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ルーキーの試練 5

●「前回のあらすじ」

 ジャンのローダウンフォース・セッティングは、あまりにも無謀過ぎる。

 夢兎はそう主張したが、ジャンは「オメエのような下手くそが、当たり前のことやってどうする!」と一喝し、二人は対立。

 育ての親である祖母・里子を貶された夢兎は激高。マシンセッティングの方向性は、次のイベントレースの結果次第で決めることになった。


「Velo Trophy Thanks festival」は、開幕戦を盛り上げるために、毎年この時期にVelo Trophyを運営するFEST(フェスト)が開催している大規模なファンイベントだ。


 メインのハーフマイル・レースを筆頭に、ドライバーのサイン会やトークショー、レアなグッズが落とせるチャリティーオークション、Velo(ベロー) Voiture(ヴォワチュール)を間近で見ることができるピットウォーク……などなど。

 シーズン戦でもやっていないような催しを安価で楽しめるイベントなので、Veloファンにも好評なイベントだ。


 特に今年は、〝夢兎以外のもう一人の女性Veloドライバー〟の母国で、Velo人気が急騰している中国が開催地なので、例年以上の盛り上がりを見せている。

 空港に到着した瞬間から、各ドライバーたちは大歓迎を受け、移動にも四苦八苦するほどだ。


「夢兎、中国へようこそ! 歓迎されているみたいだけど、気分はどう?」


 そんな熱気溢れるファンの間を、ガードマンに守られながら縫うように進んでサーキット入りした夢兎は、息つく間もなくメディアからの取材を受けた。


「素晴らしい気分です。どこの国に行ってもそうですが、ファンの歓声を受けるのは嬉しいです」

「今日のハーフマイルレースは各チーム一台のみの参戦になりますが、シェッフェルはエースのシャフイザ・クライではなく、あなたが出場すると聞いています。優勝する自信はありますか?」

「賞金が出るようなので狙いたい気持ちもあるのですが、私はルーキーですから。ファンイベントとはいえ、このレースも重要な学びの場です。内容のあるレースをして、経験値を積み重ねたいと考えています」


 紋切り型の優等生なコメントであり、聞き手であるメディアやその先にいるファンは退屈かもしれない、と自分でも思う。

 でも、ルーキーが勝手気ままに話していいほど、メディアとの付き合い方は簡単ではない。


 Veloドライバーはスポンサーの重要な広告塔だ。どんな時でも、クリーンかつスマートなイメージを守らなくてはいけない。

そのことを意識しながら、型どおりコメントで質問を捌いていく。


 しかし。


「冬のテストではやや調子が上がっていないようですが、原因は? 担当エンジニアには、ドライバーを厳しく指導することで知られるミスターシモンズが就任しましたが、上手くやっていけそうですか?」

「……ええ。名伯楽と言われる彼と組めたのは、ルーキーの私にとって……重要なことです。いろいろ学びたいと思っています」


 中には突っ込んだ質問をしてくるメディアもいて。

 こういう質問に、自然に答えられないのは今後の課題だ。

 

「よっ、人気者! ぶら下がりのメディア、俺の倍くらいいたな。もうすっかりVeloの花形だな、おまえも」


 シェッフェルのモーターフォームの中に入り、メディアの人垣から解放されてようやく人心地をつくと、いつもの軽いノリでシャフイザが声をかけてきた。


「…………そうですか」


 でも、今はシャフイザと話したくない気分だから。そっけなく返す。


「ン゛?  なんだ? もしかして、ジャンのことでまだキレてんのか?」

「……別に」


 ジャンとやり合ったあと、すぐに指導官メンターであるシャフイザへ相談を持ちかけた。

 かけたのだが……。話を聞き終えたシャフイザの反応は、夢兎の気に入るものではなかった。


 気まずそうに後ろ頭を掻き、鼻から息を吐きだすと、シャフイザはその時言った言葉をもう一度口にした。


「おまえが怒る気持ちは分かる。この冬にやってきた作業を否定されて、いきなりあんなエグいセッティングを強要されれば……誰だってそりゃキレる。でもな――」

「『おまえがVeloで戦っていくには、まだ足りないものがたくさんある。ジャンさんなら、それを必ず指導してくれる。だから、もう少し我慢して着いていってみろ』……ですよね?」

「んん? お、おう……そのとおりだ」


 シャフイザの歯切れの悪い返しに、口を尖らせ、視線を明後日の方向へ向ける。

 激しくやり合っただけに。少しでもジャンの肩を持たれると、虚心ではいられなくなる。


 でも、これは自分とジャンの問題だ。

 シャフイザに八つ当たりするのは、完全に間違っている。だから……。


 目をギュッと閉じてなんとか感情の波を沈めると、できるだけ落ち着いた声で答える。


「……分かりました。でも、お婆さまや日本人Veloドライバーの先輩たちを口汚く罵られたのは……絶対に許せません。もし私が例の賭けに勝ったあとも、あんな暴言が続くようなら……」

「あぁ、わかってるよ。推薦者の俺にも責任あるからな。その時は、責任持って俺がジャンおじを説得するよ」

「……お願いします」


 念を押すようにしばらく視線を交えると、ツンとした態度で髪を靡かせてモーターフォームの奥へと入っていく。

 自分のことでシャフイザを困らせている。そう思うと、胸がチクリと痛む。


 シャフイザやシェッフェルの力になりたい。少しでもいいから、助けになりたい。

 そう思っているにもかかわらず、彼にも、チームにも、余計な仕事を押しつけてしまっている。……それがつらい。


 でもこのままでは、絶対に自分はなんの力にもなれない。そう確信できるほどに、ジャンとは考え方が合わない。

 だから……迷惑は百も承知だけど、ここは自分の主張を曲げるわけにはいかない。


(去年のデビュー戦のように、シャフイザさんやシェステナーゼのサポートは得られない。でも、一人だってやってやるんだ。Veloに来るまでは、「ひ弱で有名な日本人ドライバーのクセに!」、「一流のレーシングドライバーが、女に務まるものか!」と罵られながらも、抗って戦ってきたんだ。……大丈夫! 今回だってやれるはずだ。きっと……!)


