第八話
二人で無心に掘り進め、小雨を降らす雲の合間から、白む空が見えてくる頃。ようやく礼が入れる程度の穴ができた。
その中に毛布で包んだ礼を寝かせるようにそっと入れて、上に生の瞳と食べかけのチョコレートを乗せる。
「お別れ、礼。…愛してる」
生は、礼の目元だった場所を、軽く撫でつけるように触れる。
そのまま「おやすみ、姉さん」と囁いてゆっくり立ち上がり、後ろから様子を見ていたちひろを振り返る。
その表情は驚くほど静かで、何の感情も読み取れなかった。
「ちひろは何か、伝えたいこと、」
ぐったりと疲れた表情で、ちひろは生を見てからゆっくりと穴に近寄り、しゃがんで中をのぞく。
塗れた土に近い色の彼女は静かに横たわっていて、独特の臭いが漂っていた。
息を止めたくなるような臭いのなか、ちひろは引っ張られるように彼女の額だった場所に顔を寄せ、唇を当てた。
自分がしたその行為の意味も感情も何もわからないまま、これで良かったのだろうかと、ちひろは生の方を振り返る。
生はちひろの目をじっと見つめ返し、近寄ると、ちひろの小さい体を抱きしめた。
「ありがとう」と小さく言って離れる生に、胸が詰まる。
ありがとうなんて、感謝されるようなことは何もできていない。
いまだにこの黒い塊が礼と認めることはできなくて、けれど礼に対する愛情や友情はあって、その全部を生に許された気がした。
ゆっくりと礼の足の方から土を乗せ始めた生を見て、ちひろは礼との別れが本物なのだと急に理解した。
埋めたくない、と思った。
あそこから無事に逃げられたら、もっとたくさん話をして、遊んで、仲良くなろうと。そう言いあった彼女は、帰ってこないのだ。
「や…うめないで…、ゆき、ゆき」
盛大に泣き始めたちひろの声に、生は少し手が止まるが、それでも淡々と土の山を崩し、隙間のないよう、丁寧に埋めていく。
熱くなる目頭に力を入れながら仕上げに手で顔に丁寧に土をかけ、平坦になるよう、土を押さえる。
周囲との境目がないよう綺麗にならし終わった瞬間、ほろ、と自分の手に涙が落ちる。それを隠すように生は手の甲を顔に当て、息をはいた。
声を押し殺しながら背を震わせる生に、ちひろは四つん這いで近寄ると、肩口に縋りつく。
一歩引こうとした生を引き留めるように腕をまわして、ぎゅう、と抱きしめると、生は小さく声を漏らして泣き始めた。
張りつめていた糸が切れたように、引きつった声で泣き始めた生につられ、ちひろもまた一段と大きな声で泣く。
長く、二人でそうしていた。
ようやく落ち着いてきたころに、生は大きく呼吸をして、ちひろの首元に預けていた頭を上げた。
その気配に、ちひろも腕を緩め、少し体を離す。
だが、顔を見合わせた途端にまたじわりと潤み始める自分の目元を、「ご、めん」と謝りながらちひろはぐいぐいと擦る。
「いくのが、きっと、いや、なのに。…わたしばっかり、…ばいばいも、いくに、全部させて、」
震える声で言うちひろに、生は穏やかな声で「家族だから、大丈夫」と返す。
その返答がずいぶん大人っぽく聞こえて、ちひろは泣いてばかりの自分がきまり悪く、涙を引っ込ませようと大きく深呼吸をする。
「ありがとう、いく」
「うん。どういたしまして。ゆきを、一緒に見送ってくれて、ありがとう」
そう言って、周りと少し違う色をした地面を生はゆっくり撫でた。
「…よかった。これで、さびしくないね」
静かに微笑むその顔を見て、またちひろは顔をくしゃくしゃにさせる。
「わ、わたし、ゆきの顔も、しらなくて。お話したのも、ついこの間で…そんなの、言ってもらうくらいじゃ、なくて」
「んーん、いつも、嬉しそうに話してた。…ちひろちゃんって」
礼が呼んでくれた自分の名前の、優しい響きがよみがえる。確かに目の前のひとは彼女のきょうだいで、きっと彼女もこんなふうに微笑むのだろうと思うと、また涙が零れる。
いい加減、池でもできそうな自分の涙の量に、ちひろはからからになりそうだった。
「ゆき、ゆきも、いくのこと、いっぱいしゃべってくれて、」
「うん」
「すき、すきだった、の、ほんとに」
「うん」
「だいじな、おともだち、だったの」
「うん、そっか。ありがと…ありがとうな。うれしい」
木々の隙間から差し込む光は温かくその小さな鎮魂の空間を照らし、朝を知らせた。