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最速の世界 16

●「前回のあらすじ」

 ラスト3Lap。猛追が実り、夢兎は再び久湊を射程圏に捉えた。

 感情をむき出しにし、激しく抵抗する久湊。夢兎は自分を信じ、切りフェノーメノに全てをかける。

 最終Lap。奇跡の大逆転、成る。満身の夢兎は薄れる意識をなんとか保ち、万感の思いで3位チェッカーを受けた。


「もうお帰りですか? 夢兎さんは立派なレースをしました。今日くらいは、労っていってあげてもいいのではないですか?」


 レース後。

 歓喜を弾けさせ、小躍りしながら表彰台セレモニーに向かっていくチームクルーたちを後目に。

 チーム代表の美雲しおりは、ピットビルの上階にあるVIPルームのエントランスへと向かった。


 そして、堂々とした恵体めぐたいに詰め襟型のスーツを身に着けた、超然とした雰囲気を漂わす男。


「フフッ。君にしては、珍しい軽口だな」


 シェッフェルの本社、壬吹みぶきのМモータースポーツ部門統括本部長・壬吹英二を見つけると、いつもどおりの調子で声をかえた。


 笑い声を混ぜて余裕のある口調で応じると、英二はそのまま言葉を継いだ。


「思惑どおりに事が運び、チーム代表殿は上機嫌のようだが……。この小さな勝利一つで、君たちを取り巻く状況が改善すると考えているのであれば、思い違いも甚だしいと言わざるおえんな。今期、シェッフェル・エッフェルが不振に陥ったことによって、Velo継続派のお歴々も勢いを失ったと耳にしている。いろいろと蠢動しゅんどうしているようだが、君がどのようにしようとVelo撤退の流れは変えられんよ」

「そうでしょうか? 先日、本社の継続派の方々とお会いした時は、『レースは壬吹のDNA、企業文化だ! 撤退などありえない!』と熱い激励を受けましたが」


「今日の結果など取るに足りないことだ」、そう言わんばかりの態度の英二に対し、しおりは毅然とした態度で言い返す。

 すると英二は、連れていた秘書に先へ行くように促し、エントランス中央部の大型モニターに映っている白銀のマシンを見やった。


「確かに、壬吹はレースで拠り所を定めてきた組織だ。現在のブランドイメージが、Velo Trophyでの活躍によって築かれたものであるという点も否定はしない。……しかし、時代が変わり、顧客の求める利益ベネフィットも変化したのだ。レースに勝てば、社のイメージが向上し業績が上昇するという時代は完全に終わった。旧態依然とした体質を捨て、進取の道を歩むときが来たのだということを、君もそろそろ認めてはどうだ」


 英二はシェッフェル・エッフェルを評価しつつも、壬吹の新時代には不要と言う。

 その語り口は筋が通っているように聞こえるし、間違いでもないように聞こえる。

 しかし、しおりはこの意見には絶対に賛同できない。


 近年。本社の企業成績が低下しているのは、取締役員ボードメンバーの投機的な事業拡大による失策がその原因だからだ。

 以前から壬吹の取締役員ボードメンバーは、実際の実績や能力ではなく、派閥の代表や推薦者で占められ、組織運営能力が著しく低下していた。

 そして、前 取締役員ボードメンバーのそれは特に酷く。会社の内側――派閥の仲間たち――を意識した方針しか出せず、彼らは壬吹の業績を見事に谷底へと蹴り落としたのだ。

 

 にもかかわらず、その補填を何故、長年情熱高く続けて来たレース活動で支払わなくてはいけないのか? 

 しおりにはその判断が全く理解できない。


 成績が、飛ばず泣かずであるのであればまだわかる。

 しかし、近年のシェッフェル・エッフェルは少ない予算で王者争いを続けてきた。不振に陥った今年も、1勝を上げコンストラクターズタイトル(チーム別順位)2位の座を守った。

 この状況で撤退に同意することなど、できるわけがない。


 しおりは、その点をしっかりと抗弁した。

 しかし、英二も簡単に退きはしない。


近々(きんきん)の執行部に問題があった点は認めよう。しかし、現在のシェッフェル・エッフェルにも問題はある。年々増加する活動費用、市販車両へのフィードバックが容易にできない特殊技術の増加、勝者以外のコマーシャル効果の低下……。これらのことは、チームの去就を問うに十分足りるものだ。撤退となれば、チームは売却することになろう。その場合、高い戦力を持った状態である方が好ましいのは言うまでもあるまい」

