最速の世界 9
●「前回のあらすじ」
デビュー戦に向けて、パフォーマンスアップに努める夢兎。しかし、普通の努力だけでは目標である「表彰台獲得」は達成できない。
そう考えた夢兎は、練習で全く成功できていないシャフイザの得意技――《フェノーメノ》を本番でも使用することを主張。
一方、シャフイザは「もう一つの大きな一手」を考えていた。それは……。
世界最高峰の自動車レース――――Velo Trophy World Championship。
誕生から一世紀を経た今現在も、栄えある「世界王者」の名をかけて世界各地を転戦する、伝統あるこのグランプリシリーズには。
世界に名だたる自動車メーカーたちが、参戦している。
Velo発足時から参戦するチャンピオンチーム。フランスの至宝――――『レ・ジュール』
世界NO1の販売シェアを誇る、ドイツのVVW社のスポーツブランドである――――『ヴェンヘム(チーム名は「ヴェンヘム・ヴィクトリア・フォーミュラ」)』
ハイクラス・スポーツカーの雄。イタリアの高級自動車メーカー――――『ラ・ストラーダ』
様々なモータースポーツカテゴリーに参戦し、世界中のレースシーンで活躍しているアメリカの――――『ボード』
そして……、自動車大国日本が誇る二大メーカー、『AOI』、『シェッフェル・エッフェル(壬吹)』
水素燃料エンジンとW.I.M.Sを基軸にした、次世代型PUを搭載して戦う唯一のグランプリシリーズということもあり、各メーカーの腰の入れ方は尋常ではなく。Veloの開発競争の熾烈さは、他のカテゴリーの比ではない。
チームのスポンサースペースには錚々たる国際企業が名を連ね、コストは増大。開発費は天上知らずであり、年々、競争は厳しさを増していっている。
伝統があり、英知があり、冨がある。
選ばれし者たちが紡いできた、最速の世界。
遥か遠くにあると思っていたその世界の扉は今、目の前にある。
歴史と伝統の白銀を身に纏い、人生18年目の集大成。
夢兎の運命を決める戦いが、いよいよその幕を開けようとしていた。
* * *
11月、第1週目の金曜日。
夢兎は、デビュー戦の舞台となる『スズカサーキット』へとやって来た。
ワールドクラスのグランプリは、これまで参戦してきたカテゴリーとは何もかもが桁違いで……そのスケールの大きさに圧倒される。
目標としていた世界、TVやネットで何度も見た世界に、「観客」としてではなく「競技者」として参加する……。
そう思うと今までの苦労がよみがえり、泣きたさがこみ上げてきた。
しかし。感傷的な気分でいられたのは、関係者ゲートをくぐるまでだった……。
「壬吹選手っ! 明日、とうとうVeloデビューするわけですが心境はどうですかっ!? 意気込みを聞かせてください!!」
「低迷する日本のモータースポーツ界の救世主と期待されていますが、プレッシャーは感じてますか!?」
「過去、何人もの女性ドライバーがVelo Trophyに挑戦してきましたが、結果は散々たるものでした。現在も、『AOI』に所属している〝中国人女性ドライバー〟が、期待に反し、低迷しています。自分はそうならないという自信はありますか? その根拠も教えてください!」
「今日のレースは誰に一番見て欲しいですか? 恋人ですか? 教えてくださーい!」
世界最高峰の自動車レースに挑む女子高生ドライバーが現われたことを、当然メディアが取り上げないわけがなく。
スズカサーキットのパドックには、普段はモータースポーツを全く報じないようなメディアも押しかけ 夢兎はVeloデビューの感動に浸る間もなく取材攻勢の集中砲火を浴びることになった。
予想していたことだったので心の準備はしてきたけれど、これだけ多くの人に注目されるのは初めての経験だ。
正直、はじめはかなり困惑させられた。
しかし、シェッフェルの広報スタッフがメディアをコントロールしてくれたおかげで、大きなストレスにはならなかった。
他にも、Veloを運営する『FEST』の関係者や他チームの首脳陣、はては明日から戦うライバルドライバーたちからも温かい言葉をかけてもらえたこともあり、ランチタイムを終える頃には緊張もほぐれ、マスコミに囲まれても動揺しなくなっていた。
(広報の方々のおかげで、思ったよりもスムーズにスケジュールをこなせている。感謝しないと……。でも、甘えてばかりもいられない。少しずつ、気持ちを上げていこう……)
ドライバーズ・ミーティング――ドライバーと運営側が、コース状況やルールに関して話し合う集まり――に向かいながらそう自分に言い聞かせていると。
