最速の世界 14
●「前回のあらすじ」
17Lap目。勢いに乗った夢兎は好調にLapを刻み、早くも表彰台圏内・3位のポジションが見えてきた。
しかし、戦前の予想通り久湊新司が立ちはだかる。マシンの戦闘力で上回る夢兎は、徐々に久湊を追い詰めていくが……。
この展開は、久湊の思惑どおり。巧妙に仕掛けられた罠への誘いだった。
最終区間にある大型バンク・130でロスメンズMGEのスリップを使い、完璧に尻に食らいつけた。
(絶好のタイミング。勝負を仕掛けるなら、ここしかない!)
そう確信し、次のシケインに向かう300m程の短いストレートでインサイドからダイブ。
ブレーキングは完璧。これ以上ないほど切れ味のある一撃を決められた。
「久湊さんも、これならば……!」と、そう確信していた。
しかし、次の瞬間。
(…………え?)
全ての色が横に高速回転し、私の世界は凍りついた。
一瞬意識が途切れ、頭の中が真っ白になる。
突然起こった状況変化に着いていけなくて。何も考えられなくて。ただただ目を瞬く。
そして。頭がようやくのろのろと動きだし、「私は今まで何をしていたんだろう? マシンのコックピットにいて、マシンは止まっていて……」と少しずつ状況を確か始めていたところで。
「――――ッ!!」
聞き覚えのある声が聞こえてきて。
「――ッ!!」
やっと。
「夢兎ッ!!」
「ン、ンン」
目が覚めた。
「大丈夫カ? 身体ニ異常ハナイカ?」
「だ、大丈夫……」
「……コチラノcheckデモ問題ハ見ラレナイ。raceヲ続行シヨウ。machineヲpit roadヘ。front wingガ大破シテイル」
「えっ? ……え、ええ」
シェステナーゼの急くような声に従って、マシンをピットロードに向けてリスタートさせる。
接触したのがシケインで良かった。ここはピットロードに一番近いターンだから、タイムロスも少なくて済……。
「ンンッ――!!」
とそこまで考えると、「接触」という単語が頭の中で膨張し。
「シェステナーゼッ!! 久湊さんはっ!? レースはどうなっているの? 教えてっ!!」
自分が最悪のシナリオに落ちたことに気づいた夢兎は、カッと目を見開いて怒鳴るように尋ねた。
「落チ着ケ、夢兎。接触シタノハ事実ダガ、幸イtime lossハ大キクナイ。気持チヲ切リ替エテ、モウ一度久湊ニ追イツコウ。ソウスレバ」
「気休めはいいから、久湊とのタイム差を教えてっ!」
「…………先程ノ接触デ、彼トノtime差ハ、+11秒ニ広ガッタト推定」
「ッ! 11秒……!? もうレースは残り20Lapもないのに……。私は、なんてことを……」
久湊は、危険な敵だ。
こういうことが起こりえる相手だと、十分わかっていたのに。
(それなのに、私は……!!)
