逆転
瀬戸大輝は機能が停止しただの金属の塊になったオブジェクトから飛び降り、周囲の状況を見渡す。
見渡す限り、形勢逆転の言葉以外には出てこない。先ほどまでの瀬戸大輝一人が孤立し特区要員に取り囲まれた状況とは打って変わっている。
着地した瀬戸大輝の横を黒い無骨なゴーグルやバイザーで顔を覆った者たちが通り過ぎていく。全て、瀬戸大輝の味方だ。
その彼らが統制の取れた動きで今度は特区要員を瞬時に取り囲み牽制していく。その動きで特区要員は見る見る後方に押され始めていた。
正に形勢逆転。有利な状況から一変した彼らからすればこの状況は地獄とも思えるかもしれない。それ程に状況は瀬戸大輝の有利な物へと激変した。
見れば先ほど大きな爆発が起こったのは隔壁部分のようだ。隔壁部分の何かが邪魔だったために爆薬で破壊した、そんな所か。
「お前だな?椎名」
瀬戸大輝は押し込まれていく特区要員の横を素知らぬ顔で通り過ぎながらゴーグルに声を投げる。
『申し訳ありません。セキュリティが何重にもなっていたために少し苦戦しました。御無事ですか?』
片桐椎名、なるほどオブジェクトの行動を不能にして見せたのは彼女か。さすがは業界随一のクラッカーだ。確かに彼女であればいくら独自の電子機能を保有しているであろう特区の機械でも操作を奪うことは可能なはずだ。言葉の通り難航したようだが。
「ああ問題ない。隔壁もお前か?」
『いえそれは違います。隔壁の開閉は別電源だったようで手動で突破出来ました』
「……なるほど」
だったらもっと早く脱出できたのではないかという苦言を飲み込み瀬戸大輝は頷く。最も例え瀬戸大輝がその事を理解していたとしても現状の任務はレドーニアの救出にある以上それも無意味だったことだろう。
『しかし現状は見たほどよくありません。機能を停止させたのはオブジェクトと現在あなた方がいる階層への扉のみです。継続できるよう努力はしますが敵の動きの方が幾分早いです。持って五分かと』
言いながらも瀬戸大輝の無線には彼女の言葉以外にも高速で叩かれているキーボードの音が響いている。確かに猶予はあまりなさそうだ。
「わかった。可能な限り頼む」
『了解です。御武運を』
それを最後に通信を切り、瀬戸大輝は二人の女性と合流する。彼女たちも瀬戸大輝を視認すると肩を竦めて歩き始めた。
「とりあえず、死んじゃいねえみたいだな」
橘莉桜、気性の荒らそうな目つきをした女性だ。彼女は二兆持った拳銃の片方で瀬戸大輝の頬を軽く叩き、彼の背後に守るように回る。
「無茶ばかりして」
次いで片ノ坂音遠、穏やかでいながら鋭い眼光を持つ女スナイパーだ。彼女は左手で彼の頬を包み、悲しそうな顔で瀬戸大輝を見つめる。
「あなたのやり方、好きじゃないわ。……今すぐやめろとは言わないけれど、ゆっくりでいいから変えていきなさい?それまではいくらでも付き合うから」
言って彼女は彼の肩に手を移して後方を振り返った。
「彼女も心配しているわ」
そこにはナイフを腰から抜きながら瀬戸大輝を見つめる不破真琴がいる。彼女も今の心境は穏やかではないはずだ。不安や不満でいっぱいだろう。だが彼女はそれを表情に出すことはせず、いつものように鋭い表情で瀬戸大輝を見つめている。
それに瀬戸大輝は何も言わず頷き、彼女もまた何も言うことなくただ頷いて顔を背けた。
「まだ、その時じゃないだけです」
彼は片ノ坂の言葉にそう返して日本刀を鞘に納める。
「直ぐにとは言わないから、いつかは頼りなさい。良くも悪くもあなたたちは頑張り過ぎるのよ」
片ノ坂はまた悲しそうな顔で狙撃銃を揺らして瀬戸大輝の横を通り過ぎた。
その背中に瀬戸大輝は振り返ることなく小さく漏らす。
「その時は俺があんたたちの敵になった時だよ」
しかしその言葉が片ノ坂たちの耳に届くことはなかった。もっと大きな音でかき消されたからだ。
「早く始めようぜェ!」
そんな荒々しく狂気に歪んだ叫びと共に巨大な爆音が場の空気を叩き付けた。
楓だ。
彼女の絶叫とそのマーカーが発生させた爆発で場の空気が一瞬にして緊張した。
特区要員は囲まれたことで動くに動けず徐々に後退せざるをえなず、それを追い立てる地上側の人間は銃口を突き付けてそれを押し退けていた。だがそれも彼女の行動で塗り替えられた。
