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最速の世界 7

●「前回のあらすじ」

 父・英二の挑発に心を乱しながらも、夢兎はシェステナーゼと協力し無事に初テストを終えた。しかし、その内容は芳しいものではなかった。

 テスト後。シャフイザは強い不安を覚えるが、シェッフェルのチーム代表・美雲しおりは、チームが崖っぷちにあることを説き、シャフイザを鼓舞した。

●「前回のあらすじ」

 父・英二の挑発に心を乱しながらも、シェステナーゼと協力し初テストを乗り切った夢兎。

 しかし、その走りは「デビュー戦・表彰台獲得」という目標を達成には、あまりにも遅すぎた。

 シャフイザは強い不安を覚えるが、シェッフェルのチーム代表・美雲しおりは、チームが崖っぷちにあることを説き、シャフイザを鼓舞した。




 テスト終了後。

 チームから休むように命じられた夢兎は、トランスポーターでセラピストからマッサージを受けると、そのまま一時間ほど休憩を取った。

 そのおかげで、体調も思考力もほぼ回復することが出来た。

 けれど、ピットガレージに戻る足取りは重い。


 今日は単独テストなので、パドック――ピット裏の通り。チームのトランスポーターやモーターホームが置いてある場所エリア――には、グランプリウィークのような活気はない。

 髪留めを使ってミルクベージュの髪をショートポニーテールにまとめると、夢兎は先ほど目にした自分の走行データについて考えた。


 今日一日走って、Velo(ベロー) Voiture(ヴォワチュール)に対しても、シェステナーゼに対しても、理解を深めることができた。

 けれど、やはりたった一日のテストでマシンの全てをものにするのは無理があった。

 本格的なマシンセットアップはほとんどできていない……。

 このままでは表彰台を争うどころか、10位以内ポイント 争いに加わることさえ難しいだろう。


「はあー……」 


 そこまで考えると、思わずため息が漏れた。


 事前テスト一回でデビュー戦に臨み、「表彰台獲得」を狙う。

 それが無謀な挑戦であることは、最初から十分に理解していた。

 でもベストを尽くせば、きっとなんとかなる……そう思っていた。

 

 しかし、現実は甘くはなかった。

 自分が挑む壁の大きさを痛感し、暗澹たる気分で地面を見つめて歩いていると、背後から声をかけられた。


「――テストを経て、ようやく己の無謀さに気づいたようだな」


 くぐもった低い声に、この不躾で失礼な言葉。振り向かずとも、もう誰だかわかる。

 気落ちしていた心を見せないようににグッと奥歯を噛み締めると、表情を引き締めて振り返った。


 予想どおり。そこには見慣れた仮面兜を被った男――壬吹のMS(モータースポーツ)部門の責任者を務める、父・壬吹英二が立っていた。


「……まだ残っていらしたんですか」

「ご挨拶だな。MS部門の統括本部長としても、壬吹の人間としても、おまえの走りは当然確認しておかねばならぬ大事だいじだ。しかし、レギュラードライバーのシャフイザ・クライから3秒落ちのペースでしか走れんとはな。自信のある口振りだったので何か策でもあるのかと見ていたが、拍子抜けした。……まあ、想定どおりではあったがな。フッフッフッ」

「ッ! まっ、まだ最初のテストが終わっただけです! 本番までには何とかしてみせます」

「ほう。では、この苦境を跳ね返す力が、おまえにはあると言うのか?」

「……あります。少なくともそう信じていないのであれば、日本に帰っています。私は生半可な気持ちでここに来たのではありません」


 英二の威圧するような言動に対して、内心の動揺を抑え、毅然とした態度で答える。


(この人からイヤミを言われるのはもう慣れっこだ。こんな小手先のプレッシャーで潰されるものか)


 そう胸の内でごちると、目に力を込めて英二を見上げる。

 しかし、英二はこちらの対抗心を嘲笑うかのように肩を竦めると、鼻を鳴らして言った。


「これは片腹痛い。先程来も言ったが、ここ数年、おまえはこういった『勝負どころ(シチュエーション)』で尽く敗れ去り、それが原因で王者を逃してきたのではないか」

「ッ!? そ、それは……!」


 何を言われても言い返すつもりでいたが、ここは英二が上手だった。


 ここ数年、夢兎は参戦した選手権シリーズの天王山とも言うべき場面でミスを重ねて王座を逃してきた。

 それは紛れもない事実であり、返す言葉のない急所だ。


「Veloで成功を収められるのは、こういった『勝負どころ(シチュエーション)』で必ず結果を残し、人心を引き寄せ、周りに自分を担がせる気を起こさせるドライバーだけだ。そうでなければ、ピラニアクラブと揶揄されるほど、残忍で狡猾な輩が跋扈ばっこするVeloで戦っていくことなど到底できん」


 視線を逸らしたのを後退と見られたのか、英二は己の主張を打つように強弁した。

 英二の言うことは正論だ。準備不足に、ここ一番での結果を出せていないこと、それらのことを考慮すれば――――。


(デビュー戦で表彰台獲得を狙うのは、無謀が過ぎるのかもしれない……)


 英二の気に圧されて心が揺らぎ、一瞬頭の中でそう考えた。


 しかし、これまでのレースで負けた時のシーンが脳裏に浮かぶと、夢兎は弾かれるように頭を横に振った。


(違う! それじゃダメだっ!!

