最速の世界 12
●「前回のあらすじ」
シャフイザとチームのサポートにより、夢兎は予選を9位で通過した。
しかし、英二は「人は覚悟一つで変われるものではない」と夢兎を煽る。
一方、シャフイザの代役を夢兎に奪われたと思い込んでいる久湊は、夢兎に対して激しい憎悪を燃やしていた。
2026 Velo Trophy World Championship Round 12 Japan Grand Prix
シリーズ最終戦・スズカサーキット
レーススタート前のパレードラップがはじまった。
人工動物の咆哮が真っ青な空を渡ると、宴の開演を待ちわびていた観客たちが、呼応するように大歓声を張り上げる。
青、白、赤、黄……。思い思いの応援グッズに身を包んだ人々が踊るスタンドは、まるで花畑のよう。
グランプリの彩りとして、これ以上のものはない。
一方、関係者たちは緊張の面持ち。
各チームのコマンドポストやピットでは、スタッフたちが祈るような表情でモニターを見つめている。
スタートやオープニングラップは、接近戦が避けられない。
「生き延びてくれ……」
その一心で祈り、願う。
期待と不安。入り混じる人々の感情。
ピークを迎えた情熱の渦が、サーキット全体を覆っていく。
残暑といえるレベルを超えた暑さ。季節を忘れた太陽の陽差しが、決戦の場に向かっていく戦士たちを煌めかせ、輝かせる。
陽を照り返して進むマシンの群れが、各指定のグリッドへ着き……舞台は整った。
* * *
「ふぅー」
グリッドにマシンを止め、身体から緊張を追い出すように大きく息をつく。
サイドミラーを見ると、最後方のマシンがグリッドに着くのが見えた。
時間はもうない。
だから、最後に一言だけ。
「シェステナーゼ。私、絶対に諦めないから……お願いね」
「アア。共ニ全力ヲ尽クソウ」
コックピットキャノピーの裏側に表示されているコミュニケーター画面。
そこから返ってきた言葉に少しだけ目を微笑ますと、夢兎は胸に手を当てた。
お互いに、このレースですべきことはわかっている。だから、これ以上の言葉は必要ない。
でも、「自分」にはこのレースの大事さをわからせておきたいと思って。このレースにかける自分の思いを、頭の中に並べた。
(「Veloに通じるドライバーは、来たチャンスを一度目の機会で必ずものにする」。それを持論にしている英二が、二度も三度もこんな機会を容認するとは思えない。このレースは、私がシェッフェル・エッフェルに入るラストチャンス! シャフイザさんやお婆さまやチームのみんな、今まで支えてくれた人たちのためにも、絶対に表彰台を獲るんだ!)
そうして自分の原点ともいえる気持ちを唱えると、夢兎はもう一度息をはき、心の中で燃え盛る炎をコントロールする。
気は入れるが入れすぎない。でも、醒めてもいけない。これから進むスピードの大宇宙は、この炎だけが頼りだから。
(まずは、スタート……)
スタートシークエンスと同時に、最後の精神集中を終えると。
数秒置いて、ホームストレート上にある一つ目のシグナルに「赤」が灯った。
闘争本能の限界を迎えた人工動物の群れが、血の色に触発されたように咆哮を上げる。
(シェステナーゼのマザーユニットやセンサーの重量でダッシュが効かない分、スタートは不利……)
夢兎のシェッフェル・エッフェルも呼応するように、猛る。
ボルドーのヘルメットの奥にあるネイビーの瞳の中で、シグナルが全て……真っ赤に染まった。
(……けれど!)
――――オールレッド!
――――シグナル、ブラック・アウト!
鋼鉄の獣たちが解放され、決戦の火蓋は切って落とされた。
空気の爆ぜる大音響が地上と天を渡り、瞬間に生きる闘士たちが待ちわびたように剣を交り合わせ始めた。
押し合い、へし合い、せめぎ合い。
ターン1に向かうポジション取りに、各ドライバーたちが戦意をぶつけ合う。
(――――ッッ!! やっぱり蹴り出しが足りないっ!)
その中団。白銀のマシンに後方のマシンが殺到。
夢兎のスタートアクションにミスはなかった。だが、やはり重量の関係でスタートダッシュが他のマシンより効かず。後方のマシンに食いつかれ。
「ンッ!? 来るっ!!」
ターン1の飛び込みで攻略され、早くも順位を一つ失った。
「やられた……!」
心拍上昇。アドレナリンが吹き出し、瞳がギラつく。
不利でも、順位だけは絶対に守ると決めていたのに様がない。
スズカはコース幅が狭く、抜きどころも限られているサーキットだ。もたもたしていたら、どんどん前に逃げられてしまう。
(オープニングラップの内に、挽回しないと……!)