それを合図にしたように小さな影が大きく跳躍した。
小さな体躯だ。歳の割には大きいのかもしれないその身体は真っ赤な髪を揺らしながら空中を大きな弧を描くようにして舞い、体を回転させて停止したオブジェクトの顔面を蹴りつけた。
それだけで数メートルある巨大は宙を舞った。
恐らく数十トン以上あるはずの体積だ。それがたった一度の蹴りで吹き飛んだ。そんな芸当を行える人間など多くはいないだろう。ましてそれが子供となればまた話は変わる。たった一人しか存在しない。
黒崎真狩。瀬戸大輝と不破真琴の娘だ。
最も彼女を人間と言って良い物かは、熱資するつもりはないけれどやはり断言はできない。何せ彼女はクローンだ。
純粋に生殖行為から育まれて出産、という運びではなく、瀬戸大輝と不破真琴の類まれなる才能を欲した特区が彼らの遺伝子情報をもとに人体を構築し、更に科学的に手を銜えられて誕生したのが彼女だからだ。
彼女のその戦闘力、否、もっと限定的にその異常とも言える怪力だ、それはもはや人間のそれではない。元より人間は強固な作りにはなっておらず生まれ持った力の全てを解放した場合それだけで生命活動が止まってしまう。発せられる力で内から壊れてしまうのだ。
だが彼女の場合はそれも心配ない。彼女は人体の構造そのものを見直され、人体を超えるパワーを発揮しても問題ないように作りかえられている。そんな本物の怪物と言える彼女の脚力であれば数十トンを超える巨体であっても宙を舞うことになるのだ。
そしてもちろん彼女だってただ無意味に蹴り飛ばしたわけではない。
空中を舞ったオブジェクトはそのまま重力に従ってその巨体から発せられるエネルギーを伴って地面に向けて落下する。そしてそこには後方に追いやられ逃げ場を失った特区要員が間抜けな顔のままそれを見上げていた。
轟音。
地震でも起こそうかと言えるほどの落下音だった。あれだけの巨体が単純に落下するでなく威力を伴って落下したのだ。その威力は絶大だろう。当然それの直撃を受けた特区要員らは一瞬で肉塊へとその姿を変えた。
オブジェクトが落下した場所からは湧き水のようにどろどろとした血液が真っ白な地面を染めていく。
それを皮切りに銃弾の荒らしだ。
オブジェクトが落下した事で体勢を大きく崩した特区要員ら目掛けて地上側の人間が一斉に引き金を引いた。それだけで血の海が作られ始める。
正に蹂躙だ。
つい数分前まで完全な有利を物にしていた特区側は一瞬で形成を覆され、銃弾を浴びる立ち位置まで下落した。
これもある意味では特区側の実戦経験の無さの表れでもある。
彼らは知らなかったのだ。戦争の本当の意味を。ましてこの戦争は国家の利権を目論んだ戦争ではない。過去に起こった世界大戦のようにそれぞれの思惑が錯綜した結果に起こった大規模戦ではなく、単純な話で現状維持を望む側とそれを破壊せんとする側の戦争だ。つまり見方は方々で変わるだろうが悪と善の戦いである。故にどちらも引くには引けないものがあるし何より戦争の勝敗はどれだけ的に損害を与えたか、あるいは敵陣地の機能を著しく低下させるかにある。簡単に言えば敵の継戦力を可能な限り消耗させた方が勝つ。それが現代戦だ。けして敵の大将一人を殺して決まる物ではないのだ。戦国時代の武将ではないのだ。
加えて現状先ほどまでに瀬戸大輝が完全に孤立した状態だったが当然ながらそれがまだ生存しているとなればもちろん救出作戦が行われて然るべきだ。その救出対象が重要人物であれば尚の事大規模な戦力を割いてでも行われるのは自然。それを特区側は理解してなかった。瀬戸大輝を孤立させた時点で地上側へアクションを起こすべきだった。瀬戸大輝の抹消に焦った結果が現状だ。
しかしこの現状だって特区側だけを小ばかにするわけにも行くまい。何せ瀬戸大輝は一匹狼で、それだけでなく残虐性を含んだ人格であると言う話は世界共通認識だ。それは特区側も同様で、故に彼は世界から悪意をぶつけられる人間なのだ。
だから特区側もまさかそこまでして瀬戸大輝を救出するとは考えてなかったのだろう。しかしやはり特区側は知らなかった。瀬戸大輝が全ての人間から嫌われているわけではないという事と、それを救出しに来た地上側の人間が一重に軍人であったことを。
