反撃するために
●「前回のあらすじ」
44Lap目。入賞圏内をキープしたい夢兎は、ジャンの指示を無視して背後から来たメイに応戦する。
夢兎は懸命にブロックしにいくが、メイの鋭いブレーキングに反応できず接触。両者はそのままリタイヤとなった。
謝罪する夢兎に対し、メイは再び夢兎の実力不足を指摘し厳しい言葉を浴びせたのだった。
『志高く、前年王者の戦い方を熟知したチーム――――レ・ジュール』
開幕戦・メルボルン。
晩秋の青空の下、今年最初のトップチェッカーを受けたのは、今年もVeloが誇る「伝統の青」だった。
前年達成した、前人未到の大記録――コンストラクターズ・タイトル〝8連覇〟
これだけ勝ち続ければ、どれほどの絶対王者と言えど、勢いに陰りが出てきてもおかしくはない。
しかし、《伝説の中の伝説》とも言うべき今のレ・ジュールに、死角はない。
先を行くライバルがいないのであれば、自らに厳しいハードルを設定し、挑戦する。
その「高潔な志」を、レ・ジュールはチームスタッフ全員で共有し、実践している。
だからこそ、どれだけ圧倒的な成功を手に収めても勝利へのモチベーションを失わず、「次」が出てくるのだ。
レース後。《チャンピオンズ・ブルー》を纏う人々は、表彰台の頂上に登る二人のドライバーを見上げ、涙を浮かべ歓喜の声を上げていた。
〝王者が王者であり続けるための戦い〟
その難しさも、厳しさも、そして乗り越える喜びも彼らは知っている。
レ・ジュール、8年目の前年王者・シーズン。
伝説の終わりはまだ先なのだと、感じた。
『開幕戦で見えた、名門の小さな光と大きな影――――シェッフェル・エッフェル』
フリー走行1回目、2回目、予選、決勝レース……全て3位。
「シャフイザ+シェッフェル・エッフェル」は、昨シーズン何度も繰り返してきた結果を、新シーズンでも繰り返すこととなった。
新型『RS4/28』は、昨年のような失敗作ではなく、開幕戦前のテストから確実な進化を刻み、エンストーの人々にも混乱の兆候は見られなかった。
名門の期待を一身に背負うエース・シャフイザ・クライが、序盤で先頭を刻み、復調の兆しを見せたのも光明ではあった。
……だがしかし。
王座奪回を感じさせるそうした希望の光が小さく映ってしまうほど、今、この名門を覆う影は深く、濃い。
昨シーズンの不振により、シェッフェルの親会社『壬吹』の役員の間では「Velo撤退論」が加速。
昨年のシーズン終了後に行われた記者会見の席で、代表取締役が正式に「Velo活動の未来について議論している」と認めたことで、数十年スポンサーを務めた企業たちも、将来不透明なチームに見切りをつけ、スポンサーフィーの減額や撤退を決断。
影響は資金面だけでなく、主要スタッフの離脱にも繋がり始めている。
チーム代表を務める美雲しおりは、スポンサー対策として〝女性ドライバー〟壬吹・ハーグリーブス・夢兎を採用――チームは当然認めていないが――。
広告効果の高い女性ドライバーを起用することで、シェッフェルはなんとか全面的なスポンサー離れを回避することに成功したが……まだ窮状を脱したとはいいがたい。
壬吹は新型・RS4/28に全く適応することができておらず。
チームが渇望している「状況を覆す、大型契約」の締結には、まだまだ時間がかかりそうに見える。
別次元のレースを見せる、ライバル。
チームに明確な排撃を加え始めた、親会社。
「二つの敵」は、シェッフェル・エッフェルの周囲の闇を更に深く、濃くせんと動き続けている。
シェッフェルは、その闇を晴らす希望の光を、二人のドライバーが照らしてくれると信じているのだろう。
だがこの開幕戦を見る限り、その希望が叶う可能性は極めて小さいと言わざる得ない。
* * *
「フッ。結局去年と何ら変わることのない開幕戦だった、ということですかね。これは」
壬吹本社・常務の真崎は、国内最大手のモータースポーツ専門サイトのトップ画面に掲載されている、「Velo Trophy・開幕戦レビュー」を読み終わると、執務机の横で控えていた荒城に嘲笑混じりの声でそう言った。
「先の春期報告で、チーム代表の美雲くんは何度も『昨年の不振は払拭できた』と述べていましたけど……。一体、昨年と何が違うというのでしょうかね~~これは? ぜひ、ご教授願いたいものです」
「美雲代表に、問い合わせしてまりましょうか?」
「ホッホッホッ。それはいくらなんでも悪趣味が過ぎるというものです。想像するだけに留めておきましょう」
腹心である第二営業部本部長の荒城の質の悪いジョークを、真崎は抑えた。
だが、彼の本心が荒城と変わりないことは、その浮かれた様子からも明らかだ。
「『シェッフェル・エッフェルがVelo王者を獲得すれば、チームのブランド価値が急上昇し、株主たちの意見も変わるだろう』、と信じていた継続派のみなさんは、今頃さぞ慌てふためていることでしょうね」