そう判断をつけて顎を引くと、夢兎は前方を行く赤白のマシンに標準を定めた。
白銀の獣が大気を裂かばき、野太いエキゾーストノートを轟かせ、前方のマシンに食らい着いていく。
そして。
「ここだっ!」
ターン11・ヘアピンで、フロントタイヤから白煙を上げるほどアグレッシブなブレーキングを展開し、前方マシンのアウトサイドを食い破り、そのまま前を窺う――――が、失敗。
続くターン13・スプーンでも強引に前を覗くが、道幅が狭くマシンを並べることさえできない。
それどころか逆に、ターンの出口でバランスを崩して失速。
(何をやっているんだ……私はっ!)
仕留めきれず、逆に差を広げられてしまった……。
自分の不甲斐なさに、ステアリングをへし折らんばかりにぎゅっと握り締める。
しかし、ミスを嘆いているヒマはない。
(……次だ! 次の「大型バンク」で差を一気に縮めて、その先のシケインで仕留める!)
まなじりを決すると、夢兎は息を大きく吸って――止めた。
前方にそびえ立つ壁が、一気に迫ってくる。一瞬、ブレーキングしたい衝動に駆られたが、ぐっと耐えてアクセルペダル踏み込む。
そしてそのまま、夢兎のシェッフェル・エッフェルは、スズカサーキットの新しいシンボル――大型バンク「130《ワン・スリー・ゼロ》」へと突入した。
「ッ!? んっっっっ――――!!!!」
大型バンクとは、外側に大きな傾斜角を持った「⊿」の形状をしたターンだ。
この区間では、当然PU全開。450㎞/hオーバーのまま傾斜を駆け昇り、傾斜の一番上にあるコンクリートウォールに「タイヤでキスをする」まで攻め抜き、傾斜を駆け下りていくのだ。
言葉にすれば、簡単なように思えるが……。
「うっっ!! ぐぅぅぅぅ!!!!」
この大型バンクは、一つのミスが命取り。
モータースポーツにおいて最も危険なコーナーレイアウトであり、これまで幾人ものプロドライバーたちがこの悪魔に命を吸われてきた。
それ故に、大型バンクは1970年代以降、安全性を理由にVelo Trophyでは一切使われなくなった。
なったのだが……。
(んっっっっ!!!! 身体中の血が右側に、全部っ……持ってっ……いかれるっ……)
白銀のマシンが傾斜を登りきった先にあるコンクリートウォールに接近し、目を覆いたくなるような間隔と速度でその空間を駆け抜けていく。
2010年代。Velo Trophyは、世界的に凋落していたモータースポーツ人気を取り戻すために、再びこの悪魔との契約を結んだ。
ドライバーたちをこの怪物と対峙させることで、「スピードの世界に生きる、命知らずの男たちの戦い」という、時代錯誤ではあるが、万人がイメージするモータースポーツの魅力を取り戻し、人気を取り戻す道を選んだのだ。
そして、その目論みは見事的中。
Velo Trophyは再び、「オリンピック」、「サッカーW杯」と並ぶ世界三大スポーツの地位へと返り咲いたのである。
大型バンクは、もはやVelo Trophyの象徴だ。
しかし、ドライバーにとってこの大型バンクは……まさに地獄。
現在の《ベロー》 Voitureは、70年代のマシンとは比べものにならないほどコーナリングスピードが上がっており、コーナリングスピードが速ければその分、外側に向かって発生するGフォースは――――。
(ッッッッ!!!! 首が固定できない……これが、Veloの……バンク……)
激烈を極める。
大型バンクは、前世紀から甦ってきた怪物。
この怪物を450㎞/hオーバーで攻めるなど、もはや正気の沙汰ではない。
しかし。この死に道を誰よりも勇敢に、かつ速く駆け抜けられなければ、Velo Trophyで成功することはできない。
「くっ! マシン性能はこちらが上なのに、ここで差を詰められないなんて……!」
前方集団に続き130から、白銀のマシンが駆け下りてくる。
海千山千、百戦錬磨のVeloドライバーたちが相手だとはいえ、これだけいいマシンに乗っているのだから。
例えドライバーの力量が出やすい大型バンクとはいえ、少しも差を縮められなかったのは悔しい。
抜かないといけないのに抜けない……。
それどころか、迫れるはずなのに迫れない……。
そんな思いにとらわれて、焦った夢兎は。
(ノロノロやっていては埒が明かない! 前の尻は遠いけど、行けない距離じゃない。強引だけど……流れを変えるためにも、ここは――――っ!!)