 男社会であるモータースポーツで成功したいのなら、絶対に気持ちで負けちゃいけない。常に強気で考えないとダメなんだ!

「私ならやれる! 道は必ず拓ける!」、そのくらいの意気でないと、この世界では勝ち上がっていけない!

 そうだ。それならば……!)


 意を決したように顔を跳ね上げると、夢兎は目に決然とした意志を浮かべ、再び英二と視線を交えた。


「あなたの言うとおり、私は勝負どころで勝てず、いくつもの勝利を逃してきました。そんな私が準備不足の状態でVeloにデビューし、表彰台を狙うことは無謀なことなのかもしれません……ですがっ!」


 語気を強めて逆接詞を打つと、足を一歩踏み出し胸をぎゅっと握りしめ。


「私は自分の可能性を定めて、引き下がるようなマネはしません! 近年勝負どころで勝てていないからといって、こういうシチュエーションを避け続けていたら、いつまで経っても私は弱いままです。だから……私はこのテストで弱い自分に勝ちます! 私は、自分の弱さから……逃げない!」


 一気呵成に言い切ると、夢兎はそこで大きく息をついた。


 言いたいことは言えた。

 しかし。英二はこちらの言葉を一顧だにせず、即座に強烈な問いを返してきた。


「得意の空威張からいばりか……結構なことだ。しかし、覚悟を決めていない者が、あたかもそうであるかように振る舞うのは良くないな」

「ッ! 何をっ!?」

「おまえのその知恵なしの突貫主義が失敗に終わった場合、その責任はおまえだけでなく、おまえを支持した者たちにも及ぶことになる。その点についてどう考えているのだ?」

「――――ッ!!」

「フッ、壬吹の人間であるおまえが、Veloで無惨な姿を晒し世界中の人々から嘲笑されることになれば、面子を重視する壬吹の老人たちが黙ってはいまい。本社では『Velo撤退論』が一気に加速し、チームの命数は早々に決することとなるだろう。そうなった時、おまえはチームに対してどう責任を取るつもりなのだ?」

「それは……」


 英二は腰に手を置き、昂然と胸を張って夢兎の反駁はんばくを待った。

 しかし、言葉が出てこない。何か反論を……そう思い、返す言葉を探すように地面に視線を泳がせる。


 もしこのデビュー戦が失敗におわれば、チームには大きな被害が出る……ということは理解していた。

 そのことに対して、覚悟は決めていたつもりだった。

 しかし、「デビュー戦・表彰台獲得」という目標の困難さを思い知った今、そのことを突きつけられると……さすがに強気を保てない。

 

「己の非力さ、己の立場、それらのことに対しておまえはあまりにも無自覚過ぎる。バカな夢物語ばかり追いかけず、現実と向き合え。そうすれば、おのずと己の成したいことでなく、己の成せることに目がくようになる。その点にもっと思いを馳せるべきなのだ、おまえは」


 今すぐ言い返したい! 強い気持ちでこの男と向き合いたい!