パドックの裏通りに出たところで、突然声をかけられた。
「やあっ! 君が壬吹さん家の夢兎ちゃんかな?」
「……えっ?」
聞き覚えのある中性的なハスキーボイスに反応して振り向くと、そこには人懐っこい笑顔で手を振る〝北欧系の美人〟が立っていた。
この色素の薄い髪と透けるような肌を持つ〝美人〟を、夢兎は知っている。
いや、知らないわけがない。
だってこの方は、今のVeloの顔ともいえるドライバーなのだから。
そう、この人は、2022、24年の『ワールドチャンピオン』――――。
「レ・ジュールの、ユ、ユイ・キルヒネンさんですか?」
「うん、当ったりぃぃ~~!! というか、私も当たりってことでいいのかな?」
「え? ……あ、はい! はじめまして、私が壬吹・ハーグリーブス・夢兎です」
「はい、はじめまして。って、ちょっと緊張しすぎだよ。夢兎ちゃん」
「は、はい……」
(って言われても……)
王者「レ・ジュール」に所属する二冠王者にいきなり声をかけられたら、誰だって緊張するに決まっている。デビューレース前のルーキーなら尚更だ。
ユイのレースは、当然何度もTVやネットで観てきた。
レ・ジュール ドライバーの伝統的なドライビングスタイル――――《超克的攻撃精神》。
その意志を体現するかのような走りで、ユイはVeloで何度も劇的な勝利を飾ってきた。
しかしその一方で、楽勝のレースをイージーミスで落としたりと、いい意味でも悪い意味でも読めないレースをするため老若男女問わず人気がある。現役では断トツで一番人気のドライバーだ。
とびっきりの美人……いや、女性にしか見えないような中性的な美形なので、向かい合っていると固まってしまう。
まるで天上人にでも会えた気分だ。こうして会話しているだけで光栄な気分になってくる。
でも、レースになれば敵同士。今期のレ・ジュールのマシンは「並外れて優れている」なので確率は低いが、レース展開によっては、表彰台を争うライバルになる可能性もある。
せっかくの機会だが、そう考えればここで馴れ合うのは良くない。
そう判断して先を急ごうとしたのだが……。
そこでユイが、こちらの考えを吹き飛ばすようなとんでもない話題を振ってきた。
「実はね、夢兎ちゃんに会えるのすっごーーく楽しみにしてたんだ」
「? ……えっと、シャフイザさんの代役だからですか?」
「ちがうちがう。〝シャフイザ〟がクラッシュした後の話を聞いてさ、どんな娘なのかなー? って興味津々だったのよ」
「クラッシュした後の話…………ッッ!!」
視線を斜め上に向けて考えると、すぐに一つエピソードが思い浮かんできた。
(ま、まさかあの事を知ってるの……? でも、だとしたら……)
嫌な予感を覚えたので慌てて話題を転じようとしたのだが、時すでに遅く。
「そうそう。シャフイザがイタリアGPでクラッシュしたのを知って、日本から一人ですっ飛んで来たんでしょ、夢兎ちゃん。しかも、日本の可愛い学生服着てさ」
「なっ、な、な、な、なんでその話を知ってるんですかっ!?!?」
「あっはっはっはっ!! やっぱり本当だったんだ!」
「……ッ! いえ、違います。その話は嘘です」
「えーー! それはないでしょう? そんなナイスリアクションしておいてさ~。ゼーッタイ信じないんだから」
「んん~~~~」
この話はその……、嘘か真かと言われれば……真だ。
Velo Trophyのレース中継は、いつもネットでリアルタイム視聴しているのだが。
この前のイタリアGPは豪雨でレース開始時間が三時間近くも遅れてしまい、朝早く起きて、学校に行く前に録画視聴しようと決めて寝てしまったのだ。
そして翌朝。
「イタリアGPで、シャフイザ・クライがクラッシュして意識のない状態のまま病院に運ばれた」というニュースを見てパニックを起こし、連絡を取ったシェッフェルの関係者から「命に別状はない。すぐに意識も戻ったし、心配しないで」と言われたにもかかわらず、学校ではなく空港に向かいそのままイタリアに行ってしまった……というわけだ。
……ちなみに。自分が制服を着ていることに気づいたのは、飛行機に乗ってからのことだった。
シャフイザは、五年前に生死の境を彷徨うような大クラッシュをしている。
その時のことが頭を過ぎったというのもあるのだが、学校を丸二日すっぽかしてしまった……。
あの時の行動は、「さすがにない……」と自分でも反省している。
でも、この話はシェッフェルの人たちに秘密にしてもらっていたはずで、シャフイザも知らない話だ。
それをどうして他チームの、しかもライバルであるこの人が知っているのだろう?
