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2027 Velo Trophy 開幕戦・オーストラリアGP! 2

●「前回のあらすじ」

 シーズン直前に行われた壬吹本社の取締役会の席で、シェッフェル・チーム代表の美雲しおりは、上級役員からの追及を受けた。

 壬吹の上層部は想像していた以上に、「Velo撤退」に傾いている。

 そのことを痛感したしおりは、チームの将来に対する危機感を更に強くしたのだった。 


『Velo Trophy World Championship――開幕戦・オーストラリアGP』を翌週に控え、周りにいる人々の熱気が日に日に上がっていく中。

 イベントレースで大きな『壁』にぶつかった夢兎は、一人取り残されたように苦しみ悩んでいた。




 開幕戦の地「オーストラリア・メルボルン」に向かう前に、日本へと立ち寄った夢兎は。

 しおり、シャフイザの二人と共にに、壬吹本社が主催する『MS(モータースポーツ)活動発表会』に参加した。


 プレス向けの第一部は、短いトークイベントとメディア用の撮影会だけで出番が少なく、ゆっくりしていられたのだが。

 関係者向けの立食パーティーが行われる第二部はそうはいかず。夢兎はチーム代表のしおりに連れられて、関係者の間を忙しく飛び回っていた。


『最初は、君のような少女がVeloに参戦するなど正気の沙汰ではないと思っていたのだが……いきなり表彰台とは恐れ入ったよ。時代が変わったんだね。期待しているよ』

『同じ女性として、貴女の活躍を誇らしく思うわ。貴女は、斜陽と言われて久しい日本モータースポーツ界の希望の星よ。頑張って頂戴」

『首も腕も足も、モデルさんみたいに華奢きゃしゃだけど大丈夫かい? 女の子だから体型とか色々気になるんだろうけど、ちゃんとフィジカルを鍛えておかないと、トップフォーミュラじゃやっていけんぞ』


 称賛に叱咤激励、十人十色の声を全て笑顔で対応するのは大変なことだ。

 しかし、モータースポーツは大企業との付き合いが深いスポーツなので、こういった社交・営業活動はレーシングドライバーにとって必須のこと。

 十年近く続けてきたことなので、もう慣れっこだ。


 でも。

「本業」が上手く回っていない今は、笑顔でいるのにも気力がいって……。

 一通り挨拶回りが終わると、夢兎はしおりに断りを入れてパーティー会場の隅にある休憩用の椅子に腰掛けた。


「……ふう」


 周りの人が見ていないことを確認して、大きく息をつく。

 それでも、何かこう……肩に何かがのしかかっているような、気持ちの悪い重さが取れなくて。


「はあー……」

 

 もう一度、大きく息をついた。

 ……でも、効果なし。重っ苦しい気分は少しも晴れない。


 ふいに視線を横に移すと、ガラス張りの壁に映った自分と目が合った。

 アップにした淡いミルクティーベージュの髪、薄いパーティーメイク、裾全体に花柄のカットワークが入っているそで付きのシフォンドレス。パーティーにおあつらえ向きの華やかな格好だけど……表情はどんより。


(華やかな格好をしているのに暗い顔をして……良くない。良くないけど……)


 そんな風に、気落ちしていたところで。


「――ウッス。何だ? 挨拶回りフケてサボリか?」 

 

 正装に身を包んだ、シャフイザが声をかけてきた。


 服装に合わせて髪の毛をキッチリ整えているせいか、いつもより大人びて見える。

 普段はダラけた格好ばかりなので、シャフイザのこういう格好は貴重だ。

 だからこういう席の時は、気づかれないようにチラチラっと盗み見して脳内シャッターを押しまくって、脳の中にある「シャフイザ・フォルダ」を潤わせているのだけれど……。

 さすがに今日は、そんなことをする気にはなれない。


「違います。……ッ!? って何見てるんですか?」


 気分が乗らなくてそっけなく返す。

 と、シャフイザがじぃ~~~~っと自分の足を凝視しているのに気づいた。


「いや、おまえプライベートだとあんまりスカート履かないからさ。貴重だなと思ってガン見してたんだが……意外と足美人だったんだな、おまえ。ちょっとヒールで踏まれたいレベルだわ」

