ペニス・ソサエティ
狂った。村長が狂った。いや、酷いモノの言い方かもしれないが、我らが村の長は狂ってしまった。
この村の村長は代々続く大地主で、誰からも一目置かれる存在だった。権力を振りかざすこともなく、公平で穏やかで、みんなに慕われている立派な人だった。
そう、“だった”のだ。
彼は狂ってしまった。突然、こんなことを言い出したのだ。
「村の名前を『おちんこ町』に変える!」
村民は唖然とし、誰もが彼の頭を疑った。だが一応、理由はあるらしい。
この村は過疎化が進み、村民は年々減少している。働き手も不足し、国からの助成金も減り、今や村は存続の危機に瀕している。ゆえに、村名を大胆に変え、注目を集めて観光客や移住者を呼び込もうというのだ。さらには周辺の村々を巻き込んで、町へ昇格する野望まで抱いていた。
しかし、いかに「悪名は無名に勝る」とは言っても、『おちんこ町』に住みたいと思う者がいるのだろうか?
まあ、ゼロではないかもしれない。世の中にはこんな突拍子のない発想を面白がる変わり者もいるだろう。それに、男性の性器をテーマにした祭りが存在するのも事実だ。でも、祭りは数日で終わるものだ。けれど、『おちんこ町』は毎日がちんこ。エブリデイチンコ。住民票の住所欄に『おちんこ町』と書くなんて、羞恥の極み。こんな場所に住んでいたら、ちんこで物を考えている奴だと思われるだろう。下手すれば、男尊女卑を推奨する村だと思われかねない。
そして、移住者はちんこ好きの淫売か同性愛者。風紀の乱れは猛り狂うペニスの如し。改名は男根、否、断固拒否しなければならない。
村の公民館で村名変更の是非を問う採決が行われたが、村民の八割が反対票を投じ、案は否決された。
僕は悪い想像が杞憂に終わり、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、村長は諦めなかった。翌週、新たな村名案を引っさげて村人たちを再び集めたのだ。その名も――
『ペニスタウン』
村長曰く、時代はグローバルだそうだ。センキューファッキン。
「ありゃら、いいじゃねえか、都会の女はオフィスレディなんて呼ばれるんだろ? おら、ペニスレディと呼ばれたいわあ」と、村のオールドレディたちは妙にノリノリだった。
それでも反対派は根強く、賛成派は四割に増えたものの再び否決された。やはり男尊女卑を表明しているように感じ、抵抗があるのだろう。村人たちはこの結果に安堵していたが、僕は村長の目にまだ闘志の炎が残っているのを見逃さなかった。
だから、数日後の夜、僕は村長の家を訪ねた。
「おお、いらっしゃい。さあ、入りなさい。ちょうど新しい村の名前について若い人の意見を聞きたいと思っていたところだ」
僕は頭を下げ、村長宅に入った。案の定、村長はまだ諦めていなかった。
「ふふふ、新しい村の名前が気になってきたんだろう? いやあ、いくつか候補を考えているんだが、絞りきれなくてね。意見を聞かせてくれ。まず、コックヴィレッジだろう、次にイノセントヒルズ。これは無邪気な膨らみって意味でね、他には――」
「もういいです!」僕は声を張り上げた。「どうせ全部、またアレ関連の名前なんでしょう?」
「あれって?」
村長は邪悪な笑みを浮かべた。だが、僕がポケットから出したものを見て、その顔から笑みが消えた。
「君、それは……すごく立派なものだね」
「変な言い方はやめてください。これはナイフです。村長、あなたを殺しに来ました」
僕はナイフを構え、一歩踏み出した。
「理由は? なぜ私を殺すんだ?」
「あなたが村の名前を卑猥なものに変えようとしているからでしょう!」
「君が何をそこまで怒っているのかわからないよ。顔を真っ赤にして、青筋立てて、まるで勃起したペニスのようだ」
「い、いい加減にしてください! 卑猥! 不潔だ! あなたは、あれに支配されている異常者だ!」
「君こそ、今の自分の行動を異常だとは思わないのかい?」
「は……?」
村長の優しい声が頭に響き、僕は戸惑った。血の気が引いていく感覚がする。
「君はペニスを理由に人を殺そうとしているんだよ。君こそペニスに支配されているじゃないか」