自分への怒りが抑えきれず、右拳で自分のヘルメットを思いっ切り叩く。
(最悪……最悪だ。取り返しのつかないことをしてしまった、私は……)
* * *
《さあーー大変なことになってきました!! 2026 Velo Trophy World Championship 最終戦、日本GPッ!! 優勝はスタートからトップをひた走るレ・ジュールのエッフェンミュラーでほぼ決まった感がありますが、どっこい! 表彰台争いは序盤から複数のドライバーが絡み合う大混戦! そして、なんとなんと! 35Lap目の最終シケインで、表彰台を争っていた日本人ドライバーの二人――久湊新司、壬吹・ハーグリーブス・夢兎がまさかの接触っ! この接触によって、久湊を追っていた壬吹はフロントウィングを大破! 予定より早いピットインを強いられ、タイヤと同時にフロントウィングも交換しました。……いやぁ、これは壬吹とシェッフェル・エッフェルにとっては大誤算ですね》
《んんーー、やっちゃいました。我々日本人としては、一番起きて欲しくないアクシデントだったんですけどね……》
《インから攻勢をかけた壬吹に対して、アウトにいた久湊が被せるような形でブロック。接触し、壬吹はスピンモーメントが働き一回転。しかもフロントウィングと……マシンのサイド側にもダメージ負ってますかねえ?》
《そうですね。国際放送でスロー映像が出ていますが……サイドポンツーンにもダメージ負ってますね、これは》
《んん~~、壬吹の「デビュー戦・表彰台」という快挙は、これかなり苦しくなってしまいましたかね?》
《ピットロードの入口のすぐ側にある最終シケインで接触しましたから、タイムロスは最小限で済みました。しかし、ここでタイヤ交換せざる得ない状況になってしまったのは、レース後半を考えると厳しいですね。二回目のピットを済ませていないマシンともう一度バトルする必要がありますし、先ほど申し上げたとおりマシンのダメージもありますから。背負ったビハインドは、大きいです。デビュー戦・表彰台は、1996年、ジャック・ヒェメーニュ以来の快挙だったんですが……んーこれは苦しくなりましたね、壬吹。はい》
《一方、久湊は運よくノーダメージですが……どうでしょう? やや強引に守りにいったようにも見えましたが……もし久湊にもペナルティーなんてことになりますと、日本人ドライバー共倒れという最悪の形になってしまいますが》
《そうですね。今のは審議対象になる動きでしたね。んー、でもどうでしょうか? 難しいところですねー、今のは》
「――――ペナルティーは出ないっ!!」
場内実況・解説の会話は、レース中の久湊の耳には当然届いていない。
しかし、彼はコックピットの中でタイミングを合わせたかのようにそう言い切ると、その論拠となる考えを頭の中で並べた。
(5Lap以上も超接近戦のバトルを続けて、お互いにヒートアップしているという伏線は十分に描いた。競技審査委員の目には、ドライバーが激しく争った結果による『故意に拠らない接触』と映ったはずだ。
それに、Veloの運営はグランプリを盛り上げるために、地元GPのドライバーに対しては優遇措置をとることが多い。
先ほどの接触で、壬吹は実質表彰台圏外。この上、僕にも重いペナルティーを課せばファンは興ざめだ。例えペナルティーが出されたとしても、二回目のピットストップの時に停止タイム5秒加算、といったところがせいぜいだろう。その程度のペナルティーであれば、大勢に影響はない!)
「ああ、大丈夫だ……! 僕の読みは当たっている。僕は間違っていない!」
自分に言い聞かせるようにそう独語すると、久湊は思いっ切りよくブレーキングを決め、右へステア。
先ほどの接触を頭の隅に追いやり、ドライビングパフォーマンスを上げることに集中していく。
Veloを目指すためには年間億単位の活動資金が必要であり、このステージを走るほぼ全てのドライバーたちは、自動車メーカーを始めとした一流企業のサポートを得てここまでやってきた。
しかし、〝とある事情〟でそのサポートを受けられなくなり、常に競争力の低いマシンでのレースを続けてきた久湊は、結果を出すために先ほどのような〝グレーゾーン〟の戦いを何度も行ってきた。
その経験で培ってきた嗅覚に久湊は絶対の自信を持っており、この捨て身の攻撃は絶対に許容されると信じきっていた。
そして。
彼の覚悟を据えた決断は天に届き。
『pp……久湊、ノーペナルティーだ! さっきの接触についてのペナルティーはない! 表彰台に向けて突っ走れ!』
「フッハハハハ……見たかっ!! 白も黒も知識と経験で使いこなす、これが国際舞台で戦える人間のっ! 自力で這い上がってきた人間の強さだっ! いいとこ育ちで金に困らず、速いマシンばかりに乗ってちやほやされてきた成金ドライバーの壬吹とは違うんだよ、僕はっ!!」
