ルーキーの試練 4
●「前回のあらすじ」
シャフイザの元担当エンジニア、ジャン・シモンズは、担当エンジニアになる条件として、自分の考えたセットアップで走ることを夢兎に要求した。
しかし、そのセットアップは極端な「ローダウンフォース・セッティング」。マシンバランスが極端に悪く、新人が使いこなせるようなものではない。
実走テストを終えた夢兎は、「このセットアップで走れない」とシモンズに抗議しに行ったのだが……。
朝からサーキット全体におんおんと轟いてたエンジン音が止み、閑散としていたパドック――ピット裏に人々が行き交い始めた。
ランチタイムのせいか、どのチームクルーの顔も表情が柔らかいように見える。
しかし。
シェッフェルのモーターホームから出てきた夢兎の顔には、彼らとは正反対の険しい表情が浮かんでいた。
モーターホームのシャワールームでパッと汗を流し、ミルクティーベージュの髪を髪留めで簡単にまとめると、すぐにチームスタッフ用のカフェテリアへ向かい。
(…………いた!)
入り口で一つ息を入れると、表情を引き締めてジャンに歩み寄った。
「ジャンさん、少しよろしいでしょうか?」
「……」
声をかけると、ジャンは走行データらしき図表が表示されているタブレットPCからのっそりと顔を上げた。
が、それは一瞬のことで。
こちらを一瞥すると、すぐに顔を下に向けた。
(何なのこの人の態度は、本当に……)
いちいち、ムカムカさせる人だ。
でも、どうせ文句をつけたって無駄だろうし。
ここは我慢して、さっさと話をつけよう。
「テストの内容について、お話しがあります」
「……」
不愉快な気持ちを押し殺し、夢兎は苛立ちが声に出ないよう気をつけながら本題を切り出した。
「先ほどのテストを見てもらったとおり、ルーキーの私がいきなりあんな急進的なセッティングで走るのは無理があります。これ以上、せっかくのプレシーズンテストを無駄にするわけにはいきません。午後からは、前回まで使っていた通常のセットアップに戻してください。お願いします」
「……」
我ながら褒めたくなるくらいの冷静さで頼み込む。
しかし、待てども待てども返事はない。
いや、言葉を返すどころか、ジャンは何事もなかったようにタブレットPCの画面を眺め続けている。
……待つこと十秒。さすがにカチンと来た。
「ッ!! 聞いているんですかっ!?」
先ほどよりも語気を強くして、ジャンを見据える。
すると、ようやくジャンが反応し。
「……ああ、聞こえてるぜ。ただ、何と返していいのか迷ってな」
小馬鹿にしたような口調でそう言うと。
「俺は40年以上この仕事をやってきたが、チームメイトから〝2秒半以上レースペースの遅いセッティング〟に戻してくれなんて、阿呆なことを抜かすドライバーは初めてみたもんでなあ」
煙草で黒ずんだ歯を見せ、ニヤリと笑った。
(ッ! いくら私がルーキーだからって、バカにして……ッ!)