「そんな、馬鹿な……」
「いいかい、ペニス、ちんこ、おちんちん、男根、イチモツ……。今これを聞いて、君は嫌悪感を抱いたね。そう、この社会は、これらペニスに関連する言葉をタブーのように扱ってきた。それが、この国を少子化へ追いやった原因だとは思わないかい? この国は男性中心社会だと言われているが、ペニスという言葉を堂々と口にできないで何が男性中心社会だというのだろうか。もう一度、はっきりと言おう。今の少子化の原因はペニスを隠しているからだよ。そうやって、口にするのも恥ずかしいものとして扱っておいて、意中の女性の前でペニスを出せるはずがないだろう?」
「で、でも、そんなこと、村の改名と関係ないでしょう!」
「あるんだよ。もっと全体を見るんだ。この時代、この場所でしかできない変革があるんだ。君にもわかるはずだ。さあ、内なるファルスを感じるんだ」
「あなたが何を言っているのか……わかりません……」
「いや、わかっているはずだ。さあ、今こそ立ち上がるときだ。ペニス、ちんこ、おちんちん」
「やめて、やめてください……」
「男根、イチモツ、ぽこちん、ちんぽこ、サオ」
「やめるんだ……」
「肉棒、珍宝……ムスコよ。君は解き放たれたいはずだ」
「嘘だ! 嘘だ……」
「タマキン・ペニスウォーカーよ。君もこっち側に来るんだ」
「いや、それは本当に何を言っているんですか」
「そうだな。すまない」
結局、僕はナイフをしまい、村長の家を後にした。
家に帰ると、僕はズボンを脱ぎ、静かにペニスを見下ろした。この小さな友人について、僕はもっと深く考えるべきだと思ったのだ。
生まれたときから共にあり、日常的でありながらも、同時にタブー視される存在。でも、日々の暮らしの中で彼の存在感は絶大だ。朝、目覚めれば彼が一番に起き、夜眠る前にはまた彼と向き合う。日中もトイレで何度か顔を合わせ、「元気か? おれはこのとおりだぜ」と語りかけてくる。まさに相棒だ。
でも、この社会は彼を矛盾の中に閉じ込めている。存在するのに存在しないかのように扱われ、公共の場では話題にすることを避けられている。教育現場ではほとんどその存在に触れない。まるで見えない影のようだ。
「僕たちはもっと彼を尊重するべきなんじゃないか……」
僕は目を閉じて彼に集中した。すると、彼が熱を持って膨らむのを感じた。
――やっと気づいてくれたな、相棒。
感じたよ、ペニー……。僕は彼の孤独をそっと手で包んで、その涙を拭った。
数年後、僕は村を出た。発つ前に村長に挨拶に行くと、彼は「またムスコが減っちゃったなあ」と寂しげに笑った。
都会に出ると、社会の歪みがよく見えるようになった。街ではペニスたちは身を潜め、代わりにピンクを基調とした建物や広告が目立ち、女性優遇社会が推進されていた。性交の減少は加速し、若者たちは「性」を語ることすら避けるようになっていた。
今なら村長の言葉の意味が分かる気がする。彼は村名を変えることで、社会そのものを変えようとしたのだ。
だが、その試みは成功しなかった。村には内通者がいたのだ。計画が漏れたことで、村長は政府の医療機関に連れて行かれ、帰ってきたときには萎んだような姿になっていた。何をされたのかは語らなかったが、かつての熱は消え、もう立ち上がることはないと確信させた。
村民たちの村長を見る目も変わってしまった。けれど、僕はもう彼が狂っているとは思わない。狂っているのは、この社会のほうなのだから。
僕はビルの間の路地、影の中へ歩き始めた。この先に、若い女の子たちが立っているエリアがあるらしい。
僕が村長の意志を受け継ぐ。思想を広め、この社会を変えていくんだ。僕は、僕たちは負けない。なあ、そうだろ? 僕のペニス――。
『続いてのニュースです。初めて男性器から感染する未知のウイルスが発見されて十数年。封じ込めに成功したと見られていましたが、再び感染者が増加しているとのことです。このウイルスに感染した男性器は、意思を持ったかのように自立した動きを見せるとされ、一説によると数年前に地球に飛来した隕石がウイルスの発生源だということです。感染拡大を防ぐためには、感染者の男性器を切除するしか手段がないとし――』