最速の世界 3
●「前回のあらすじ」
世界最高峰の自動車レース『Velo Trophy World Championship」。
シェッフェルはその名門チームであり、エースのシャフイザ・クライは《歴代最速》と謳われる実力者だ。
しかし、他のトップチームと比べ資金力の弱いシェッフェルは、Velo撤退の危機を迎えていた。
窮地にあるチームの力になりたい夢兎は、まず戦いを共にするパートナーに会いに行った。
精密機器を扱うのに相応しい塵一つない清潔なスペースに、規則正しく配置されているボックスケース。
天井には真下の人々を照らす大型ヘッドライトディスプレイ。作業スペースも豊富で、優に10台以上のマシンが同時に作業できるようになっている。
シェッフェル・エッフェルの作業場に来たのは、これで三回目。自動車メーカーの新車工場もかくやという設備だ。
内心のるんるん気分を出来る限り隠しながら作業場の奥へ進んでいくと、一番奥の一角に人が集まっているのが見えた。
「やあ、お嬢さん! また会えて嬉しいよ」
「久しぶり、夢兎! こんなに早くデビュー戦の機会が来るなんて……アンタ、持ってるじゃないか」
「お久しぶりです。お世話になります」
シェッフェルの馴染みのスタッフたちと再会の挨拶をすると、その場にいた残りのメカニックたちとも挨拶を交わした
シェッフェルのファクトリーには何度か来ているので、顔見知りのスタッフも多い。
みんな、フレンドリーな人たちなので、自分を妹や娘のように思って接してくれる。
簡単に挨拶を済ませると、明日から使うマシンのシートポジションとコックピット環境のチェックに入った。
ヘッドライトの下に鎮座する、白銀のフォーミュラ・カーへと歩み寄る。
「きれい……」
フロントノーズの先を一撫ですると、思わず感嘆の声が漏れた。
間近で見るのはこれがはじめてではないし、イベントのデモンストレーションランで実際に走らせたこともある。
でも、何度見ても、Velo Trophyを戦うマシン――『|Velo Voiture』は美しい。
車高は地を這うくらいに低く、貴婦人の鼻のようにつり上がった車体前部と、競走馬の太もものようにマッシブに絞り込まれた後部のコンストラクトは、いつ見ても芸術的だ。
歴史ある白銀のカラーリングもすごくいい。
見慣れない不思議な輝きを放つこの白銀は、見続けているとなんだか吸い込まれそうな気分になってくる。
この世のものとは思えない非日常的な形状と色彩。まるでおとぎの国の魔法のクルマ。
そんなマシンでレースできるのかと思うと、胸の高鳴りがどんどん大きくなって昂ぶっていく。
「夢兎、乗り込んでもいいぞ。アイツと早く話したいんだろう?」
「えっ? ……あ、そうでした!」
「ん? なんだぁ? 素っ頓狂な声出して」
「わっ、ごめんなさい。感動していたから、つい……」
気分に浸り過ぎて、肝心なことを忘れていた。
少し気恥ずくなってうつむくと、コクピット脇のスイッチを押してキャノピーを開いた。
コックピットに潜り、スカートを抑えながら、腰を捻って下半身をコックピットの中へ押し込んでいく。
調整中だったようだが、意外とすんなり身体が収まった。
「何度乗っても、これは……」
コックピットを左から右へゆっくりと見回すと、思わず感嘆の声が漏れた。
コクピットは、腕の可動スペースが限られるほど窮屈で、快適性は皆無。