心に浮かんだ疑問を向けると、ユイは。
「Velo Trophyは、小さい村社会だからね。どんなに上手く隠しても、ご近所さんであった話はすぐ広がっちゃうものなのよ。特に、面白い話はね」
口角をくぃっと上げてそう言った。
そして、楽しいおもちゃを見つけた子供のように「ニヒヒッ」と笑うと、夢兎にぐいっと近づいてくる。
「というか、そこまで心配しちゃうってことは、もしかして夢兎ちゃんって、シャフイザのおバカのこと……」
「な、なんです……?」
「好きなの?」
「ッ!! ん、なっ!? どうしてそうなるんですか!!」
「だって、学校サボって日本からイタリアだよ? 普通のハイスクール・ガールがやることじゃないでしょう。愛の力が働かなきゃ…………ねえ?」
「そ、そんなんじゃありません! ……くだらない話をしてると、ドライバーズ・ミーティングに遅れますよ? 私は新人なので先に行きます。それじゃ」
面倒くさそうな話になりそうだったので、夢兎は話を打ち切って歩きはじめる。
しかしユイは、こちらのツレない反応が気に入ったようで、さらにテンションが上がり。
「にぃひひひひ~~! 頬膨らませてツンツンしてる~~! 可愛いねぇ、夢兎ちゃん! 思った以上だ」
「可愛くないですから、着いてこないでください」
「ヤダァ~~! 着いていくぅ~~!」
ミルク色の頬をほんのり赤らめて、上機嫌にスキップなんかしながら着いて来る。
夢兎は振り切るつもりで早足で歩いたが、ユイはお構いなしに後ろから話題をポイポイっと投げてくる。
色恋話一辺倒ではなく、レースの話も交えて上手く話を転がされてしまったため、夢兎も邪険にし続けることができず。気づけば横に並んで、再び話はじめてしまった。
でも、やっぱり一番気になっているのはシャフイザと夢兎の関係らしく、「告白したの?」、「きっかけ作ってあげよっか?」と合間、合間で訊いてくる。
それに対して夢兎が素っ気なく答えたり、逆に上ずった声で答えるとユイはケラケラと笑い、お酒でも飲んでるのかな? と思うくらいニコニコ顔で夢兎に絡み続けた。
(よくわからないけど、だいぶ気に入られてしまったみたいだ……)
しかし、噂どおりワールドチャンピオンであるにもかかわらず気さくな人だな、と思う。
色恋沙汰の話を面白可笑しく訊かれるのは困るけれど……。それでもルーキーに対してここまで気軽に話をしてくれるトップドライバーは、そうはいないだろう。
超攻撃的といわれる走りに、モデル顔負けの美形、そしてこの人柄……人気NO1なのも納得だ。
「――ってかさ、日本の学生服って本当に可愛いよね。夢兎ちゃんの学校の制服はどんな感じなの?」
そんなことを考えていると、ユイがまた急に話題を転じた。
「えっと、携帯に画像あったと思います…………あ、ありました。夏服ですけど」
「うわっ、何これカワイイッ~~!! 品のあるカラーがすごいオシャレなんだけど! これは、上がパープルで下はネイビーなのかな? 加工はしてないよね?」
「ええ、してませんよ。日本語で言うと、ブラウスが白藤色で、スカートは紺青色。画像には写ってませんけど、リボンタイとソックスは濃紺です。落ち着いた色合いなので、気に入っています」
「いいねっ、私も着てみたいなー!」
「…………え?」
その一言を聞いて、夢兎は眉をしかめた。
そして、大事なことを一つ思い出した。
(ん、そういえば……。同性の同級生と話しているような気分でお喋りしていたけど、確かユイさんって……)
ユイの年齢に触れた夢兎が、首を傾げて思案顔になる。
するとそこで、夢兎の疑問の答えとなる……けれど、あまりにも酷い暴言が後ろから飛んできた。
「――――おい、おっさんっ!! ウチのルーキーから離れろやっ!!」
「ッ!!」
「ブァッッ!?!? もうっ! 私をそんな風に呼ぶのは――――やはり、おまえか! おバカのシャフイザ・クライ!!」
