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Hand in Hand  作者:
六年前 終結編
4/60

日常

「全身に軽、重度の火傷に何かの破片による裂傷がいくつか。相変わらず無茶するわね」

 こちらに背を向けている女がカルテを手に、それを読み上げていく。

 その表情は呆れ一色に染まっている事だろう。そんな声音だ。

「ま、あんたならすぐに治るんでしょうけど……。でも死んだらさすがにあんたの体でも私でも直すのは不可能よ。わかってる?」

 座っている椅子を回してこちらを振り返る女が苛立ったような声で発する。

 黒井八愛恵(くろいやえほ)。自分の担当医だ。

 金に染髪された長髪。しかしサイドだけは刈り上げられ黒髪だった。

 色白の顔には目元口元にいくつもの鉄のアクセサリーが埋め込まれている。

 まるで自己の歪さを強調するように。

 しかしそれ以上に目を引くのはその衣装だろう。いや衣装というよりも格好と言った方が正しいか。下着以外の衣服を何もつけていないのだから。

 しかしその姿であっても色気などは微塵も感じない。

 それはおそらくその目にあまりに生気がなさすぎるからだろう。

 露出癖持ちというわけではないだろうがそれ以外に表現しようがないファッションセンスの女だった。

 その女がこの世界において随一の名医、それもまだ二十代なのだから世の中というものはわからない。

 本当に。

「……わかってる。問題ない」

 煙草に火を点けながら答える。

「医師の目の前で平気で煙草を吸えるあんたの常識の無さは問題外よ」

 言いながら女は小机に灰皿を乗せ、こちらに寄せてくる。

 黒井はため息をつくとこちらに手を差し出してきた。

「なんだよ」

「煙草」

「お前も吸うのかよ」

「良いから寄越せガキ。あんたみたいなクソガキ診せられる私の身にもなれ。ストレス半端じゃねえっつの」

「ちっ」

 煙草を箱のまま投げつける。

 それを黒井は受け取り一本取り出す。

「あんたには必要ないとも思うけどとりあえず火傷の塗り薬出しとくから。包帯とかは勝手にやれ」

「必要ない」

「うるさい。いいからもってけこっちだって仕事なんだよ」

 女はそういうと煙草を銜えて火を点ける

 煙を吐き出し再び口を開く。

「あんたがこっちに来てもうすぐ八年か。早いものね。当時は表側からの新人なんて前例がなかったからどこも騒がしかったわね。家族から凄惨な虐待を受けて育ち果てには殺害未遂までされた。そんな奴が完全記憶能力と共感覚を持ち合わせていると来てる。化け物としか言いようがないわよあんた…」

 完全記憶能力と共感覚。

 自分の体質のようなものだ。

 完全記憶能力は字のごとく見たもの聞いたものすべてを覚え忘れることのない能力ではあるが共感覚はそんな単純なものではない。

 共感覚というものは簡単に言えば本来であれば一つの感覚のみで処理されていた情報でも別の感覚も同時に感じてしまう、という体質だ。例えば音に色を感じたり、光に味を感じたりする。

 確かに二つとも珍しい例ではあるが少数は確実に存在している。

 特に共感覚はほぼすべての人間が幼児期、脳が不完全な状態のときに持ち合わせているものらしい。脳の成長、形成により失われるが稀にそれが残ったまま成長を終える者もいるらしい。

 黒井は上を見上げて煙を吐く。

 そのまま言葉を発する。

「そんな奴が六年前にあの大戦を他二人でわずか一週間で終結させた。当初半年はかかると思われていた戦争よ?それを一週間って……まあ他に誰も参加しようと思わなかったのだからしかたないわね。わずか30分でいくつもの部隊が全滅させられればそりゃあ戦意も喪失するわ」

「……昔の話だ」

「そうね昔話ね。今はあんた一人でも出来るかもね」

「やれと言われればやるさ」

 黒井は「変わらないわね」と言って煙を吸う。

 人間なんてそうそう変われるものではないだろう。表面上はいくらでも取り繕えても根本は変わらない。それが人間の本性だからだ。

 人間の根幹がそんな簡単に変われるのであれば誰も苦労はしないだろう。

 どれだけ優しかろうと、逆にどれだけ残虐性を持ち合わせていようと追い詰められれば必ずその本性が出るものだ。どちらが本性だとしてもそれは同じだ。

 追い詰められてなお人に優しくできるのは自己保身かはたまた自己犠牲か。あるいは病的な何かかもしれない。

「死ぬわよあんた」

「……」

 突然黒井はそんなことを言う。

 黒井は煙を吐いて言葉を紡ぐ。

「六年前の大戦のきっかけとなったあの男の死。あんたにとっては恩人よね。そして二年前には一つの戦闘中に一般人の少女の介入、そして戦死。これも前例がないわね。あんたはそれ以降、妙に戦闘の出動率が上がっている。特にあの少女以降それが目立つ。……あんた死ぬ気なの?」

