第3話 夢見る魔王じゃいられない-3
辺りを見回す余裕ができる頃には、部屋を覆っていた霧はすでに消えていた。
額の汗を拭いながら、魔王へ問いかける。
「ハァ……ハァ……なんだったんですか、今のは」
「私の魔力を分け与えた、と言えば分かりやすいだろう」
「……どうしてそんな事を?」
「これからカゼコには、いつ、どこで、どんな危険があるか分からない。自衛の手段が必要だ」
確かに、争いを止めようと間に入る際に丸腰では説得力がない。暴力はいけないが、相手が話し合いを出来ないほど興奮しているような状況もあるだろうし、そんな時は一旦落ち着かせる必要があるのは事実だ。
ある程度の戦闘能力があるに越したことはないだろう。
「なるほど、魔力を分けて頂いたということは、魔法ってやつですね」
「いや、ただ魔力を身体から噴出させるだけだ。魔法とは違う」
「噴出……? どう違うんですか?」
「魔法とは、魔力の扱いに長けた者がしっかりと訓練を積んで、ようやく使えるようになるものだ。自分の魔力の質を理解し、それを身体にどう行き渡らせるか、どのような形式で体外に放つか。まぁ、とにかく、誰にでも使えるような代物ではないのだ」
……難しい、ということだけは分かった。
「あまり分かってない顔をしているな。そうだな……今から教えるのはバタ足だ」
「バタ足って水泳の? このお城にはプールがあるんですか?」
「ない。カゼコに分かりやすいように言っただけだ。この例えだと、クロールやバタフライが魔法だな」
「あー、なるほど」
なんて教え上手な魔王なんだろう。とっても分かりやすい。
「理解しました! さっそく教えてください!」
* * *
「なかなか上手くいかんな……」
魔力噴出を教わり始めてからもう30分は経っているが、魔力が出る気配が一向にない。
魔王が言うには「手の甲に意識を集中させ、身体の中から魔力を押し出す感じ」らしいが、身体の中に魔力があるという感覚がいまいち掴めない。前世でも――いや、前世ではないな、死んでないから。
訂正、地球にいた時から、気とかオーラとか信じるタイプではなかったからなぁ。私。
「でませんね……」
「まあ、時間をかけてコツを掴むしかないな。扱えるようになれば色々と便利なのだ。、とりあえず魔力噴出は置いておき、『人間と魔物の融和』について、具体的な話を進めるとしよう」
「はい、そうですね」
大層な目的を掲げている以上、やらなければならない事はたくさんあるが、まずは1つずつだ。
「まず、当面の目標を決めましょうか」
「ああ、最初に始めるべきは私の配下たちをまとめ上げることだな。割合で言えば賛成が3、反対が5、中立が2というところだ」
「魔物の心が一つになれば和解は成立したも同然です。それで、数はどれくらいいるんですか? 何万? それとも何十万?」
「……それが、私の配下を束ねたからと言って、そう簡単に和平成立とはいかんのだ」
む、聞き覚えがある。この声のトーンは言い出しにくい事を言う時の魔王だ。
嫌な予感を胸に、「どうしてですか?」と尋ねる。
「魔王は6体いて、それぞれが個別に魔物を従えているからだ」
「…………」
驚きで言葉を失っていると、魔王がゆっくりと立ち上がり言った。
「外に出た方が説明しやすい。こっちに来てくれ」
玉座の裏に回った魔王についていくと、そこには扉があった。部屋に入ってきた時には玉座で隠れていたので気づかなかった。
「ここから外に出て城下を一望できる。いざという時の脱出口も兼ねておるのだ」
そう言いながら魔王は扉を開けようとしたが、なにかを思い出したように止まった。
「私としたことが忘れていた。外に出るならカゼコの着ている服は駄目だ」
「人間がいるのがバレるからですか?」
「いや、城の外には私の加護を受けていない者を拒絶する風が吹いている。具体的には防具や衣服を溶かす」
