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彼女がやって来た

 きっかり三日後、それは分厚い梱包と共に自宅に届いた。

 横長の箱は二人がかりでないと持ち上げられないほど重く、宅配業者の人がリビングの中央に置き去ってからは、自力で動かすことは難しかった。


「まいったな」


 気が向いた時に適当に起動させ、ある程度動作チェックを済ませた後はずっと電源を落としておくつもりだった。だからしばらくは部屋の隅にでも置いておきたかったのだが、こんなところに置かれてしまっては、もうロボット自身に動いて貰ったほうが簡単な気がした。


 致し方無くカッターを取り、段ボールを塞ぐテープに切り込みを入れて開け放つ。

 開けた瞬間に息を呑むといった、映画のワンシーンのような光景を想像していたのだが――実際に目にしたのは、緩衝材が何重にも巻かれたミイラだった。

 百年の恋もなんとやらだ。

 苦心して体に巻かれた全てを剥がし、「彼女」の姿を拝めたのは、およそ五分後のこと。


「おお……」


 興味がなくとも、精巧に造られたそれを目の前にすれば、思わず感嘆するのも当然といえた。


 瑞々(みずみず)しく、張りを伴った肌。赤みが差した唇はふっくらとしていて、思わず手を伸ばしたくなる。

 顔の造形は人の手が加わったもの独特の美しさを兼ね備えているが、「人間です」と言われれば頷いてしまいそうなぐらいには、差異が無いように見えた。


 まぶたが閉じられている今は、まるで寝ているみたいだ。といっても胸が上下していないし、もっと言えば冷えているので、死んでいると例えたほうが正確かもしれないが。


 腰まである、ストレートの黒髪。目の色はまだ分からないが、垂れ目がちで穏やかな顔つきをしている。

 胸は……見た限り、恐らく平均的なサイズだろう。四肢も胴も、太くもなければ細すぎるでもない、ごく一般的なニーズに対応している。

 この点に関してはありがたかった。特殊性癖向けの商品を送ってこられたらどうしようかと、ひそかに心配していたのだ。


「さて、と」


 腰に手を当て、取り扱い説明書に書かれた手順を改めて見る。


 ① 名前を付けてあげてください

 心のこもった名前を付けてあげましょう。あなたが呼ぶたびに、彼女は嬉しく思います。


「嬉しく思う、ね」


 子供向けのような説明文を鼻で笑いながら、その下に書かれた手順通りに彼女の腹を探る。

 指に引っ掛かる感触がした。目立たないように肌色に塗装された、指の先ほどの小さなボタン。それを押すと、カシュッという空気の抜けるような音と共に、横に開いた。


「わっ!?」


 思わぬ動作に引け腰になる。

 ドアになっていて、蓋の内側にはモニター、本体の方にはキーボードが備えられていた。なるほど、ここで情報を入力するのか。


 試しに「A」のボタンを押してみる。……反応はない。

 どうしてだろうと考えたところで、そもそもまだ電源を入れていない事に気が付いた。ページを戻し、一番最初の項目に目を通す。


「腰のところにある、細長いボタンの真ん中を……十秒押し続ける、っと」


 人差し指に力を込め、グッと押し込む。左右は音量調節ボタンになっているようだ。たぶん、声の基本的な大きさなんかを変更できるのだろう。


 ……そろそろ、十秒経っただろうか。

 指の力を抜きかけた瞬間、「電源が入れられました!」物凄い声量が耳に届いた。


「うわあっ!?」


 彼女以上に大きな声が出た。心臓が今にも飛び出さんばかりに大袈裟に動いている。慌てて右側のマイナスボタンを連打すると、今度は口パクを始めた。プラスを押し、適度な声量に調節する。


「――めまして。わたしは、愛情学習型ロボット KA‐1103‐01 です。初期起動を確認しました。データ入力を開始してください。まずはマスターとなるあなたの名前と、専用のパスワードを、手動で入力してください」


 それは手動なのか。意外と面倒くさい。


「乙内、遊星。パスワードは……」


 半角英数で十文字以上を入力し、決定ボタンを押す。彼女の口が再び動いた。


「オトウチ ユウセイ様、パスワード確認しました。次に、わたしの名前を入力してください」


 名前……考えていなかった。正直、考えるのが面倒で先送りにしていた。

 どうしたものか。そう悩み始めたところで、カレンダーが目に留まる。月の終わり、三十日に赤文字で書かれたその名前。


「…………しいか」


 詩に歌と書いて、詩歌。

 東城 詩歌(とうじょうしいか)