チーム無線を聞き終えた久湊は、鬱憤を晴らせた爽快感に浮かれ叫び、このレースが自分の思惑通りに終わることを確信したのだった。
* * *
その一方。
(タイヤが最後まで保つかどうか考えてる場合じゃない。ペースアップしてとにかくもう一度久湊を捕まえないと……)
最小限のロスで済んだとはいえ、夢兎は久湊から大きく遅れ。
更に。
「ッ!? アンダーが強い! マシンがイメージどおりに、曲がらない……!?」
ダメージを負ってエアロバランスが崩れたせいか。ターンでマシンが挙動を乱すようになり、思うようにペースが上げられなくなってしまった。
コントロールを取り戻すために、ステアリングから操作できるマシンセッティングで様々な調整をかけてみるが……。接触前のフィーリングは戻らず。
「こんな……こんなことって……」
夢兎は、絶体絶命の窮地を迎えた。
「冷静ニナレ、夢兎。car balanceノ悪化ニ引キズラレテ、君ノ入力モ荒クナッテイル。一貫性ノアルdrivingヲスレバ、コノ状況モ打破デキルハズダ」
「やってるわよっ!! でも……できない……!」
八つ当たりするように怒鳴って……我ながら情けないと思う。
でも、頭が完全にパニック状態で、どうしていいのかわからなくて。
自分の心もどんどんコントロールできなくなっていく。
シェステナーゼの言うとおり、一刻も早く冷静にならないといけない場面なのに。そうわかってるのに。
でも、どうしてもさっきの接触のことが忘れられなくて……。目の前のことに、集中できない。
「チィィ!!」
ターンの出口でラフにアクセルオンしてしまい、リヤタイヤが横へズルッと流れた。
ステア操作やペダルアクションが、まるで心許ない。ちぐはぐでボロボロだ。
こんなイージーミスをやってる場合じゃないのに……。自分に期待してくれている人たちのためにも、今度こそ結果を出さないといけないのに……。恩返しがしたいのに……。
それなのに、でも……。
(どうすればいいのか、わからない……)
現状に抗う気持ちが乱れはじめ、さらにミスが増えていく。
悪循環にはまり、状況を打開する手立ても思い浮かばず、頭の中はもうぐちゃぐちゃ……。
挙句の果てに。
――Veloで成功を収められるのは、こういった勝負どころで必ず結果を残し、人心を引き寄せ、周りに自分を担がせる気を起こさせるドライバーだけだ。
――己の非力さ、己の立場、それらのことに対しておまえはあまりにも無自覚過ぎる。バカな夢物語ばかり追いかけず、現実と向き合え。そうすれば、おのずと己の成したいことでなく、己の成せることに目が行くようになる。その点にもっと思いを馳せるべきなのだ、おまえは。
「くっ……!」
レース中、絶対に思い出してはいけない言葉が、頭の中に浮かんできた。
(私は……また……)
頭の中に漂うネガティブな言葉に触れると、全身を駆け巡る血液が急激に冷えていき。
気持ちが萎え、うつむき。穴が開いたように、戦意が一気に身体から抜けはじめた。
そして。
心が折れかけた――――その時。
「夢兎! raceハマダ終ワッテハイナイ。ソレナノニ君ハモウ、諦メルノカ?」
「――――ッッ!?」
こちらの心を直に打擲するような、強い言葉が飛んできた。
「シェステ、ナーゼ……」
急に投げかけれた言葉に戸惑い、目をパチクリする。
けれど、そんな自分に構わずシェステナーゼは。
「君ハ、マタ負ケルノカ? 『優秀な敗者』デ終ワッテシマッテモイイノカ?」
こちらの心の傷を抉るような、痛烈な言葉を浴びせてきた。
「そ、それは……」
この四週間。シェステナーゼとは、昼夜を問わず多くの時間を過ごしてきた。
しかし、ここまで厳しい物言いをされたのは、はじめてだ。
あまりのことに、言葉を失う。
頭が真っ白になる。
「motor sportsハ、男社会ダ。環境ニ恵マレタトハイエ、女性デアル君ガ、コノVelo Trophyニタドリ着クタメニ強イラレテキタ苦労ハ並大抵ノモノデハナカッタダロウ。ソレヲ乗リ越エテキタ君ハ、間違イナク賞賛ニ値スル」
「……」
「シカシ、今、君ノ立ッテイルソノ場所。勝ツカ負ケルカノ境界線デ挫ケテシマッタラ、rivalタチニ勝ツコトハデキナイ。コノママデハ君ハ、自分ノ欲シテイルモノヲ手ニスルコトハ決シテデキナイ。……夢兎。君ハ、ソレデモイイノカ?」
「ッ……」
「君ハ、raceニ勝チタクナイノカ?」
「――――ッッ!!」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中で雷鳴が轟いた。
(……このままなんて、嫌に決まってる。勝ちたくないなんて、そんなこと……)
「……ない」
胸の内でそうつぶやくと、心の奥底から熱が上がってきた。
「ンッ!」
その熱に意識を向けると、同期のライバルたちに敗れた時の悔しさ。