声がした方に身体を向けると。
ユイの言ったとおり、そこには見慣れた左右非対称の傷顔。シャフイザがいた。
すごく面白くなさそうな顔でこちらに近づいてくると、シャフイザは。
「おっさん、若い奴に近づいて「私も若いんですよぉ~」アピールしたいのはわかるけど、おっさんはどんなに頑張ってもおっさんなんだよ。見てると悲しくなるから、おっさんはおっさんらしくおっさんと話してろよ、なぁ?」
「おっさんおっさん言うなっ!! というか、私がおっさんならおまえもおっさんだろう! 四つしか歳変わらないんだから」
「何が一緒だよ。頭に自分の加齢臭が回ってラリってんのか? 俺は20代で、おまえはもうすぐ30代。20代のピッチピッチガイの俺から見れば、30代なんざもう三途の川の途中まで行ってるようなもんだよっ」
「わ゛ぁ゛~~~~ん!! もうヤ゛タ゛ァ~~~~!! 夢兎ちゃん。こいつ、この前私が〝29歳〟になってからずっとこんな感じでイジメてくるんだよ? 酷いと思わない?」
「…………は、はあ」
(子供だ……。来年30代になる子供と、20代の子供がいる……)
泣きそうな顔で肩にしなだれかかってくるユイ。口をへの時にひん曲げているシャフイザ。
二人を見やると、呆れ顔でため息をつく。
この二人は、毎年のように王座を争っているライバルだが、友人同士でもある。
きっと、こういうやり取りは日常茶飯事なんだろうけど。
でも、見た目は女子大生にしか見えない〝スレンダー美人〟のユイさんに向かって、ああもハッキリ酷いことを言うなんて……。
ジェンダーレスなスタイルで有名な人なんだから、少しは気を遣えばいいのにと思う。
しかし、そう口に出して伝えると、シャフイザは呆れたように肩をすくめた。
「ふんっ! 別にプライベートなら、何やろうと口出さねえよ。けどな、Veloは欧州で100年以上の歴史を持つ伝統競技だ。古いと言われても、Veloに関わる者はその格式をある程度守る義務ってもんがあんだ。顔役とも言える『ワールドチャンピオン』なら尚更だ。それなのに、このおっさんときたら……いつもチャラチャラしやがって。女ものの服着るのは別にいいけど、もっとビシッとしたもん着て来いってんだ」
「それ、サーキットでゲームしまくってるシャフイザさんは、一切言う資格ないと思うんですけど……」
「うぐぅっ……!」
「それにユイさんは童顔だし、身長のわりに骨格も小柄で似合ってるからいいじゃないですか。……まあ、以前ネットで見た、スリットのきついチャイナドレスをサーキットに着て来てしまうのはどうかとは思いますけど……」
「夢兎ちゃん、それは偉い人に怒られたからもうしてないよぉ~~!」
「……ごほんっ! とにかくだな、プライベートならともかく、サーキットではちゃーんとしろ。俺はおまえのために言ってるんだからな、ユイ」
「俺は、さも当然のことを言っている」という態度で腕を組むシャフイザ。
すると、ユイは「聞き捨てならない」という表情でぷくっと頬を膨らませた。
「ヘンタイのくせにまともなこと言うなっ! というか、おまえは私のためとか全然考えてないでしょうが! 『シャフイザがユイに難癖つけてるのは、Veloの公式ファン投票でユイが1位を取り続けてるのを妬んでるからだ』って、シェッフェルの人たち言ってたよ!」
「ヴァヴァヴァヴァヴァカ、言ってんじゃねえよオメェッッ!! それはデマだよ!! デマ!! 俺はVeloの風紀を守るためっていう純然たる良心で言ってんだよ。……本当だよ? 本当だかんね?」
「嘘つきぃ! そんなんだから、人気投票でトップドライバー中最下位の8位とかになっちゃうんだよ。このヘッポコ!」
「ハッ? バロォ~~~~おまえっ!! 言っとくけど、60代以上のファン投票数は俺が1位なんだかんな! 長年Veloを見守ってきたファンに認められてこそ、真のNO1なんだよ! ガキんちょやにわかの支持なんぞ、硬派な俺には必要ねえんだよっ!」
