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フォトコンテスト

 シイカが家にやって来て、一か月半が過ぎた。

 質問に答え続けるうちに、彼女が覚えた言葉もそれなりに多くなった。だが僕の意地悪のせいで、彼女の知識は相変わらず()()()()だ。

 車のセキュリティーアラームが聞こえてきた時なんか「やかんが鳴っています」と言ったので、壊れたのかと心臓を無駄に暴れさせてくれた。その場で適当に答えていたので、もう何を教えたのかすら記憶にない。


 インプットした言葉の数々を訂正しなければと考えさせられる事になり、自分の不始末とはいえ頭が痛くなる。

 もういっそ手動で入力するかと、彼女の服の裾をボタンの位置まで捲ろうとしたところで、卓上のスマホが鳴った。

 確認すると、先日面接を受けた会社からのメールだった。心拍数が跳ね上がる。


 唾を呑み、開くと――そこにあったのは、三度目の「誠に残念ですが、採用を見合わせて頂く事となりました」の文字だった。

 ……なにが「誠に残念ですが」だ。

 残念なのはこちら側で、そっちは何も残念ではないだろう。落とした側なのだから。


〝いつまでも大人になれない気がするの〟

 その言葉が、頭の中でうんざりするぐらい響く。掻き消すように手にしたスマホを乱暴にクッションに投げつけ、腹立たしさのあまり床を叩いた。見ていたシイカが、いつもの淡々とした口調で言う。


「近所迷惑になります。今の騒音は、数値に表すと――」

「うるさいっ!」


 分かってる! 分かってるんだ、僕はまだ大人になり切れていないと。

 詩歌の未来を支えられるほどの男には、まだなれていなかったのだと。


「申し訳ございません」


 シイカの受け答えが敬語であったのも、また怒りを呼び起こす要因となっていた。苛立ちが募るあまり、立ち上がった僕は彼女の肩を乱暴に押し退けた。


「邪魔!」


 思ったよりも強い力が籠り、あっと思った時には、シイカの体は右へとふらついていた。

 バランスを崩しても重心を立て直す事が出来るはずなのだが、足もとが滑りやすいカーペットだったのが災いし、彼女の体はそのままの勢いで倒れ込んだ。

 弾みで頭を打ち付けた瞬間の鈍い音に、血の気がさあっと引いていく。


「シイカっ!」


 とっさに屈み、覗き込む。

 こめかみがほんの少し(へこ)んでいた。


「だ、大丈夫か?」


 シイカはその問いに、考え込むように黙っていた。

 彼女の体から聞こえてくる、ピーガガガという微かな機械音が、心臓に悪い。


「――大丈夫、です」


 しばらくの後、彼女は顔を上げた。


「大丈夫です。問題ありません」


 その返答にホッとしてから、僕は崩れ落ちるようにして隣へと座った。

 二度と立ち上がれないような、そんな気さえした。


「ごめん。ごめんな。……最低だよな」


 暴力を振るえば、人間関係などあっさり壊れる。もしくは、一方的な支配関係へと変わる。

 そんな事分かっているはずなのに、物だからという理由で僕は彼女へ平気で暴力を振るった。ロボットは人間に服従する〝物〟であり、従う事しか知らないのだと、知っているから。


