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君がついた初めての嘘

 締め切りの三日前、ようやく僕は写真を応募票と共にポストへ投函した。

 これが審査員の目にどう映るのかは分からない。だけど、自分にとっては今まで撮ってきた写真の中でも最高傑作といえた。


「大丈夫。……大丈夫」


 確かめるように、何度も口にする。

 今までは「まぐれでも入賞できたら」と戯れに応募するだけだったが、今回は自信作だったのもあって、特に気合が入っていた。

 もう一度ちゃんとエントリーできているか確認し、壁に掛かっているカレンダーを見る。来週末の日付の下に、赤文字が踊っていた。

『ロボット返却日』

 三か月ほど前の自分が、適当に書き込んだもの。その字は大きく書かれ、まるで解放の日だと言わんばかりだった。


 確かにあの時、僕は二十万を手に出来る喜びに打ち震えていた。

 物を預かり、ちょっと動作確認を済ませ、あとは電源を落とし放置していようと。そう思っていた。

 あの時の自分が間違っていたとは思わない。(むし)ろ、そうするべきだったのかもしれない。電源を落としさえすれば、僕が壊すことも無かったのだから。


「シイカ、なに見てるの?」


 ベランダに出した椅子に座り、外を見つめる彼女に声を掛ける。

 シイカはこちらに視線をやると、口を開いた。


「アパートの下にいた子供を、見ていました」


 思わず目を見開いてから、僕は片手で顔を覆った。

 ――敬語に戻っている。

 それは、彼女の中の記憶消去が進んでいる証拠だった。


「……あのさ。今日も公園、行こうか」

「オトウチ様。わたしは壊れやすいので、外出はなるべく避けた方がいいかと思われますが」


 知っている。そんな事、知っているんだよ。シイカ。

 僕は分かっていたんだよ。分かっていながら、君にあんな事をしてしまった。

 君はもう、覚えていないだろうけど。


 覚えていたとしても。

 君が僕を責める事など、なかったのだけど。


「うん。……でも、君の写真を撮りたいんだ。今日だけでいいからさ」


 シイカはその言葉に、考え込む姿勢に入った。

 一分、二分。ピーガガガの音が大きくなる。


 コバルトブルーの瞳が、一瞬だけ、ぞっとするような赤に変わった。

 しかしすぐに元の色を取り戻し、瞬きの後に僕を見る。


「分かりました」


 そしておもむろに立とうとした。

 駆け寄るよりも早く、傾いだ体は前方へと倒れ込む。


「シイカッ!」


 彼女は不思議そうに、震える自身の足を見た。


「オトウチ様、申し訳ございません。わたしの足に異常が起きているようです。あなたの望み通り、公園に行く事は――でき、ませ――」


 それきり、彼女は言葉を失った。

 ガリガリという耳障りな音と共に、彼女の口から無機質な音声が漏れ出る。


『――異常感知、異常感知。カスタマーサービスへ連絡します。異常感知、異常感知。カスタマーサービスへ――』


「……え」


 カスタマーサービスへ連絡? そんな機能あったのか?