けれど、|Velo Voiture特有の装備――操作系のダイヤルやボタンが多数配置されたステアリングや、戦闘機が採用しているHUDのように、内側に画像を投影しているキャノピーを見ていると、いやが上にも気分が上がっていく。
「うん、いい……!」
もう十回近く乗り込んでいるはずだが、このコックピットはその度に感動を与えてくれる。
|Velo Voitureは、本当にすごいマシンだ。
「って、また呆けてしまって……。えっと、マニュアルで呼び出すのかな?」
気を取り直すように首を振ると、夢兎はステアリングについているメニューセレクトボタンに手を伸ばした。
だが、その前に。
「ゴキゲンヨウ、Lady」
「ッ!」
突然、声をかけられた私は、跳ねるように視線を上げた。
すると、前面のキャノピーが短く光り、その一角に幾化学模様の画面が表示された。
目を瞬いて驚く。けれど同時に、すぐに背筋を正した。
会いたいと思っていた相手が、現われたのだ。
「登録サレテイルdriverトノ認証ヲ行イマス。コミュニケータースクリーンニ顔ヲ近ヅケテ、何カ喋ッテクダサイ」
「コミュニケータースクリーン……? ああ。は、はじめまして、シェステナーゼさん」
「pp……照合確認。貴方ヲ登録サレテイルdriver、壬吹・ハーグリーブス・夢兎ト確認シマシタ」
音声を発する度に、幾科学模様が中心から緩やかに波立っていく。
夢兎は、この人工AIとの近未来的な邂逅を楽しみにしていた。いろいろなことを話してみたいとも思っていた。
でも、いざ会ってみると。何から話していいのか戸惑う。
「コチラコソ、ハジメマシテ夢兎。私ハ、シェッフェル・エッフェル『RS4/27』ノ車体制御機能ヲ司ドル人工AI――『シェステナーゼ』。話ハスデニ聞イテイル。コレカラ始マル、君トノ|partnershipヲ歓迎スル」
「ええ、よろしくお願いします。シェステナーゼさん」
「私ニ敬語ハ必要ナイ。私ハ君ノ、partnerニナルノダカラナ」
「シェステナーゼ……。はい、1レースだけだけど、サポートお願いします」
「ン、心得タ。コノ|partnershipガ、素晴ラシイ結末ヲ迎エラレルヨウ、私モ全力ヲ尽クソウ」
夢兎の言葉に対してそう答えると。シェステナーゼのコミュニケータースクリーンに、花火のようなものがパーンと広がった。
きっと歓迎するという感情を、カレなりに表現してくれたのだろう。
カレこそが、夢兎が会うのを楽しみにしていた相手。
シェッフェル・エッフェルのマシンを象徴するシステム――対話型・ドライバー支援インターフェイス「シェステナーゼ」だ。
シェステナーゼは、可変エアロパーツやW.I.M.Sの登場によって複雑化したVelo Voitureの制御を簡略・強化するために、シェッフェル・エッフェルがパートナー企業である『ネリィ・プライド社』と共同開発したナビゲーションシステムの総称だ。
シェステナーゼは、ドライバーが感知しきれない極微少な情報もセンサリングし、常時あらゆる情報を収集、解析、提示してくれる。
言わば、人間とフォーミュラ・カーの関係を最適化するために生み出された、究極の境界面だ。
モータースポーツの最高峰と呼ばれるVeloにまさしく相応しい新技術。
……しかし。その性能を十全に生かすのは、簡単なことではない。
その証拠に、Veloチームの中でマシンにAIを搭載しているチームは、シェッフェルを含めて2チームしかない。
(……それを考えると、喜んでばかりもいられない。経験豊富なチームがサポートしてくれるとはいえ、はたして自分に、シェステナーゼを使いこなすことができるだろうか?)