「…………セクハラ」

「えっ? いやいやいやいや、純粋な賛辞だぞ。足美人って言われたら、普通は喜ぶだろう?」

「『ヒールで踏まれたいレベルだわ』は、褒め言葉じゃありません。ただのヘンタイです。あっち行ってください」

「ムッハッ!! 年頃の女の子を褒めるって難しいなぁ……」


 足を両手で隠しながらジト目でそう返すと、後ろ頭を掻きながらシャフイザは困ったような表情を浮かべた。

 

 その反応に、「なんなの……?」と思っていると。


「……全ク、君ハ一体何ヲヤッテイルノダ」


 聞き慣れた、生硬な響きを帯びた声が耳に入ってきた。


「シェステナーゼ」

「ヤア、夢兎」


 明るい声でシェステナーゼと挨拶を交すと、シャフイザはジャケットの裏ポケットから携帯セルフォンを取り出し、手渡してきた。

 そして、口をヘの字にひん曲げると不満そうに鼻を鳴らし。


「何って……おめぇがいきなり『夢兎ハアマリ元気ガナイヨウダ。何カ、彼女ガ喜ブヨウナ話ハデキナイカ?』って無茶振って来たから、スカート姿もいい感じだぞ、って褒めたんじゃねぇか」


 そう言うと、こちらの太腿の上に置いた携帯セルフォンをにらみつけた。

 すると、シェステナーゼも画面に怒りマークを浮かべて反撃。


「ソウダ。私ハ君ニ『夢兎ガ喜ブヨウナ話ヲシロ』ト言ッタノダ。君ガ言ッタノハタダノsekuhara(セクハラ)ダ。反省ヲ求メル」

「いやいやいや……! スカート嫌いの夢兎の足を褒めるっていう、着眼点は良かっただろうが。ちょっとだけ変態コースアウトしただけじゃねえか。そのくらい勘弁してくれよ。ってか、いきなり「喜ブヨウナ話ヲシロ」って無茶ぶり過ぎだろう……。断らずにちゃーんとチャレンジした俺を、少しは褒めてもいいんでないのっ?」

「シャフイザ……、君ハ本当ニcircuit(サーキット)以外デハ使イモノニナラナイナ」

「……ほ、ほぉ~~ん! さいですか。んなら、やってもらおうじゃねぇか! 夢兎、take2なっ! 今からこのポンコツが、元気のない女の子を一瞬で元気にしちゃうナイストークしてくれるらしいからよ。聞いてやろうじゃねぇか」


 シェステナーゼの言葉にムッとしたシャフイザが、腕を組み床をつま先で何度もトントンと鳴らす。

 

 そんな子供染みたエースドライバーにため息をつくと、地を這うような低いテンションで言った。


「……すいません、今はシャフイザさんのノリに付き合う気分じゃないので。シェステナーゼは預かっておきますから、あっちの非常口前の寂れた場所で一人でやってきてもらってもいいですか?」

「うわっ……いつも以上に塩反応でいらっしゃる」


 シャフイザらしい反応に、半笑いを返す。


 けれど、仲良くお話するような気分ではなかったので、「気遣ってくれるのは嬉しいけれど、今は一人にして欲しい」と伝えようと思った。

 しかし。


「スマナイ、夢兎。シャフイザニ声ヲカケサセタノハ、私ノ誤リダッタヨウダ。反省シテイル」

「そうだよ。反省しろよ、このポンコツ」

「……」

「シェステナーゼ、怒らなくていいわよ。もう今月は、シャフイザさんのガチャやゲームのお手伝いは絶対にしないって、今決めたから」

「ッッッッ!!!! う↑そ↓で↑しょっ↓、夢兎ちゃぁんっっ!?!?」

「素晴ラシイ決定ダ。全面的ニ支持スル」


 調子に乗っているシャフイザにお灸を据えたり、久々にいつものやり取りができたおかげで――最近はスケジュールが合わなくて、ほとんどこのコンビと話せていなかった――胸のモヤモヤがだいぶ晴れて、気分が良くなってきた。