 慌ててリビングのテレビ棚、その中に粗雑に仕舞っていた、取扱説明書を取り出す。最後のページにあるヘルプの項目を探すと、そこにはこう書かれていた。


【アンドロイドは外部からの衝撃を受けた際、内部の破損状況により、カスタマーサービスへ通知します。そしてマスターの連絡先へ、修理が必要かどうかをご連絡致します】


「…………しい、か」


 僕に隠し事をしていたのか。

 僕があんなに悩まなくても、本当はいつでも、会社に連絡する事ができたのか。

 それなのに、どうして「何でもない」なんて、笑顔で言っていたんだ。


 シイカ。君は、ロボットのくせに馬鹿だよ。

 本当は何でも知っているのに、僕の言う事を全部鵜呑みにして。自分の中で異常が起きているのに、平気そうに振舞って。

 いつでも連絡ができたのに、それをしないで。


 僕も馬鹿だった。

 君の嘘にすがるばかりで、隠していたSOSを、ちゃんと受け止められなかった。


 僕らは互いに、大馬鹿者だ。


 青い瞳が、ゆっくりと赤色に変わっていく。

 それは、合図だった。彼女が「シイカ」でなく、まっさらな、何者でもないモノへと戻っていく合図。


「シイカッ……!」


 どれだけ呼んでも、彼女は応えなかった。

 赤い瞳がやがて何も映さない黒へと変わり、薄いまぶたが落ちていく。


 夏に不似合いな曇天の空の下。

 僕は冷えていく彼女の体を、ずっと抱きしめていた。



 ***



「本当にいいのかい?」

「はい。傷付けてしまったのは僕の責任ですから、謝礼は受け取りません。前金もお返しします。本当に、すみませんでした」


 三万円が入った封筒を、対面へと差し出す。

 すぐに受け取らず、横田さんは困惑の視線を向けてきた。


「三か月分の給料だよ? 君に預けたのはまだ試作段階のものだし、衝撃に弱い部分とかも含めてデータが取れたから、そんなに気にしないでも……」

「いえ。彼女の修繕費に充てて下されば、それで良いので」

「…………そうか。それじゃあ、受け取っておくよ」


 テーブルの上に置かれたままだった封筒が、横田さんの鞄へと仕舞われる。これで良いんだと、不思議と胸がすく思いがした。


「仕事を請けてくれて、ありがとう。また機会があったら頼むよ」

「はい」


 汗をかいた空っぽのグラスをコースターの上に戻し、僕は彼に(なら)い立ち上がった。頭めがけて吹いてくる風が、汗に濡れた背中や脇を、凍えるほどに冷やす。

 たぶん今後、仕事を請ける事はないのだろうと。

 愛想笑いを浮かべレジに立つ、ウェイトレス姿のアンドロイドを見て思った。



 四か月後、湯笠市えがおの景観コンテストの結果発表があった。

 応募した写真は、残念ながら最優秀賞には至らず、三枠ある優秀賞のうちの一つに選ばれた。滑り込みで応募した割には、健闘した方じゃないだろうか。


 市役所のロビーに展示された写真を見ながら、僕は三か月間の出来事を思い返していた。

 最初は長いと思っていたが、時が経つにつれ、その短さに焦るようになった。そんな儚い日々が、今はとてつもなく愛おしい。


「『心なき僕と、心ある彼女』……ね」


 すぐ傍から覚えのある声が聞こえ、左横を見ると、そこには野島が立っていた。

 艶のある黒の洒落たジャケットを羽織り、髪型をバッチリ決めている。今日は甘いムスクの香り。細身のアクセサリーを付けているから、夜にでもデートに行くのだろう。


「とても心がないようには見えないけどな」

 意地悪く、彼は僕を見た。「緊張しきってるし」

「うるさいな」


 小突いてくる友人を邪険にしながら、服のしわをそっと伸ばす。


 奮発して買ったレザーシューズに合わせ、カッチリ目に合わせた僕なりの、精一杯のおしゃれ。どうにも落ち着かないが、この革靴が足に馴染んできた頃にはきっと、新しい僕になれている事だろう。


「あ、漏れそう。ちょっとトイレ行ってくるわ」

「はいはい」


 相変わらずの友人を見送り、改めて写真に視線を投じる。


「心なき僕と、心ある彼女」と題した写真。その中には、シイカの姿があった。

 後方には緑あふれる公園の景色と、シャボン玉を飛ばしながらはしゃいでいる子供たち。色とりどりのシャボン玉に囲まれ、手前に写る僕の手を楽しげに握りながら、シイカは笑顔を浮かべていた。


「…………素敵な写真」


 小さな呟きが聞こえ、そっと横を見ると、僕の写真に見とれている女性がいた。

 薄手のカーディガンを羽織り、袖とスカートの縁に刺繍が施された、涼やかなコットン生地のワンピースを身に付けている。シュシュで纏められた薄茶色の髪が、背中でさらりと揺れた。


「ありがとうございます」


 声を掛けると、彼女は驚いて僕の方を見た。


「あっ、撮影者の方ですか? 独り言聞こえちゃってたんですね、恥ずかしい……」


 照れたように笑って、それから改めて写真を眺める。その瞳は暗いブラウンで、でも、鉱石のようにきらきらと輝いていた。


「綺麗な人ですね。とてもロボットだなんて思えない」

「ええ、ほんとうに」


 題名の下に添えられた注釈を見ながら、僕は静かに頷いた。


 もしも、また会える日が来るのなら。

 今度はちゃんと心を込めて、名前を贈るよ。


 心ある、君へと。




 END.

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