。

その笑顔は、僕が今まで見た中で、一番、小悪魔らしい笑顔だった。


「――あたしが、あんたの恋人になってあげる」

「こ、恋人!?」

「ふりだよ、ふり。表向きの彼氏彼女ってこと。そうすれば、『人の彼氏に手を出してんじゃないわよ』って、あたしが堂々と文句を言えるでしょ?」

その悪魔のような提案に、僕は言葉を失う。

「あんたが、その二人に振り回されないように、あたしが全部管理してあげる。……もちろん、あたしがあんたを一番に可愛がってあげるっていう、特典付きでね」

それは、あまりにも魅力的で、そして危険な提案だった。

僕の周りに渦巻く嵐は、どうやら、さらに大きなものになろうとしているらしい。

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