最速の世界
「――皆様、まもなく当機は着陸いたします。座席のリクライニング、フットレスト、前方テーブルを、元の位置に戻すようお願い致します」
「……んん」
CAの機内放送で目を覚ますと、座席の上で身じろぎした。
ぼんやりとしたまま座席の左側――窓の外の景色へと目を向ける。
(あの時の夢……、もう何度目だろう?)
窓の外は曇り空。先が見通せそうで見通せない空模様。
今の自分の状況にピッタリな景色だ。そう思いながら、姿勢を正す。
「たった1レースとはいえ、本当に彼の代わりをやることになるなんて…………でも、準備はできている」
最後のささやきは自分へ向けたもの。
気を入れ直すように息をつくと、夢兎は移動の準備をはじめた。
* * *
イギリス・ヒースロー空港。
国際線利用者数・世界3位の巨大空港に降り立つと、夢兎は予定を変更して港内にあるカフェテリアへと入った。
本来なら、このまま目的地に直行する予定……だったのだけれど。
「毎回のことだけれど、彼の遅刻グセは、本当に……」
いきなり予定が狂ってしまった。
注文したノンシュガーラテに口をつけ、資料を読むこと30分。
そうして、ようやく「着いた! 今どこだ?」というメッセージが来た。
むっとした顔で返信して読んでいた資料を片付けると、手鏡を取り出す。
白のボウタイブラウスの襟を少し手で正し、ややボリュームのあるミルクティーベージュの髪を耳にかけ直す。
そうして、手鏡から目を上げると――――さっき夢で見た顔が、サングラス越しににへらとした緩い笑みを浮かべて、こちらにやってくるのが見えた。
「今日も可愛い! 可愛い! 『西洋人らしい華のある外見と、日本人らしい落ち着いた佇まいが調和している』……だっけ? さすが、メディアからベタ褒めされる美少女だ」
「おべんちゃらは利きません。今日は予定が詰まってるから、絶対に遅刻しないで下さいってお願いしましたよね?」
「……まあまあ、これが運命だったつうーことよ。しょうがない。…………イタイッ」
「もうっ! ゲームのやり過ぎで寝坊したって、分かってるんですから。こっちは気持ちを高めて来てるっていうのに……!」
「分かった、ごめんって! さぁ、荷物持ちますんで行きやしょう」
「…………お願いします」
(この人のちゃらんぽらんぶりは、何歳になったら直るのやら……)
じと~~っとした目で見つめて、反省を促そうと思ったのだけれど。違うことが気になったので切り替えた。
荷物を彼に渡して、横に並んで歩き出す。
そして、気になったことを尋ねた。
「もう身体は大丈夫なんですか? 歩き方がぎこちない気がしますけど?」
「ああ。少し痛むけど、日常生活なら問題なしだ。だが、レースで走るのは当分無理だな、こりゃ」
「そうですか……。まあ、あなたはゆっくり休んでください。次のレース――――『今シーズンの最終戦「日本GP」』は、私がしっかり代役として走りますから」
「おーおー、言ってくれるわ。じゃあ、目標の〝デビュー戦・表彰台獲得〟は楽勝か?」
「楽勝なんて、大それたこと…………。でも、表彰台は必ずって、そういう気持ちではいます」
「ふーーん、気合入ってんじゃん」
彼にそう言われると、交えていた視線に力を込めてしっかりと頷いて見せた。
今シーズン参戦していた『Pacific Trophy』の最終戦を終え、息つくヒマなく渡英してきたのは。
世界最高峰の自動車レース――『Velo Trophy World |Championship』の名門『シェッフェル・エッフェル』から、前戦で負傷した彼に代わって、今シーズンの最終戦『日本GP』に出走して欲しいというオファーを受けたからだ。
幼い頃から追いかけて来た夢――――念願のVeloデビュー。
でも、喜んでばかりもいられない。
シェッフェルのチーム代表からは、「この一戦でチームの本社やスポンサーが納得する結果……〝表彰台獲得〟が成れば、来季はVeloで走ってもらう」と伝えられているから。
つまり、このデビューレースは〝昇格戦〟でもあるのだ。
「ッ……」
このデビュー戦の大切さ。
そのことを頭に思い浮かべると、全身に力が入る。
けれど同時に、目標の難易度を考えると……不安な気持ちが膨らんできた。
Veloのデビュー戦で表彰台に乗ったドライバーは、ここ30年出ていない……。
「その二人目に、私は成る!」と考えられほど、自分は自信家ではない。
「なんだ? 気合入ってるかと思ったら、急に黙りこくって」
「気持ちは入ってます。でも、〝デビュー戦・表彰台獲得〟という目標の難しさを考えると……」
「不安か? なぁ~~に、俺がフルサポートするんだから。大船に乗ったつもりでいろよ!」
そう言って、サングラスを外すと彼はニカッと、晴れ間のような笑顔をこちらに向けてきた。
サングラスの下に隠れていた彼の素顔が目に映る。
彼の素顔は、左右非対称の異形だ。
左側の顔は、やや前髪が長いことを除けば、特段語ることのない普通の顔。
しかし。
右側の顔にはいくつもの傷が刻まれていて。眼球は全体が灰青色に変色し、目元はメイクを施したように少し灰色になっている。頬の下に広がっている火傷跡も痛々しいものだ。
でも、この顔を見るとホッとして。
今みたいに笑顔を向けられると、どんな不安でも胸から消えてしまう。
……でもでも、急に見せるのはやめて欲しい。
そう心の中で一言付け足すと、少し彼の後ろに下がった。
今、自分の顔には、あまり他人には見せたくない表情が浮かんでいるって、自覚があるから……。
彼はこちらを気にすることなく、前を歩いていく。
その大きな背中を少し見上げて、さっき見た夢の事を思い出す。
もう子供ではないから、自分がこの背中を追い越すことは不可能なのは分かっている。
でも、この背中を後ろから押すことはできる……できるはずなんだ。
お婆さまが一生を通して愛したチーム――――『シェッフェル・エッフェル』。
そのチームでVelo Trophy World |Championshipを制覇すること。
その、お婆さまが託していった夢を叶えられるのは、この人しかいない。
名門『シェッフェル・エッフェル』が誇るエースドライバー――――シャフイザ・クライ。
彼を王座につけることが、私がお婆さまにできる最大の恩返し。
そして、私の――。
ドマイナージャンル&低ポイントの拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます!
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