ルーキーの試練 6
●「前回のあらすじ」
イベントレース当日。ジャンには絶対に負けない! 賭けに勝って活路を開く! そう決意し、レースに臨む夢兎。
一方、昨年の最終戦で夢兎に敗れ、ファンやスポンサーから見捨てられた久湊は、夢兎を激しく憎悪していた。
各チームのマシンがコースインし、サーキットにVelo Voiture特有の官能的なノイズが流れ始めると、超満員のスタンドから歓声が上がった。
現地、正午過ぎ。
『Velo Trophy Thanks festival』のメインイベントである、ハーフマイル・レースの時間がいよいよやってきた。
このイベントレースは、スケジュールの関係上予選は行われず。スターティンググリッドは、去年のコンストラーズランキング――チームランキングをひっくり返した順番で決められている。
昨年、「コンストラクターズランキング2位」のシェッフェル・エッフェルは、前年王者のレ・ジュールと共に集団の最後列からスタートする。
バトルを増やすための運営の演出だが、賭けのことを考えると複雑だ。
でも、逆にこのルールがなければ、自分が有利過ぎて賭けにならなかっただろう。
このスタート位置の不利は、割り切る他ない。
「お、良かった。まだ乗り込んでなかったか。夢兎、スタート前に悪いが少し時間もらうぞ。お偉方が来るから、挨拶してくれ」
「はい。わかりました」
戦況を整理し終え、そろそろマシンに乗り込もうと準備を始めようとしたところで。チームマネージャーに、一つ仕事をお願いされてしまった。
本音を言えば、スタート直前のこの時間帯は、早めにコックピットに収まって集中を上げておきたい。
しかし、スタート前のVIPの訪問はモータースポーツの慣例行事。
気持ちを切り替えて、ゲストを迎える。
「ワオッ! こんなエキサイティングなマシンを、君のような淑女が操るなんて……素晴らしい! 今日のレース、期待してるよ!」
「主人の影響で30年前からVelo Trophyを見ているけれど、デビュー戦で表彰台に登る女性ドライバーが出てくるなんて夢にも思わなかったわ。本当に尊敬しちゃう。応援しているから、頑張って頂戴ね」
大金のかかる自動車レースは、彼ら彼女らのようなVIPの関心を引き続けなければ、続けていくことはできない。
自分がレースできているのは、この人たちのおかげなのだと言い聞かせ、丁寧に応対する。
そうして、VIPとの歓談を終え。
ロスを取り戻すように、手早くレースの身支度を進めていると。
「プッッ!! おいおい、なんの冗談だ? このデタラメに重いウィングのセッティングは? これからおまえが走るのは、『上海・フォーウェイ・サーキット』だぞ? 他のサーキットと間違えてんのか?」
「――――ッ!!」
近づいてきたジャンが、癇に障るような煽り言葉を飛ばしてきた。
話せば絶対に不愉快な気持ちになると思っていたので、今日はずっと顔を合わせないように避けてきたのだけれど……。
最後の最後に絡まれてしまった。
「……このレースは私の自由にしていい、そう言いましたよね?」
人をバカにした表情を浮かべているジャンに向けて。
こちらの嫌悪感が伝わるように、大きく息をついてそう言うと。
「準備がありますから。失礼します」
強引に話を切って無線用のイヤホンをつけ始めた。
するとジャンは肩をすくめて、「そうかい。邪魔したな。まぁ、せいぜいその〝甘えきったセッティング〟で笑えるレースを見せてくれや」と言って去って行った。
「子供みたいな煽りばかり……本当に何なの、あの人は?」
あれが本当に、エンジニアの言うことなのか?
怒りを通り越して、もはや呆れる。
今までパートナーを組んで来たエンジニアたちは、ドライバーの夢兎と一緒に「マシンからパフォーマンスを引き出すにはどうすればいいのか?」を共に考え、親身になって支えてくれた。
だからこそ夢兎も、「みんなのために」と気持ちを強くして、実力以上のレースをしてこられた。
けれど、ジャンからはそういった仲間意識がまるで感じられない。
口を開けば子供じみた嫌味ばかり……。いや、それだけならまだ良かった。我慢もできた。
でも、あの言葉は。
――てめぇの婆さんは身内贔屓をしたんだ……最低のババアだ。
あの言葉だけは、絶対に許せない!
海千山千の名エンジニアだかなんだか知らないけれど、あんな暴言を吐く人と一緒に戦うのは絶対に嫌だ。
(こんな状況で、シャフイザさんのアシストなんてできるわけがない。必ず勝って、私の実力を認めさせて、あの一方的な態度と仕事の進め方を変えてもらうんだ。それと、お婆さまと日本人ドライバーの先輩たちに対する謝罪も当然してもらう……!!