「……どうしてそんなセクハラな風が吹いてるんですか」
「城を守るためだ。この城が攻められて私が死ねば元も子もない。傷をつけない分、他の魔王に比べれば良心的な防衛措置だ」
衣服を溶かす風が良心的かはともかく。自らの身を守るためでも人を傷つけないのは、平和を望む努力が垣間見える。
「流石に制服が溶けるのは勘弁してほしいです。そもそも服がこの一着しかありませんし」
「分かっている。私の加護を付与したローブを上から着るといい」
魔王の両手から黒い霧のような魔力が吹き出す。辺りを漂う霧は段々と一つになっていき、やがて真っ黒なローブになった。
「衣服はコレしか作れないから私とお揃いだ。裾の部分の紋様が美しいだろう? 顔を見られないようにフードも着けておいた。カゼコのスカートが膝上までしかないのをカバーするために、防寒の加護もついている」
「ご丁寧にどうも。この城にも風紀とかあるんですか?」
手渡されたローブを羽織りながら、気になったので聞いてみる。
「一応ある、あまり機能していないがな。この城の風紀を乱したいなら、ちょっとやそっとじゃ駄目だ。服を脱ぎ捨てる覚悟がいる」
「そこまでしないと乱れない風紀……一体どんな方たちがいるのか気になります」
「今はほとんど出払っているが、少しづつ紹介していこう」
「楽しみです」
魔王が作ったローブは、手触りの良い漆黒の生地で作られていて、足元までしっかり守ってくれそうな安心感がある。
「いい着心地です。これを売る服屋を開いた方がいいですよ」
「一着作るだけでも結構疲れる。割に合わん。さぁ、行くぞ」
扉を開け外へ出る魔王。それに私も続く。
「おぉ、高い。見晴らしがいいですねー」
扉の先は、城の上部に造られた小さな見張り台のような場所だった。
外から見てみると、この城は魔物の住処というより、王様やお姫様が住んでいそうな外観をしていた。
白っぽい外壁に、凝ったデザインの窓ガラス。これも魔王の趣味なんだろうか。
「素敵なお城ですね。魔王さんの趣味ですか?」
「……まぁ、そんなところだ」
「でも、お城は豪華ですけど城下の町並みは……」
良い、とは言い難い。城下に広がるのは、広大な野原に木で建てられた小屋がたくさん並んでいるだけの、「城下町」といえるのかも怪しい光景だった。
「やはり『町』というものを作るのは難しくてな。そもそも、家が必要ない魔物もかなりいる。森や洞穴で暮らしていけるのに、わざわざ家を作って住むのはやはり面倒らしい」
「なるほど、笑っちゃうくらい理に適ってますね」
必要無い物を作ることほど無駄な行為はない。いずれ、魔物たちに家や町が必要になる方法も考えなくては。
「しかし見事に、城の周りは見渡す限り森と山ですね」
「ここら一帯が私の領地だ。城の正面にある、少しかすんで見える山の辺りまでだな」
「あんなに遠くまでですか。他の魔王さんたちの領地も近くに?」
「そうだな、【第二種】と【第五種】の領地は、かなり近くにある」
「その、第二種とか第五種っていうのは一体何なんですか?」
自己紹介で魔王が言った時からずっと、第〇種という言葉が気になっていた。
「血統を表すものだ。いや、品種のようなものか」
「品種?」
「あぁ、魔王はそれぞれメインで従えている魔物の種類が違う。【第一種】は悪魔、【第二種】は魔獣、【第四種】はスライム、【第五種】はゴブリン、【第六種】はオーク。もちろん、この中のどれにも属していない魔物も多くいる」
「魔王さんは【第三種】ですよね? どんな魔物を従えているんですか?」
「私も悪魔だ」
「……被ってるじゃないですか」
「同じ悪魔でも向こうは王道で、こっちは邪道だ。かなり違いがある。配下に会えば分かると思う」
そう言われると気になるな、早く会ってみたい。まぁとにかく、他の魔王も説得しないと平和は訪れないと言うことは分かった――ん? あれは……?