「……」

 六年前の大戦。二年前。

 確かに数々の出来事が起きた。大勢の味方が死に、また多くの敵が朽ちていった。

 しかしそんなものは関係ない。

 ただ六年前において功績を上げたために仕事が増えてしまったに過ぎない。

 二年前以降は特に理由はない。他に動ける者がいなかっただけだ。

 上から言われれば動く外ないのがこの世界だ。

 それなのに妙な勘繰りをされてしまってはこちらが困るというものだろう。

「別に…そんなつもりはない」

「どうだか。まあいいわそのうちあんたもボロが出るでしょ。用がないんなら早く帰んな」

「お前が呼んだんだろ」

「呼んでないよ。任意だろこれ」

「お前が毎回来いって」

「いいから早く帰れよ」

「いや煙草」

「……」

「……ちっ」

 黒井に背を向け部屋を後にする。

 相変わらずいけ好かない女だ。結局煙草が吸いたかっただけではないか。

 それに何故誰も彼も昔の話ばかりするのだ。

 六年前も二年前も。

 あの男もあの少女も。

 全て関係ない。仕事だからだ。

 言われているからしているだけ。

 それだけだ。

 本当に。

 そんなことでいちいち引きずったりはしない。

 こんな仕事をしていれば誰しも少なからずそのような経験はしているはずだ。

 自分だけが特別なんてことはないのだ。

 そんなことを考えながら廊下を歩く。

 ここは小さな病棟だ。いやむしろただの家屋といっても良いかもしれない。

 世界随一の名医の職場にしては少しばかりこじんまりとし過ぎている。

 ここにいるのがあの女一人なのだからそれも分からないでもないが。

 しかしこんな小さな所で今まで数多くの人間を救ってきたのだ。あながち馬鹿にも出来ない。

「おや?……最強君じゃない」

 妙に陰湿な声を聞いて振り返る。

 するとそこには声同様に陰湿な雰囲気を纏った人物がいた。

 顔半分が隠れるほどの長すぎる黒髪に不自然なくらいの色白の肌。

 細い体躯には入院着のような白い衣服。

 まるでどこかのホラー映画のようだ。

 園田八千穂。

 黒井と名前が似てはいるが特別な関係はない。

「……こんな所で何をしているんだい?怪我でもしたかい?」

「お前こそ何をしているんだ?仕事終わりか?」

「……ん~こんな体じゃねえ~。滅多に仕事なんて来たりしないよ」

 園田の下半身に目をやる。

 しかしそこに常人であれば存在しているはずの足はなく車椅子があった。

 園田は車椅子の手置きをなでる。

 彼女の下半身は昔の仕事中のトラブルにより失われている。内臓にも欠損が生じるほどの大事故だったようだが黒井によって擦り潰された脚部以外を治おされたのだ。普通の医者であれば間違いなく助けることは敵わないだろう。それを達成せしめたあの女は凄腕としか言えない。

「……私としては仕事は嫌いじゃなかったから復帰できるのならしたいけれど。やっぱり上はそうはさせてはくれないんだよね……」

 園田と会話しながら歩みを進める。

 園田は現役時にはかなりの戦績を残してきた。事故後もその戦績は変わらず、むしろ戦場への執着か、上がっている。

 上はそれの保護に当たることにしたのだ。

 強いものほど傷が少ない。戦闘中に傷を負えばそれは直接死に直結するからだ。

 この世界は長生き=強い、とするのは早計ではあるが事実現状戦闘要員で強い者は二十を超えている者が多い。この世界の平均寿命は十五を下回る。

 この世界においては年齢など関係ない。動けるものは全て使われるのだ。

 故に大概は幼くして死ぬ。

 二十を超える者は総じて化け物と言って差し支えないだろう。

 事実化け物なのだから。

「お前は」

「…一応私の方が上なんだから先輩を付けなさいよ。相変わらず元気がいいね」

「ふん。俺に勝てたらそうしてやる」

「……さすがは最強ってところだね。君が敬語を使う相手はなかなかいないと聞くしね。君より下の私が言うのもおこがましいってものかな」

「……」

「……君がそこまで戦うのはやっぱりあの男の」

「違う」

 園田が言いかけた何事かを遮るようにして言葉を発する。

 やはりだ。誰も彼もが同じことを言う。

 関係ないというのに。

 何故そこまで自分の行動と過去を結び付けたがる?