ジャンを敬意する気持ちは、ここでもう完全に消え失せた。
「あなたも知ってのとおり、シェッフェルのマシンは『シャフイザ・スペシャル』と評されるほど絶大に神経質なマシンで、パフォーマンスを引き出すのが極めて困難なマシンです。ルーキーの私が、シェステナーゼのサポートなしにあのマシンをコントロールするためには、これまで採用してきたようなハイダウンフォース仕様のセッティング。どんな状況にもフレキシブルに対応できる〝安定性の高い〟セッティングが必要なんです。まだ数字的には物足りませんが、最初に比べればだいぶタイムも改善してきました。ですから――」
「マシンセッティングは、ドライバーの自分に任せろってぇのか? シャフイザとシェステナーゼのサポートなしじゃ表彰台はおろかポイント争い……いや、Veloで走れる力があるのかさえ怪しいおまえにか? 大した腹だなあ~~おいっ」
イライライライラ。
相手を煽らないと心臓が止まるような病でも患っているんだろうか、この人は? そう思いたくなるくらい口が悪い。
でも、ここは我慢。午後から「まともな」テストをするために、苛立ちを静めて話を続ける。
「……任せろとは言っていません。ただ、頭ごなしにあんな極端なセッティングをやれ、と言われてもできないと言っているんです。一足飛びではなく、もっと現実的なセットアップからはじめて、そこから段階を上げていく。そういうアプローチであれば、こちらも対応できます。しかし、いきなりあれでは……着いていけません」
嫌なものは嫌。
言葉は選んだが、それだけはハッキリと伝える。
そうしないと、欧州ではどんどん自分が不利な状況に追いやられていく。
レースに関することで、そうなるわけには絶対にいかない。
「ハハッ、そうか。データ上では、今使ったセッティングをベースに進めていくのがベストだったんだがな。ドライバーができねえって言うんならしょうがねえなあ」
すると、ジャンは呆れたように鼻で笑い、大げさに肩をすくめた。
皮肉混じりの言い方が癇に障るが、ようやく話が通じそうな流れになった。
これなら、とそう思って口を開こうとしたのだが。
次の瞬間。
「……なんて言うとでも思ったのか、小娘」
さっと顔色を変え、ドスの利いた声で言い切ると。
ジャンは立ち上がり。
「おめえレベルのドライバーが、安全圏から踏み出さずに段階踏んでコツコツ行きましょうってか? カッ! おめえはVeloをどんだけ舐めてんだ?」
「――――ッ!?」
「そんな甘え腐った考えでよくVeloまで来られたもんだなっ! おめぇ、ウチの状況わかってんのか? 悠長にルーキーを育ててる時間なんざねぇんだよウチには! セカンドのおめぇにも、序盤からレ・ジュールと戦ってもらわなきゃなんねぇんだよこっちはっ!」
「うっ……」
午後のテストからはセッティングを戻す。
そう言わせるまでは、何を言われても退かないと決めていた。
しかし、ベテランエンジニアの大喝の迫力に圧されて言葉が出ない。
そんな夢兎にかまわず、ジャンは畳み掛けるように続ける。
「劣化版とはいえ、いきなり《フェノーメノ》をブッ放したドライバーだからちったぁやるだろうと思って来てみりゃ、こりゃとんだ見込み違いだ……。〝クルマが安定してパフォーマンスを発揮する領域〟にしがみついて、〝マシンを速くすること〟は何も考えちゃいねえ! そのくせ、欧米圏のドライバーよりも2、3倍の走行距離を走らないとタイムも出せねぇときてる……過去の日本人ドライバーたちと同じじゃねぇか!」
「何を……っ!」
少しの間、頭の中が真っ白になっていたけど、今の言葉で我に返った。
自分のことを言われるのはいい。でも、何の関係もない先輩たちのことまで馬鹿にされるのは、さすがに我慢できない。
目の色を変えて再びジャンをにらみつけた夢兎は、しなるような声で反論を打つ。
「勝手なことばかり言って……! 状況がわかっていないのは、あなたの方じゃないですか! チームが切羽詰まってるのも、私が早く戦力にならないといけないってこともわかっています。でも、現実的に考えて、ルーキーの私がそんな風になれるわけないじゃないですか! モータースポーツには、状況を一変するような魔法の杖なんてないんです。……あなた、本当にベテランのエンジニアなんですか?」
「言ってくれるじゃねぇか、何もわかっちゃいねぇ青二才のくせに。……いいか? このVelo Trophyで戦ってるドライバーたちは、下のカテゴリーで何度も王者を獲ってきた選りすぐりのドライバーたちだ。そんな奴らを相手に、真面目にコツコツとやっていく、なんて当たり前のやり方が通用すると思ってんのか? おめえのような才能のねえちんちくりんの小娘が、まともなアプローチで勝てると本気で思ってんのかっ!? Veloを舐めんじゃねえッ! 現実が見えてねえのは、おめぇの方だッ!!」
上からマウントを取るような、男性的な迫力に圧されそうになる。
でも。
「ッ……、表彰台を獲ったとはいえ、私がまだ未熟なことはわかっています! でも、あんなヤケクソみたいなセッティングで何ができるって言うんですか! 少なくとも実際に走った私には……何も可能性が感じられませんでした。何もっ……!」
言い負かされずにやり返す。
こういう一方的に自分の意見を押しつけてくる人には、絶対に押し負けちゃダメだ。
胸の内でそう自分に言い聞かせると、夢兎は一歩とたりとも退かないという意思を込めて、ジャンを真っ正面から見据える。
退かぬ、退かずの視線の押し合いが続き。怒号の打ち合いから一転、二人の間に沈黙が訪れた。
しかし、長くは続かず。
「ハンッ! 話にならねぇ……」
意外なことに、ジャンが先に視線を逸らした。
そして、不愉快そうにため息をつくと。
「おまえの婆さんは、ドライバーを見る目はしっかりしていると思ってたんだがなぁ。おまえのようなヤツを育てていたってことは……あの婆さんも、最後は耄碌しちまってたってことか」
信じられないような言葉を発してきた。
「は……??」
背に一刃の冷え切った感覚が走り抜けると、カッと身体が熱くなり、全身が総毛立つ感覚が来た。
心の底から、獣のような声と共に激しい感情が溢れてくるのがわかる。
(日本人ドライバーの先輩たちだけでなく、日本のモータースポーツ界のために精一杯頑張ったお婆さままで愚弄するなんて……許せないっ!!)
