最速の世界 6
●「前回のあらすじ」
父・英二の挑発に心を乱しながらも、シェステナーゼと協力し初テストに臨む夢兎。
シェステナーゼの積極的なサポートによって、一定のパフォーマンスは示したものの……。
その内容は表彰台を争うレベルには程遠く。早くも、目標達成に暗雲が立ち込め始めた。
現地時間、午後四時過ぎ。
シルバーストーンの空を、英国特有の鉛色の雲が覆いはじめた。
日没近くにこうなると、必ず一雨来るのが英国のお約束だ。チームはそのことを考慮し、予定を繰り上げて夢兎のテストを終了した。
サーキット総周回数、82Lap
予定されていたメニューを全てこなすことはできなかったが、夢兎は大きなアクシデントを起こすことなくLapを重ね、無事にテストをやり遂げた。
しかし、初めての本格的なテストで心身共に消耗したのだろう。
マシンを降りると、腰に手をついてしばらく動けず。一休みした後も足もとがフラついていた。
夢兎は「問題ありません」と強がっていたが、チームは予定を変更。
テスト後に行われる予定だったテクニカル・ミーティングは、後日行われることとなった。
(チームの判断は当然だ。……しかし、予想できていたとはいえ、実際に数字を見ると厳しいな……)
夢兎のテスト内容を振り返ってそうごちると、シャフイザは馴染みのメカニックに声をかけてピットガレージの奥へと下がった。
と、そこで。
「お疲れさま。壬吹さんの走りはどうだったのかしら?」
パーテーションで仕切られたバックスペースの途中で、ピットの裏側からやって来た女性に声をかけられた。
うりざね顔に柳腰。背筋がピンっと綺麗に伸びた、知的な雰囲気を持つこの女性は――――
「しおりさん、珍しくゆっくりッスね。もうテスト終わっちゃいましたよ」
「そうみたいね。大事なテストだったから、本当は通しで見たかったのだけど……」
「だけど?」
「〝どっかのエースドライバーさん〟がクラッシュしちゃって、次戦日本GPに出られなくなっちゃったでしょ? だから、スポンサーへの謝罪回りへ行っていたのよ。大変だったわ……」
「どぅはっ! お、お疲れさまです! この度は、やらかして本当にすいませんしたっ!!」
「殊勝な態度でよろしい。でも、次やったら〝大〟減俸にしますから。忘れないように」
「……ふぁい」
しおりに笑顔で睨まれると、シャフイザは反省しきりの態度でそう返した。
Velo Trophyの名門、シェッフェル・エッフェルのチーム代表――――美雲しおり。
全チーム唯一の女性代表であり、生き馬の目を抜くVelo界で、何度もライバルたちを出し抜いてきた辣腕家だ。
壬吹本社からの転向組なのでレースやマシンに対する専門知識は持ち合わせていないが、組織運営、企画調整、事務処理は達人級。
他のトップチームのように、本社からのサポートを十分に受けていない資金不足のシェッフェルがトップチームの地位を維持できているのは、このチーム代表の手腕によるところが大であると言われている。
「……で、どうだったの? 壬吹さんの走りは」
念を押すように同じ注意を二度繰り返したところで、話が本題へと戻った。
「テスト直前に父親と会ったせいか、序盤はかなりナーバスになっていました。後半はペースも安定して、シェステナーゼともいいコミュニケーションを重ねていたようですが……」
「良い結果ではなかった、と?」
「ええ。大きなトラブルはありませんでしたが、同じコンディションで俺が走ったシミュレーションタイムから〝1Lap3秒〟も遅かった。おそらくレースでは、上手くいっても10位圏内に入るのがやっとでしょう」
「そう……。でも、次の最終戦まで時間はまだある。改善できるわよね?」
「……ええ。当然上げていくつもりです」
前向きに答えたが、歯切れは悪くなった。
時期尚早、準備不足、高すぎる目標……。
考えれば考えるほど、「今回は夢兎ではなく他の違うドライバーを起用すべきでは?」という答えに近づいていってしまう。
だが。
そのもっとも合理的な答えを振り切って、無茶をやらなくてはいけない理由があるのだ……今回は。
「……言葉とは裏腹に思い詰めた顔ね。今回夢兎さんを起用する件、まだ反対なの?」