 そうしてしばらく、シャフイザとシェステナーゼの掛け合いを聞いて、口元を綻ばせていると。


「――で、ジャンおじのセッティングはどうだ? おまえがショボくれている理由は、それなんだろう?」

「そ、それは……」


 タイミングを見計らったように。

 シャフイザが真面目な顔で、こちらが思い悩んでいる問題に触れてきた。


 いきなり切り出されたので、どう答えるべきか迷う。

 というよりも、どちらかと言えば情けない話なので……今はあまりこの話はしたくない。


 けれど、シャフイザに合わせるように、シェステナーゼも画面から怒りマークを消し、こちらの言葉を待っていることに気づくと。

 ここまで心配してもらっているのだから、「素直に話そう」という気持ちになった。


「……そうですね。正直、かなり悩んでいます」


 前置きするようにそう答えると。

 現状に対する不安と不満を、つまびらかにすることにした。


「ジャンさんとの賭けに負けてから、約一ヶ月。ジャンさんが推す『ローダウンフォース・セッティング』のテストを休みなく続けてきましたけど……数字的にも感覚的にも、全く進歩がありません。マシン全体のグリップ感が得られないから、ブレーキングは鋭くいけないし、アクセル・オンのタイミングも狂いっぱなしだし。自分なりに様々な手を尽くしてはいるんですけど、延々と同じ状況の繰り返しで……。いつこの問題が解決できるのか見当もつきません」

「……ジャンは何て言ってるんだ?」

「『最初からマシンに合わせて走るな!』、『マシンの限界値を追え!』、そればっかりです……。でも、あそこまで挙動が不安定なマシンを攻める(プッシュ)するなんて、簡単なことじゃないし。もう少しだけでも、ダウンフォースをつけてバランスを改善してくれればなんとかなると思うんですけど……。それをお願いしても、『マシンが〝安定してパフォーマンスを発揮する領域〟に逃げ込むなっつってんだろう!』って突っぱねられますし……」

「んむ……」

「そのクセ、『正しいデータが取れないから、ミスを少なくしろ』って真逆の指導ディレクションもしてきますから。ジャンさんの目指す方向性が正しいってことは分かっているんですけど、目指しているものが高すぎて……」


 話続けていると、段々と愚痴がこぼれ始めた。


 横柄で口が悪くて、たまにちょっと臭いところには慣れたし。ジャンのセッティングの方向性に反発する気持ちも、もうない。

 でも、この一ヶ月。何の進展もないどころか、ジャンのセッティングを掴めそうな手応えすらまるでないのが、不安で……。

「私は、本当にシェッフェルの戦力になれるのか?」、「この状態がシーズン終了まで続いたら、私はなんのためにここに来たんだ?」という気持ちが日に日に強くなってきているのだ。


「……なるほどな。さすがは、ジャンおじ。相も変わらぬスパルタぶりよ」 


 胸の内に溜まりに溜まっていた鬱憤をぶちまけるように話すと、シャフイザは腕を組んで天井を仰いだ。


 そうして、しばらく言葉を探すように視線を泳がせると。

 夢兎としっかり視線を交え、真剣な面持ちで言った。


「きっとジャンおじは、指導や開発の方向性を間違えないように、今はおまえのデータ取りに専念してるんだろう。はじめて俺と組んだ時も、最初はメチャクソ言うだけでほとんど何もしてくれなかったしな。んで俺も不安になって、その時オーナーだったおまえの婆さんに文句言ったの覚えてるよ」