不甲斐ない自分に対する怒りが全身を貫き。
(あんな思いはもうしたくない。あんな思いをするために、私はレースを走ってるんじゃない。私がレースを走っているのは……)
身体の底から吹き上がってくる熱流の勢いに乗って、赴くままに言葉を走らせると、心が、魂が、一気に――――。
「勝つためだ! 私は……勝ちたいっ!!」
発火した。
普通の女子学生としての生活を、青春を、全て投げ捨ててレースに没頭して来たのは。
多額の資金が絡むがゆえに生じる軋轢、外野の過剰な期待、性差による問題……。それらの重荷に苦しみながらも、それでも前だけを見て、走り続けて来たのは。
「レースが、レースが好きだからっ!! だから、私は……誰にも負けたくない!!」
自分を支えてくれる人たちに恩返ししたいという気持ちは、自分にとって大きなモチベーションだ。
でも、やはり一番上にあるのは――――この気持ち。
「私は、レーシングドライバーだから!」
自分の心の奥底にあった、一番大切な気持ち。
それを言葉にして思い出すと、身体の底から吹き上がってきた熱が一気に燃え広がりはじめた。
心の中に充満していたネガティブな気持ちが、全て燃えていくのがわかる。
脳裏で何度も響いていた〝英二の言葉〟も、もう聞こえない……!
「ソノ言葉ヲ待ッテイタ。行コウ、夢兎。今日ノ君ナラバ、限界ヲ越エラレルハズダ」
「うんっ!」
普段なら照れくさい言葉だけど、今はそれが心地良い。
熱く、もっと熱くなりたいから。これぐらいが丁度いいんだ。
「ありがとう、シェステナーゼ。あなたのおかげで、立ち直れたわ」
「礼ニハ及バナイ。今ノ私ハ、君ノpartnerナノダカラナ」
「ふふっ。よし、反撃開始よ! シェステナーゼ」
「了解。イツデモ指示ヲ」
コミュニケータースクリーンに向けて頷くと、夢兎は心のギアを上げてマシンを増速しはじめた。
散らばっていた集中力を収斂させ、マシンの挙動に感度を開いていく。
そして、ターンの入口、中口、出口で、マシンから送られてくる情報を細かく分析。
そして、出た答えは。
(やはり、さっきの接触でエアロバランスが狂っている……。でも、さっきまでは焦って見落としていたけれど、安定して使えそうな領域がないわけじゃない。動きの悪い領域はできるだけ使わずに、|コーナリング中の最低速度を上げて走れるように詳細を詰めていけば…………いける!)
「シェステナーゼ、moving surface control hard 6。ターン入口のデブ・マネージメントを緩めて回頭性を調整するから、ブレーキング時の安定性とコーナー出口でのフォローをお願い」
「了解ダ、夢兎」
シェステナーゼの心強い返事に背を押され、気を高めて作業開始。
一旦タイムは忘れて、ドライビングのアプローチを修正し、ブレーキバランスとデフ設定の調整に注力。1Lapかけて、しっかりと改善ポイントを探っていく。
ステアリングの中央に配置されているダイヤル・ボタンを操作し、設定調整を繰り返す。
そして、2Lap後。
グランドスタンドの屋根に、PUの甲高い音とW.I.M.Sが発するエレクトロニック・ミュージックを反響させながら、スズカ名物の高速S字区間へ。
ここはマシンバランスの悪さがモロに出る区間であり、さっきまではここで完全に失速してしまっていた。
でも、今度は。
「やれた……! この方向性なら!」
「ソノ調子ダ。続ケヨウ、夢兎」
「ええ」
シェステナーゼとの共同作業がハマり、マシンの挙動が安定しはじめた。
タイムも回復傾向。このままいけば、接触前と同等……とまではいかないがそれに近いペースに戻せるはずだ。
……けれど。
(ペースを回復できても、今から久湊を捉えるのは難しい……)
久湊との差は、約10秒。
レースは残り15Lap。追いつき、追い越すにはLap数があまりにも足りない。
眉間に皺を寄せて表情を厳しくする夢兎。
しかし、この難問に対抗するアイデアを、夢兎はすでに持っていた。
「後方。レ・ジュール、接近」
「来た……。シェステナーゼ、久湊に追いつくためのアイデアがあるの」
「idea?」
「説明してるヒマがないから、とにかくここは私に従って」
「ンン? 何ヲスルツモリダ、夢兎?」
コミュニケータースクリーンに大量の「?」マークを浮かばせて、シェステナーゼが困惑を表わす。
説明したいのは山々だが、ここは我慢してもらって。
今は後方の青いマシン。レ・ジュールが誇る「ジョイントナンバー1」の一角――――《二冠》、ユイ・キルヒネンに意識を向ける。
――いろいろと手は打ったが、デビューレースでいきなり表彰台を獲らせるのは、簡単にできることじゃねえ。……手を貸してくれ、ユイ。
――……頭のネジ何本か外れてるの? ライバルチームの私が、どうしてあなたたちのためにそんな八百長まがいのことしなくちゃいけないの?