「このデビュー戦の話をはじめて聞いた時も言いましたけど、俺の本音はそれですから……」
「『夢兎に無茶はさせたくない』……よね?」
「まあ……まぁ」
「……ふふっ」
「ん?」
「ふふっ。ごめんなさい、真面目に言ってるのに笑って。でも、あなたって普段はぞんざいに扱ってるけど、本当に夢兎さんのことを可愛いのね」
「どっ!?」
「羨ましい。私もそこまで思ってくれるお兄さんが欲しかったわ」
「……そういうことは、面と向かって言わないでくださいよ。怒りますよ、しおりさんでも……」
茶化されたので口を尖らせて、拗ねたような口調で返す。
すると、しおりは口元を押さえてくすくすと笑い続けた。
しおりは「カワイイ」と言われるのが嫌いなので、「お上品で年上カワイイ」とか言ってやり返しやろうかと思った。
けど、何故かマジで怒られるので思うだけにしておいた。
そうして一間置くと。
しおりは再び緊張感のある雰囲気を取り戻し、今回の夢兎のデビュー戦の重要さを再確認した。
「今回の夢兎さんの〝デビュー戦・表彰台獲得〟という目標は、現実的に考えれば無謀。そもそも、彼女のデビューが時期尚早ということも、重々理解しているわ。……けれど、このデビュー戦の話をした時に言ったとおり、本社の『シェッフェル・エッフェルのVelo撤退論』が本格し、スポンサーとの契約交渉も難航しているチームの現状を打開するためには……〝女性ドライバー〟という大きな〝商業価値〟を持った彼女の力が絶対に必要なの」
モータースポーツは性別の分け隔てがなく、女性が男性と同じステージで戦うことができる代表的なスポーツだ。
それゆえに女性ドライバーは、「肉体的に優れた男たちに挑戦する、強い女性の代表」という高い広告価値を持っており、当然スポンサーにも人気が高い。
世界最高峰の自動車レース『Velo Trophy World Championship』で戦う女性ドライバーとくれば、値千金。
撤退問題が間近に迫った資金難のチームが、この話を放っておけるわけがない。
「はい。チームの現状は理解しています。夢兎もそれは分かってるみたいで、もう「今回のデビュー戦は準備不足過ぎる。諦めろ」って言える雰囲気じゃないですから。それに……」
「それに?」
「チームがここまで苦しい状況になっちまった責任は、俺にありますから……」
そう言うと、しおりが「それは違うわ。背負い込み過ぎよ」と言って首を横に振った。
労わってもらえるのはありがたいが、自分の中でこの自責の気持ちは深く刻まれているものだ。
そう思うと。
前戦のクラッシュだけでなく、ここ数年の自分の至らなさ、不甲斐なさが脳裏に浮かんできた。
一昨年の2024年シーズン(全12レース以下同じ)は――「5勝11PP、ドライバーズチャンピオンシップランキング・2位」
去年の2025年シーズンは――「3勝8PP、ドライバーズチャンピオンシップランキング・3位」
そして今年、2026年シーズンは――「1勝4PP、ドライバーズチャンピオンシップランキング・3位 (現時点の順位)
ここ数年のシェッフェルは、「予算的に厳しく、劣勢のマシンにもかかわらず良く戦っている」と、ファンや関係者からは評価されている。
だが、裏を返せばそれは。王者獲得の可能性がありながら、ドライバーである自分の最後の一押しが足りなかったということでもある。
今年だってそうだ。確かに今季のシェッフェルのマシンは、競争力の高いなマシンではなかった。
しかし自分がもう一踏ん張りすれば、ここまで酷い結果にはならなかったはずだ。
「……シャフイザ」
「……ん」
「シャフイザ、考え過ぎよ」
自分の至らなさ、不甲斐なさを思い出して視線を伏せていると。
柔らかな声で、しおりが自責の渦から引き上げてくれた。
そうして、昂ぶったこちらの気持ちを落ち着かせるように微笑むと、言葉を継いだ。
「私たちシェッフェル・エッフェルが、トップチームよりも大きく見劣りする活動資金で戦えているのは、あなたのおかげなんだから。そんなあなたが、そこまでの責任を感じることなんてないの」
「ありがとうございます。でも……」
「でも、じゃない。責任を感じなくちゃいけないのは、むしろ私の方なんだから」