「今の言葉は、取り消してください!」
夢兎の瞳が針のように細くなり、空間を切り咲くような鋭利な声がジャンへと放たれる。
しかし。
「取り消さねえよ、俺は事実を言ったまでだ。てめぇの婆さんは身内贔屓をしたんだ……最低のババアだ!」
「ッ! ふざけたことを……!!」
ジャンは、怒気を立ち上らせる夢兎を嘲笑うかのように扱い。
二人の間に一触即発の空気が流れはじめ、周りで心配そうに見守っていた数人のスタッフも、さすがに二人を止めようと近づいてきた。
「フッ、そんなに今の言葉を取り消させたいか? 俺を謝らせたいか? いいぜ。それなら一つ、賭けをしようじゃねえか」
「……賭け?」
しかし、スタッフが割って入る前に、ジャンが突拍子もない言葉を投げてきた。
言葉の意味が咀嚼できず、頭の中にクエッションマークを浮かべていると、ジャンが自分の言葉を補った。
「なに、おまえにとっちゃ楽な賭けさ。再来週、中国で行われるファンイベント・レース。そのレースで、去年と同じようにレ・ジュールの後ろでフィニッシュできたら、俺は今言ったことを詫びてやる。セッティングに関しても、おまえの意見を全面的に受け入れようじゃねぇか」
「――――ッ!!」
突然の提案に驚いたが、提案の内容を理解すると一つの疑問が生まれた。
その疑問を尋ねようと口を開こうとしたが、その前にジャンが先回りしてその疑問に答えてきた。
「だが、もしおまえが負けたら……その時は、おまえの身柄は俺のもんだ。二度と口答えは許さねぇ」
肩をすくめ、冷ややかな笑みを添えて。
「ッ……」
「なんで無口になるんだ? おまえにとっては楽な賭けだろう? 1チーム1台しか参加できないハーフマイル・レース。ここまでのテストを見るに、レ・ジュールを除けばウチのクルマの敵はいねぇ。各チームとも、経験を積ませるためにルーキーを使ってくるだろうしよ。おまえから見れば、美味しい話だろう?」
予想外の展開に困惑していると、ジャンがお得意の煽りを浴びせてくる。
(……ふぅ)
胸の内で一つ息をつき、もう一度頭の中でジャンの提案を整理して考える。
ジャンの言うとおり、中国で行われるファンイベント・レースは1チーム1台参加のワンデーイベント。
台数が少なければ戦いやすいし、マシン戦闘力の話も間違いはない。
舞台になる上海・フォーウェイ・サーキットは、シーズン中も舞台になるサーキットなので、すでにシミュレーターで何度も走り込んでいる。
考えを巡らせても、不利そうな点は見つからない。
レースで話を決めるというのも、文句はない。
……ただ一点。ジャンが、最初からこの賭けを用意していた節を感じるのが気になる……。
でも。
「さぁどうするよ? 勝負するか? それとも、俺の言葉を認めてこのまま引き下がるか? ……どうすんだ、壬吹のお嬢さまよ?」
今はこの男を許せないという気持ちが、何にも勝る。
この勝負、受けて立つ。
ドマイナージャンル&低ポイントの拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます!
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