考えを巡らすと、胸に不安が過ぎった。
けれど、その思いに飲まれることはなく。
(って、今更臆してどうするんだ? シャフイザさんやお婆さま、それに今まで私のレースキャリアを支えてくれた日本のみんなのためにも……ここは、覚悟を決めないと)
下っ腹に力を込めて顔を上げると、シェステナーゼのコミュニケーターに強い視線を向けた。
「夢兎、ドウシタ? 何カ考エ事カ?」
「……私にあなたのパートナーが務まるのかな? って少し不安になっていたの。何を今更って感じだけど、実際その場に来るとダメなものね。でも、もう大丈夫っ! 気にしないで」
表情を和らげてそう返すと、シェステナーゼのコミュニケーターが穏やかに波立つ。
「君ハコレカラdebut raceヲ走ルrookieダ。pressureヲ感ジルノハ当然ダ。ダガ、君ハ一人デVeloヲ戦ウワケデハナイ。私モTeamモ、君ト共ニ戦ウ仲間ダ」
「ありがとう、紳士さま。頼りにしてるわ」
おどけた調子でそう言うと、夢兎は目を細めて微笑んだ。
表情や声音から相手の感情を読み取り、人間同士と同じ感覚で会話ができると聞いていたけど。ものの数分でそれを実感できた。
シェステナーゼは、想像していた以上のものだ。
時間の許す限りシェステナーゼと話そうと思い、新しい話題を考えはじめた。
しかし、そこで。
さも不機嫌そうな声が、二人の間に割って入ってきた。
「……シェステ。おまえなんか、俺と話してる時とだいぶ態度違くねえか?」
声のした方に顔を向けると、いつの間にかコックピットの横にシャフイザが立っていた。
いつもどんな態度を取られているのかは知らないが、その表情はとてつもなく不満そうだ。
だが、シェステナーゼはそんなシャフイザの態度もどこ吹く風で、人間のように惚惚けた口調で言った。
「ン? 君ハ誰ダ?」
意外な反応に驚いて正面を見ると、シェステナーゼのコミュニケーターがマグマの表面のように荒だったものに変わった。
……どうやら、この二人はケンカ中のようだ。
シャフイザが角を合わせるように口を切る。
「ほぉぉ~~ん、そう来ます? わかりました。じゃあ、自己紹介します。はじまして、シャフイザ・クライです。職業はレーシングドライバー。今一番やりたいことは、すっとぼけてる相棒のシェステナーゼくんにヤキを入れたい、つうことです。はい」
「……ナルホド。ソノ稚拙ナ言イ回シデ思イ出シタ。ソウイエバ、私ニハモウ一人、partnerガイタノダッタナ。名前ハソウ、シャフイザ・クライ。25歳独身、参戦六年目デ王座ナシ。partnerデアル私ノ意見ヲ無視スルコトガ多ク、先日モ私ノ制止ヲ振リ切ッテ突進シ、大clashヲ演ジタ。オカゲデ私モTeamモ不完全燃焼ノママ、今seasonヲ終了スルコトトナッテシマッタ。アノclashニハ、酷ク落胆サセラレタモノダ……」
「ま~~だ根に持ってんのかよ、この粘着AIクンはよ……。だから、言ったろう? あそこは勝負しなきゃいけない場面だったって」
「勝ツタメニ、必要ナriskダッタコトハ理解シテイル。シカシ、事前ニモット相談ガ欲シカッタト言ッテイルノダ」
「あのレースは序盤から全開しまくりで、精神的に〝ガン決まり〟の状態だったんだよ。ってか、もう何回も謝ったじゃん。許してよぉ」
「語尾ニ『じゃん』ガツイテイル時点デ、君ガ心ノ底カラ反省ヲシテイナイコトハ明白ダ。私ハ、君ガマタ同ジmissヲ繰リ返スト確信シテイル」
「あのさ……。レ・ジュールの、あのぜってぇレギュレーション違反してるクソチートマシンをやっつけるために、俺がどんだけ頑張ってきたか……相棒のおまえが一番わかってんだろう。だからさ――」
「ソレトコレトハ話ガ別ダ。コノ手ノ猪突猛進デ何度墓穴ヲ掘ッテキタカ、君ハ理解シテイルノカ?」
「してるしてるしてるしてる」