「ふ~~ん。去年の人気投票が発表された後、女性投票の順位が17位って知って、『教えて……。俺さ、どうやったら女性人気でるのかな?』って泣きついてきたのは、どこの誰だったっかな~」
「…………な、なんだそりゃぁ? 俺にはちい~~~~っとも覚えがねえなぁ!」
シャフイザがすっごく後ろめたそうな様子でしらを切ると、今度はユイが仕返しをしはじめ、二人の会話はどんどん幼稚化していく……。
(この二人は、現ワールドチャンピオンのウォルフガング・エッフェンミュラーさんと並んで、現在のVelo Trophyの《三強・三大主役》と呼ばれる内の二人のはずなんだけど…………はあ)
大事なレース前なのに、気が萎えてしまった。
ここは二人を放置して先を急ぐのが賢明だろう。
そう考えた夢兎は、あーだこーだと罵り合う二人を無視してドライバーズミーティングが行われるコントロールタワーに急ぐことにした。
ちなみに。シャフイザの女性票が低いのは、日本のヘンタイ文化に染まっているという評判が定着してしまっているせいだ。
心の中で二人の会話を補足して歩き出す夢兎。
しかしそこで、タイミングを見計らったようにシャフイザが会話の流れを強引に軌道修正した。
「わーったよ! もうおまえのことはおっさん呼ばわりしねえよ。ただ……その代わりと言っちゃなんだが、一つ頼みを聞いて欲しいんだ」
「頼み……? 何よ、急に?」
その言葉を聞くと、夢兎は釣り込まれたように足を止めて振り向き、はっとした表情でシャフイザの顔を見た。
(頼みって、まさか……本当に〝アレ〟を言うつもりなの?)
先日シャフイザが話していた、「もう一つの手」。
夢兎は絶対に通る話ではないと思っていたので半ば冗談だと思って忘れていたのだが、どうやらシャフイザは違ったようだ。
シャフイザは気を入れ替えるように一つ息をつくと、いつにない真剣な面持ちで話を切り出した。
「ウチにとって今回の日本GPは、ちと大事なレースなんだ」
「……大事なレース?」
「そうだ。公然の秘密みてねえなもんだから、おまえも知っちゃあいると思うが……今、シェッフェル・エッフェルの本社でVelo撤退の話が進んでてな。その煽りを食ってか、来年はスポンサーが減って、今年よりもさらにレ・ジュールとの差が開いちまうんじゃねえか、って話になってんだ」
「へえー……。話には聞いてたけど本当だったんだ。壬吹の業績悪化が原因なんでしょう? 大変だね」
ユイは飄々とした口調でそう返すが、表情は明らかに固くなっている。
シャフイザが何を考えているのか推し量っているのだろう。ユイの美しい碧眼は、シャフイザの顔に向けられたまま動かない。
二人の間に、緊張した空気が流れ出す。
それを肌で感じ、夢兎はごくりと息を呑んだ。
「だが、もしかしたらその流れを夢兎が変えてくれるかもしれねえんだ」
「夢兎ちゃんが……? …………ああー、なるほど。金銭的なことね。でも、そういう期待を込めるのは、ちょっと早すぎるんじゃない?」
「俺も最初はそう思った。夢兎はまだ2つ下のカテゴリーに参戦したばかりで、四輪レースの経験も浅い。だから、壬吹本社も夢兎をVeloに引っ張り上げるのは時期尚早だって反対してたんだ。だが、ウチのボスがスポンサー連中に上手く話を持っていったらしくてな。この日本GPで表彰台に登れば、来年のレギュラーシートを認めてもいいって事になったんだ。……もしそれが叶えば、女性ドライバー効果で、契約満了に傾いているスポンサーを引きとめることができる。それどころか、新規のスポンサーを獲得するチャンスも生まれるかもしれない。そうなれば当然、来期投入する新型の競争力も上がって、おまえともガチでやり合えるようになれる、ってわけだ」
