最速の世界 4
●「前回のあらすじ」
チームのファクトリーに到着した夢兎は、そこでデビューレースを共に戦うAI「シェステナーゼ」と初対面した。
シェステナーゼは、ドライバーをサポートしマシンの戦闘力を上げる強力なパートナーだ。
しかし、彼の性能を発揮させるためには、ドライバーにも相応の「力」が求められる。
不安になる夢兎。そんな中、夢兎とチームの「最大の敵」がファクトリーにやってきた。
マシンのコックピット調整を手早く終わらせた夢兎は、ファクトリーの第二・応接室で〝招かれざる相手〟が到着するのを待った。
室外で行われている清掃作業の音が、時折聞こえてくる中。
中央の丸テーブルの末席に浅く腰かけた夢兎は、藤色の瞳を部屋の一角へと向けた。
ここはシェッフェル・エッフェルの創設者である「壬吹誠十郎」――――〝祖父〟の名前がつけられた一室だ。
だが、これまでの部屋とは異なり壁の一部は色あせていて、調度品も年季が入っているものが多い。
先ほどまでいた場所――スポンサーを招くメインの施設は洗練されているのだが……。シェッフェルのファクトリーは、正直に言えばここの様にくたびれている場所が多い。
自分は愛着を持っているので気にはならないが、Veloのトップレベルで戦う資金力が足りていないことは、こういうところからも見て取れる。
――――『名門崩壊!? 本社の経営不振により、シェッフェル・エッフェル撤退か!?』
再びネガティブなフレーズが脳裏をよぎり、慌てて頭を横に振る。
認めたくはないが……チームの置かれている状況は、この一年でより一層厳しくなった。
シェッフェルを保有する『★壬吹』本社でもシェッフェル撤退の議論が本格化し、場合によっては来年早々にも正式発表があるのでは……? などという噂も流れている。
でも、それでも。
その苦境の中、シェッフェルの人たちは日々頑張っている。
残業はもう当たり前で、限られたリソースを無駄なく使うために知恵を出し。それでも足りない時は、スタッフたちが部署をまたいで互いに互いをフォローして助け合っている。
今、部屋の外で清掃作業をしているスタッフたちも、本来はケータリング部門の人たち。
専門のハウスクリーニングを頻繁入れられないチームのために、清掃作業をかって出てくれているのだ。
小さな頑張りをみんなで積み上げて、シェッフェルの人たちは頑張っている。
四半世紀近く手にしていない、悲願の「王者獲得」を目指して。ただひたむきに走り続けている。
ここに来るたびに、その姿を見てきた……。
だから、だからこそ……!
「夢兎お嬢さま、お待たせしました。統括本部長が大間でお待ちです。ご案内致します」
心の中で強い言葉を打つと。
一間置いて入口の扉が開き、父の秘書が迎えにやってきた。
シェッフェル・エッフェルの本社――壬吹株式会社の要職にある父は、「Velo撤退派」であり、「Velo継続派」であるチームや私とは真逆の立場にある。
父は、娘といえど容赦をかけるような人間ではない。
おそらく、この大事なテストの前にプレッシャーをかけて潰してやろうという魂胆で来たのだろう。
それがわかっている以上、こちらの対応は決まっている。
(下手な挑発には乗らない。嘲りも嫌味も全部無視。何を言われても受け流して、できるだけ早くシャフイザさんたちのところへ戻ろう)
そう決めて、ささくれだった心を落ち着かせると。
夢兎は秘書に続いて歩き、ファクトリーの中心部にある大間へと移動した。
* * *
扉の前で秘書が立ち止まると、扉を開けて室内に手をかざした。
私は秘書におじぎして礼を言うと、一つ息をはいて、部屋へと入った。
部屋に入ると、眩い光りが視界を覆った。
部屋の奥がすべてガラス張りになっているので、陽光がよく取れるのだろう。目を細め、手をひさしにして部屋の中へと進んでいく。
すると、部屋の奥からやや籠もった男性の声が聞こえてきた。
「三ヶ月ぶりか……。最近はこのような間隔で会うことが多くなった。仕事にかまけて家人としての役目を果たせていない私が言うのも何だが、もう少し父娘の時間を増やしたいものだな」
夢兎の父・壬吹英二は、部屋の一番奥のガラスウィンドウを背にして立っていた。
その容姿は、シャフイザの顔とは違う意味で〝異形〟だ。
短い鶏冠に細い目、鋭く尖った顎……まるで中世のヨーロッパ騎士が被るような仮面兜を被り、2m近い巨躯には、詰め襟型のスーツを身につけている。
正気を疑うような格好だが、これは英二が常用している服装だ。
こんな身なりで、よく世界に名だたる自動車メーカーの執行役員を務めていられるなと思う。
世界広しといえど、こんなヘンタイ染みた格好で出社している人間は他にはいないだろう。
本人を前にすると、嫌悪感が一気にせり上がってきた。
しかし、ここで険悪な状況になってもこちらに得るものは何もない。
もう一度自分に向かってそう言い聞かせると、夢兎はできるだけ平静な声で尋ねた。
「用件は何ですか? 時間がないので手短にお願いします」