 過去と現在は確かにつながってはいるが事象と事象とが繋がっているとは限らないだろう。

「……そう。余計なお世話だったね」

「……ふん」

 そうこうしている内に病棟の出口まで到着する。

 自動ドアをくぐり、外に出る。

「お前はどうすんだ?帰るのか?」

「ううん。もう少しだけここにいるよ。迎えがまだ時間かかるみたいだしね」

 バイクに跨りエンジンをかける。

「……そうか。それじゃあ、また」

「……生きてたら」

 走り出す。

 ミラーを確認すると園田が手を小さく振っていた。

 このまま学校に向かう。


 ーーーーーーーーーーー


 学校に到着して駐輪場の端にバイクを駐車する。

 時間は既に十時を回っているが丁度休み時間なのか昇降口付近でも生徒たちが騒いでいる。

 ミリタリーブーツを脱ぎバッシュに履き替える。

 本来であればこの学校では上履きにはスリッパを使用しているが動きやすさを重視すればスリッパは論外だろう。学校で事が起こらないとも限らないのだから。

 生徒の群れを縫うようにして教室を目指す。

 どこも騒音と言える生徒の声が響き、じゃれあっている。

 階段に差し掛かっても生徒たちは変わらずはしゃいでいる。落ちたらどうするつもりなんだ。

 まあ関係ないか。一般人がどうなろうと知ったことではない。

 それが例え自分が元いた場所、あるいは自分もいた可能性があった場所であろうともだ。

 教室の前にたどり着く。

 そこも変わらず騒がしい。

 たかだか十分程度の時間でどうしてそこまで騒がしくできるだけの話題があるんだ。

 それが普通のコミュニケーション能力なのか?

 人とまともな会話をしたことがないからわからないが。

 教室のドアを開ける。

 するとさっきまで騒がしかったのがウソのように生徒たちの声がぴたりと止まりその視線が一斉にこちらに向く。

 教室全体を見回すと目が合った生徒のどれもがすぐに目を逸らす。

 そこまで睨んだつもりはないのだがまあ仕方あるまい。目に隈が浮いた者と目が合って引かないというのも良心的すぎるというものだ。

 気にせず自分の席に向かう。

「……何なのあいつ。なんで来たのよ」

「マジあいつが来ると空気が悪くなるわ~」

「家でも居場所ないんじゃねえの?」

「あるある」

 顔を伏せて歩くとすぐに小さな声で罵倒が飛んでくる。

 知ったことではない。

 お前らの事情などわざわざ気にかけてやる必要はない。正当に学費を払っているのだから来ないならまだしも来て文句を言われる筋合いはない。

 何かをしでかしたのなら気持ちはわかるが何かした覚えはない。そもそも学校で何かをした記憶がここ二年ほどないまである。

 座席に乱暴に座る。

「……」

 変わらず小さな罵倒が続く。

 さすがに鬱陶しく思い首にかけていたヘッドホンを装着する。

 iPhoneで曲を選択し音量をを最大にする。

 かなり耳に響くが周りの雑音と比べるとマシだろう。

 そのままジャージのポケットにiPhoneごと両手を突っ込み眠りに入る。


「……ろ。……おき…か」

 何だかヘッドホンから流れる音楽のほかに声が聞こえる。

 一緒に体を揺すられる。

 おかげで目が覚めてしまった。忌々しい。

「起きろ!起きないか!」

 ヘッドホン越しにも聞き取れるほどに声が大きくなってきた。

 さすがにうるさい。起きるとしよう。

「……」

 まだ眠気が残る体を起こす。

 体を伏せた覚えはなかったがいつのまにか机に突っ伏していたようだ。

 体が硬い。

 首を回すと関節が何度も音を鳴らす。

 周りを見渡すと教室は傾いた夕日によって紅く染められていた。

 いつの間にか放課後になっていたようだ。

「やっと起きたか!授業中お前のヘッドホンから音が漏れて授業にならんかったじゃないか!」

 ヘッドホンを外しながら顔を上げると男性教諭がこちらを睨んでいる。

 相当頭に来ているようだ。額に青筋が浮かんでいる。

「そのヘッドホンは没収だ!寄越せ!」

 こちらに伸びてくる手を避けてため息をつく。

「これ、密閉型。音漏れしてたとしても周りが相当静かにならねえと聞こえねえと思うけど。あんたの授業ってガキどもが静かになっちゃうくらいにつまらないってことだろ?いや本当につまらないのなら暇つぶしに話でもするだろ。それすらないってことはあんたの授業はそれほどに中途半端ってことじゃねえの」

