第十六話:罰のあと、芽生えたもの
どれくらいの時間が経っただろうか。
窓の外はすっかり暗くなり、部室を照らすのは月明かりと廊下から漏れる非常灯の明かりだけだった。
パイプ椅子に縛り付けられたミサキ先輩は、もう抵抗する気力もないのか、ぐったりと項垂れている。
さっきまでの威勢の良さは見る影もなく、乱れた髪が汗と涙で頬に張り付き、焦点の合わない瞳は虚ろに床の一点を見つめていた。
「……ふぅ。さすがに、ちょっとやりすぎたかな」
僕の隣でその光景を満足そうに眺めていたアオイ先輩が、くすりと笑いながら言った。
その顔は僕が今まで見た中で一番楽しそうだったけれど、同時に少しだけ疲れているようにも見えた。
僕も共犯者として加わった手前、何も言えない。
ただ、目の前の光景からそっと目を逸らした。
「ちょっと喉、乾いちゃった。ハルキ、ここでミサキのこと、ちゃんと見張っててくれる?あたし、そこの自販機でジュース買ってくるから」
アオイ先輩はそう言うと、立ち上がって大きく伸びをした。
「……もし、変な気、起こしたら、分かっててるよね?」
最後の言葉はミサキ先輩に向けられていた。
ミサキ先輩はぴくりと肩を揺らしたが、何も言い返さない。
アオイ先輩はそんな彼女の様子に満足げに頷くと、部室から出て行った。
バタン、とドアが閉まる音が響く。
後に残されたのは、僕と拘束されたミサキ先輩だけ。
気まずい沈黙が部屋を支配した。
僕はどうすればいいか分からず、ただ立ち尽くす。
ミサキ先輩のか細い呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえた。
……なんだか、やりすぎだよな。
いくら脅してきたとはいえ、ここまでしなくても。
僕の中の罪悪感が、むくむくと頭をもたげる。
僕は意を決してミサキ先輩に近づいた。
「……大丈夫ですか、先輩」
僕の問いかけに、ミサキ先輩はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は怒りでも憎しみでもなく、ただ壊れかけの人形のように、感情の色を失っていた。
「……すみません。紐は、アオイ先輩に言われてるから、解けないんですけど……」
僕はそう言って、彼女の前にしゃがみ込んだ。
ミサキ先輩は何も言わなかった。
ただ虚ろな瞳で、僕のことを見ているだけ。
僕は自分のハンカチを取り出すと、彼女の涙の跡が残る頬を、そっと拭った。
彼女は抵抗もせず、されるがままになっている。
その無抵抗な姿が、僕の罪悪感をさらに煽った。
僕は、何を思ったのか、吸い寄せられるように、その唇に自分の唇を重ねていた。
ぴくり、とミサキ先輩の身体が震える。
ほんの少しだけ触れて、離れるだけの、優しいキス。
「……なんで」
か細い、掠れた声だった。
「……脅した私が、悪かったのに……なんで、あんたが……そんな優しいキス、すんのよ」
ぽつりと、呟かれた言葉。
その瞳に、ほんの少しだけ、感情の光が戻ったように見えた。
「さっきは、すみませんでした」
僕はもう一度、謝った。
そして、今度はもっと深く、彼女の唇を求める。
さっきまでの罰を、乱暴な感触を、すべて上書きするように。
優しく、丁寧に、彼女の唇を啄む。
最初は驚いたように身体を強張らせたミサキ先輩だったが、やがて、その身体からゆっくりと力が抜けていくのが分かった。
彼女の腕は縛られているから、僕の背中に回ることはない。
だから、僕が全部、リードしてあげないといけない。
僕は唇を離すと、今度は彼女の耳元に顔を寄せた。
「先輩、可愛いです」
びくり、と彼女の肩が跳ねる。
さっきまでの仕返しだ。
でも、僕の声は、意地悪な響きではなく、ただ甘く、優しくなるように心がけた。
僕は彼女の涙で濡れた目元に、もう一度キスを落とす。
そして、頬に、首筋に、優しいキスの雨を降らせていった。
ミサキ先輩は、もう何も言わなかった。
ただ、されるがままに、僕の優しさを受け入れている。
その瞳はとろりと潤み、頬は朱に染まっていた。
さっきまでの罰とは違う、甘い快感に、その身を委ねているようだった。
僕たちの間に、新しくて、歪で、そしてどうしようもなく甘い関係が生まれようとしていた。
夕暮れの部室に、僕たちの吐息だけが、静かに響いていた。