「ええ。今週中にも美雲代表を東京に呼び戻し、緊急会合を行うそうですよ」
「みなさんきっと、切羽詰まった素敵な顔でお話しなさるんでしょうね。……フフッ、その会に参加できないのが残念です」
「同感です。しかし、今更何を話し合うことやら……。滑稽なものです」
執務机にかける真崎とその隣に立つ荒城は、Velo継続派を肴に盛り上がり、話は膨らみに膨らみ。
二人は、あたかもシェッフェル・エッフェルのVelo撤退が決定したかのような陽気さまで持ち出し。
とうとう、「今日は早引きして、馴染みの店で景気よくやろうか」とまで言いはじめた。
が、そこで。
「お二方。水を差すようで恐縮ですが、祝勝会気分にはまだ早いのではないでしょうか」
文字どおり。まさに冷水のような冷ややかな一言が、二人に浴びせられた。
むっつりとした真崎の顔と明確な嫌悪を顔に浮かべた荒城の顔が、同時に声の主へ向く。
二人の視線の先にいたのは、頭部に仮面を被った巨躯の男――。
「祝勝会気分とは、失敬なっ! 常務も私も、ジョークを言っていたに過ぎん! 訂正してもらおうか、壬吹MS部門統括本部長」
真崎の執務室に、荒城の面罵する声が飛ぶ。
誰が聞いても、理不尽な言い様だ。役職的には同格であり、英二が荒城の言葉に従う道理は一つもない。
しかし、荒城はVelo撤退派の首魁・真崎のお気に入りであり、同志の英二としては彼の不興を買うのは得策ではない。
数秒の間、新城と視線を交えた英二は。
「失礼した」
短く詫びを入れた。
「しかし、先程も申し上げたとおり、開幕戦の結果のみで今年の趨勢が決したかのように判断されるのは、いささか早計でありましょう」
詫びはしたが、事態を軽々に論じる二人に対する指摘をやめはしなかった。
「ッ!? なにを……」
「シェッフェルは戦力を減らしていますが、依然、中核となるメンバーの多くが在籍し、マシンを改善できる地盤も残っています。〝スポンサー受けのいいドライバー〟を起用したことで、予想よりもスポンサー契約の状況が悪化していない点も懸念すべき点でありましょう」
「き、君は……!! そんなことはわかっているっ!」
蔑ろにされたと感じたのか。
目をカッと見開いた荒城が、英二に荒げた声を叩きつける。
だが、英二は荒城を一顧だにせず。真崎の目を見据えたまま、己の主張を続けた。
「スポンサーだけでなく、メディアに対するアピールもよくやっているようで。シェッフェルのVelo継続・撤退を巡る戦いが、『本社の横暴な決定に抗う子会社』という、我々にとって〝不都合な論調〟で報道されている点も気になります」
「わかっていると言っているっ!!」
「常識では測れない才腕を有する、《エースドライバー》シャフイザ・クライの存在も、忘れることはできません」
「グギギッ……壬吹MS統括本部長っ! 非常識なのは、その仮面だけにしてもらおうかっ!」
苛立ちを剥き出しにした荒城が、靴音を鳴らして英二へ近づいていく。
だがそこで、上司・真崎の「待て」がかかった。
「荒城くん、短気はいけません。我々は敵同士ではないのですから」
「しかし、常務! 私は――」
「荒城くん」
「…………失礼しました。常務」
「フフッ、気にすることはありません。君の勇猛さは、私のお気に入りですから」
怒り収まらぬといった顔の腹心を宥めると、真崎は普段どおりの仏顔を英二へ向けた。
「壬吹くんの意見は、尤もなことです。少し浮かれ過ぎましたね。……しかし」
そこで一度言葉を区切ると、真崎は表情を変えず、声のトーンを落として言葉を継いだ。
「私が貴方に期待しているのは、一般論を私たちに語り聞かせることではありません。同志たちの反発を抑えてまで、私が君を派閥に招き入れた理由……忘れてはいませんよね? 壬吹〝前シェッフェル・エッフェルチーム代表〟」
「……」
昔の肩書きを出された英二は、少しの間、沈思するように床を見た。
そうして、真崎の言葉の裏にある意味を咀嚼すると。
「〝シェッフェルの崩壊を促進するための手〟は、すでに打ってあります」
英二は真崎が欲している答えを察し、先回りして答えて見せた。
その答えは正に100点の回答だったようで。
真崎は口角を上げると、「さすがです。素晴らしい」と胸の前で一つポンっと手を叩いた。
「……そのための私です。では」
英二は真崎の賛辞には乗らず。
感情が見えない平淡な声でそう告げると、一礼し、そのまま足を出口扉へと向けた。
「ッ!」
勝手に退室しようとする英二の背に、青筋を立てた荒城が再び吠えかかろうと身を乗り出す。
だが、真崎はその動きを制し。荒城に変わって、英二の背に声をかけた。
「壬吹くん、頼みましたよ。君が私の期待に応えてくれれば、あの〝約束〟は必ず果たしますからね」
軽い口調で発せられたその言葉に、英二の足が一瞬止まる。
だが、結局何か言葉を返すことはなく。そのまま再び一礼すると、英二は真崎の執務室を後にしたのであった。