「久々の父娘対面だというのに、冷淡なものだ……。十代のおまえに親孝行を求めたりはしないが、一人娘に嫌われ続けている父親の傷心というものに、少しは想像の翼をはためかしてほしいものだ」
「その言葉はそのままお返しします。年がら年中、そんなトチ狂った格好でいる父親を持った娘がどんな気持ちでいるのか……少しは想像力を働かせて欲しいものです」
棘のある言葉が混じったが、夢兎は感情を抑えて言葉を返す。
すると英二は、やや呆れたように鼻を鳴らし、仮面兜を被っている理由を口にした。
「この仮面は、〝シェッフェル・エッフェルのチーム代表を務めていた〟私が、本社・経営陣の本意を理解し、『Velo継続派』から『Velo撤退派』へ転向した証として被り続けているものだ。レースへの未練を断ち切るための『ケジメ』なのだと、前から言っている。おまえにとっては迷惑な話ではあろうが、創業者一族には背負わなければならぬ〝業〟というものがあるのだ」
もう何度と聞いた説明であり、聞けば聞くほど呆れた話だが、これは紛れもない事実だ。
もともと英二は、シェッフェル・エッフェルのチーム代表を務めると同時に、日本人ドライバーの強化にも取り組んでいた。
言うなれば、日本のモータースポーツ界とVelo Trophyを繋ぐ第一人者だった。
しかし、9年前に突然代表職を辞すると、本社・壬吹のMS部門の統括本部長に就任。
以来、前職とは真逆の仕事。MS部門の縮小に取り組み、シェッフェルのVelo撤退を推し進めている。
共に働いたシェッフェル・エッフェルの面々や日本のモータースポーツ界で働く人々からすれば、「裏切り」ともいえる変節ぶりだ。
だが、英二本人は「創業者としての本道に戻ったにすぎない」と述べ、自分に対する批判を一顧だにしていない。
そんな父親のせいで、夢兎も同業者から間接的に嫌がらせを受け、とばっちりを食ってきた。
……でも、今はそんなことはどうでもいい。
一刻も早く明日の準備に取りかかるべく、夢兎は急かすように再び尋ねた。
「そうでしたね。でも、そのトンチキな格好のことなど、私にはもうどうでもいいことです。……用件は何です?」
「フッ、にべもない。私はただ、おまえの顔を見るついでに、おまえの今シーズンの成績を労ってやろうと思いやって来たのだ」
やや芝居がかった口調でそう言うと、英二は見下すような響きを交えて言った。
「Pacific Trophy 年間総合順位『2位』おめでとう。去年参戦したシリーズは3位、その前も3位だったか……。申し分のない素晴らしい成績だ。『最も優れた敗者』を演じるのはお手のものだな」
「ッ……!」
『Pacific Trophy』は、Velo Trophyを目指す若手ドライバーたちが集う登竜門的 選手権。
今季、夢兎はその選手権に参戦していたのだが、期待されていた王者を手にすることはできなかった。
いや、今季だけではなく。英二の言うとおり、ここ数年夢兎は、参戦した選手権で王者を獲ることができていない。
シャフイザやシェッフェルの人たちはレース内容を評価してくれているが、これは明確なマイナスポイントだ。
煽られたことで、不甲斐ない気持ちが一気に胸に広がっていく。
しかし、ここで申し訳なさそうにしたり弱気な顔を見せたら、この人は一気につけあがってくる。
英二の性格を理解している夢兎は、英二から視線を外さず、逆に毅然とした態度で見返した。
「私は事実を言っている。怖い顔をされても困るな」
会えばいつもこうして煽られる。
嫌いな人間に小馬鹿にされることほど、気を逆撫でられることはない。
でも、今日は我慢だ。反論して無駄なエネルギーをつかいたくない。
それに、仮にもこの人は壬吹のMS部門の責任者。揉めれば、どんな横やりや言いがかりをつけられるかわかったものではない。
夢兎は言い返したい気持ちをぐっと抑え、気が落ち着いたところで口を開いた。
「シェッフェルのバックアップを受けているにもかかわらず、ここ数年、王者獲得を逃していることは謝罪します。ですが、シェッフェルの方々からはレース内容は悪くないという評価をもらっています。詳しい話は年末に行われる報告会で。……お話はそれだけでしょうか? 他にないのでしたら、明日の準備に入ります」
「付け焼き刃の準備などして何になる? ジュニアカテゴリーの王者にさえなれないようなドライバーが、準備不足の状態で好成績を収められると本当に思っているのか? 私が言うのも可笑しいが、世界最高峰の自動車レースであるVelo Trophyも舐められたものだな」
「ッ!? そんなことは……」
失笑混じりにそう言われて悔しいが、王者を獲れていない以上返す言葉がない。
夢兎が苦々しい表情を浮かべてうつむくと、英二は気をよくしたように顎を上げ、追い打ちをかけるように語気を強めた。
「そもそも今回の抜擢は、おまえの実力が正当に評価されて成されたものではない。シャフイザ・クライの代役におまえが選ばれたのは、Veloからの撤退に反対する『Velo継続派』の思惑が働いてのことだ。政治的な意図によって分不相応に選ばれたにもかかわらず、あたかもそうでもないかのように振る舞うおまえの愚かさは、さすがに親として恥ずかしい」
