あなたの妻に!?
ガルシア様の笑いに何か不穏な響きを感じた私は、何がどこから飛んで来てもいいように誰もいない壁側に背中を向け、この部屋にいる全員を視界に収める。
「お前で二人目だよ。光の推薦はな」
顔を上げたガルシア様は少しだけ目を細め、吸い込んだ息を吐き出すように言った。
光の、推薦? 推薦に種類があるってこと?
とりあえず、殺される系じゃなさそう。
よかった……。
「こないだ一人目が来た時も驚いたが、間を空けずに二人目が来るとはな。さ、好きな衣装に着替えて店に出ろ」
その言葉で、控えていた執事風の男たちは衣装部屋へと繋がるドアを開けた。
「あ、あの! テストは受けさせていただけないのでしょうか?」
「採用だ」
ゲームの中では表情が変わるところを見たことがないガルシア様が、薄らと口元に笑みを浮かべている。
「えっ!? あ、ありがとうございます!」
「名前はどうする?」
「では、ローズと」
ここに来るまでに予め決めておいた名を口にする。髪色のローズピンクから安直に源氏名を捻り出した。偽名はシンプルが一番。
「ではローズ、後で私も観させてもらおう。俺の期待を、裏切るなよ」
「承知いたしました、ガルシア様」
ガルシア様はコツコツと音を立てて店内へと繋がる通路を歩いていった。
私は先ほど執事風の男たちが開けたドアへと進む。
足を踏み入れた部屋の中には鏡、ライト、化粧道具、そして色とりどりのドレスがズラリと並んでいた。
……さて。どれを装備しようかな。
ぱっと見で気に入ったのは、ワインレッドのマーメイドシルエットになっているタイトドレス。
『ローズ』としての私はローズピンクの髪にプラム色の瞳だから、ワインレッドは間違いなく似合うはず。これにしよう。
令嬢として着るドレスとは違って体のラインがはっきりと出るドレスを纏い、金色のアクセサリーを手首や足首、首や耳にバランス良く着けていく。
鏡を見れば、そこにはレティシアではない私、ローズが映っていた。
ドレスは胸元は詰まっているが背中は大きく開いていて、マーメイドラインのスカート部分は長さはあるけれど深めにスリットが入っている。
露出が多すぎず少なすぎず、動きやすい。
軽く化粧をし髪を簡単にまとめ、ヒール付きの金色のサンダルに足を通してストラップで止める。
そしてもう一度全身をチェックする。
うん、良いんじゃない?
衣装部屋を出ると執事風の男がこちらをチラリと見て、店内へと繋がる通路へと進み出した。
踊りは得意。訓練で死ぬほど踊ったから。
でも、踊り子としてどこかに潜入するのは初めてだ。
自分の足元から聞こえる、カツカツというヒールの音とシャランシャランというアンクレットの音が私を奮い立たせる。
そして、奥のドアが開いた途端、甘くほろ苦い香りと熱気が私を包み込んだ。
聞こえてくる音はゲームと同じ。
店の中のインテリアや照明も同じ。
でも、どこか異国情緒漂う夜の香りと肌に纏わりつく熱気は初めてで、胸が高鳴った。
きっと、私の顔には興奮と期待の色が溢れていたはずだ。だって、私を見たお客様たちがそういう顔をしたから。
その『お客様』の中には、私が知る人も、含まれていた。
*
私のために空けられた舞台の上で、二曲続けて踊った。
踊り終えた私に贈られる大きな喝采と多くの賛辞。
けれど、客席の中ほどにいる青い踊り子だけは私を睨みつけていた。
……変装したテレーズだ。予想通り、この店に潜り込んでいた。変装した姿もゲームと同じ見た目で、分かりやすい。
テレーズは銀色の髪を青くしており、髪と同じ青色のセットアップの衣装を身につけていた。
そして、その隣にはレオン殿下がいて、ずっと私に熱っぽい視線を送っているのが鬱陶しい。
舞台を降りる時に執事風の男がいつの間にかそばにやってきて、私が降りるや否や付いてこいと言わんばかりに歩き始めたので大人しくついて行く。
どうか! 行き先はテレーズの近くの席でお願いします!
私の願いは黒づくめの男には届かず、レオン殿下とテレーズがいるソファ席はサラリと通り過ぎた。その時、レオン殿下が私に見惚れていただなんだとテレーズが騒いでいるのが耳に入った。
テレーズの席から離れたのは残念だけど、客や他の踊り子たちからもテレーズの情報を得られるかもしれない。焦りは禁物だ。
連れて行かれた席で、ゆったりと寛いだ様子でグラスを傾けていたのは書物庫の麗しの君。
……ノアベルト様だ。
この店にいるということは、相当の身分ということ。
私を見るノアベルト様に、踊り子らしくシャランと礼をし挨拶をする。
「ローズと申します。お隣、よろしいですか?」
令嬢ではなく踊り子の今の私は、お客様に自分から名乗るのがマナー。
するとノアベルト様はふんわりと微笑んで
「ノアと申します。僕の隣でよろしければ、どうぞ」と言って、私が座れるようにソファの奥へと座り直した。
この店に来るような身分で、踊り子相手にも丁寧な言葉遣いをしてくれる男性なんて、この世界ではかなりレアじゃない?