「僕のこと、嫌いになったよな」


 なんでそんな言葉が出てきたのだろう。ロボットに好き嫌いなどあるはずが無いのに。

 全てを受け入れる存在でしか、ないはずなのに。


 動揺のせいか、自身への嫌悪と後悔のせいか。とにかく「嫌われた」という思いだけが暗く渦巻いて、自身を呑み込みかけていた。だから、


「嫌いになど、なりませんよ。オトウチ様」


 シイカの(ゆる)しが、本当に救いに思えた。彼女はロボットなのに、その笑顔に慈愛を見た。

 所詮はエゴでしかないと分かっていながら、すがり付く。


 どれだけ僕が罵倒しようとも、暴力を振るおうとも。シイカは僕を赦す、赦し続ける。

 そこに、心が無いからこそ。


「ごめん。……ごめんな」


 人間のものと遜色(そんしょく)ない人工の皮膚に、滴った雫が流れ落ちる。


 今だけは、傍に居るこの女性がロボットで良かったと――心から思った。



 ***



 シイカが来て、二か月半が過ぎた。


 あれから僕はシイカの口調と、僕の呼び方を変更した。それから今までに教えてきた出鱈目(でたらめ)な知識も、ちゃんと訂正した。

 彼女と真っ向から向き合う事にした、というのはおかしいが、あの出来事がきっかけで彼女への認識が変わったのは確かだった。

 何とかアルバイト先を見付け、働きだしたのも大きかったように思う。給料で、僕は自分の趣味であったカメラと、シイカの服を買ってやった。ネットショッピングとはいえ異性の下着を買うのは、少し恥ずかしいものがあったが。


「汚れないし、一着でいいよな」


 誤魔化すように呟いてから、彼女に穿かせる。ロボットだと分かってはいても、こちらに笑みを向けているのが、また何とも羞恥心を掻き立てる。


「ありがとう」


 シイカは嬉しそうに言い、少しスカートの位置を調整してから、壁際に置いてある姿見で服を整えた。そうして、僕の方へと振り向く。


「ユウセイ、似合う?」


 来たばかりの頃とは比べ物にならないほど、彼女の表情は豊かなものになっていた。ともすれば、人間と見紛うほどに。


「うん。似合うよ」


 彼女はふっと笑い、リビングへ足を向けた。


「お茶淹れるね」


 陶磁器が鳴る音とお湯が注がれていく心地良い音に、無意識に頬が緩む。

 レースカーテンから差し込んでくる夏の日差し、ベランダの手すりに留まる二羽の雀の声。仲睦まじい姿に、以前はフンをされないように必死に追い払っていたのを思い出す。


「ねえ、シイカ」

「ん、なあに?」


 彼女は顔だけで此方に振り向く。

 花柄のシュシュで纏められたポニーテールが、さらりと背中で揺れた。


「僕さ、変われたかな?」

「なあにそれ」


 おかしそうに微笑んで、彼女は冷蔵庫からプリンを取り出した。僕が好きな、固めのカスタードプリン。いつも食べている姿を見て、シイカが勝手に記憶していた。


「変わらないよ。だって背が伸びても、髪を切っても。ユウセイはユウセイのままでしょ?」


 きっとそれは、「変われた」の意味をそのまま受け取った故の返答だったのだろう。有り体に言えば、気が利かない返し。それでも、シイカの言葉は不思議と僕の中に染み渡っていった。


「……うん。そうだな」


 テキパキとよく動く背中を眺めながら、今日これからの予定を思い浮かべる。


 シフトも入っていないし、カメラを持って公園にでも行ってみよう。確かもうじき、フォトコンテストがあったはずだ。二年近く参加していなかったが、せっかく買ったカメラを役立てる意味でも今回、エントリーしてみようか。


 足元に放置していたスマホを拾い上げ、検索を掛ける。

 目当てのコンテストがすぐ目に留まったが、何といつの間にか開催日が変更になっていたらしく、日付けはとうに過ぎていた。仕方なしに諦めようとして、ふと思い立つ。


「……地元開催のも、確かあったよな」


 検索すると、すぐに「湯笠(ゆがさ)市えがおの景観コンテスト」というページがヒットした。

 どうやら誰かの笑顔と一緒に此処(ここ)、湯笠市の風景を撮影した写真を募集しているようだ。期日は……なんと一週間後。ギリギリだ。

 現像にはさほど時間が掛からないが、コンテストとなるとやはり、題材選びにそれなりに時間を掛けたい。


「シイカ。今日は僕、公園に――」


 シイカの体が揺らいだのと、僕がスマホの画面から顔を上げたのは同じタイミングだった。


 彼女が手にしていたお盆が安定を欠き、上に乗せられていたカップやプリンと共にフローリングの床へと投げ出される。狭い部屋の中に(つんざ)く音が響き、それに驚いた二羽の客は、入道雲が遠くに見える夏空へと飛び立っていった。