「本社からの出資に対するリターンは、近年の好成績を考えれば十二分に果たせています。この上、広告価値の高い女性ドライバーの活躍、悲願のドライバーズチャンピオンシップ制覇が達成できれば、本社に対する好影響は計り知れないものになります。その目標を達成する準備は、ご覧のとおり整いました。これまでの投資を無駄にしないためにも、この勝負の結果が出るまでは活動を続けていきたいのです」

「仮定の話をされても困るな。資金不足によって主要スタッフが流出し続けて来た影響が顕在化し、更なる弱体化が進行しているチームの何処に王者獲得の成算があるというのだ? それに、夢兎アレの実力もまだ未知数だ。君の言っていることが現実になるとは、到底思えんな」

「……」


 痛いところを突かれたしおりが、目を伏せて言葉に詰まる。

 しかしすぐに立ち直ると、しおりは英二の目元をしっかりと見て言った。


「チームの弱体化が進行していることについては、認めます。ですが、他チームには明らかに見劣りする給与サラリーしか支払えていないにもかかわらず、チームが王者獲得するために、精一杯働いてくれているスタッフたちのことを考えると……今、退くことなど考えられません」

「Veloの競争コンペティションは過酷だ。一度下り坂に入ったチームを、上昇気流に乗せるのは容易なことではない。それがわからぬ君ではあるまい」


 元チーム代表として、感じるものがあったのだろう。

 英二はしおりの言葉を否定したが、その甘さを切って捨てるような物言いはしなかった。


 その点に気づいたしおりは、目を閉じると胸襟を開けるようにして言った。


「現実的でない話でも、やらなければならない時があります。チームのスタッフと同じように、私自身にも退けない理由がありますから」

「……君も過去にこだわるものだ」


 英二がため息をつくようにそう言うと、しおりは口元を少し綻ばせた。


「壬吹本社で生き場を失った私を、このチームは……いえ、当時のチームオーナーだった夢兎の祖母(里子さん)は拾ってくれました。今、私が生きがいを持って毎日を送れているのは、あの方のおかげです。……その恩返しをするまでは、私は諦めません」


 そして、そこまで言うとしおりは。


「できれば、里子さんと一緒に私を育ててくれたあなたに対しても、借りを返したかったのですが……」


 寂しげな笑みを浮かべて、言葉を足した。


 シェッフェル・エッフェルの代表を務めていた当時の記憶が胸に去来したのか。

 しばらくの間、英二はしおりに視線を合わせたまま沈黙した。


 しかし。


「……君のセンチメンタリズムに付き合うほど、私はヒマではない」


 過去を共有する者同士の繋がりを断ち切るような鋭い口調でそう言うと、しおりを突き放すように言葉を継ぐ。


「現在のVelo Trophyは、貴族たちの遊び場。選ばれた者たちだけが富む、閉鎖された社会に回帰している。彼らは自分たちの望む結果を得るためならば、白を黒に、黒を白にも変える。そして今、彼らの目当てに日本は入っていない。平等な競争が保証されていない状況で、どうして成功が収められるというのか……。今でも私を恩人と思っているのならば、その点に気を向け、もう一度己の道を考え直して欲しいものだ」


 そう言い置くと、英二はしおりの横をすり抜けエントランス出口へと向かっていく。

 英二の言葉は、チーム代表を務めているしおりが、日々身にみて感じていることであり、否定する言葉はどう引っくり返っても出てこない。


 だが、その言葉に相対する言葉を、彼女は一つだけ持っていた。

 振り向くことなく、しおりが口を開く。


「『Veloは、権威主義の蔓延した不公平な世界だ。しかし、日本人はそういった不公平な世界にあえて飛び込み、勝利を挙げることによって国際的な地位と評価を高めてきた。それを考えれば、Veloは我々が挑むべき最高の世界、究極の勝利を手にすることができる夢舞台だ。一生の仕事として、これ以上やりがいのある仕事は他にはない』……昔のあなたは、そう言っていましたよ」


 しおりが心の引き出しにしまってあった大切な記憶を取り出してそう告げると、英二は靴音を高くして立ち止まる。


「その幼稚な志が仇となり、魂を八つ裂きにされ、何とか見いだせたのがこの〝仮面付きの生き方〟だ。……君は私に対して何か期待しているようだが、私が過去に立ち戻ることはない。それだけはハッキリと言っておく」