「……夢兎。サッキ、私モTeamモ君ノ味方ダト言ッタガ、コノ男ダケハ頼ッテハ駄目ダ。君ハコノ男ノ幼馴染ダソウダガ、今回ハイナイモノト思ッタ方ガイイ。トイウヨリモ、早々ニコノ男トハ縁ヲ切ルベキダ」
シェステナーゼが全く冗談に聞こえない真面目な口調でそう言うと、今度はシャフイザが「違うんだよ、夢兎。コイツ、マジしつけーんだよ」と言い訳しはじめ、二人はさらにあーでもない、こーでもないと、角を突き合わせ続ける。
シャフイザとシェステナーゼは、Velo Trophyで幾度も奇跡的な勝利を飾ってきた名コンビだ。
そのせいか、「このコンビは、仲良し」という強い先入観があったので、いきなり始まった毒舌合戦に唖然としてしまう。
でも、飛び交う言葉を聞いていると、「まあ、シャフイザさんと長い時間一緒にいたら、こうなるのも当然か……」と思い直した。
シャフイザと出会ってかれこれ十年……。シャフイザの悪いところも、すごーーく悪いところもよくわかっている。
この人は根が自己中心的なチンピラ気質なので、他人への思いやりを欠くようなことをよく口にするのだ。
ついこの間も酷かった……。
学校の友人が、「トップフォーミュラの強烈なGフォースを浴び続けると、女性の胸は形が歪んでしまう」というデマをネットで見たらしく、しきりに心配されて大変だった……という話をしたのだが、それに対してシャフイザは――
「へえー。まあその話が事実かどうかはわかんねえけど、〝〝〝おまえは心配しなくても大丈夫じゃねえ?〟〟〟」
と、あたかも「辛うじてBカップのおまえが何言ってんだ……」的な呆れた調子で返してきたのだ。
長年追い求めてきた親の仇を見るような形相で睨んだので、シャフイザはすぐに失言に気づいて平謝りしてきたが、その日はもうこれ以上ないほどつんけんつんけんしまくった。
気にしてるのに、本当に酷い!!
「…………」
意識を内から戻すと、俯くようにして自分の胸を見る。
ブラウスの押し上げが、ブラジャーのパッド分しかない残念な胸を見て頬を引きつらせ、恨みがましい目をシャフイザに向ける。
思い出すと、その時の怒りが蘇ってくる。でも、この話は金輪際絶対に蒸し返したくない。
でもでも、何か一つくらい意地悪してやらないと気が収まらない。
だが、そのムカムカが、シャフイザにぶつけられることはなかった。
ヴゥーヴゥーヴゥー。
ポケットから携帯を取り出したシャフイザは、画面を見て相手を確認すると、こちらの顔を見て表情を和らげた。
「チーム代表だ、ちょっと待ってろ。……ハイ、もうファクトリーに到着してますよ」
断りを入れると、シャフイザは窓際に寄って通話相手と話はじめた。
話の流れを聞くに、どうやら急用ができて今日はエンストーに来られないようだ。
予定が乱れることはある程度予想していたので、問題はない。むしろ、早くホテルに戻れれば明日に備えてたっぷり休めるし、好都合でもある。
そう考え、これからの予定を考え始めると。
急に、シャフイザが大きな声を上げた。
「いっ!? そんな話、聞いてないッスよ!? どういうことですか?」
声に反応して視線を向けると、シャフイザと目が合った。
彼の顔には先程までの緩さはなく、動揺の色が濃く浮かび上がっている。
「そうですか。……ええ……はい……わかりました」
テスト直前の今、こちらを見てこんな顔をする状況といえば……。
そう考えると、すぐに一つの可能性が思い浮かんだ。
(私の記憶が確かなら……あの男は今、この英国にいる)
最初は半信半疑だったが、考えれば考えるほどそれしかないと思えてきた。
「……わかりました、伝えます。はい、では」
通話を切ると、シャフイザは重苦しい表情で一つ息をついた。
その彼らしくない表情を見て、自分の予測が正しいことを確信した夢兎は、意を決して先に訊ねた。
「ここに来るんですね? 〝私の父親〟が……」