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第十二話:再会と部室の約束

ナツさんとのゲームが、目まぐるしい出来事で混乱していた僕の頭を少しだけ整理してくれた。

けれど、夜が明けて大学へ向かう足取りは、やっぱり重かった。

キャンパスは、僕にとって何が起こるか分からない、少しだけ気まずい場所に変わってしまった。

いつ、どこで、あのアグレッシブな先輩たちに遭遇するか分からない。

僕はなるべく人通りの少ないルートを選び、気配を殺して講義室へと向かった。


幸い、午前中の講義では誰にも会うことはなかった。

僕は胸を撫で下ろし、昼食をとるために学生食堂へと向かう。

その途中だった。


「――あ」


前から歩いてくる、見慣れた後ろ姿。

すらりとした長身に、風に揺れるショートカット。

間違いない。

アオイ先輩だ。

先輩は数人の友人と一緒に、楽しそうに談笑しながらこちらへ歩いてくる。

その姿は、僕が初めて会った時と同じ、格好よくて頼りがいのある先輩そのものだった。

あの朝、僕の前で涙目になって謝っていた姿とは、とても結びつかない。


まずい。

僕は咄嗟に身を翻し、来た道を引き返そうとした。

でも、もう遅かった。


「――ハルキ!」


凛とした声が、僕の名前を呼ぶ。

僕の足は、まるで呪文をかけられたかのように、その場に縫い付けられた。

ゆっくりと振り返ると、そこには、少しだけ気まずそうに笑うアオイ先輩が立っていた。

周りにいた友人たちは、不思議そうな顔で僕たちを見ている。


「……こんにちは、先輩」

「うん。……その、昨日は、ちゃんと帰れた?」

「あ、はい。おかげさまで」

ぎこちない会話。

周りの友人たちが、何かを察したように「じゃあ、アオイ、また後でね」と気を利かせて去っていく。

僕と先輩の間に、気まずい沈黙が流れた。


「……今日の講義、何時に終わる?」

先に口を開いたのは、先輩だった。

「えっと、四時半ですけど……」

「そっか。じゃあ、終わったら、部室に来て」

「部室、ですか?」

「そう。郷土研究会の部室。……話、したいから」

有無を言わせぬ、でも、どこか懇願するような瞳だった。

僕は、頷くことしかできない。


「場所、分かる?」

「いえ、まだ……」

「分かった。後で地図、送っとく。……じゃあ、また後で」

先輩はそれだけ言うと、僕に背を向けて足早に去っていった。

その後ろ姿は、少しだけ逃げているようにも見えた。


重い足取りで午後の講義を終えた僕は、先輩から送られてきた地図を頼りに、部室棟へと向かった。

古い建物の三階、一番奥の部屋。

『郷土研究会』と書かれた、色褪せたプレートが掛かっている。

僕は一度、深呼吸をすると、意を決してドアをノックした。


「……はい」

中から、先輩の声が聞こえる。

僕は、おそるおそるドアを開けた。


部室の中は、想像していたよりもずっと綺麗に片付いていた。

入り口から見て部屋の奥側は、大きな衝立で仕切られていて見えないようになっている。

手前側のスペースには、大きなテーブルと数脚の椅子が置かれていて、応接スペースのようだった。

その一つに、アオイ先輩は一人で座っていた。

窓から差し込む西日が、先輩の横顔をオレンジ色に照らしている。


「……来たんだ」

「はい。話って、なんですか?」

僕が尋ねると、先輩は一度、ぎゅっと唇を結んだ。

そして、椅子から立ち上がると、僕の前に来て、深々と頭を下げた。


「この間は、本当にごめんなさい」

また、謝罪の言葉だった。

でも、あの朝とは違う。

そこには、後悔だけではない、もっと強い覚悟のようなものが感じられた。


「いえ、だから、僕は……」

「最後まで聞いて」

先輩は、僕の言葉を遮る。

「君を傷つけたこと、君の初めてをめちゃくちゃにしたこと、本当に反省してる。……だから、ちゃんと君と話がしたい。あんなの、本当の私じゃないから」

先輩は顔を上げた。

その瞳は、まっすぐに僕を射抜いていた。

「ハルキのこと、ちゃんと知りたい。……ダメかな?」

その問いかけは、僕が断れないことを知っているかのようだった。


僕たちは、テーブルを挟んで向かい合って座った。

最初は、ぎこちない沈黙が流れた。

「……ハルキは、さ。なんでこの大学に?」

先に口を開いたのは、先輩だった。

「特に深い理由は……ただ、東京に出てみたかった、というか」

「そっか。私は、バスケの推薦で」

意外な言葉だった。

「バスケ、ずっとやってるんですか?」

「うん。中学からずっと。今は、サークルでだけどね」

バスケの話をする先輩の横顔は、生き生きとしていた。

僕も、自分の趣味であるゲームやマラソンの話をした。

最初はぎこちなかった会話が、少しずつ、弾むようになっていく。

先輩は、僕の話を面白そうに、相槌を打ちながら聞いてくれた。


夕日が完全に沈み、部室が薄暗闇に包まれる頃には、僕たちの間の気まずさは、ほとんど消えていた。

「……なんだか、不思議な感じ」

先輩が、ぽつりと呟いた。

「何がですか?」

「ううん。こうしてちゃんと話すの、初めてなのに、初めてな気がしないなって」

それは、僕も同じだった。

あの夜の出来事が、良くも悪も、僕たちの距離を最初からゼロにしていたのかもしれない。


先輩が、テーブルに置いていた僕の手に、自分の手をそっと重ねた。

びくりと震える僕の指を、先輩の指が優しく絡めとる。

「……ねえ、ハルキ」

先輩の声は、真剣だった。

絡めた指に、力がこもる。

「私、後悔してる。君との初めてが、あんなんだったこと」

「先輩……」

「だから、やり直させてほしい。シラフの私で、もう一度……ちゃんと君と始めたいんだ」

その瞳は熱を帯びていて、僕は目を逸らせなかった。

先輩は、僕の手を引いてゆっくりと立ち上がる。

「……こっち、来て」

先輩は僕の手を引いて、衝立の奥へと優しく導いていく。

そこが何のためのスペースなのか、僕には分からない。

ただ、これから起こることへの甘い予感だけが僕の心を支配していた。

僕の大学生活は、どうやら僕が思っていたよりもずっと複雑で、甘くて、そして、刺激的なものになりそうだった。

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