シャフイザは、嘘偽りなくシェッフェルの現状を伝えた。
すると、ユイは。
「へぇーー、それはいい話だね。今年みたいな独走のシーズンは退屈だからね。……で? そんな大事な話を聞かせてまで私に何をやらせたいわけ? まさかとは思うけど、私に……」
そこで一間置くと、別人かと思うほど鋭利な目つきでシャフイザを睨みつけた。
「〝夢兎ちゃんの援護をして欲しい〟……なんて言う気じゃないよね?」
地を這うほどに低い声が、場を走った。
ユイが気を害しているのは明らかだ。
しかし、シャフイザは。
「いいや、それを頼みたいんだ。いろいろと手は打ったが、デビューレースでいきなり表彰台を獲らせるのは、俺らだけでできることじゃねえ。……手を貸してくれ、ユイ」
そんなユイの反応など見ていないかのように、無神経な頼みを押し通した。
「……頭のネジ何本か外れてるの? ライバルチームの私が、どうしてあなたたちのためにそんな八百長まがいのことしなくちゃいけないのよ?」
侮辱されたと感じたのか。
ユイの顔つきは明らかに冷ややかになり、もう見ているのもつらい。
というよりも、この話を運営やマスコミに流されたら大変なことになる。
ユイは告げ口をするようなタイプには見えないが、これ以上怒らせたらどうなるかわからない。
ライバルに援助を頼むなんて、やはりどだい無理な話だったのだ。もう引くべきだ。
そう見て取った夢兎は、二人の間に入ろうと足を踏み出した。
しかしシャフイザは、躊躇する素振りさえ見せず言葉を足す。
「前戦で、今期の王者はエッフェンミュラーに決まって。おまえはマシンぶっ壊してPU丸々交換で、このレースは20グリッドダウンのペナルティー食らってる……。おまえにとって、このレースはもう消化試合みたいなもんだろう」
「……」
「露骨に順位操作してくれなんてことは、さすがに言わねえ。展開次第でちっと気利かせてくれる程度でいいんだ。……頼む」
「…………そうね。確かにこのレースは私にとって消化試合だわ。でも、それは関係ない。あなたたちの悪だくみに荷担する理由もメリットも、こっちには一切ない」
「メリットならあるぜ。さっき、まさにおまえが口にしてたことだよ」
「……?」
ユイが訝かるような視線を向けると、シャフイザは不敵な笑みを浮かべて返した。
「レ・ジュールのマシンが、頭一つ抜けていた今シーズン。『戦う相手が結果至上主義の糞真面目なチームメイトしかいなくて、張り合いがいがねえ、レースがめちゃくちゃ退屈だ』っておまえ、俺に何度も愚痴ってたじゃねえか。ここで俺たちの話に乗ってくれれば、それを変えられる。おまえにとっても悪い話じゃないだろう?」
「ハッ! 何を言い出すかと思えば……。そんな軽口を理由にしてこんな交渉を持ちかけてきたの? バカだと思ってたけど、あなたって本当にバカね」
ユイは呆れ果てたように笑うと、シャフイザの言葉を切って捨てた。
しかし、シャフイザは止まらず。このレースにかける思いを、身体の底から溢れてくる熱を、全て浴びせるように言い放った。
「俺たちは今回のレースにかけてるんだ……。ここで世話になった分は、来期きっちり返す。俺とおまえで王者を争った2024年に負けねえくらい、一瞬も退屈できねえくらい、面白可笑しい一年にしてやる……っ! だから頼む、ユイ。手を貸してく」
「ッ……」
シャフイザに熱の入った言葉を浴びせられたユイは、一度まぶたを閉じて思案するようなそぶりを見せた。
「自分が何を言ってるのかわかっているの? 自分たちの物語に酔って、他人に迷惑をかけていいのは10代までよ」
が、口から出てきた言葉は変わらず。
さすがのシャフイザも、これでもう諦めると思った。
しかし。じっとユイを見据えると、シャフイザは――
「本音で来いよ……。テメェが今一番 戦合いてぇのは、俺じゃねえのか? 俺との本気の戦い合いが恋しくねえのかよ…………ユイッ」