急いた気持ちそのままに、ターン15「シケイン」で無理筋の飛び込みを仕掛けようとした。
が、その直前――――。
「――無理ダ! 夢兎ッ!」
「プッッ!?!?」
強い警告が耳朶を打ち、ワンテンポ早くブレーキペダルを踏み抜く。
マシンがつんのめるようにして減速。しかし、シケインの入口で速度を殺せず、あわや前を行くマシンに追突!
……となりかけたが、その寸前でなんとかマシンが踏み留まった。
追突していれば、もちろんその場でレースは終わっていた。
クラッシュ、リタイヤ……。もう少しでありえた最悪の未来に胸を押し潰された夢兎は、喘ぐように息を吸った。
「はぁ……。はぁ、はぁ……」
目の前に表示されているコミュニケーターに、黄色の光が走る。
「焦リスギダ、夢兎。raceハマダハジマッタバカリダ」
「わかってる。でも、早く順位を上げないと……」
「今日ノ私タチハ、競争力ノ高イナrace paceヲ持ッテイル。焦ラズトモ、十分追イ上ゲハ可能ダ。ソレニ、machineガ重ク、密集走行ニヨッテ空力balanceヲ乱シヤスイstart直後ニ激シイbattleヲ繰リ返スコトハ得策デハナイ。コノママデハ、tireヲ無駄ニ消耗シ自滅スルダケダ。君ハソレデイイノカ?」
「ん……」
ぐうの音も出ない、正論だ。
スタートでの失点を取り返そうと躍起になり、完全に熱くなっていた。
(悪いクセが出た……まったくっ!)
頭の中をリセットするつもりで、ヘルメットに拳を当てる。
そうして肩の力を抜くように息をつくと、夢兎はシェステナーゼに礼を言った。
「ありがとう、シェステナーゼ。力まないように意識していたのだけれど……自分をコントロールできていかなったわ。ごめんなさい……」
「謝ル必要ハナイ。startガ上手ク行カナカッタノハ、私ノ問題デモアル。サア、2Lap目ダ。気持チヲ切リ替エヨウ」
「ええ、わかったわ」
パートナーの助言で完全に落ち着きを取り戻した夢兎は、一旦前を行くマシンから意識を切ると、自車の挙動を感じることに集中力を振った。
今日は前日から気温が6度近く上昇し、昨日とはコンディションがまるで違う。
しかし、昨日に続いてマシンバランスは良好。ターン1から続く左、右と旋回が続くS字区間でも、狙ったとおりにマシンが動く。
シェステナーゼの言うとおり、今日のマシンパフォーマンスなら今シーズンを独走で制した「王者」レ・ジュールを除けば、どのチームとも戦える。
(そうだ。デビューレースの私でもそう思えるくらい強力なマシンを、チームとシャフイザさんが用意してくれたんだ。……焦る必要なんて全然ない)
シャフイザのように、マシンを振り回しながらタイヤを労るなどというサーカスプレイは自分にはできない。
だからこそ、丁寧に丁寧に。マシンの性能をロスなくそのまま路面に伝えるイメージで、夢兎はターンアクションを積み重ねた。
心は熱く、頭は冷静に。
今の自分にできることに集中。すると、自然とペースは上がり。
「……捕まえたっ!」
気づけば、2Lap目の終わりで前を行く赤と白のマシンに追いついていた。
こちらのペースが上がった分、どこで仕掛けてもいけそうな気がする。
しかし、相手は経験豊富なVeloドライバー。先ほどもそうだったが、ペースに差があっても簡単には抜けない。
ならば、ここは。
「シェステナーゼ」
「前方ヲ行クAOIノmachineハ、long wheel baseノタメbankデノ|performanceガ優レテイル。モウ1ツノovertake point。home straight endデ勝負スルノガ賢明ダロウ」
「わかったわ」
シャフイザと共に歴戦を戦い抜いて来た相棒に活路を求め、その提言どおりに夢兎は――
「来たっ!! 抜くっ!!」
3Lap目のターン1で、前方AOIのインへズバッと切れ込み――
「やれた……」
このレース最初のオーバーテイクを切れよく決めた。
「ソノ調子ダ、夢兎」
シェステナーゼの賞賛に少しだけ微笑む。
でも、すぐに前方を見据えて表情を引き締め直す。
嬉しいけれど、喜ぶのはまだ早い。
デビュー戦でVeloの表彰台に登ることは並大抵のことではない。今みたいに冷静ではいられなくなるような状況は、きっとこの先もやってくる。もっともっと集中しないとダメだ。
デビュー戦の気負いと緊張を拭い去った夢兎は、このオーバーテイクをきっかけにペースを掴み、順調に順位を上げていった。
しかし、本人の予想どおり……いや、それを遥かに超えた危機と、夢兎はこれから向き合うことになる。
ドマイナージャンル&低ポイントの拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます!
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