第十九話:戦いの舞台は家の中へ
僕の意思なんてもうどこにもない。
ただ、この嵐の中心でなすすべもなく運ばれていくだけだった。
両腕を二人の先輩にがっちりと掴まれ、僕はまるで連行される宇宙人のように夜の道を歩く。
右腕からはアオイ先輩の、絶対に許さないという強い意志が。
左腕からはミサキ先輩の、手に入れた獲物は離さないという執念が。
その二つの感情が、僕の身体を通して火花を散らしているようだった。
五分ほど歩くと、ミサキ先輩は真新しいマンションの前で足を止めた。
「ここだよ」
オートロックの扉を抜け、エレベーターで三階へ。
ミサキ先輩の部屋は、驚くほど綺麗で、お洒落な空間だった。
間接照明が、モデルルームのような部屋を柔らかく照らしている。
「……へえ。あんた、いいとこ住んでんじゃん」
アオイ先輩が、面白くなさそうに呟いた。
「まあね。……さ、ハルキ、こっち座って」
ミサキ先輩は、僕の腕を引いてリビングの大きなソファへと促す。
でも、それをアオイ先輩が許さなかった。
「待ちなさいよ。なんであんたが仕切ってんの」
アオイ先輩は、僕のもう片方の腕をぐいと引く。
「ここはあたしの家だから。客は黙っててくれる?」
「うるさいな。……ハルキ、喉乾いたでしょ?何か飲む?」
「ハルキは疲れてるの。それより、少し休ませてあげなさいよ」
また、僕を挟んでの言い争いが始まった。
僕は、ソファの前で立ち尽くしたまま、どうすることもできない。
二人の先輩は、僕の腕を掴んだまま、一歩も譲ろうとしなかった。
「……あの」
僕が、意を決して声を上げる。
「どうか、しましたか」
「僕の、腕が……そろそろ、限界なんですけど……」
情けない声だった。
でも、それが僕にできる、精一杯の抵抗だった。
僕の言葉に、二人ははっとしたように、同時に僕の腕を離した。
解放された両腕には、じんわりとした痺れが残っている。
「……ご、ごめん」
アオイ先輩が、ばつが悪そうに目を逸らした。
ミサキ先輩も、さすがに少しだけ反省したような顔をしている。
部屋に、気まずい沈黙が流れた。
沈黙を破ったのは、ミサキ先輩だった。
「……はぁ。ちょっと汗かいちゃった。あたし、先にシャワー浴びてくるね」
彼女はそう言うと、僕とアオイ先輩に有無を言わせず、バスルームへと消えていった。
後に残されたのは、僕とアオイ先輩だけ。
気まずい空気が、さっきよりも重くのしかかる。
「……あの、ごめんね、ハルキ」
アオイ先輩が、ぽつりと謝った。
「ミサキのやつが、あんなこと言うから……」
「いえ、先輩は……」
僕が何かを言いかけるのを、アオイ先輩は遮った。
「ううん、私も悪い。君の気持ち、全然考えてなかった」
そう言って俯く先輩の姿は、いつもの堂々とした姿とはかけ離れていて、僕の胸を締め付けた。
今まで、流されるだけだった。
されるがまま、翻弄されるだけ。
でも、もう、限界だった。
僕の中で、何かがぷつりと切れる音がした。
「……先輩」
僕の声は、自分でも驚くほど低かった。
「え?」
顔を上げたアオイ先輩の腕を掴み、僕はソファへと引き倒す。
「きゃっ!?」
突然のことに、先輩は驚きの声を上げた。
僕が、彼女の上に覆いかぶさる。
その瞳が、信じられないものを見るように、僕を映していた。
「ハ、ハルキ……?何、して……」
「僕だって、男なんです。いつまでも、やられてばっかりじゃない」
その言葉は、僕自身の口から出たとは思えないほど、大胆だった。
アオイ先輩は、何も言えずに、ただ僕の顔を見つめている。
その瞳に、驚きと、戸惑いと、そしてほんの少しの期待の色が浮かんでいた。
僕は、もう迷わなかった。
その唇に、自分の唇を重ねる。
最初は抵抗しようとした先輩の身体から、やがて力が抜けていく。
僕の初めての、本当の意味での反撃が始まった。
どれくらいの時間が経っただろうか。
僕が身体を離すと、アオイ先輩はソファの上でぐったりとしていた。
その表情は、満足げで、どこか蕩けるように甘い。
もう、僕に逆らう気力は残っていないようだった。
その、まさに一つの戦いが終わった、その時だった。
ガチャリ、とバスルームのドアが開く音がした。
「お待たせー。次はアオイの番……って、え?」
バスローブ姿のミサキ先輩が、目の前の光景に固まっている。
ソファの上でぐったりとしているアオイと、その隣で不敵に笑う僕。
その事実を、ゆっくりと咀嚼しているようだった。
「……あんた、やるじゃん」
ミサキ先輩の口元に、面白そうな笑みが浮かぶ。
でも、その瞳の奥には、ほんの少しだけ焦りの色が見えた。
その余裕を、僕は見逃さなかった。
「先輩こそ、いつまでそこに立ってるんですか?」
僕は呆然と立ち尽くすミサキ先輩の腕を掴んだ。
「わっ!?」
ミサキ先輩を、ダウンしているアオイ先輩の隣に引き倒す。
こうして僕は、二人の先輩を、ソファの上に組み敷いていた。
嵐の中心は、もう彼女たちじゃない。
僕だ。
僕は、これから始まるであろう、本当の意味での戦いの予感に、静かに口の端を吊り上げた。