軍人は命令とあれば必ず動く。もちろんこの業界だ、それなりに我儘な物も多い。しかしそれもこと特区に関して言えば話は大きく変わる。
地上側に置いて特区を何とも思っていない人間など切り捨てて良い程に少ないのだから。
だがこれも瀬戸大輝自身もやはり意外、とまではいかなくとも少しだけ予想から外れた状況だろう。彼は地上に配置されていた部隊、本来は大脳の破壊を目的とした部隊だが、それらは撤退したとあの女からは嘘を伝えられていた。考えればわかると思うが瀬戸大輝はそういう、誰だって気付く部分を気付けなかったりするのだ。だから素振り的な面で特区が勘繰ることも出来なかったのかもしれない。まあ無線の傍受や件の隔壁区画の監視なんかを行わなかった特区の落ち度が強いのだが。
しかし状況的には逆転したとも言えるがそれでもここが敵の拠点の只中であることに違いはなく、片桐椎名が行った妨害行為も長くは続くまい。何より瀬戸大輝に与えられた任務はくどいようだがレドーニア・ハワードライト、協力者を名乗りながらも裏切った彼女の救出だ。
だがその任務も馬鹿馬鹿しい物であると思う。
確かに特区の機密情報などを得たという利益もあった。それを行えるだけの特区の穴、システム的休息、スリープモードの情報を与えてくれたのは彼女だが現状で判断すればその情報も仕組まれた上で流したものである可能性が高いしむしろそれで間違いはないだろう。となると瀬戸大輝が得た特区の研究データや偽装し敢えて流すことでかく乱することが目的である場合もあるだろう。とするならばは本当に瀬戸大輝が命の危機に陥った意味が本当にないのだがそうすると今度は本作戦を考案した者の責はどうなるか?という話になる。
レドーニア・ハワードライトを特区側の人間であると言うのに何の後ろ盾も信用出来るだけの要素もないと言うのに信用し、手助けしようとした勝俣。瀬戸大輝という貴重どころか基本とすらも言える人的資材を火山の火口に放り投げるような愚行だ。更には愚かな行動に出ただけでなくそれより先を要求する。これが表側に公表された部隊だったとすれば勝俣は市民から大々的に干されていた事だろう。馬鹿としか言えない。
そもそも本作戦、この場合降下作戦そのものであるがその段階で無謀のそれだ。敵拠点への単独潜入、破壊工作でなく情報収集であれば個人での作戦行動はまだ理解できるのだが如何せん特区だ。常識的な行動が通用するものではない。それをわかっていないのか、政治家とはこれだからと言わざるをえまい。勝俣は人道的で理解力のある統率者、という評価をされているような人間だったがどうもそれは誤りらしい。こんな愚行など過去にもそう類は見ない。
勝俣はレドーニアのその生い立ちについてを理由にしていた。仮にそれが事実だとして、先日の大戦の主犯であったあの男の妹だとして、だからと言ってそれは誰かが危険な思いをしていい理由には決してならない。それも確証も勝算もあやふやな作戦を実行に移すなど擁護することも難しい。
加えてやはり特区なのだ。例えまだ子供だとしても特区要員であることに変わりはない。子供だからと見逃していればその子供は時間をおいてから銃を取り、それを敵に向けるのだ。例え子供であろうと容赦なく敵であれば屠る、それが戦争だ。どうやら一政治家である勝俣は戦争の本質を理解していないらしい。正義感や良識では生き残れないのだ。
「……」
形勢が逆転したとはいえしかしあまりゆっくりもしてはいられない。
まだ件のレドーニアとの再接触を果たさねばならないし大脳の破壊だって残っている。そして今現在抑止されている特区の機能も時期に回復する。その前に行動に移さなければ。
瀬戸大輝は少し離れた位置にいる不破真琴にアイコンタクトを送り付いてくるように伝え、彼女もそれに頷くことで了解して瀬戸大輝と合流する。
そして瀬戸大輝はゴーグルを操作して無線通信をオンにする。
「俺たちはレドーニア・ハワードライトを追跡する。他の奴らはここで戦闘を続けてくれ」
『大脳の破壊は俺らがやっておくぜ!さっさと終わらせちまいな!』
瀬戸大輝の言葉に誰かがそう返したのを合図にして再び銃声の嵐が巻き起こった。それを確認して瀬戸大輝は不破真琴を伴って走り出す。
「これよりレドーニアを救出する」