「……で、お婆さまは何かしてくれたんですか?」

「んにゃ、頭ブン殴られて終わりだよ。昭和生まれは本当ヒデェよなぁ……」

「……」

 

 お婆さまは、簡単に人の頭をブン殴るような人ではない。

 おそらく、この人が余計なことやしょうもないことを言って怒らせたに違いない。


 そう思い、目を細めて呆れ顔を向けていたのだが。

 

「まあでも、ジャンおじはそのあとすぐ、きっちり戦えるマシンを作ってくれた」


 その一言で、目を見開く。


「ジャンおじは楽観的なことを全く言わないから、ドライバーとしては着いて行くのが大変なエンジニアだ。けどあのオッサンは、仕事はキッチリやってくれる職人(マイスター)だ。だから、今は我慢して。とにかく要求されていることに応えて、食らい着いていってみろ。その分の報いは、必ずくれるはずだからよ」

「……そう、でしょうか?」


 ここは「ジャンと組んでいたシャフイザがそう言うのなら信じよう」と思うべきだ、ということはわかっている。


 けれど、そんな「悠長な事を言っている場合じゃない!」という焦った気持ちが先走り、疑問符を返してしまう。

 そして。


「でも、このままじゃ、セカンドドライバーとしての仕事が全く何もできません……。中盤戦に入っても今の状態なら……、私は何のためにシェッフェルに来たのかわかりません!」


 募った思いが暴走し、思わず大きな声が出してしまった。

 周囲にいた人たちが一斉に顔を向けてくる。

 それを見て、ここがどういう場所なのかを思い出した夢兎は、すぐに立ち上がって頭を下げた。

 シャフイザも、「アハハハ、なんでもないですよ~~!」と誤魔化すのを手伝ってくれたおかげで大事にはならなかったが、完全に取り乱してしまった。


「……すいませんでした」 

「まっ、おまえの気持ちは分かってるから。気にしないでいい」


 そう言ってこちらを安心させるように微笑むと、シャフイザは。


「この状況で気休めを言ってもしょうがないかもしれねぇが……。これまで何度も言ってきたとおり、ジャンおじはドライバーを育てるスペシャリストだ。今はしんどいだろうが、信じてついていけばきっとおまえをレ・ジュールと戦えるドライバーに導いてくれる。だから……今は進歩が見えなくて不安だろうが、とにかく目の前の仕事だけに集中して頑張れ。おまえなら、必ずできるから」


「私が知っている、一番格好いいシャフイザ・クライ」で、最大限の励ましをかけてくれた。

 