シャフイザとユイの会話を脳裏に浮かべ、思いを巡らす。
(久湊に運よく追いつけたとしても、あの執念のこもった防御は簡単には突破できない。摩耗し切ったタイヤなら、なおさら……。となればやはりここは、絡め手でいくしかない)
ユイがこちらに協力してくれるという確証は何もないし、正直自分も半信半疑だ。
でも。
――ってか、シケた顔してないで喜べよ。どうやら、手応えあったみたいだぜ。
――いんやっ、ありゃ間違いなく食いついたよ。ああ、間違いねえ。
(シャフイザさんは、私のことを信じてくれた。信じて託してくれた。だから、私も……シャフイザさんの言葉を信じる)
まなじりを決すると、夢兎は自分の意図を相手に示すように何も抵抗せず、レ・ジュールを前に出した。
(お願いできることじゃないってわかってますけど、今日だけは助けてください。お願いします……ユイさん)
そうして、祈るような気持ちでレ・ジュールの尻を見つめる。
しかし、こちらの思いを跳ね除けるように、レ・ジュールはスピードを落とさずにどんどん差を広げていく。
「ダメ、か……」
に、見えたが。
シェッフェル・エッフェルの前に出たレ・ジュールが、130の手前で突如ペースを落とし、夢兎にスリップ・ストリーム――前車を風避けに使って空気抵抗を減らすことで、後車が通常以上の加速を得る現象――を使わせてくれた。
それだけではない。
バンクを抜けた直後に現われた、まだ二回目のピットを終わらせていないマシンを、アウト側へ押し込むように追い抜き相手を失速させ、後続の夢兎が簡単に追い抜きできるようにアシストしてくれた。
「ユイさん……! 恩に着ります!」
そう言っている間にも、ユイはもう一台同じように料理。
これで大きなタイムロスなく、上位二台を一気に片づけられた。
(簡単にやっているけれど、あの抜き方は下手をすれば相手だけじゃなくて自分も失速することになる。それをああも容易くやるなんて……すごい! 路面のグリップを掴む感覚が桁違いだ)
レ・ジュールのユイ・キルヒネン。
《北欧最速神話》と称される二冠王者は、やはり伊達ではない。
これだけ強力な援護をもらえれば、タイヤを消耗せずに久湊に追いつける。
そうすればきっと……うん、これならいける。チェッカーが振られる前に、久湊を攻略できるはずだ。
「……夢兎」
「え?」
「コレハ一体ドウイウコトカ、ソロソロ説明シテ欲シイ」
胸の内で反撃への手応えを感じていると、シェステナーゼが少し不機嫌そうな声で訊いてきた。
そうだった。いけない、いけない。
グランプリウィークが始まる前にあったシャフイザとユイの経緯を、シェステナーゼに掻い摘んで説明する。
「……ナルホド。アノ二人ラシイ滅茶苦茶ナ話ダ」
説明を聞き終えたシェステナーゼは、呆れつつもすぐに話を飲み込んでくれた。
「こういう無茶が平然とまかり通る関係なのね……、あの二人は」
「アア。アノ二人ノ戦イハ度ガ過ギテイテ、シバシバ私モ着イテイケナイコトガアッタ」
「心中察するわ……。でも、最高の援軍が得られたわけだし。このままいけば、逆転も可能よね」
「……」
「? シェステナーゼ?」
何か懸念すべきことがあるのだろうか?
