最速の世界 2
●「前回のあらすじ」
世界最高の自動車レース、『Velo Trophy』。
その名門チーム『シェッフェル・エッフェル』のエースがレース中にクラッシュし、負傷した。
彼の代役として、夢兎は世界最高峰のレースにデビューすることになる。
この一戦で好結果を出せば、Veloドライバーに昇格できる。夢を叶えるために、夢兎は絶対に結果を出すという意気込みでチームのファクトリーへと向かった。
世界最高峰の自動車レース――――『Velo Trophy World |Championship』。
夢兎がデビューを飾るチーム『シェッフェル・エッフェル』は、そのドライバーズ・タイトルを「11回」制覇している名門チームだ。
しかし、その歴史は常に順風満帆とはいかず。
特に活動資金の面において、シェッフェルはVeloのトップチームとは思えないほどの苦労を重ねてきた。
そのため、シェッフェルは高額なサラリーが必要な王者経験者や経験豊富なベテランドライバーをエースとしては起用することができず。基本として、下位・中堅チームで活躍した若手ドライバーや、Velo Trophyの経験が全くないルーキーをエースに抜擢。
これと見込んだ若手を厳しく鍛え上げ、資金力豊富なライバルたちに戦いを挑んでいくヒロイックな姿勢は、多くのファンを魅了した。
シェッフェル・エッフェルで王者を獲得し、他チームから大金を積まれてチームを離れていったかつてのエースたちも「家族的でベストなチームだった」と述懐し、中にはシェッフェルに舞い戻り、セカンドドライバーとして若いエースを支える者さえいた。
1906年から開催され、幾多の英雄伝説を生んできたVelo Trophyにおいても、「白銀のエースドライバー伝説」は今もなお特別な輝きを放っている。
そして、現在。
その連綿と続くエースドライバー伝説の継承者としてグランプリを戦っているのが、〝傷顔〟のシャフイザ・クライである。
日本文化に悪い意味で染まってしまい、「音速の変質者」「エロゲー欧米大使」「課金ガチャに魂を吸われた哀れな海外豚」などとファンやメディアから散々にこき下ろされている彼だが、その実力は、100年以上にも及ぶVelo史の中でも屈指のものである。
特にスタートグリッドを決める予選でのパフォーマンスは圧巻であり、シャフイザは齢25にしてすでに、予選1位を「60回(歴代5位)」獲得している。
特にデビュー2年目の2021年シーズンに達成した、全てのレースで『予選1位を獲得した大記録――――|Complete Position 1《コンプリートポジションワン》》』は、105年という長大な歴史を持つVelo Trophyにおいても、彼以外に成し遂げた者がいない快挙であり、彼が無冠でありながらも「歴代最速」と称される所以でもある。
何故、彼はそこまで速いのか?
その問いに対して、彼はこう答えることが多い。
『俺には、クソ生意気な相棒がついてるからな』
シャフイザが信頼するその相棒は、人間ではない。
だが、彼の相棒は人間以上に人間味のある人工物だと言われており、夢兎も一緒に戦えることを楽しみにしていた。
その相棒の正体とは――。
* * *
ヒースロー空港から約70キロ。
田園風景が続く田舎道の先に、突然、牧歌的な景色とは不釣合いな近代的な建物が見えてきた。
遠くを見渡すと、他にもいくつか同様の建物が見える。
シェッフェル・エッフェルのチームファクトリーは、イングランド南東部のオックスフォードシャー州にある「エンストー」と呼ばれる田舎町に存在している。
この一帯は「モータースポーツバレー」と呼ばれる世界的に有名なMS産業地であり、Velo Trophyに参戦しているチームの多くも、このオクソン(オックスフォードシャー州の略称)にファクトリーを構えている。
「目、キラキラしてんな。もう何回も来てんだろう?」
「そうですけど、一年ぶりですし。デビュー前のルーキーにとって、Veloチームのファクトリーは憧れの場所なんです」
正門の先でセキュリティスタッフに車を預けると、夢兎はやれやれといった顔のシャフイザを置いて、ファクトリーの正面口へと向かった。
陽がよく入るガラス天井の表廊下を通り抜けると、シェッフェル・エッフェルの歴代のチャンピオン・マシンと、今期のVeloを戦っているRS4/27のデモカーが飾られているエントランスに出た。
すれ違うスタッフたちに軽く挨拶をしながら、夢兎は施設の奥へと進んでいく。
この平屋建ての建物の中には、Veloマシンのシャシー、PUをはじめとしたマシン全般の研究、開発、製造が可能な施設、それにマシンを整備する作業場が揃っており。常時500人ほどのスタッフが勤務している。
中庭の奥には、マシンのエアロダイナミクスを評価する60%スケールモデルの風洞実験場や、マシンの運動性能を解析するセブンポストリグ・ルームなどがあり、ドライバーのパフォーマンスを整えるためのパフォーマンス・センターも完備されている。
どれも世界最高峰のレースで戦うチームでしか見られない施設だ。
だから、ここに来るといつもテンションが上がって、落ち着きなく色々な場所に目をやってしまう。
しかし。
「あっ……」
目的地であるチーム代表のオフィスに通じる廊下でシャフイザを待っていると、シェッフェルのシルバーグレー以外のウェアを来たスタッフとすれ違った。
シェッフェルは、他カテゴリーに参戦しているチームに対して、施設をレンタルしている。
説明するまでもまく、これは〝財政難〟のための止むを得ない施策。資金稼ぎだ。
Veloのトップチームでこんなことをしているのは、シェッフェル以外にはない。
シェッフェルが陥っている〝窮状〟の深刻さ……。
そのことを実感すると、浮かれ気分が身体からスッと抜けていき、代わりにのしかかるような重苦しい気持ちがやってきた。
――――「シェッフェル・エッフェル、〝Velo撤退の危機〟か!?」
ここ数年、よく聞くようになったフレーズが耳の奥を走り。
同時に、中世の騎士がつけるような〝仮面兜〟が脳裏を過ぎった。
〝チーム撤退の危機〟と〝仮面兜〟――――他人から見れば、全くリンクしない二つの言葉。
だが、私の中で、この二つの言葉は深くリンクしていて……思えば思うほど、重苦しい気分になってしまう。
「いたいた。……ああ、チーム代表いねえから、挨拶は明日でいいぞ。今日はとりあえず、作業場で明日の準備して終わりだ」
「…………わかりました」
「ん? なんか急に元気なくなったな?」
追いついてきたシャフイザが、心配気な表情を向けてくる。
それを見て、「いけない、いけない」と自分に言い聞かせ、ネガティブな空気を外に出すように意識して大きく息をつく。
「そんなことないですよ。それよりも、作業場に行くってことは……」
「おっ、また目がキラキラになったな。なんだ? 〝アイツ〟と会えるのがそんなに嬉しいのか?」
「嬉しいに決まってるじゃないですか。〝カレ〟は最重要機密の存在だから、育成ドライバーの私は全然関わらせてもらえませんでしたから。『Veloのデビュー戦で、一緒に戦えるなんて夢みたい!』ってずっと思ってたんです。作業場は、こっちでしたよね? さぁ、早く行きましょう!」
「そんないいもんじゃねぇぞ……アイツは」
何故か不満気なシャフイザを捨て置くと、夢兎は軽い足取りで、マシンが保管されている作業場へと向かった。