 そういう気持ちがあるのに……自信が足りず、全身がてついて、声を出すことができなくなってしまった。


 弱くて、覚悟を決めきることさえできない自分の不甲斐なさに、震える夢兎。

 そんな夢兎を見下ろして満足したように顎を上げると、英二はトドメを刺すかのように口を開こうとした。


 だが、その前に。

 二人の間に、場に不釣り合わない軽い声が飛んできた。




「御説ごもっとも。でも、この段階でノーチャンスと決めつけられるのは困りますよ、壬吹統括本部長」




 台詞後半の、低く響く男らしい声。

 聞き慣れた声が、夢兎の耳を打った。


 声のした方に顔を向けようとしたが、その前に肩の上に手を置かれた。

 優しく、包むように。


 そうして夢兎の前に出た男が、肩越しに夢兎と視線を交える。

 左右非対称のスカーフェイスの男は、瑞々しい覇気に満ちた瞳を夢兎に向けると、何も言わずに前へと向き直った。


 夢兎の前に立ったシャフイザは、選手交代とばかりに英二と対峙した。


 一方は、左右非対称のスカーフェイス

 もう一方は、鋼の仮面兜を被った偉丈夫。

 そんな二人が、夢兎の目の前で尋常ならざる緊張感を発しながら向き合っている。

 まるで映画のワンシーンのようだが、これは現実だ。


 二人の様子を固唾かたずをのんで見守っていると、シャフイザが会釈して口を開いた。


「お久しぶりです、壬吹統括本部長」

「実にいいタイミングで現われたものだな……シャフイザ・クライ」

「まぁ、たまたまですよ。それよりも、この大事な時に隠れてヤキ入れられちゃ困りますよ。お嬢さんは、ウチの大事なルーキーなんですから」

「フフッ、穿った見方をされては困るな。私は娘の将来のために、親として現実的な助言を与えていたに過ぎんよ」

「なるほど。でも、その言葉は通せませんね。……一応、こっちも本気なんで」


 シャフイザは柔かな口調で応えたが、英二を直視する目は刺すように鋭い。 

 一方の英二も、一見悠然としているが、その声音には不快の色が混じっていた。


 この二人は、Velo継続・撤退問題の真っ只中にいる敵同士。身分は違えど、お互いによく思っているわけがない間柄だ。

 激しい舌戦になるかもしれない……。そう思い、緊張感を高めて二人の次の言葉を待っていたのだが……。


「じゃあ、申し訳ないんですけど。表彰台獲るためには、これから巻いて頑張らないといけないので。失礼します。……うし、行くぞ」

「…………へぇ? は、はい」


 英二に対してあっさりと背を向けると、シャフイザは夢兎に目配せして歩き出した。

 ここで言い争ってもしょうがない、という判断なのだろうけれど……意表を突かれて、素っ頓狂な声が出てしまった。

 

 釣られるようにして、シャフイザに続いて歩き出す。

 しかし、当然英二がこのままただで行かせるわけはなく。


「今日のテストを見ても、そのような世迷言を口にするとは……。君も益体やくたいのない男に成り下がったものだな」


 シャフイザの言葉を鼻で笑い、続けて。


「今日までのVeloの通算成績、勝利数25回、PPポールポジション数60回。シェッフェルという〝駄馬〟を駆ってこの成績……、君の才覚は、100年を超えるVelo史においても、屈指のものであると言って過言ない。……しかし、そうして弱者たちと手を取り合っている限り、グランプリの栄光を掴むことはできん」


 シャフイザのスタンスを揶揄し、切って捨てるように言い切った。

 シャフイザが歩みを止め、半身で英二に視線を向ける。

 今度こそ、舌戦になるかと思ったのだが……シャフイザは落ち着いていた。


「ご心配どうも。でも、俺は勝利至上主義者じゃないんで。己の成したいことに固執する、自分の道を行かしてもらいますよ」

「その先に待つのは、敗者の葬列だけだ」  

「かもしれないですね。でも……」


 そこで言葉を区切ると、シャフイザがこちらに目を向けてきた。

 その目は、情の深い温かみに溢れていて。「私を通して、何かを見ている……」、そんな風に感じられて……。


「約束が、あるから……」


 その優しく響くうたのような言葉を聞いて、確信した。

 シャフイザが何を思っているのか……、完全に気づけた。


(私が大切にしている〝絆〟を、私と同じくらい……いえ、私以上にこの人は大切に思ってくれている……)

(この人は、あの時と何も変わっていない)


 そう思えるのは、本当に、本当に、幸せなことで……。

 胸の奥が温かくなって、少しだけ泣きたさも込み上げ来た。


 でも、今は感傷に浸っている時ではない。


「じゃあ、失礼します」


 そう言って、〝次に〟向かって歩き出したシャフイザに続いて、英二に形だけのお辞儀をして着いて行く。


「相変わらず、人の痛いところをズバッと突いて来る人だな。でも、来シーズンの終わりには、さっきの言葉は全部取り下げさせてやるさ。そのためには、まずはおまえが決めないとだからな……やってやろうぜ!」

「はい」


 再会してからずっと胸の中にあった、英二に対する感情はここできっぱり整理できた。

 自分の中にある全てが、次のレースに集中していくのが分かる。


 次のレースは、これまでのレース人生の中でもっとも厳しい戦いだ。

 でも、もう揺るぎはしない。

 シャフイザは、レースに勝つための「マジック」を幾つも持っているドライバーだ。それを生かして、シェステナーゼの性能をしっかりと引き出すことができれば――――表彰台登壇は不可能じゃない。


(そうだ。だから、もっと、もっと、気持ちを強くして、今度こそ……大一番で結果を出すんだ!)  


 心の中でそう誓った夢兎は、決然とした表情で向かう先を見つめると、ぐっと右の拳を握りしめた。


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