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第五話

 自分のうった寝返りの感触で、ゆっくりと意識が浮上する。

 眠気を感じる中、身体をもぞもぞと布団の中で動かし、ちひろはぼんやりと目を開けた。

 知らないベッドで目を覚ますのは割と慣れていたけれど、こんなに落ち着いた目覚めは久しぶりだった。

 上体を起こしてぐぐ、と伸びをする。カーテンの隙間からは太陽の光が差し込んでいる。

 そろ、とベッドから降り、寝室を出ると、ソファに座って本を読む生が見えた。

 こちらの気配に気が付いたのか、生は本から目線を上げ、ちひろを見て「おはよう」と微笑みながら挨拶をした。

「おはよう、いく。えっと、今って、何時?」

 ちひろは部屋を見回すが、時計らしきものが見つからない。

 窓からの日差しでなんとなく昼間だろうとは分かる。

「今は、お昼。十一時ぐらいだよ。もうちょっと寝るかと思ってた」

 生は読んでいた本を片手に持ち直し、スマホの液晶画面に映る14:16というデジタルの数字を見ながら答えた。

「わあ、けっこう寝ちゃったね」

「良く寝れた?」

「うん、ぐっすりだった」

 昨日の夜の記憶からあまり変わっていない生の姿に、生は今日は仕事ではないらしい、とちひろは予想する。

 今日は確か平日なので、もし仕事をしているとしたら、暦通りの休日がある仕事ではないのかもしれない。

 ただ、暮らしている一軒家は小さいけれどあまり古くはなさそうであるし、所持品など、端々から生活の豊かさを感じられるが、どんな職業なのかは分からない。

 ちひろは生の座るソファの隣に腰掛けながら、その疑問をそのまま生に投げかける。

「生って、お仕事、何してるの?」

「代行業…まあ平たく言ったらなんでも屋さんかな。ペット探したり、掃除したり」

「わ、わ、すごい、ほんもの?はじめて会った!」

 そろそろ疑問を持たれるだろうと思っていた質問に、生はよどみなく用意していた返答を出す。

「じゃあやっぱり浮気調査!とか、悪い人を逮捕!とかもしたりするの?」

「逮捕は警察の仕事だからしないけど、似たようなことをすることはあるかな」

「そっかぁ、すごいね」

 自分の職業に対しざっくりとした理解を示すちひろは、生にとって都合が良かった。

 生は改めてちひろに向き直り、申し訳なさそうに眉を下げつつ話を切り出す。

「ありがとう。…あのね、ちひろ。そのことで、頼みがあるんだ」

「なぁに?」

「俺とここに暮らしてること、秘密にしてほしい」

「秘密…」

「うん。俺の仕事って、依頼人の出来ないことを、俺が代わりにやってあげる仕事なんだ。だから、あんまり色んな人に自分のことが知られないようにしなきゃいけなかったり、たまに俺が依頼人の代わりに恨みを持たれることもある」

「危ないことも、するの?」

「たまにね。…だから、窮屈な思いをさせるかもしれないけど、ちひろがここで俺と暮らしてるって知られないように、家にいてほしい」

 半分くらいは本当だった。

 自分の仕事の性質上、本来なら生活を共にするような人間は持たないほうがいい。

 だからこれは、ちひろをもう一人にしても大丈夫だと思えるまでは手元に置いておきたいという、自分のエゴだ。こんな強引な方法でしか、自分は他人を大切にできなかった。

「そっか…」

「うん。代わりに、俺にできないことを、ここでしてくれる?」

「いくのできないこと」

「そう、例えば宅配便の受け取り。なんでも屋って不定期の仕事だから、買い物しようと思っても夜遅いと店がしまってるし、ネットで買うにしても宅配便が受け取れなかったりで困るんだ。他にも、料理とか洗濯とか…」