「シイカっ! シイカ、どうした!?」

「……ごめんなさい。何でもないの」


 何でもない事ないだろう、だって足が震えているじゃないか。

 そう思いはしたけど、彼女が浮かべる笑顔がとても痛々しくて。


「そんな泣きそうな顔、しないで」


 どんな顔をしていいのか、分からなかった。


 分かっていたんだ。

 あの日から度々(たびたび)、ふらつきを起こしていた事も。

 新しい記憶がインプットされる度に、古い記憶が消去されていた事も。


 ……その頻度が、日に日に増えているのも。


 彼女は自分の体なんて二の次で、僕を(いたわ)ろうとする。その献身的な姿は、ロボットのそれだ。きっと彼女は自分に起きている事を知りながら、危機感など抱いていない。だからこそ笑顔で言うのだ。「泣かないで」と。

 僕が変わろうとしたのは、成長なんて聞こえの良いものではない。ただの贖罪(しょくざい)に過ぎなかった。

 一時の感情の爆発で彼女を傷付けてしまった事実を、なんとか綺麗に拭おうとしているだけ。


 ロボットだからと、物だからとぞんざいに扱っていた過去の自分の方が、よっぽど心無き者だった。


「……シイカ」


 そっと、彼女の頬に手を添える。

 人工の肌には、仄かな温かさがあった。より人間らしくあるように、起動している間は人肌の温度で保たれている。その生々しさが、苦しみとなって僕の胸に刺さる。


「動けるようになったら、公園に行こうか」

「外出は、禁止されていたはずじゃ……」


 シイカの眼が不思議そうに瞬く。

 困惑する彼女に向け、僕は微笑みを浮かべた。


「君の写真を撮りたいんだ。今日だけでいいから」


 僕の〝お願い〟をどう取ったのか、彼女は少しだけ考え込んだ。ピーガガガという馴染みの音が聞こえてくる。その時間も、あの日から徐々に伸びていた。


「分かった。立てるようになるまで、もう少しだけ待ってて」

「うん、待つよ。今日は天気がいいからさ、きっと気持ち良いと思うんだ」

「楽しみ」


 彼女は小さく微笑み返し、いまだ震える足にもどかしそうに触れた。



 ***



 結局、シイカが立てるようになる事は無かった。

 足の震えは収まらないまま。人間と同じく頭部に様々な部位の制御装置やメモリーが組み込まれているせいで、下半身が思うように動かない様子だった。


 僕はそんな彼女のために、車椅子をレンタルした。介助用ではなく、ベルトが付いた、人型のロボットを運搬するための物だ。

 その車椅子を動かしながら、ベランダで椅子に座り空を見上げているシイカに目をやる。風に揺れるレースカーテンと、薄いオレンジのワンピース。突き抜けるほど真っ青な空の下で、彼女は何を思っているのだろう。


 ポケットからスマホを取り出し、幾度となく指を伸ばした通話履歴に視線を落とす。

 あれから繰り返し開いては、ずっと思い悩んでいた。横田さんに連絡を入れるべきかと。

 社会人として、常識として入れるべきだと理解していながら、怖さで躊躇(ためら)っていた。


 弁償が怖いとかではない。

 もちろんそれを気にしていない訳ではないが、何より、唐突に彼女から引き離される事が怖かった。彼女の中から僕の記憶が何もかも消え去ってしまう事を、今はひどく恐ろしく感じていた。

 残りの時間が迫っている。その瞬間瞬間を、シイカとふたりで過ごしたかった。


「お待たせ。そろそろ行こうか」


 スマホを仕舞い、車椅子をベランダ側の窓に付ける。

 シイカは柔らかく微笑み、おぼつかない足取りでそこに座った。前方に倒れ込んだりしないよう、腹の辺りのベルトを留める。


「ねえ、ユウセイ」

「ん、なに?」

「今日、これから何しに行くんだっけ?」


 何度も聞いた問い掛けに、平静を保ちながら返す。


「公園に、写真を撮りに行くんだよ」

「へえ。何を写すの?」

「まだ決めてないかな」

「そっか」

 彼女は笑った。


「楽しみ」


 その笑顔を前に、僕は何も言う事が出来なかった。

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