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青眼の烏と帰り待つ羊  作者: 鉄永
第5部
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第二話


 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 玄関に入れば、いつものように廊下で座り込むちひろが生を出迎える。

 しかし、ちひろはいつもの生を安心させてくれる柔らかい笑みの代わりに、暗い表情を浮かべていた。顔色も悪く見える。

 扉を閉めて鍵をかけ、ちひろの前に屈むと、ちひろは顔を歪ませてぽろぽろと泣き出した。

「ごめんなさい。ばかって…お見送り、ちゃんとしなくて、ごめんなさい」

「ううん、嫌な言葉、言わせてごめん」

 生が謝ると、ちひろは小さく首を振る。

 昨日からちひろを泣かせてばかりで申し訳ない。

「その…今日の朝、ちひろがどうして怒ったのか分からなかったから、教えて欲しい」

 生がそう言うと、ちひろは涙を拭ってからぽつりとつぶやいた。

「…わたし今日、ご飯まだ食べてないの」

「え?」

「それに、昨日の夜から寝てないの」

「…なんで?何か、変な夢でも見た?」

 てっきり昨日の夜は寝ていると思っていたし、食事も食べただろうと思っていたため、生は驚きと心配で眉をひそめた。

 もし昨日の夜、うるさくて眠れなくなっていたのならば、やはりここに必ず帰るという約束は無い方がいいのではないだろうか。

 そんなことを考え始めていた生は、続くちひろの言葉に、そんな自分の考えが根本から間違っていることに気が付いた。

「心配だったから」

 「心配?」と首を傾げる生に、ちひろは言葉を重ねる。

「あのね、ご飯ちゃんと食べてない私が、生に『私なんかいいから、生はきちんとご飯食べてね』って言ったらどう思う?」

「ええ?」

 そりゃあ、全くいいわけがない。

 相手を満たす前に、まず自分を満たす行動を取ってほしい。

 そこまで考えて、生は決まり悪そうに苦笑いをした。

「成る程…」

 つまりちひろは、生が自身の寝食を欠きながら「きちんとご飯を食べろ」とちひろに諭したことに怒っていたらしい。

「はんせいしてください」

 目の下に隈を作り、じっとりとした目線を向けてくるちひろに、生は素直に謝った。

「はい、ごめんなさい」

 ちひろは生の謝罪に頷くと、よたよたと立ち上がり、あくびをする。

「お腹すいた。眠い」

「うん」

「もうやらない」

「うん、ごめんな」

「…いいよ」

 寝不足と空腹のせいか、珍しくテンションの低いちひろの背を撫でると、ちひろは生に身を寄せてくる。

 生にとって、自分の身を損ねることと、相手に尽くすことは同時並行で起こっていることが普通だった。

 既にそのことに対して辛いなんて感情は無かったけれど、傍から見れば確かに痛々しく映るだろう、と息を吐く。

 今更するなというのは無理だが、せめてちひろが向けてくれる心配や優しさを無下にしないようにしたかった。



***



 ちひろを先に風呂に入らせて、生は食事を作ろうと冷蔵庫の中を覗く。

 空腹ならば消化に良いものがいいだろう。

 鶏肉と白菜を取り出し、小さく切る。

 小鍋を取り出して、具材と白米を投入し、出汁で煮立て、卵を溶きいれれば、雑炊が出来上がりだ。

 葱はあったかと冷凍庫を漁っているところで、頬を上気させたちひろがリビングに来た。

 ちょうどいい、とちひろを手招きして、スプーンに雑炊を一口すくって渡す。

 ちひろは差し出されるままに、はふはふと冷ましてから口に含み、顔をほころばせた。

「美味しい」

「良かった」

 幾分か機嫌が上向きになったちひろと食卓を囲む。

 お腹が空いていたからか、黙々と雑炊を食べるちひろに、生はほっとする。

 自分に理解させるためだったとしても、やはり眠らない、食べないというのは心配する。

 もし逆の立場だった時、生は同じような行動をするだろうか。

 いや、自分なら相手をそのまま仕事に行かせず家に閉じ込めかねない。

 そう思うと、ちひろはかなり生の行動を尊重してくれているな、と思いながら、生は雑炊を口に運んだ。

 食事が終わり、お茶を飲んで一息ついていると、ちひろがそわそわと何か言いたげに生の顔を見る。

 微笑んで目線で促すと、ちひろはおずおずと口を開いた。

「生、あのね」

「うん?」

「生にとっての私は、この家のお手伝いさんで、同居してる人、でしょ?」

「うん」

「でも、私は、それだけじゃないの。生のこと、凄く仲のいい友達とか、家族みたいとか、思ってる。生は、私のこと、そんなふうに思うこと、ない?」

 生はちひろの言葉を聞き届けてから、コップの水面に目線を落とし、答える。

「…大事」

「だいじ」

「そう、大事だって、思ってる」

 続く言葉を待つように生の表情を窺うちひろに、眉を下げて笑いかける。

「恥ずかしくなってきたから終わりにしていい?」

「え、だ、だめ」

 食い下がろうとするちひろを遮り、生はコップを手に立ち上がる。

「終わり」

「なんで」

「言ったでしょ、恥ずかしいから」

 ちひろは慌てて残ったお茶を飲み切り、生を追いかける。

「…わ、わたし、すっごい真剣に悩んでるんだよ!」

「悩んでる?」

「私が生に対して家族みたいって思うの、嫌がられたりしないかとか。すごく、悩んでる」

 台所でコップを洗う生の顔を覗き込みながら、ちひろは言う。

 生は少し考えるように黙った後、水を止めて、ちひろと目を合わせた。

「俺は、ちひろを大事に思ってて、だから、一緒に住んでる。それだけ」

「その、大事って言葉に、上も下も裏もカッコも、ない?」

「上も下もって…うん。ないよ」

「そっか…」

 正直に言うなら、カッコはあるなと思いながら、生はコップを水きりかごに置く。

「…変なこと言ってごめんね、生」

「いいよ」

「ご馳走様」

「うん、お粗末様でした」

 少し早歩きで洗面所に向かうちひろを見送り、生は口元に手をやる。

 さすがに、ちひろにここまで言われて察せられないわけでは無い。

 しかし、ちひろが自分に対して好意を抱いていたとしても、生は同じ種類の好意をちひろに抱いていることを明かす気にはなれない。

 今更、正直な自分の気持ちを見せる勇気を、生は持っていなかった。







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