 一か月前に別れたばかりの、まだ未練を残したままの女性の名前だ。


 手は、いつの間にか口に出した三文字を打ち込んでいた。

 野島が女々しいと言うのも、もっともだ。

 人の形をしているとはいえ、ただの機械に、元カノの名前を付けるだなんて。気持ち悪いと言われてもしょうがない。

 やっぱりやめようかと、悩みながら曖昧な手付きでボタンに触れる。


「……あっ」


 指が硬い表面を滑り、意図しないボタンを押し込んだ。

 彼女は二度の瞬きの後に、口を開いた。


「わたしの名前は、シイカ。確認しました。次に、あなたの情報を入力してください。手動、口頭、どちらでも結構です」

「あー……」


 やってしまった。

 ロボットに、元カノの名前を付けてしまった。

 一度付けてしまえば、初期化するまでそのままだ。これはもう何が何でも、他人の目に触れないよう隠さなければならない。引かれるのは目に見えている。


「あなたの情報を入力してください。手動、口頭、どちらでも結構です」


 愕然(がくぜん)とする僕をよそに、ロボット――シイカは、同じことを繰り返す。なんだか泣きたくなってきた。


「口頭、口頭でいいよ」


 今から手動で入力できる気力があるわけ無いだろ。ロボットのくせに、そんなことも分からないのか。


「わかりました。では、二十の質問に口頭でお答えください」

「はいはい、分かった分かった」


 おざなりな返事を口にしながら、カーペットに崩れ落ちる。

 シイカが薄いワンピースだけを身に付けているせいで、横になった視点だと見えてはいけない部分が露わになっていた。ただ、そういう目的のロボットではない為か作られてはおらず、人形のものと変わりない。だからといって、別に残念に思ったりはしない。


「あなたの誕生日は?」

「六月十五日」

「家族構成は?」

「父と母と姉と、僕。あと、スコティッシュフォールドのブリタ」

「一緒に暮らしていますか?」

「一人暮らし」


 横になった姿勢でダラダラと質問に答え続け、何問目か数えるのにも飽きた頃。シイカはおもむろに、その質問を口にした。


「あなたにとってわたしは、どういう存在ですか?」

「……は?」


 どうって、ただのロボットに過ぎない。

 二十三万と引き換えに預けられた荷物で、これから動作確認をしなければいけない機械で。ただの、試作品だ。

 でも野島は、彼女としてシイカを傍に置いてくれと言った。横田さんもそう言っていた。ならば、こう答えるしかないだろう。


「彼女……僕の、彼女だ」

「わかりました」シイカはうなずいた。「性格はどのようなものがお好みですか? 口調などもご指定ください」


 瞬時に頭に浮かんだのは、東城 詩歌の一貫してぶっきらぼうな態度だった。

 甘えなど無縁な彼女は、彼氏相手でも遠慮なく接する。友達の延長で付き合い、揺るがないその態度に、居心地の良さを感じていた。


 口を開きかけ、そこで思い直す。

 いや、性格まで似せてどうするんだ。いよいよ気持ち悪いではないか。


「普通、普通でいいよ」

「普通とは、〝標準〟という意味でよろしいでしょうか?」

「そう、スタンダード」

「わかりました。では、初期の口調と性格で設定しておきます。いつでも変更可能ですので、お申しつけください」


 もちろん僕に変更する気などない。設定を済ませ、暫く動作確認をしたら、後は電源を落とすのみだ。

 こうして会話を交わしていると後々マネキンになるのが申し訳なくなってくるが、世間体の前ではそんなもの紙屑同然だ。


 お辞儀をしてから、彼女は軽く目を閉じた。

 ピーガガガという微かな電子音が、どこからか聞こえてくる。人間が思考している間には、絶対に聞こえてこない音。

 ほどなくして目を開いた彼女は、改めて僕に向き直った。


「はじめまして。わたしの名はシイカ。あなたの、彼女です」


 それは設定が完了し、彼女が僕のものになったという合図。

 正面からまじまじと見た彼女の瞳は、目が覚めるようなコバルトブルーだった。艶のある黒髪が余計にその青さを強調し、惹き込まれる。気付けば数秒は見つめ合っていた。


「……他の項目も設定しますか?」


 何か言いたげに見えたのか、シイカは僕の顔を窺いながら首を傾げた。その仕草が実にあざとく、インプットされたものだと分かっていても、変な気持ちになる。


「いや、いい」


 何とかそれだけ答えて、手のひらで顔を擦る。


 頬のあたりが、わずかに熱をもっていた。

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