自分の中にある熱に飲まれてキレてしまったのか。
シャフイザは挑発的な言葉を飛ばすと、激した眼でユイを睨みつけた。
もうお願いしている立場だということを完全に忘れている。
こんな風に言って、頼みを聞いてくれる人がいるわけがない。
「…………」
案の定と言うべきか。
しばらくの間シャフイザと対峙するように向き合うと、ユイはひらりと身を翻し、機嫌をひどく害した顔でこの場を去っていった。
ユイに対して何か言いたかったが、とても声をかけられる雰囲気ではなく。そのまま姿勢のいい背中を見送った。
そして、天を仰いで息をつくと、眉を跳ね上げてシャフイザに詰め寄った。
「なんであんな言い方したんですか!」
「へぇ……?」
「へぇ? じゃないでしょう! ただでさえ無茶苦茶な話なのに、あんな言い方をするなんて……。この話を聞いた時に、冗談だろうと思ってはっきり止めなかった私も悪いですけど……やっぱり今のはダメです! あとでユイさんに謝りに行きましょう。私も一緒に謝りますから」
短い時間だったが、シャフイザとユイがライバル同士とは思えないほど良い関係を築いていたことは十分に感じられた。
その関係にヒビを入れてしまった責任は自分にもある。そう思って、関係修復を提案したのだが。
「んなもん、必要ねえよ。あいつにこの話を持っていくって決めた時点で、多少荒れるだろうなってわかってたからな」
シャフイザは全く心配していない様子で、けろりとした顔でそう答えた。
多少荒れるって……、今のはどう見てもそんなものじゃなかった。完全に後に響くような喧嘩だったようにしか見えなかった。
この二人にとっては、あのくらいの会話は特段気に留めるようなことでもないということなんだろうか?
そんなことを考え、頭の上に「?」マークを並べて戸惑っていると。
シャフイザは口元に笑みを浮かべ、こちらをさらに混乱に落とし込む言葉を口にした。
「ってか、シケた顔してないで喜べよ。どうやら、手応えありみたいだぜ」
「…………は?」
「は? じゃねえよ。ユイのアホが、俺たちの話に乗ってくれそうだって言ってんだよ」
「?? …………な、何をバカなこと言ってるんですか。ユイさんの怒った顔、見てなかったんですか?」
「いんやっ、ありゃ間違いなく食いついたよ。ああ、間違いねえ」
「そんな、まさか……?」
さっきのユイの様子を見て、どう考えたらそういう結論に達するのか?
状況認識があまりにも違いすぎて、頭が痛くなってきた。もうシャフイザが何を考えているのか全然わからない。
しかしシャフイザは、確かな手応えを感じているようで。
自信ありげに腕を食むと、「ユイが食いついた」と感じた根拠を示した。
「ユイがVeloに参戦し続けているのは、三度目の王者を狙うためじゃねえ。アイツは他人とは違うもんを求めて走ってる。それが何なのかは分からねぇが……どうやらそれを手にするためには、俺との勝負に拘らないとならんらしい」
「……? そんなことって……」
「アイツは普通じゃねえんだ。まあさっき言ったとおり、今期の王者はもうエッフェンミュラーに決まちまったし。あいつはグリッドダウンペナルティーを受けてるからスズカで勝てる見込みもねえし。それを考えれば、やってくれるはずだ」
「そんな、マンガじゃあるまいし……。ユイさんがちょっと変わった人だっていうのは認めますけど、いくらなんでも希望的観測が過ぎますよ」
「大丈夫だ! なんのかんのまともそうな言葉並べてたが、アイツの目は完全に興奮ってた。血が騒いでたのは間違いねえ。大丈夫! 間違いなく乗ってくるさ、アイツなら」
ユイが歩き去って行った方向へ凛とした眼差しを向けながらそう言うと、シャフイザは見えなくなったユイに微笑みかけるように口元を緩ませた。
頂を争うドライバー同士の共感……というものなんだろうか?