そこまで言って一間空けると、英二は夢兎に視線を当てたまま、ゆっくりと歩き出した。
「壬吹は今、大きな節目を迎え、舵を今までとは違う方角へ向けようとしている。……Veloへの参戦は、確かに自動車メーカーにとって大きなコマーシャル効果をもたらす。しかし、Veloの年間予算は高騰の一途を辿り、トップチームの年間活動費は、日本円で年間1000億円を超えている。しかも、Veloのコマーシャール効果は高級自動車やスポーツカーが主であり、販売の主力を軽・中量クラスの販売車に移行している壬吹にとっては、効果的な投資先とは到底言えん。経営難に差し掛かり、新しい方向性に踏み出そうとしている企業がこれを維持して何となるか」
英二は諭すような口調で話しながらゆっくりと一回りすると、元の位置に戻って再び夢兎を見据えた。
「創始者一族のおまえが、こうした状況下でシェッフェルに関わるべきではない。おまえも、もう今年で18だ。こういう大人の話を理解してしかるべき年齢だ。今回は聞き分けて下がりなさい。それが、おまえにとっても賢明であろう」
英二の言うとおり、本社の事情は壬吹の創始者一族である夢兎にも無視できない話である。
英二のことは嫌いだが、創業者一族としての自覚は夢兎にもある。
シェッフェルの本社である★壬吹の経営状況を改善するためには、抜本的な改革が必要であることも理解している。
しかし。
その手段として真っ先に、何故シェッフェルがやり玉に挙げられているのかが理解できない。
今シーズンこそ不調に終わったものの、ここ数年、シェッフェルはエースのシャフイザを中心に結束し、毎年のように世界王者を争ってきた。
壬吹本社のチームに対する予算が他のトップチームの〝半分以下〟であることを考えれば、これは破格の結果。それを、毎年のように出して来たのだ。
にもかかわらず、何故本社の投機的なプロジェクトには手をつけず、まず「Velo撤退→Veloの参戦権や施設売却」の話が優先されるのか……全く理解できない。
本社の経営陣の意見はまだ、Velo撤退で一致しているわけではないと聞いている。
経営陣の意見が一致せず、まだ決定事項となっていないのであれば、Velo継続に向けて頑張りたい。
それが、自分の……いや、エンストーにいる人々の総意だ。
お婆さまをはじめ多くの人たちが愛し、ここまで自分のキャリアを支え続けてきてくれたシェッフェル・エッフェルの名を、Veloから消したくない。
伝統あるシェッフェルの名を、再び王座に就かせる……その夢を、捨てたくない。
その気持ちを胸の内で握り締め直した夢兎は、大きく息をつくと、今考えたことをそのまま英二に伝えた。
しかし。
その夢兎の言葉を、英二は子供の意見だと言わんばかりにばっさりと切り捨てた。
「シェッフェルが、ここ20年来王者を獲れていない事実に変わりはない。〝世界王者獲得〟――――それがあるとないとでは、丸で話が違うのだ。多額の出資と企業の面子がかかったVeloにおいてわな」
「ッ……!」
勝利こそが、全て……。
それを言われると、言葉に窮してしまう。
英二は勝ち誇ったように鼻を鳴らすと、視線を彼方の方へと向けた。
この大間には、シェッフェル・エッフェルが今期使用しているマシン――「RS4/27」の画像を再生している大型のデジタルフォトフレームが壁にかけてある。
少しの間、そのフォトフレームに目を見やると、英二は腰の後ろに手を組み、更に言葉を継いだ。
「そもそも、現在のシェッフェルには我々の期待する戦績……世界王者獲得を成し遂げるだけの戦力がない。ここ数年、ライバルである王者『レ・ジュール』に何とか食い下がってきたが、それはシャフイザ・クライとシェステナーゼの力によるものであって、シェッフェルのマシン自体は決して競争力が高いではなかった。そして今期は、そのコンビを持ってしてもたったの1勝しか挙げることができなかった。年々活動資金が落ち、他チームから有力スタッフの引き抜きにあっている今の状況では、事態を好転しようもない。……これ以上衰え細り朽ち果てていくくらいなら、いっそ名門らしく力を残した状態で歴史の中に名を移した方が良いと、私は考えるが」
シェッフェルの現状を突きつけられ、ぐっと息を呑む。
英二の言葉は一理ある。シェッフェル・エッフェルは下降線を辿っており、今期に至っては最後まで王者争いに残ることさえできなかった。
あまり考えたくはないが、来期はさらに苦しい戦いを強いられる可能性が高い。
それを考えると、ボロボロの姿を晒す前にVeloを去るということも一つの選択肢だろう。
しかし。
(シャフイザさんも、エンストーの人たちも……そんなことは微塵も考えていない! みんな、お婆さまの夢を……、自分たちを立派なグランプリボーイズに育ててくれた元チームオーナーの悲願を達成するために頑張っているんだ。だから……だから、私は!)
