かくれんぼしてはいけない家
私はかくれんぼがしたくて、うずうずしていた。
私は大人だが、独り暮らしのため家を出る前に、是非とも一度かくれんぼがしたかった。
私が育った家は、古く大きな日本家屋だった。一階の座敷は正月に親戚などが集まると、座敷の間の襖が外されて、小さい頃は広い座敷を走り回ったものだった。
そして、広い座敷で正月料理を食べて酒を呑み、酔った親戚のおじさんが
「かくれんぼしたらいかんぞ」
と笑って言った。
ある年は、酔った勢いで
「一緒にかくれんぼしよう」
と私達子供を捕まえようとして、母やおばさん達に鬼の形相でたしなめられた。私達子供もおじさんも、この家でかくれんぼをする気を永久に失った。
祖母にどうしてしてはいけないのか聞くと
「昔から、この家でかくれんぼをすると、ひとり見つからなくなるそうなんだよ」
祖母は天井に視線を巡らせた。
「おばあちゃんが子供の頃も、父からしらたいかんぞと言われてね」
「しなかったの?」
「その話を聞いただけで怖くてねぇ。大きな家だから友達はかくれんぼしたがったけど、絶対しなかったの」
「どうして、見つからなくなるの?」
「さあねぇ。父はお化けが連れていくんだぞと言ってたけど」
「お化け⋯⋯」
震え上がる私を見て、祖母は笑った。
私は決してかくれんぼはせずにきた。
しかし、永久に失ったと思っていたかくれんぼへの好奇心は、大人になったことと家を出ることが重なった時、どうしようもなく大きくなっていた。
「ねぇ、ふたりでかくれんぼしようよ」
私は家に来た幼なじみのユウキを、さっそく誘った。
ユウキは昔からこの家でよく遊んだり、泊まったりしていて、今日は久しぶりに泊まりがけで遊びに来たのだった。
「ふたりで?」
ユウキは泊まった時に祖母から怖い話を色々聞かされた中で、かくれんぼのことも知っていた。
「そう、ふたりで。私が隠れるから」
せっつく私を、ユウキはニヤニヤ笑いながら見た。
「ユウキが鬼ね。鬼なら大丈夫だって」
「嫌だよ。もしも、ケイが見つからなかったら」
ユウキは最悪の事態を想像するように、目を巡らせた。
「ヤバいじゃん」
反対されて私はしょぼくれた。
そんな私を見てから、ユウキは古い板張りの廊下を眺めた。
「本当に怪奇現象が起こるか、確かめたいんだよね?」
「うん」
「それなら、自分が隠れるよりさ、見つからない子を呼び戻せばいいんだよ」
「え? どうやって?」
「呼び戻すには、居なくなった子の名前を呼んで、みーつけた!って言えばいいんだよ」
そんな簡単な方法でいいのか?と、私は思った。
「いつの間に、そんな方法を」
「かなり前にネットとか図書館で調べて、実は、ずっと試したかったんだ」
私は図書館まで行って調べたことに驚いた。
「やってみよう」
私はさっそくユウキを座敷に引っ張った。
「でも、居なくなった子の名前がないと」
「そうだった」
私達は祖母の部屋に向かった。
祖母は黒猫を膝に乗せていた。さすがに着物ではなかったが、和室で猫を膝に乗せている姿は、絵に描いたようなおばあちゃんだった。
「あら、ふたりとも」
祖母は入って来た私達に笑いかけてきた。
「お久しぶりです」
ユウキは祖母の前に膝をそろえて、にこやかに挨拶した。私もユウキの隣に座った。
「久しぶりだねぇ。今日は泊まっていくの?」
「はい」
ふたりは祖母と孫のように笑顔で話した。
「クロコ、ユウキを忘れたの?」
誰だ?という目でユウキを見る黒猫クロコに私は聞いた。ユウキが頭を撫でると思い出したのか、猫を被ったような声で鳴いた。
「晩御飯は、お寿司とすき焼きどっちがいいかねぇ?」
祖母にとってご馳走といえば、寿司かすき焼きだった。
「お寿司」
私達はあらかじめ決めていたことを、声をそろえて言った。
「おばあちゃん、かくれんぼの話なんだけど」
晩御飯も決まったので、私はさっそく切り出した。
「かくれんぼするの?」
「ううん、かくれんぼで見つからなかった子の名前、知らない?」
「名前ね」
祖母は仏壇に向かうと引き出しを開けて、古い木箱を持って私達の前に座った。
「これに、見つからなかった子達の名前が書いてあるって言うんだけど」
祖母は箱から色褪せた三枚の紙を出すと、慎重な手つきで開いて私達に見せた。
私達は膝をそろえて、紙をのぞきこんだ。
一枚目 二月 まつ
二枚目 文久三年七月 三之助
三枚目 明治三十六年正月 ふく
とそれぞれ達筆な筆文字で記されていた。
まつの居なくなった年号、なにがあったかも書かれていたが、達筆過ぎるというのか昔の書き方だからか、私とユウキはもとより祖母にも読めなかった。
三之助とふくについて書かれたことを読むと、やはり、かくれんぼをしていて居なくなった。どう探しても見つからない。怪しい人物も見当たらない。色々原因を調べたがわからない。ということだった。
「怖いねぇ。どこ行ったのかね?」
祖母がしみじみと言った。
「まだこの家のどこかに居るのかね? 天井裏まで調べたと思うけど。ひとさらいに連れて行かれたのかねぇ」
私達が身を縮めるのを見て、祖母は笑った。
「お化けが居るのかねぇ?」
祖母にとって、かくれんぼの怪異は昔話で、私達はいつまでも小さな孫なのだった。
私は名前を覚えたので祖母に紙を返した。
三人でよかった。いや、名前を覚えきれないほど見つからなかったら、さすがにこの家は取り壊されていたかもしれない。