こういう場所ではノアと名乗っているんだな。それに、昼間は下ろしていた髪を後ろで一つにまとめているから印象が結構違う。
変装には自信があるし、客席の照明はかなり落とされているけれど、この人には昼間会ったばかりだ。その表情に何かに気付いた様子がなくてホッとした。
私が「ありがとうございます、ノア様」と言って隣に座った途端、私の顔を覗き込み目を合わせてこう言った。
「周りがうるさくて、君の名前が聞き取れなかったんだ。もう一度教えてくれる?」
「あ、えと、ローズと申します」
するとノア様は「ローズ?」と呟き、ほんの少しワインレッドの瞳を細めて優しく言った。
「君にぴったりだね」
……あ、甘ーーーーーい!!
顔も声も表情も、何から何まで甘い!!
私がここに来たのは、テレーズとその秘密を探るためだから!
この人の甘さに蕩けてる場合じゃないから!!
私が言葉を選ぼうとするより早く、ノア様が形の良い唇を再び開いた。
「何か話してよ。君のこと教えて?」
ねぇ、先に聞かれちゃったよ?
相手のペースに飲まれたらダメだって!
ちなみに、こういう夜のお店で男性客相手にお喋りで楽しませるような仕事経験はゼロ。
私に回された家の仕事は、ひたすら走り回る系、軍施設やら貴族の屋敷やらに潜入する系、一人で三人くらいを演じ分ける系などのキツい仕事ばかりだった。
酒場や娼館への潜入みたいな仕事は姉たちが独占していたんだろう。
けど、どう振る舞えばいいのかは一通り学んではいる。実践あるのみだ。
「私のこと、ですか? そうですね……今、目の前にいる麗しい方のことがとっても気になっていますわ」
こんな感じかな?
自分のことはなるべく話さず、相手を適度に褒める。あとゆっくり目に喋る。
「奇遇だね、僕もだよ。こんなに気になる子は初めてだ」
ぐぅ……。
美麗な顔でイケボで言われると、破壊力がすごい。
こういう場に特有の耳触りの良い言葉遊びと分かっていても、経験の無い私には刺激が強いです……。
「ふふ、嬉しいですわ。私の初めてのお客様が、ノア様で良かった」
言いながら小首を傾げてほんのり微笑みながらノア様を見つめてみる。
ノア様は返事をせず、ただ優しい眼差しで私を見つめ返すだけだ。
あれ? 男の人は『あなたが初めて』が好きなんじゃないの? 何か返事して!
そして、やっと口を開いたノア様からとんでもない台詞が飛び出した。
「ねぇローズ、僕の妻にならない?」
「っ!?」
私たち、会って五分も経ってないんですけど!?
『あなたが初めて』の効果あり過ぎじゃない!?
「形だけでいいんだ。君はただ、好きに過ごしてくれれば。踊っていてもいいし、踊らなくてもいい。どうかな?」
『早くてうまくて甘い言葉には気を付けろ』というのは諜報の基本の基である。
ノア様の台詞はその三つ全てに当てはまる。
私の中で警戒アラームが最大出力で鳴り響いた。
……でも、でもよ?
すんごく魅力的なお誘いじゃない?
ノア様はおそらくどこぞの国の王族か、かなり高位の貴族のはずで、そんな人の妻というポジションで好きなことしてていいって言ってるんだよ!?
こ、こういうときはとにかく保留!
拒絶ではなく保留!!
「とっても光栄ですわ。でも私、ノア様のことを何も知らないのです。だから私たちが出会う度に一つずつ、ノア様のことを教えてくださらない?」
拒絶の言葉は使わずに相手に期待を持たせる。そして自分の元に通わせるよう誘導する。
……これで合ってる!? もう何が正解か分かんない!!
「君は僕をワクワクさせるのが上手だね。じゃあ、今日は僕の何を教えようかな」
踊り子の私に、ノア様の本当のことを教えてくれるつもりなんてあるのかな?
私を見つめていた優しい眼差しを少し上に向けて、何か考える風のノア様。
少し間を置いて、何か閃いたようにこう言った。
「そうだ、『ローズ』にも教えておくね。僕の本名はノアベルト・エルランジェというんだ」
ん? ローズにも教えておく?
ローズ『にも』!?
こ、これって、テレーズとか他の子にも名前教えてるよ〜って意味だよね!?
……私がレティシアってバレてるわけじゃない……よね?
内心の動揺を隠し、その真意を図ろうと、照明の光を映すワインレッドの瞳を覗き込む。
けれど、そこからは何も読み取れず、悪戯をする子供のような無邪気な笑みを浮かべるノア様とただ見つめ合うことになったのだった。
お読みいただきありがとうございます!!
引き続きよろしくお願いします!!