賭けに勝って、ジャンの鼻を明かす。
正すべき点は全て正してもらう。
防火帽とヘルメットを被りながら覚悟を決めた夢兎は、胸の前で両手の拳をぐっと握り締めて気を入れると、コックピットへと乗り込んでいった。
* * *
スタート前の|お披露目のための1Lapを終えた12台のマシンが、タイヤを冷やさないように車体を横に振りさせながら、スターティンググリッドへと散っていく。
(……前にいるのは、全て戦闘力に劣るマシンだ。スタートでリスクを冒す必要は、どこにもない)
隊列の最後方から二台目。
陽光に照らされクリスタルのように輝くマシンを駆る夢兎は、胸の内でそうつぶやくと、ステアリングの無線ボタンを押した。
「レース前に伝えた件、お願いします」
『pp……毎Lap、実質2番手のドライバーとの差をサインボードで知らせる件だな? 大丈夫だ。準備はできている』
「ありがとうございます」
サブエンジニアに確認を入れた夢兎は、フロントタイヤを目一杯こじるとマシンをグリッドへと着けた。
スタートシークエンスを入力し終えると、一呼吸。
すると、ややもなく。四つあるスタートシグナルが右から順に灯り始めた。
自車から、他車から。
地上最強のV10水素燃料エンジンの雄叫びが轟き始め、呼応するように身体の奥底からアドレナリンが噴き出してくる。
(序盤は慎重に。追い抜く時はマシンの優位性を生かして、じっくり攻め落とす……)
前方のグリッドで猛るマシンにチラリと視線をやり、レースプランを頭の中に走らす。
そして、灯った四つの赤い光点が輝き、消え……。
レーススタート――
全車がアスファルトを蹴り飛ばし、轟音を響かせながらターン1へと突進していく。
普段の半分の台数だが、スタート直後のポジション取りはやはり熾烈だ。
全車が一つでも順位を上げようと、早くも超接近戦。そこかしこで、火花と共に決闘が弾ける。
しかし、夢兎はスタート直後の争いには干渉せず。
プランどおり抑えたアプローチでターン1へ進入。長く右に曲がり続けるターン2を抜け、下りながら左曲がりのターン3へ。
と、そこで。
「夢兎ちゃん、おっ先ぃぃ!!!!」
最後尾スタートだったユイを先へ行かせた。
今日はレ・ジュールと争う理由がないので、これは想定内。
この上海・フォーウェイ・サーキットは、前回戦ったスズカとは異なり、追い抜きがしやすいサーキットだ。
スタートで遅れても、挽回は十分可能。タイヤを性能作動温度領域に入れ、マシンの戦闘力をしっかり発揮すれば、レ・ジュール以外のマシンには負けないはずだ。
夢兎は、引き続きオープニングラップでの争いを避け、タイヤの熱入れとマシンバランスの調整を最優先。
そして。
「……よしっ」
計画通り2Lap目からドライビングのギアを上げ、レーシングスピードへ。
夢兎が増速をかけると、白銀のマシンは車体をきらめかせ、ターン1、2を軽やかに旋回。
とここで、集団から遅れていた一台を難なくパス。
「うん、いける!」
しっかりウォーミングアップさせただけあて、タイヤの食いつきは上々。
マシンの反応にも不満はない。
(2位のヴェンヘム・ヴィクトリア・フォーミュラとの差は10秒……。抑えた分、先行されてしまった。けれど、十分許容範囲だ。このペースなら余裕で差せる)
レースの初動は完璧。そのことに自信を得た夢兎は、意気揚々と追撃態勢へと入ったのだが……。
「――――来たか、壬吹っ!!」
夢兎のレースプランは、4Lap目にして早くも壊れた。
「ッ!! 久湊、やるの……!?」
不慣れな下位チームのマシンに乗る久湊のペースは、夢兎よりも1Lap2秒ほど遅く、数字上は簡単にパスできるはずだった。
しかし。
「ウ゛ッ!? チィィ!!」
久湊は、去年の最終戦を彷彿とさせるような紙一重のブロック……いや、イベントレースとは思えないような汚いブロックを夢兎に浴びせ、まるでシーズン戦で優勝争いをしているかのような気迫で押しに押しまくってくる。
「去年の結果は所詮マグレに過ぎない……。それをここで、証明してやる」
「このぉ……!!」
このイベントレースは、Veloを統括・運営しているFESTが全てのランニングコストの一部を負ってくれるので、どのチーム、ドライバーもシーズン戦と同じくらいアグレッシブに来ると聞かされてはいた。
けれど、これは明らかに異常だ。
夢兎がターン入口でインを突けば、接触を辞さない構えで露骨にイン側のスペースを閉め。
アウトから仕掛ければ、今度は「コーナーを曲がる気があるのか?」と思うほどブレーキングを遅らせ、こちらを道連れにする形でターンを大回りし、アウト側のスペースを潰しに来る。