 今の言葉を噛み締めるように、目を瞑る。

 すると、心地のいい温かさが胸を満たし始め、気づけば、マイナスな気持ちが心からキレイさっぱり消えていた。


「はいっ!」


 パチッと目を開けて顔を輝かせてそう答えると、シャフイザは「うしっ」と言って携帯セルフォンを手に取った。


「まっ序盤戦は、俺とこの無茶ぶりクソッタレAIくんでなんとかするから、焦らずコツコツ上げて来い。その代わり……」


 そして、プレッシャーをかけないように。でも、しっかりと期待を込めた声音で。


「シーズンの中盤、終盤は当てにしてるからな。頼むぞ」


 背中を押すようにそう言ってくれた。


「はい! ……あの、ありがとうございます。励ましてくれて」

「うむ、恩に着ろよ。ってか、礼は形あるもので頼むぞ」

「……ゲームのお手伝いですか? あ、それはダメです。シェステナーゼに暴言吐いたペナルティーですから」

「支持スル」

「はぁ~~~~なんだ、ちみはっ!! AIのクセに人任せにしてずっと黙ってたくせによっ! 本当にしょっからいねぇ~、おまえさんたちは」


 二人の完全塩対応に、シャフイザがブーたれた表情でブーブーする。

 雰囲気に押されてつい頷きそうになってしまったけれど、この人は元来お調子者なので、抑えるべきところはしっかり抑えておかなくてはダメだから。この対応が正解なんだ。


 ……でも。

 心の中では本当に感謝している。

 自分一人の決心なんてちっぽけで、乗り越えられる困難には限界があるから。心に本当の渇が入らないから。だから、こういう言葉は本当に嬉しい。


 だから、この気持ちのまま開幕戦に迎えれば最高だったのだけれど。

 この日はいい気分で終わり、という訳にはいかなかった。


 * * *


 会の終盤。

 仕事の都合で先に会場を離れることになっていた夢兎は、関係者と短く別れの挨拶を交すと退場し、そのままエントランスへと向かった……のだが。


 その途中。人通りが切れた場所で。


「――プレシーズン・レースでのザマを追及されたくない気持ちは分かるが、MS(モータースポーツ)部門の責任者である私に対して挨拶なしとは、感心せんな」


 会の間中、ずっと避け続けていた男――短い鶏冠とさかのついた銀色の仮面兜と、詰め襟型のスーツを着た変人に声をかけられた。


「……朝一番に、形式的な挨拶は済ませたはずですが?」


 正面に立ちふさがった父・英二に向けて、警戒心と嫌悪感のこもった言葉を返す。

 すると、英二は芝居がかった調子で鼻を鳴らし。


「そう、一言挨拶をしただけだ。おかげで私は、危うく晴れ舞台に挑む娘に対して、激励の言葉をかけられなくなるところであった」


 からかうような軽い調子の言葉に、表情が気色ばむ。


(何が激励だ……! どうせ、上手くいっていない私をあげつらいたいだけでしょう?)


 毎度のことだが、英二このひととは普通に話しているだけでも頭に血が昇っていってしまう。

 意識し過ぎだ、ということは自分でも分かってはいる。

 でも、これまで英二このひとにされてきた悪行、暴言の数々を考えると、つい一言一言に反応してしまって……平常心ではいられないのだ。

 

 だけど。


「……それは失礼しました。ですが、私はこの後TV番組の収録の予定がありますので、またの機会に」


 最近はこの人の煽るような態度に対しても耐性がついてきたので、早めに受け流せるようになってきた。


 シャフイザとシェステナーゼの激励のおかげで上向あがった気持ちに、水を差される前に立ち去ろう。

 そう思い、そのまま英二の横を過ぎようとしたのだが。


 その時。


「今現在、おまえが抱えている技術的問題は、シーズンの早い段階で解決できるだろう」

「――――ッ!?」


 意外な言葉に、夢兎の足が止まった。

 

 英二は夢兎の問うような視線を無視し、そのまま言葉を継ぐ。


「力を落としているとはいえ、シェッフェル・エッフェルの職人的技能力クラフトマンシップの高さは、レ・ジュールと並びVeloトップクラスのものだ。今シーズンの終盤に、おまえがエッフェンミュラー、キルヒネン、クライのトップ三強の勝負レースに介入するようになったとしても、私は驚かない」

「……?」


(私のやることなすこと全てを否定してきたこの人が……私の将来を肯定している?)

   

 背中越しに英二を窺う顔に、困惑の色が浮かぶ。


 不意をつかれたせいか、少しの間、英二の言葉をどう受け止めるべきか判断に迷う。

 けれど、答えはすぐに出た。


(……いや、確か前にもこんなことがあった。そう、その時も一度私を持ち上げて……その後、とびっきり悪い話をぶつけてきたんだ!)