そう考えると、シャフイザがユイの協力を確信したことも、なんだか納得できるような気がしてきた。
でも同時に、「いくら本人が納得したとはいえ、他チームのドライバーに援護をお願いしていいものか?」という後ろめたさが、再びせり上がってきた。
その気持ちを、シャフイザに素直にぶつけると。
「そりゃ、全面的にフォローさせたらさすがにアウトだろうけど……。レース展開次第で、ちっと援護もらうくらいなら問題ねえだろう。そこらへんのことは、ユイも分かってるさ。というか、レ・ジュールは人気あっからって、いつも運営から贔屓されてんだ。今季のマシンだって、レギュレーション違反みたいなパーツ何個もつけてるし。このくらいは、あいこだよ! あいこっ!」
「ええ……」
Veloを運営する「FEST」のレ・ジュール贔屓は、有名な話だ。
シャフイザやシェッフェルも、それで何度も痛い目を見てきている。
それを知っているだけに、その話を出されると抗議しきれない。
欧州、競争社会の総本山。
生き馬の目を抜くVelo Trophy。
そういう場で勝つためには、潔癖な考え方に囚われていてはいけない……ということか。
自分が求める結果。それを自分一人で出すことができず、仲間だけでなく敵をも利用しようとしている……。
傍から見れば情けない限りだ。でも、ここが自分の現在地なのだから仕方がない。
そう自分に言い聞かせると、夢兎はシャフイザの言葉を信じて全ての迷いを振り切った。
「いい面構えだ。その意気なら……あちらさんとも十分に戦えるな」
「え? …………ッ!」
シャフイザが顎をくいっと動かしたので、釣られるようにその方向に目を向けると……憎悪に近い敵対的な目に出くわした。
パドックのメインストリートからこちらを窺っていたその視線の主は、こちらが気づいたのを察すると、にべもなく視線を切って去っていく。
耳にかかるくらいの長さに整えられたちょっとクセのある黒髪、伏し目がちでナイーブな雰囲気を持つあの青年のことを、夢兎は知っている。
……いや。彼のことは、モータースポーツと接している日本人であれば誰もが知っている。
彼の名は――――。
「久湊、新司さん……」
「ああ。トップチームで走った経験はまだねえが、ここ数年、下位チームのマシンでいい走りを見せている。パドックでも評価の高いドライバーだ。しかし……」
シャフイザはそこで言葉を切ると、目を細めて声のトーンを下げて言った。
「久湊はいいマシンに恵まれず、チームのシートを買うような資金力もなく、かなり追い詰められているらしい。今回、ウチの代走の件でも、『必ずいい成績を残すから、代走に使ってくれ』とかなりアピールしていたそうだ。そんな状況で、同じ日本人で、エリートで、ド新人のおまえにチャンスを持って行かれた……。あいつがおまえに対して抱いている感情は、もう説明する必要もない」
「そのようですね……」
「まあ、おまえから見れば一方的な恨みだろうが、この世界ではよくあることだ。日本人だからスズカは得意だろうし。結構エグいバトルを仕掛けてくるタイプだから、注意しとけよ」
「…………はい」
「うっしぃ! んじゃ、明後日のレースでブッ千切る連中の顔を拝みに行こうや!」
勢いよく歩き出したシャフイザに向かって呆れたようにため息をつくと、夢兎もその背に続いて歩き出した。
なんだか色々なことを考えてしまったが、シャフイザの言うとおり、今は余計なことを考えている状況ではない。
とにかく今は、自分にできる最大限のレースをすることだけを考えよう。
もう一度、自分にそう言い聞かせると。
夢兎は奥歯を噛み締め、ライバルたちが待つミーティングルームへと歩き出した。