確かに褒められた手ではないけれど……状況を打開する手として、最上のはずだ。
コミュニケーターに視線を向けて話を促すと、一間置いて、シェステナーゼが答えた。
「ユイ・キルヒネンハ、team mateノウォルフガング・エッフェンミュラートハ違イ、勝ツコトハ二ノ次。race結果ヨリモソノ内容ニコダワル。刺激的デspectacleナraceヲ常ニ求メ続ケテイル、classic typeノracing driverダ。人トトナリモ良ク、funカラモ愛サレテイル。シカシ……」
「……?」
「私ハユイ・キルヒネンヲ、危険ナdriverデアルト認識シテイル」
「危険なドライバー? こちらをフォローするために激しいバトルをしているけれど、相手のラインを残さなかったり、コース外に押し出したりもしていないし……。とてもそうは見えないけれど」
ブレーキング時の安定性が上がり、ステアやペダルワークのリズムが完全に戻ってきた。
とは言え、レース中の長話は良くない。
けれど、聞いておくべき話だと思い先を促す。
「ソウイウ意味デハナイ。以前、シャフイザハ『ユイは気に入ったものを愛でて、大事にしまっておくようなタイプじゃない。アイツは気に入った玩具を、壊れるまで遊び尽くすタイプだ』ト評シテイタ。彼トノbattleデ、私モ何度カソウ思エルヨウナ異質ナpressureヲ彼カラ感ジタコトガアル」
「異質なプレッシャ……」
「キルヒネンガ、シャフイザニ対シテ相当ナ思イ入レヲ持ッテイルノハ間違イナイ。ソノコトヲ考エルト、コノ取引ハ我々ガ思ッテイルヨリモ高クツクノデハナイカト、心配シテイル」
「手放しで喜べる状況ではない、ということか……」
「ソウイウコトダ。……ガ、今ハソノコトヲ考エテモ仕方ガナイ。話ガ長クナッテシマッタ……夢兎」
「ええ。レースに集中するわ」
反撃への道筋が見えたとはいえ、まだ必ず逆転できると決まったわけじゃない。
話を終えた夢兎は、マシンとの対話を再開し、レースのクライマックスで訪れるであろう、久湊との決戦に備えた。
* * *
では実のところ、ユイはどういう心境で二人をサポートする気になったのか? というと――。
「私は自分がふざけるのは大好きだけど、ふざけられるのは大嫌いなんだけどな……まったくぅ」
ユイはレ・ジュールのコックピット内で何度も愚痴ったが、ローペースを危惧したチームから無線が入るまで、忠実に夢兎たちのアシストを務めた。
そのおかげで夢兎は、残りのLapで久湊を射程に入れられるところまでポジションを回復することができた。
しかし。
シェステナーゼの懸念どおり、ユイはこの借りを安く売るつもりは毛頭なく。
「さすがにリタイヤはできないから、ここまでね。エスコートしてあげたんだから、ちゃ~~んと決めるんだよ? 表彰台に登れなかったら、レース後にお仕置きしちゃうからね? 夢兎ちゃん」
バックミラーに映る白銀のマシンを一瞥してイタズラっ子のように微笑むと。
ユイはそこで。
――本音で来いよ……。テメェが今一番戦りてえのは、俺じゃねえのか? 俺との本気の戦り合いが恋しくねえのかよ……ユイッ!」
夢兎のサポートを頼みに来た時。
シャフイザが吐いた大言を思い出した。
「……良く言う。私がどれだけの気持ちで、〝おまえのスピードと向き合ってるのか〟……まるで知らないクセに。助けたんだから、来季は全てのレースでおまえの全力を見せるのよ。分かった?」
自分の本音を、苦味交じりの声音でそう紡ぐと。
ユイは目を細め、他人には絶対に見せない――――深い影のある表情を浮かべて、つぶやいた。
「Remember this one」
シャフイザ・クライ。
その言葉を、忘れるな。