心の中で力強く逆説詞を打つと、夢兎は瞳に力をこめて一歩前に進み出た。
そして、口を開こうとしたのだが……、その前に英二が言った。
「状況は理解している。しかし、自分のやり方を変えるつもりはない……、という顔だな」
「え……? ええ、そうです」
「それも、シェッフェル・エッフェルのためか?」
「……? む、無論です」
英二の問いに、ざらりとした嫌な感覚を覚え、無意識に右手を胸に当てて身構えた。
英二は一つため息をつくと、「信じられない」と言わんばかりに頭を横に振る。
「痴夢に侵されたロマンチストたちの言葉を、ここまで信じ込むとはな……我が娘ながら情けないものだ」
「――――ッ!! な、なにをっ!?」
「おまえのお婆さまは、生前も創始者一族であることを盾にし、本社側に〝シェッフェル・ファースト〟を求めてくるエゴイストであったが。ここにいる人間たちは、その薫陶を良く引き継いでいると見える。現実を見ようともせず、他者の有り金を当てにして夢を追い続けるなど……正気の沙汰ではない」
「なっ! バ、バカなことをッ! お婆さまをそんな風に言う人など、聞いたこともありません! シェッフェルの人たちもです!! 本社の壬吹からの出資が小さいものでないことはわかっています。でも、その負担を少しでも抑えようと、シェッフェルの人たちは経済的にも必死に努力してきました! それが出来ているからこそ、他のVeloのトップチームよりも圧倒的に少ない活動資金で王者を争うことができているのです! かつてこのチームの代表を務めていたあなたが、それを分からないはずがない! にもかかわず、そんな愚弄…………取り消してください!!」
自分が侮辱されるのはまだ我慢できる。
でも、お婆さまやシェッフェルの人たちのことを侮辱することだけは絶対に耐えられない。許せない。
はらわたが煮えくり返るような気持ちをそのまま視線に乗せて睨みつけると、英二はそんな夢兎を嘲笑うように大きく肩をすくめた。
「主観の相違だな。少なくとも、本社側から見るお婆さまやおまえたちは、そういう人間にしか見えんということだ」
「取り消しなさいと言っています!」
「お婆さまやシェッフェルに対する私の存意を変えたいのであれば、結果を示せ。おまえがVeloで成功し、壬吹に役立てる人間とわかれば、私はおまえたちに潔く謝罪しよう。……まあ、どんな奇跡が起きようと、ジュニアカテゴリーでさえ勝ち切れんおまえにそれができるとは思えんがな。フッフッフッ……」
怒りの炎を燃え盛らせる夢兎の横を抜けると、英二はそのまま大間を出て行った。
一瞬、追いかけていって先ほどの言葉を取り消すまで言い合ってやろうかと思ったが、時間の無駄だと気づいてやめにした。
(…………落ち着け。今のカッとした状態でマシンに乗ったら、全てがムチャクチャになってしまう。とにかく結果を出すことに集中して、今は、今だけは我慢して……)
恩人や仲間たちを侮辱され、湧き上がってきた積年の怒りに飲まれかけたが。夢兎はキレる寸前のところでなんとか持ち直すと、深く息をついて大間を後にした。
しかし、因縁のある敵が仕掛けてきた挑発を完全に無視することはできず。
夢兎は、心の中に大きなしこりを抱えたまま、大事なテストに挑むことになった。
ドマイナージャンル&低ポイントの拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます!
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