マシン性能差があっても、前でここまで激しく暴れられたら早々抜けるものではない。
「くっ……! タイヤ、PU、moving surface control……全てのデバイスのエネルギーをこうも出し惜しみなく使われては、簡単には抜けはない。やるしかない、か……」
この状況を打開するためには、こちらも各デバイスのオーバーテイク・モードを解放するしかなさそうだ。
この「Velo Trophy thanks festival」は、コストを抑えるためにタイヤ交換を目的としたピットストップが禁止されている。
そのため、できるだけマシンの戦闘力――特にタイヤの戦力は温存しておきたかったのだが……。
これ以上、ここで停滞するわけにはいかない。
そう決断した夢兎は、ステアリングのダッシュボードを操作し全てのデバイスをオーバーテイクモードにセット。
そして、6Lap目。オーバーテイクポイントであるターン14で、この対決のピリオドとなる一撃を久湊に向けて放った。
しかし。
「ふんっ!! その程度のことでっ!!!!」
「――――ッッ!!!!」
これも決まらず。
「落とせなかった……。そんな……」
相互を崩した夢兎の口から、消え入るような弱々しい嘆きが漏れる。
決めにいった一撃を防がれたショックに打ち震えていると、そこでダメ押しのように。
――プッ!! おいおい、なんの冗談だ? このウィングのデタラメなセッティングは? これからおまえが走るのは、上海・フォーウェイ・サーキットだぞ? 他のサーキットと間違えてんのか? あ゛あ゛?
ジャンの言葉が、脳裏を駆け抜けた。
「うぅ……」
ジャンが指摘していたとおり。久湊に苦戦している原因は、夢兎が選んだハイダウンフォース・セッティングにある。
ハイダウンフォース・セッティングは、ウィングなどのエアロパーツによってマシンを地面に押しつける空気の力を強化し、マシンの安定感を増加させ、どんな状況でも高い操縦性を得られるセッティングだ。
……しかし、その一方で。
空気抵抗が増えることで、高速コーナーやストレートで最高速が伸びず。ブレーキングゾーンまでに目標に迫れなくなり、追い抜きが困難になる、というデメリットも存在する。
それは当然、夢兎自身もわかっていたことだ。
けれど、ブレーキング勝負で勝ればいいと考え、その点を深く考慮してはいなかった。
下のカテゴリーは、それで上手くいっていたから……。
だが、それでは通用しないのだ。
世界の〝Top of the top〟が集い、世界王者の栄光を懸けて対決を行う場である、この――――Velo Trophyでは。
そのことを、夢兎は。
「理解できていなかった、ということか……」
己の甘さを噛み締めると、心が軋む。
と同時に、集中力が薄れ始め、心身の熱が落ちはじめるのを感じた。
「……ッ!! 弱気になったって! 少しハイダウンフォースに寄せ過ぎたくらい。まだ、勝機はある……!!」
が、すぐに気を取り直すように首を大きく振ると、自分に発破をかけ、再度久湊に攻勢をかけた。
しかし、結果は変わらず。
「フフッ。これがおまえの実力だよ、壬吹・ハーグリーブス・夢兎」
「クッ……!! シャフイザさんの完璧なセッティングか、シェステナーゼのドライビングサポート……どちらかがあれば…………ンッッ!!」
ままならない展開に苛つき、言い訳ともつかない馬鹿げた言葉が口をつく。
(しっかりしなさい……!)
もう一度発破をかけて自分のヘルメットを小突いた夢兎は、深呼吸して焦る気持ちを外に吐き出し、再度プランを変更。
速攻での突破を諦めて、時間を使って久湊を揺さぶり、彼のマシンが消耗するのを待つ持久戦に切り替えた。
不本意だが、もっとも確実に久湊の防衛ラインを破るにはこの手しかない。
――ほら、見たことか! おまえはてんでなっちゃいねぇドライバーなんだよ。去年の最終戦はフロックだったってことを、せいぜい噛み締めるんだな。
きっとジャンは、醜態を演じている自分を見て、そんなに風に嘲笑していることだろう。
でも。
「2位との差は?」
『pp……12秒だ』
(近づくどころか、離されてしまった……。でも、まだ終わったわけじゃない。残りは19Lapしかないけれど、ペースはこちらの方が上なんだから。最終盤で捕まえることだってできるはずだ。だから、ここは……我慢。我慢するんだ)
自分のマシンよりも、明らかに劣っているマシンに苦戦する不甲斐なさ。
その屈辱に心を苛まれながらも、夢兎はジャンとの賭けに勝つべく諦めずに進んでいく。
しかし。
夢兎が屈辱に塗れるのは……これからのことだった。