 以前合ったやり取りを思い出して、そう考え直すと。

 再び警戒心をよろい、身構えるようにして英二の言葉を待った。


「……だがしかし。今シーズン、Veloに新しい風をもたらすのはお前ではない」


 すると。案の定、本題の悪い話がやってきた。 


「おまえは知らぬだろうが、ここ数年Veloの〝きんの闇の中で生きる人々〟は、長く続く三強時代に停滞感を覚え、変革の芽を探していた。

 そして、ようやく彼らはその〝変革の旗手〟と出会うことができたのだ」


「変革の旗手……?」

「そうだ。今シーズン、Veloには次世代の波がやってくる。その状況下で、おまえやシェッフェル・エッフェルがどう藻掻くのか……フッフッフ、今から興が尽きんよ」

「ッ! どういう意味ですか、それは……?」


 英二の手のひら返しを読んで、少し得意気になっていたが。

 英二の不穏すぎる話に、表情が再び強張っていく。


「……今シーズン、私以上の実力を持った〝スーパールーキー〟がVeloに参戦してくる……ということですか?」


「金の闇の中で生きる人々」とか「変革の旗手」とか、その辺の無駄に大仰な言葉の意味はいまいち理解できないけれど。

 言葉の意味を素直に解釈するならば、そういう意味になる。


 しかし、英二はすぐには返答せず。

 こちらを焦らすように、黙り続ける。


「クッ! どうなのかと、聞いていますっ!」


 英二に対してムキになってはいけない。そう頭ではわかってはいる。

 だけど、腰に手を置き顎を少し上げて、「私は、おまえの知らないことを知っている」と言わんばかりに挑発的な態度を取るこの仮面兜の変人に、苛つかず冷静に対応しろというのは無理がある。


 しかし、それでも英二は口を開かず。

 苛つくこちらを、まるで好奇の目で見るように観賞し続けると。


「……フッ、私の言葉を理解するのに時間はかからんよ」


 答えをはぐらかすようにそう答え、大げさに肩をすくめてみせた。


 そして。


「これからおまえは、嫌というほど思い知ることになるだろう……。Velo Trophyは、欧米に住み着く冷酷な〝経済利潤第一主義者エコノミックモンスター〟たちの宴にしか過ぎない、といいうことをな」


 Veloに対する憎悪を表すかのように、吐き捨てるようにそう言うと。

 英二は身を翻して会場の方へと歩き出した。


「ッ!! あなたは何を知っているんですっ!? 待ちなさ――――んっ!」


 これだけ危機感を煽るようなことを言われて、内容を伏せられたまま逃がすわけにはいかない。

 そう思い、引きとめようとしたのだが……そこで携帯セルフォンが鳴った。


「マネージャーさんから……。問い質している時間はない、か……」


 先に会場を出て、正面玄関に車を回しに行った広報マネージャーからのメッセージを見ると。

 感情の波を抑えて、遠ざかっていく英二の背を一睨みする。


 そうして一つ息をつくと、エレベーターホールへ向かって歩き出した。


(……今シーズン中に、私以上の実力を持ったドライバーがVeloに出てくるというの?)


 エレベーターボーイに行き先を告げて待つ間、眉を寄せて英二の言葉を考えた。


 開幕まで一週間を切り、当然、全チームのドライバーズラインナップはすでに決まっている。

 その中でルーキーは自分を含めて三人いるが、残りの二人は典型的な〝シートを買った(ペイ)ドライバー〟で、お世辞にも良いドライバーとは言えない。

 となると……、英二が「変革の旗手」と呼んだドライバーは二戦目以降から途中参戦してくるということか。

 しかし、シーズン前のテスト期間を経ず、シーズン途中から参戦する難しさは並大抵のものではない。

 その厳しい条件を跳ね除けて、Veloでいきなり力を発揮できる若手ドライバーなど、いるわけがない。


「……ということは、ドライバーではない別の存在か? それとも、単なる脅しか……。いや、惑わされずに目の前にある問題のことだけを考えよう」


 胸のざわめきを抑えるように胸に手を当てた夢兎は、そう自分に言い聞かせて心内を整理すると、到着したエレベーターに乗り込んだ。

 

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