 互いの間にある平行線を越えようとするしおりの意志をへし折るようにそう言い切ると、英二はしおりの元から去って行った。


「……豆腐にかすがい、か」


 取り残されたしおりは、冗談めかした口調でそうつぶやくと。

 大きなため息を一つつき、チームの元へと歩き出した。


 


 前シェッフェル・エッフェル チーム代表――――壬吹英二。

 現シェッフェル・エッフェル チーム代表――――美雲しおり。


 この二人は、かつてはシェッフェル・エッフェルの王者獲得という夢を共有し、共に戦った同志だった。


 だが、心を通わせた時代は遠く過ぎ。

 今は道を違え、「Velo継続、撤退問題」の両極で対立している。


 * * *


 視線を上げると、春の花畑のようなカラフルな景色が広がっていた。

 揺れる小旗やタオルが本当に綺麗で、新春の花々のように輝いて見える。

 

 眼下にも人々の群れ。

 肩を組む人、歌う人、泣く人、ウォーターボトルを振りまく人……こちらも正面に負けず劣らずの大騒ぎだ。


 ――――ッッ!!

 ――――ッッ!!!!


 人々が同じ言葉を何度も叫ぶ。でも、みんなが何を言っているのか私にはわからない。

 頭が熱中症のようにぼんやりしていて、思考が上手く働かなくて。

 視界の色彩が白けはじめる。

 今にも意識が飛んでしまいそうだ。

 けれど、これだけはわかる。


 この〝喝采は最高だ〟。


 だって、こんな状態なのに心臓はドキドキしっぱなしで。外に飛び出てしまいそうなくらいの快感が、全身に溢れているんだもの。

 そう、私はこの喝采を求めて走ってきたんだ。


 そして、これからも走り続けて……いく……――




 軽い頭痛とともに、意識がゆっくりと浮かび上がってきた。 

 目を少しずつ開いていくと、にじんだ白い光が現われた。

 これはおそらく……電灯だ。そして、周りの白いのは天井で……ここは病室? 


 そこまで認識すると、「自分は何故、病室で寝ているのだろう?」という疑問が沸き上がってきた。


(私は……)


 なかなか思い出せず、寝ぼけまなこのままでぼんやりと考える。


「……シャフイザ、夢兎ガ目ヲ覚マシタヨウダ」

「おっ? 今日はもう寝っぱなしかと思ってたんだが……おう、どうだ? 頭は痛くないか?」


 すると、聞き慣れた二つの声が耳に入ってきた。

 首を少し起こして声の主を確認すると、思ったとおりスタンドに立てられた携帯とスカーフェイスの男性の姿が目に入ってきた。


「……大丈夫、です。……シャフイザさんは、もう大丈夫なんですか?」

「ああ、一晩入院して何とかな。っておまえ、起き抜けに他人の心配かよ」

「だって……」


 理由を説明しようとして、言葉に詰まる。

 反射的に尋ねてしまったが、何が原因でシャフイザが大丈夫じゃなくなっていたのかが思い出せない。 


 窓の外を見ると、もう夜になっていた。それを見て、何かとても大事なことを忘れているような気がしてきた。

 でも、頭の中にもやがかかっていて、それが何なのかわからない。思い出せない。


「シャフイザさん、私……」

「おいおい、無理に起き上がんな。おまえは倒れた時に軽く頭打ってんだ。今、看護師呼ぶから、そのままにしてろ」

「倒れた? 私が?」

「ん、覚えてないのか? レースが終わったあと、おまえは極度の心身疲労でぶっ倒れてそのまま病院に運ばれたんだよ。まあ、デビュー戦であんなタフなレースしたんだ。無理もねえさ」