「いくのための、なんでも屋さん?」

「そうだね。俺のためのなんでも屋さん。もちろん、ちゃんとお給料は払う」

 どうかな、と生は首を傾ける。

 ちひろはそれに食いつくように返事をした。

「っうん、うん!、したい。させてほしい」

 ちひろにとって、願ってもいない条件と待遇だった。

 そんなうまい話があるものか、とか、付き合ってもいない男女が、などという考えは浮かばなかった。

 ただ、自分の大切な人のために何かできることがある。自分を求めてもらえる環境であるということだけが、ちひろにとっては重要だった。

 しかし、それ以上に重要な自分の今の状態に思い当たり、ちひろは顔を曇らせる。

「あっでも、…お店の人に、辞めますってお話しに行ったりとか、お引越しとか、お役所とか。それに、あのね、私、実は全然お金持ってないし、あの…あのね、あの…まだ、払わないといけないお金もあるの」

 そう。例えばちひろが生に騙されて搾取されようとしていたとしても、自分を近くに置くことで迷惑を受けるのは生の方なのだ。

 今の自分は文字通り身一つであり、居場所を作ってやろうという善意だけではどうにもならないくらい、ちひろには問題が残されていた。

 一つ思い出すと芋づる式のように出てくる自分のどうしようもなさに、ちひろは手元に目線を下ろす。

 今更ながら、お金に困っていることや、他人への迷惑を何も考えずにここまで来てしまった自分が恥ずかしかった。

 生は握りこまれたちひろの手を軽く叩いて顔を上げさせる。

「ちひろ、…ちひろ。大丈夫、落ち着いて。一個ずつでいいよ」

 生にとってちひろの問題なんて全て些細なことだった。

 むしろちひろが気に病んでこの家を飛び出していく方が生にとっては厄介なのだ。

「まず、店のほうとお役所のほうは俺がやっとく。家の契約も移すね。引っ越しに関しては、…ごめん、ちひろが此処にきたって秘密にするために、最低限の貴重品だけ俺が持ってくるから、書き出して教えてほしい。負債はお給料から天引きってことで、ちょっとずつ返していこうか」

 だから考えすぎることは無い、とちひろに言い聞かせる。

 不安そうにしながらも、生の言葉におずおずと頷くちひろを見て、生は微笑む。

 実はちひろが眠っている間に、生は既にもろもろの後処理を済ませていた。

 便利な世の中になったものだ。住所なんて本人がいなくても変えられるし、退職代行なんてサービスができるくらい、顔を合わせずに職業を変えられる時代だ。ちひろのしていた仕事上、急に辞める人間なんて珍しくもなかったので、しばらくすれば指名リストからちひろの名前と写真は消えるだろう。

 別に人一人を行方不明にすることなんて造作もなかったし、ちひろの場合は探されるような関係の人間も少ないため、いっそのこと自分のように、もうこの世にいない人間にしてしまうことも頭をよぎった。

 それでも、こうして正規の手順を踏んだのは、いつかちひろがこの場所で何の憂いもなく、一般人として幸せに暮らせるようにしたかったからだ。

 あとは知り合いの弁護士に任せてきちんと支払われていなかった分のちひろの給料とローンの過払い金の受け取り。ついでにくっついていたストーカーを慰謝料の請求してから処理。今までの仕事に比べれば簡単なものだ。

 行方不明の土産ちひろの父の居場所は特定している。今後は不運にもある青年と事故を起こして多額の示談金を支払うことになり、それに懲りて次々と保険商品を購入、転職の際にキャリアコンサルタントに紹介された高額のセオンラインミナーに加入し、月々の支払いにあえぐことになる予定である。ちなみに、ちひろの父と事故を起こすことになる相手の青年は、保険会社の役員やキャリアコンサルタントやオンラインセミナーの企画者の知り合いなのだが、ただのよくある偶然である。

 もし目の前にいるのが、大切な友人の親を不幸に陥れようとすることに何の躊躇いもないような人間だと知れば、ちひろはどんな顔をするのだろう、と生は思った。

 



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