私達は祖母になにか聞かれる前に、急いで部屋を出た。
そして、一階の広い畳座敷に入った。家具もなにも置いていない座敷で、私達の小さい頃からの遊び場だった。
それだけに今も、遊び半分の軽い気持ちだった。
「じゃあ」
私達は真顔を見合せた。
「まつ、は女の子だよね?」
「うん、多分」
「じゃあ、まつちゃん、三之助くん、ふくちゃんと呼ぼう」
「うん」
私達は襖に背中をつけるようにして、座敷を見つめた。
「せーので」
「うん」
「せーの! まつちゃん、三之助くん、ふくちゃん、みーつけた!」
私達は盛大に言ってから、誰もいない座敷を指差した。
指先に子供が三人現れた。
男の子ひとり、女の子ふたり。みんな前髪を綺麗に切り揃えて、男の子は五歳くらい、女の子は男の子より下と上に見えた。みんな顔色が悪く、色褪せた着物を着ていた。私は古い写真を見ているような気になった。
しかし、子供達がみんな、私をじーっと見ていて写真ではないと思わせた。
子供達の視線が、私から移動した。私が視線の先を見ると、ユウキのぼんやりした顔があった。
子供達と視線があったのか、ユウキが奇声をあげると襖を勢いよく開けて走り出した。私も必死に続いた。
ツルツルの廊下でユウキが滑り、私は重なるように倒れると、ふたりでそのまま身を寄せて震えた。
「本当に出てきた」
「本当に見つけた!」
私達はうわごとのように言って確かめ合った。
ユウキは寿司どころではなく、祖母と母に用事ができたと断ると帰って行った。
私は祖母の部屋に避難して過ごした。
夕暮れには少し落ち着いてきたが、祖母が部屋を出てしまうと怖くなってきた。怖いのに、あの子供達のことを考えてしまう。ひとりひとりの特徴を思い出そうとしてしまう。私は強く目を閉じて考えるのをやめた。
それでなんとかまた落ち着いたが、襖をちょっと開けた隙間から、クロコが入ってきた。その姿は、黒く小さい子供の影が這いずってくるように一瞬見えて、私を心底怖がらせた。
心臓を突き刺すような恐怖に縮こまる私を、クロコは注意深くじーっと見てきた。またしても子供の幻影を見せる恐ろしい黒猫と、私はしばらく密室で過ごした。
晩御飯になった。私も寿司どころではなかったが、母が寿司の気分になっていていつものを注文した。父も兄も帰って来て食卓に家族が集まると、さすがに安心した。
「ユウキ、なんで帰ったの?」
兄が好物のイカを根こそぎ食べながら聞いた。
「用事ができたって」
母が答えた。私は子供達を思い出して、声が出せなくなっていた。細々と好物のマグロを食べることに専念した。好物だからなんとか食べることができていた。
「お寿司だけ食べにくればいいのにねぇ」
「そうだね」
祖母と父が陽気に言いあった。
もう二度と来ないと思うよと、言いそうになったが、やはり声が出なかった。
しかし、声が出ても話せないと思った。
母は怒るだろうし、父は本気にしないだろうし、祖母と兄は怖がるだろう。兄にはお前は家を出るからいいが、住み続ける身にもなれと責められる気がした。
こちらから話すのはよそう。いつか誰かがかくれんぼの話題を出した時、今日のことを話そうと決めた。
食後、居間にごろ寝して、寿司をもらって満足そうに毛ずくろいするクロコを見ていた。クロコへの恐怖心は消えて眠気がきた。
そして、すぐに悪夢を見た。
家の階段の一番上に三之助が座っていて、私をじーっと見下ろしている。暗い板張りの階段に全身灰色がかった三之助が座る光景は、白黒写真のように私の記憶に焼きついた。
私はなにも聞けなかった。関わってはいけないと無意識に判断すると同時に、三之助は幽霊として現実に居るのではなく、本当に写真のように別世界を見ている気もしたからだ。そんな気がしたのは、かなり長く見つめ合っていても、彼が動かなかったからか。
私はゆっくりと後ずさったところで、目を覚ました。
起きると現実的な恐怖に追い詰められた。私の部屋は二階にある。目を閉じて急な階段を上がり下りしなければならなくなった。
女の子達も出てくるのでは?という恐怖も出てきた。風呂やトイレに出てきたらたまらない。私は迷惑そうなクロコをつれ回してしのいだ。夢と現実の区別などつけられなかった。
私は仏壇に手を合わせた。
「成仏してください」
お盆には花とお菓子を供えようと思った。私にできるのはそれくらいだった。
やっと見つかった子供達はまた消えてしまった。子供達になにがあったのか、どこに消えたのか、私が隠れていたらどうなったのか、考えようとするだけで頭も心も恐怖で滅茶苦茶になった。
かくれんぼをしなくて、本当によかった。
ユウキに電話して、かくれんぼをとめてくれた礼を言うと、霊とかそういうのに詳しい人を呼べばと言ってきた。
しかし、私も家族もそういう人を信じてなかった。ご先祖はどうだろうか。昔の人は迷信深いという、どうにかしようとして無駄だったのではないだろうか。
それより、家は安心して居られる場所ではなくなった。かくれんぼのために家を探り回るなど、考えられない。もうすぐ家を出られて、本当によかった。
後何度この家に帰ってくるか、この家がいつまであるかわからないが、これから先私にできるのは、誰かがかくれんぼをしようとした時、鬼の形相で阻止することだけだろう。