「……しおりさんが?」
「ええ。レース経験があるトップなら、もっとチームを機能的にして、無茶しなくても戦えるようなマシンをあなたに与えられていたはずよ。だから、今回のことで一番責任を感じなくちゃいけないのは、私の方」
「しおりさんの責任って……それはないでしょ? 本社から撤退チラつかされているような不安定なチームに、毎年これだけの予算を確保してくるチーム代表なんて、しおりさん以外にはいませんよ」
そう言うと、しおりの顔がパッと輝いた。
「ありがとう。そこまで私の気苦労がわかってくれているのなら……来季の減俸、受けてくれるわね?」
「ムハッ! すごいところに話が飛んだ! そ、それとこれとは話が違うッスよ! ってか、他のトップドライバーに比べたら、俺の給料とかポケットマネーのレベルじゃないッスか!? それをこれ以上下げるってのはいくらなんでも……」
「ポケットマネーレベルって……ヒドイわ。あなたへの給料を払うために、私は足を棒にして営業活動してるっていうのに……」
「し、しおりさ~ん!」
「ふふっ。とにかく、責任を一人で背負い込まむのはやめなさい。あなたの悪いクセよ」
「……はい」
(珍しく茶目っ気あるなーと思ったら、気を遣って一ふざけ打ってくれたのか……。さすが、ウチのチーム代表は違うわ)
胸の内で感心していると、しおりは間を取るようにその場で小さな円を描くようにくるりと一回りした。
そして、表情を引き締め直すと、一直線にこちらを見据えてきた。
「ここ数年、私たちは、ライバルたちとの予算の差を勤勉さでなんとかカバーして戦い続けてきた。……でも、それももう限界。今季の終わりには、また主要スタッフを何人か引き抜きされるだろうし。このまま行けば、来季もまた敗北を繰り返すことになる」
「ん……」
「そうなれば、本社の撤退話はさらに加速してもう止められくなる。だから……手を打つなら今しかない」
断固たる決意の元から発せられる強い声が、胸に響く。
顎を引いて、チーム代表の言葉に集中する。
「次のレースは、チームの未来を決める分水嶺になる。ここでエースであるあなたが先頭を切って夢兎さんのデビュー戦を成功させれば、チームも一気に活気づくわ。そうなれば、今季の不振も完全に断ち切って、来季の戦いに臨める」
しおりの目が、物事を決めに行く時の目。
相手を射抜くような真っ直ぐな目に変わる。
「あなたは、シェッフェル・エッフェル史上最高と謳われる〝エースドライバー〟。この窮地を脱して、ウチに四半世紀ぶりのドライバーズチャンピオンを持ってこられるのは……シャフイザ・クライ。あなたしかいない」
「……!」
「シェッフェル・エッフェルの未来を繋げましょう。あなたと夢兎さんならきっとできるから……だから、自信を持って進んで」
チーム代表の全力の鼓舞は、いつ聞いてもいいもんだ。胸に響く。不安が消える。
(そうだ! やるしかねぇよなっ!)
そう心の中で強く相槌を打つと。
「……はい! 不安になってるところ見せてすいませんでした。後は任しといてください」
俯いていた顔を上げ、意を決した表情でしおりを見返す。
するとしおりは、口角を上げて満足そうに頷いた。
「ありがとう。じゃあ、夢兎さんのことは頼むわね」
「はい。腹括りましたから。その代わり、多少のワガママは聞いてもらいますよ」
「ええ。ヘソクリ使ってなんとかするから、何でも言ってちょうだい。……じゃあ、マーケティング担当とのミーティングがあるから。あとのことは、お願いね」
話が片付いて次のスケジュールに頭が移ったのか、しおりは口早にそう言うと、再びピットガレージの奥へと消えていった。
切り替え早すぎぃ! と思わないでもないけれど、忙しい人だからしょうがない。
「敵わないよな、あの人には……」
口元を綻ばせてそうつぶやくと、シャフイザは宙を見て考える。
この状況で、夢兎のデビュー戦を成功させるのは正直難しい。
だが、もうそんなことは言っていられない。今季の不振で失速したチームの勢いを取り戻すためにも、ここは一発――
「カマすっきゃない、よな」
今回のテストに対するシャフイザの腹は、ここで決まった。