 心の中で自分に向かって発破をかけると、夢兎は眼差しを細め、心の中をレースモードへと切り替えた。


 * * *


 レーシングドライバーにとって、最大のパートナーである担当エンジニアとの軋轢。

 その予想外のイレギュラーを払拭するため、公式戦さながらの意気込みでイベントレースに挑む夢兎。

 その青みがかった瞳にはもう、対立しているジャンの顔しか映ってはいない。


 しかし。

 そんな夢兎に対して、並々ならぬ思いで挑もうとしているドライバーが一人いた。

 奇しくもそのドライバーは、去年の最終戦と同じ――――


「ッッ!! 壬吹ィィ……!!!!」


 足早にパドックを行く夢兎に気付いた久湊ひさみなは、足を止めるとその細面に負の感情を浮かべた。

 眉間に寄ったしわが、歪に狭まっていく。


 去年の最終戦。

 あの屈辱的な最終Lapでの逆転劇によって、久湊は夢兎に「世界の頂点に挑む、日本人ドライバー」というポジションを完全に奪われてしまった。

 去年まで鬱陶しいくらいに囃し立てていたメディアやファンも、今となってはもう『壬吹! 壬吹! 壬吹!』……壬吹一色だ。


「クッソオ!!」 


 その影響で、中堅・下位チームといい流れで交渉できていた「2027年シーズンのレギュラードライバー契約」も、「君と契約しても、日本の企業はもう関心を示さない」、「スポンサー獲得の役に立たないドライバーに用はない」と言われ、交渉は全てパーになってしまった。

 その後も新しい契約は得られず……。気づけば、Velo開幕ここまで直前来てしまっていた。


 個人マネージャーの粘りの交渉で、なんとか下位チームの一つからこのイベントレースに参戦できる契約を結び、アピールの場は得られた。

 ……が、2027年シーズンのレギュラーシートはほぼ全て埋まっており、残りのシートは金満ペイドライバーたちの金の叩き合いで、もはや手も足も出せない状況だ。

 このレースで好走しても、得られるのは補欠サードドライバー契約がせいぜいだろう。

 

 2027シーズンのレギュラーシートを得る可能性は、もはや「0」と言って過言ない。


「このまま僕は、壬吹ヤツにVeloから蹴り落とされるのか……?? そうなれば、僕は……クッ!!」


 苦しい状況が、弱気を呼ぶ。

 身体の芯に寒風が吹き込み、全身がぶるっと震えた。


 世界カート選手権を制し、Veloを目指して渡欧して今年で7年目。

 その間、カツカツの活動資金でろくなチームと契約が結べず、どこに飛んでいくのか分からないような酷いマシンばかりでレースをしてきた。

 それでも懸命に走り続け、苦しい状況の中でも活路を見出し、批判を受けるような行為までして結果を出し、トップレベルの戦いにしがみついてきた。


「……それなのに、こんなところで終わるのか?」


 あんな、運とコネだけでのし上がってきたような女に追い落とされるのか? 

 そんなの――


(イヤだ!! 絶対に認めるかっ! こんな惨めな最期を遂げるために、僕はレースを続けてきたんじゃない! 頑張って、耐えて、最大限の仕事をしてきたんだ。……王者になれなくとも、勝者になれなくとも、何か一つくらいこの生き様に対する見返りがあっていいはずだ……! 僕はそれだけのことを十分にやってきたんだ! だから……!)


「壬吹……レースは生まれや政治力の高さ、財布の厚みだけで決まるものじゃない。それを僕が、久湊新司が見せてやるからな……。覚えておけよ」


 弱気を振り払うように、頭を横に振ると。

 久湊は遠ざかっていく夢兎の背を撃ち抜くように、強い敵愾心を滲ませてそう独語した。


 柔かな黒髪の下の表情は、深く被ったキャップのせいで読み取ることができない。

 しかし、その眼光は鋭く。全身から立ち上る烈しい戦意は、すれ違う人々の目を引いていた。




 久湊ひさみな新司しんじ


 Velo Trophyでのキャリアを失いかけている彼は、その元凶である夢兎を強く憎悪し、「打倒・壬吹」を掲げレースへと入っていった。

 金やコネがなく、長くVeloの下位カテゴリーで辛酸を舐めてきた久湊にとって。トップチームから華麗なデビューを飾り、スター街道を走り始めた夢兎は、嫉妬、嫌悪という言葉を通り越し、もはや〝この世の邪悪〟といっていい存在だ。


 そんな邪悪によって、子供の頃から追いかけてきた夢舞台であるVelo Trophyを追い出されるなど、久湊には到底受け入れられることではない。


 夢兎を狙う、久湊の黒よりも闇よりも深い、〝暗い炎〟。

 ジャンとの勝負のことで頭が一杯の夢兎は、その〝暗い炎〟の存在に気づいていなかった。


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