「あの丘の上、あれって家ですか?」
城の左前方の森の中に小高い丘があり、家のようなものが建っているのが見える。
「あぁ、あそこは私の配下の魔族が住んでいるんだが……」
またしても、魔王の声のトーンが落ちる。
「私を除けば、【第三種】で最も強いのは奴だろう。ただ……言う事を全く聞かん。城には寄り付かず、あの丘で暮らしている」
「どんな方なんですか? 名前とか、姿とか」
「見た目は赤髪の少女で、ワガママで子供っぽい奴……というか子供だな。悪魔は長い時を生きるが、あいつはまだ16年しか生きていない。5年前に私と大喧嘩をして城を飛び出した。……名前は無い」
私より年下なのに自立しているなんてえらい……ああ、いや、それより。
「……名前が無い?」
「そうだ、仲が悪くてな。あいつが誕生した時に名前を付けていたんだが、城を出ていく際、『名前はもういらない。今後、誰にも私の名前を教えないで。もし、私の名が広まるような事があれば、この城を壊すわよ』そう言い残した。だから今は名前が無いのだ」
「その方は人間との和解についてどう思っているんですか?」
「誰もあの家に近づけさせず、誰とも関わろうとしない。おそらく反対……少なくとも賛成はありえん」
「……いいじゃないですか、それ」
【第三種】の魔物をまとめ上げる為に、私がずっと考えていたのは、1人目をどう説得するか、ということだった。
1人でも反対側から賛成側に説得できれば、その人を伝って少しづつ他の反対側の方々と話していくつもりだった。
だけどそれじゃ時間が掛かりすぎるし、なんの実績もない私に説得されるような魔物はいないだろう。
あの家に住んでいる悪魔は魔王の次に強くて、まだ16年しか生きていない。私と同年代だ。
ガールズトークで説得できる可能性は十分ある。危険は伴うがリターンも大きい。「あの方が賛成するなら俺たちも……」なんて魔物もきっと出てくるはずだ。
「魔王さん、あの家に行きましょう」
「…………なぜだ」
眺めていた丘から顔を背けて、白々しく魔王は言った。
「分かってるくせに、説得に行くんですよ。【第三種】のNo.2が賛成していると知れば、きっと多くの魔物が意見を変えます」
「そうかもしれんが……しかしな……」
「喧嘩別れをして、会いたくないのは分かります。でも、いつか必ず通る道です。だったら――今、行きましょう」
「ぐ……」
魔王はしばらくの間、頭を抱えて悩んでいたが、やがて吹っ切れたように顔をあげた。
「待たせてすまない。……会いに行くとしよう」
「はい、では早速――」
早速行きましょう、そう言い終わる前に、私の言葉は遮られた。
「――魔王様? いらっしゃらないんですか?」
女性の声だ。良く通りそうな低めの声が、部屋の中から聞こえた。
「まずい、どうしてピオーネが城にいるんだ……!? まずいぞ……」
ピオーネさんていうのかな。その人の声を聞いて、魔王はひどく動揺している。
「魔王様ー? 外に出ていらっしゃるのですか?」
声はさっきよりも近くから聞こえる。こちらに向かってきているらしい。
「あの、魔王さん? 一体――」
小声で尋ねようとした私を、魔王は手で制した。
「まずいことになった、丘の家へはカゼコだけで行ってくれ。今、部屋にいるのはピオーネという私の配下だ。彼女は【第三種】で一番の人間嫌いだ。今は絶対に合わせられない」
「私が1人で……ですか? それはさすがに……それに、外に出るには一旦部屋に戻らないと」
「……ここから降りるしかない」
「ここからって……こんな高い場所からですか!? ビル10階分はありますよ? 死んじゃいますって!」
「魔力を噴出させて身体を覆えば大丈夫だ。もし出なくても、今のカゼコの身体には魔力が流れている。身体能力も向上して前より頑丈になっているから、この高さでも骨折で済むと思う……多分」
「多分!?」
「ここから人間が落ちた前例がないからな……」
「…………」
……でしょうね。
「いやいやいや、まだ一度も魔力噴出は成功してませんよ!? 絶対無理――」
「いいか。迷うといけないから、丘の近くまでは森に入らず道沿いに行くんだ。よほどの事が無い限り、フードを被ってさえいれば人間だとバレることはない。それと、私との【契約】の事は絶対に誰にも話さないように。訊かれたら『分けてもらった』と言うんだ。いいな、いくぞ」
――いいわけがなかったが、問答無用だった。
魔王から噴出した黒い霧は、まるで大きな手で私を掴むように渦を巻き――城外へと放り投げた。
キャラクタープロフィール、及び世界観の補完コーナー
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【黒衣のローブ】
ガーノ・デラウェアがカゼコのために用意したお手製のローブ。魔力で生成された繊維が着心地と耐久性を両立しているので、少々どこかに引っかけた程度では破れないが、あくまでも衣服である事には変わりないので、破れる時は破れる。
ガーノがこのローブを作る際にやたらと体力を消耗するのは、裾の部分に施す紋様にこだわっているためである。