「レース? …………そうだ、レースッ!!!!」」


 レース。

 その言葉を頭に浮かべると、充満していた靄が消し飛んで思考が一気に覚醒した。


「レースはっ!? レースの結果はどうなったんですかっ!?」


 勢いよくブランケットを除けて跳び起きると、シャフイザの手を強引に掴んで尋ねた。


「んん?? 覚えてないのか?」

「覚えてませんっ!! 教えてください、お願いします!!」

「わかったわかった! わかったから、落ち着けよ」

「夢兎ハ、machine(マシン)ヲ降リル前カラ意識ガ朦朧トシテイタ。オソラク本当ニ何モ覚エテイナイノダロウ。……百分ハ一見ニシカズ。コレヲ見ルトイイ」


 シェステナーゼが、携帯セルフォンの画面一杯に何かの動画を表示する。

 シャフイザからそれを受け取ると、再生マークをタップした。


 蒼いマシン。鮮やかなチャンピオンズ・ブルーの編隊が、ホームストレートに向かっていく。

 その二台にチェッカーが振られた。……どうやらゴールシーンのハイライトのようだ。


 そして、そのレ・ジュール1、2フィニッシュのシーンに次いで。

 最終turn(ターン)を立ち上がった白銀のマシンが映った。

 ドライバーがキャノピーを開いて拳を突き上げ、チェッカーを受ける。すると、シェッフェル・エッフェルのチームクルーたちが、泣きながら抱き合った。


 そして、表彰式へ。

 人生で一番見慣れた顔が、レ・ジュールの王者コンビと共に表彰台へ上がり、喝采を浴びている。

 表彰台の上にあるセンターポールには、ドイツ国旗とフィンランド国旗、そして日の丸が上がっている。


「ああ……」


 全ての情報が、求めていた答えを伝えている。

 薄っらとだが、この時の記憶が頭の中に残っている。

 疑う余地は、もうない。


 でも、どうしても。

 どうしても、信じられなくて……。


「これ、私ですか……?」


 そう尋ねてしまった。


「ん? なんだ、まだ寝ぼけてんのか?」

「……信じられるわけないじゃないですか。だって、ずっと、ずっと遠い夢のように思ってたことを突然、達成できたんだって言われたって……そんなの、私……」


 目元を震わせて、かすれた声でそう返す。 

 すると、シャフイザは目を細めて一つ息をつき、声を真剣なものに変えて言った。


「胸を張れよ。おまえはVeloのデビュー戦で表彰台に登ったんだ。誰にもできることじゃない」

「……表彰台に登れたってことは、来年から私は……」

「ああ。来シーズンのシェッフェル・エッフェルのドライバーは、俺と……おまえだ」


 シャフイザの言葉に頷こうとして、失敗した。

 目を見開いたまま、何もできない。

 

 シャフイザの言葉は、自分がずっと求めてきた言葉の一つだ。

 けれど、あまりのこと過ぎて。心が追いつかなくて。実感がわかなくて……ただただ呆然としてしまって。頭の中が真っ白になる。


 そうして、しばらく固まっていると。


 ――――胸を張れよ。おまえはVeloのデビュー戦で表彰台に登ったんだ。誰にもできることじゃない。

 ――――ああ。来シーズンのシェッフェル・エッフェルのドライバーは、俺と……おまえだ。


 ふいに、シャフイザの言葉が頭の中で繰り返すように浮かんできた。

 その字列を一字一句確かめるようになぞっていくと、ブルッと心が震えた。

 瞬間冷却されたように硬直していた心が解凍し、いろいろな感情が吹き出してくる。


 実感が、やっとわいてきた。

 でも、それでもまだ信じられなくて。自分のことだと信じられなくて。もう一度なぞり直す。


 ――――胸を張れよ。おまえはVeloのデビュー戦で表彰台に登ったんだ。誰にも出来ることじゃない

 ――――ああ。来シーズンのシェッフェル・エッフェルのドライバーは、俺と……


「あ゛あ゛ぁ……う゛っ、うぅ…………」


 今度は、最後までなぞれなかった。

 つぅ、と一筋の涙が頬を伝う。涙は堰を切ったように止め処なく溢れ、拭っても拭っても止まらない。


 全身を震わせて、子供のように泣きじゃくってしまう。

 人前でやるようなことじゃない。そうわかってるけど、ずっと堪えていた感情が爆発したように心に溢れかえって、それがもう抑えられなくて。止められなくて。

 自分のことがコントロールできないくらい感極まってしまって。もう……どうしようもできない。


「シャフイザさん、シェステナーゼ、ありがとう……。本当に、本当に……」


 共に戦ってくれた戦友パートナーたちに対して、ささやくような声で感謝の言葉を伝える。

 気持ちを口に出すと、たがが外れたように気持ちが一気に昂ぶってきて、胸の中がぎゅーっと締まっていく。

 

 そして。


「ッ!? ゆ、夢ッ!?!?」


 言葉では言い尽くせない感謝の気持ちを、どう伝えればいいんだろう?

 そんなことを考えていると、シャフイザの〝戸惑うような声〟が聞こえてきた。


(……ん? ッッ!!)


 何かがおかしいと思い、つぶっていた目を開ける。

 すると、見慣れたシェッフェル・エッフェルのシルバーグレーのダンガリーシャツが視界一杯に広がり。

 胸や腕には、何かが接している感触がある。

 

(こ、これって、もしかして……!?)


 そう思って、顔を上げていくと――


「◎×▲□☆※――――!?!?!?!?」


 予感的中。

 そこには驚き色のスカーフェイス

 いつの間にか、気の昂ぶるままに任せてシャフイザの胸に飛び込み、それで……それで……。


(背中に手を回しているのは、私だけ。ということは…………は、はぁわわわわっっ!!!!)


 状況を確認して心内で絶叫を上げると、一刻も早く離れなくてはと思いベッドの反対側まで跳ぶように後ずさもうとした。


 しかし。


「ッ!! シャ、シャフイザさん……!?!?」


 その前に、シャフイザが背中に手を回し、離れるのを拒むようにぐいっと抱き寄せられる。


「え? え? ……ンッ……」


 恥ずかしくて身をよじって逃れようとする。

 けれど、「大人しくしろ」と言わんばかりに抱きしめる腕に力がこもって。夢兎は抵抗できなくなった。


(どういうつもり? ……まさか!? いや、でも、そんなこと……)

 

 ある期待が生じて、かすかに身体が震え始める。

 今までとは違う昂ぶりがじわじわっと全身に広がって、胸が高鳴る。

 

「おまえさ……」

「……はい」


 頬を紅潮させ、シャフイザに聞こえるじゃんないかって思うくらい胸を高鳴らせながら、次の言葉を待つと。


「もしかしたら、ギリギリ〝Bカップ〟あるかもしれないぞ。今度、ちゃんと測ってみろ」


 ……。

 …………。

〝最低最悪な言葉〟が飛んできた。

 

 頬肉がピクピクと動き、次いで身体がわなわなと震えはじめる。

 今まで心の中にあった幸せな気持ちがすぅーっと抜けていき。代わって、親の仇を見つけたようなドス黒い感情が心を支配していく。


「良かったな。女性アスリートは胸がない方がいいっても、やっぱりちょっとくらいはな、ブヒィィィィィィ!!!!」


 はい、ちます。

 もちろん一発では済ませません。フルスイングビンタを連打。


「ぼ、暴力反対ぃぃ!!!! なんか微妙な空気になっちゃったから、ちょっとからかっただけ、プヒャイッッ!! ……や、やめろ! 時代錯誤な俺が悪かったから! 許し……って、あれ? もう終わり?」 


 言葉の暴力を本当の暴力で返すのはいけないことだけど、これは打っていい。

 世界中の女性――特にバストサイズの小ささに悩む女性なら誰だってこうするはずだ。間違いない。


 そう思って、とっちめてやろうと思ったのだけれど。


(……最初にハグしにいって微妙な空気を作ったのは私だし。今回だけは、シャフイザさんだけを責めるわけにもいかないか……)


 そう思い直し、「次、言ったらもう容赦しませんから」と言って念を押すと、シャフイザを早々に解放した。


「……? なんだかわからないけれど、もう許されたってことでOK?」

「許してません。次同じこと言ったら、絶対に容赦しませんから」

「わかった、わかったよ……。こんな強烈なビンタ食らいまくってたら、頭蓋骨がいくつあっても足らんわ……」


 解放されたシャフイザは頬を撫でながら立ち上がると、「しおりさんたちに連絡してくる」と言ってよろよろとした足取りで病室から出て行った。


(……まだ病み上がりなんだ。カチンと来たとはいえ、さすがに叩いたのは良くなかったわね……)


 その背中を見送ると、気まずい思いが胸にやってきた。

 しかし。


「夢兎、気ニ病ム必要ハナイ。今ノハ、以前注意ヲ受ケタニモカカワラズ、マタdelicacy(デリカシー)ノナイ発言ヲシタシャフイザガ100%悪イ」

「……ありがとう、シェステナーゼ」


 沈黙していたもう一人の紳士的な相棒パートナーのフォローで、「いや、叩いたのは正解」と思い直す。


 でも、これはこれとして。

 負傷間もないシャフイザが、自分を心配してずっと付き添っていたのは間違いのないこと。

 今回のデビュー戦でお世話になった分も含めて、何かお礼しなくてはと思う。


 そう話すと、シェステナーゼも同意してこう言った。


「ソウダナ。彼ハ褒メルト調子ニ乗ルノデ直接言ッテハイナイガ。古傷ヲ傷メタ状態デヨク君ヲsupportサポートシタト、私モ思ウ」

「ええ」

「……ソウダ。伝エ忘レテイタガ、君ト久湊ひさみなガ接触シタ後ニカケタ言葉。実ハアレモ、『レース中に夢兎がヘタレたら、言ってやれ』ト彼カラ言ワレテイタコトダッタノダ。アノ言葉ガナケレバ、再ビ久湊ヲ追イカケルコトハ不可能ダッタニ違イナイ。ソレモ含メテ、礼ヲ伝エルトイイ」

「そう、だったんだ……」  

 

 ――――君ハ、マタ負ケルノカ? マタgood(グッド) loser(ルーザー)デ終ワッテシマッテモイイノカ?

 

 ――――今、君ノ立ッテイルソノ場所。勝ツカ負ケルカノ境界線デ挫ケテシマッタラ、raceデ勝ツコトハデキナイ。コノママデハ君ハ、自分ノ欲シテイルモノヲ手ニスルコトハ決シテデキナイ。……夢兎。君ハ、ソレデモイイノカ?


 ――――君ハ、raceニ勝チタクナイノカ?


 その時の言葉が頭の中によみがえる。

 確かにあの言葉はシェステナーゼらしいものではなかったけれど、そんな裏があったとは思わなかった。


「シャフイザさん……」

 デリカシー皆無のヘンタイだけど、シャフイザは夢兎が成功するためにやるべきことを全てやってくれた。

 そのことを再認識すると、再び胸がじんわりと温かくなって感謝の気持ちが膨らんでいく。

 でも、先ほどとは違い。その気持ちに浸ることはない。


(そう、感謝しているだけじゃダメなんだ。来年から私は、シャフイザさんの戦いを直接サポートできるようになるんだから……)


 自分が早くシェッフェル・エッフェルの一員になりたいと願った理由。

 それを思い出した夢兎は、頭の中に充満していた惚けた気分を両頬を張って追い出すと。夜空に浮かぶ星々に目を向けて、レースのことを考えはじめた。


 シェッフェル・エッフェルはスズカを得意としていて、通常よりもマシンの戦闘力が高かったこと。

 シェステナーゼが、パートナーに着いてくれたこと。

 シャフイザが、怪我を押して私専用のベースセッティングを出してくれたこと。

 敵であるユイ・キルヒネンが、援護してくれたこと。


 今日の結果は、これだけ有利な要素が揃っていたからこそ達成できたものであって、自分の実力で成し遂げたものとは到底言い難い。

 逆に、自分が犯したミスやできなかったことを考えると……今更ながらに実力不足を痛感してしまう。


 今回は運良く上手くいったが、自分はまだVeloで通用するドライバーとは言えない。

 このまま来シーズンを迎えたら、恩返しをするどころか、チームの足を引っ張りかねない。

 そう自分で思ってしまうくらい、課題は多い。

 

 でも……。


(もう、挫けはしない!)


 沈みそうになる気を叱咤するようにティーブロンドの髪を掻き上げると、夢兎は心の中で強気を繋げる。


(来シーズン、例え今回直面した以上の壁や想像だにしなかった困難に襲われたとしても、私は絶対に諦めない。もう自分にも負けない。そう言えるだけの強さ、逆境に立ち向かう強さを、このデビュー戦で掴んだから。

 だから、これからは何があっても胸を張って前だけを見て進んでいこう。

 みんなに助けられる側ではなくて、早くみんなを助ける側になりたいから。私は、そのためにここまで走り続けてきたのだから)


「……頑張ろう。そうすればきっと、叶うから」


 昂ぶっていく自分を抑えるように、そう静かにつぶやくと。

 夢兎は煌めく星々から視線を切り、次のレースに向かうスタートを切ったのだった。

 ドマイナージャンル&低ポイントの拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます!

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