 瞬間男性教諭は鼻息を荒くして胸倉をつかんできた。

「……」

「その態度は何だ!それが目上の者に対する態度か!」

「知らん。目上かどうかなんてのはあくまで主観だろ。要するにこの場合あんたが自分を目上だと言い張るんならそれを聞いた俺がどう思っているかに寄るだろ。学生と生徒、そんな覆ることのない固定的な立ち位置を誇るだなんてあんた、ガキだな」

「言わせておけば!」

 男性教諭は腕に力を籠めて無理矢理に椅子から立ち上がらせる。

「教師に暴言!これは処罰の対象だ!生徒指導室に行くぞ!親も呼んでやる!お前みたいな腐った眼をした奴の親の顔が見てみたいな!」

 目が腐っているかどうかは関係ないだろうに。

 そこまで腐っているのだろうか?目つきも悪く、隈も浮いていればそうも見えるのか。

 まあいい。人からどう見られているかなどどうでもいい。

 男性教諭は胸倉をつかんだまま教室を出ようとする。

 さすがに歩きにくいのだが。

「おい、歩きにくいから離せよ。逃げねえから」

「知るか。信用できるか!」

「このシーン写真で撮ったらどうなるかな?」

「……ちっ」

 男性教諭は力いっぱいに腕を振り胸倉から手を放す。

 恐らくそれでバランスを崩すとでも思ったのだろう。

 しかしそんな事でよろけえるほど柔な鍛え方はしていない。

「不要物持ち込みに授業中の居眠り、騒音による妨害!加えて暴言!停学くらいは覚悟しておけよ!」

 男性教諭は大きな声で叫びながら廊下を歩いていく。

 丁度いい所に階段を見つけヘッドホンを装着しながらそのまま道を外れる。

 階段の踊り場付近でヘッドホンをずらして確認するが男性教諭は変わらず叫んでいるようだ。校則か何かを垂れ流していた。

 ヘッドホンを戻し階段を降りきる。

 すると男性教諭の叫び声が再び聞こえてきた。

「どこに行った!瀬戸!出てこい!この馬鹿者!」

 先ほどよりも怒りが増したのか声の大きさが先ほどより増している。

「……あいつ、もしかして馬鹿なのか」

 そのまま昇降口を出てバイクのエンジンをかける。

 その音で気づいたのか男性教諭は窓の開けて再び叫んでくる。

「貴様!この件は職員会議に出させてもらう!二度と学校に戻ってこれると思うなよ!」

「……」

 無視してバイクで走り出す。

 また一日を寝て済ましてしまった。

 まあどうせ仕事に支障を出さないためには寝れるときに寝ておかねばなるまい。

 これは仕方がないことだ。

「……?」

 走行中に誰かが通話をかけてきているらしくヘッドホンから着信音が流れる。

 ヘッドホンのスイッチで応答する。

「誰だ」

「私よ」

「……」

 あの女からだったようだ。相変わらず嫌らしい声が響く。

「あの教師どうする?どっかやろうか」

「見てたのか」

「当然よ」

 毎度思うがこういう監視体制はどういう仕組みなのだ。

「んでどうするん?」

「……勝手にしろ。俺は知らん」

「あっそ」

「で?」

「あ?」

「いや何の用だよ」

「特にないわよ。今日はあんたも仕事無しよ」

「……」

 通話を切る。

 こいつは仕事しているのか。

 暇潰しの相手にされても困る。

 そもそもあの女は妙に絡んでき過ぎだ。鬱陶しいことこの上ない。

 暇なら休息を取ればいいだろうに。

「……」

 本当に暇なのだろうか。

 バイクで走り続ける。

 また一日が終わろうとしている。


 ーーーーーーーーーー


 帰宅し自室にて部屋着に着替える。

 ヘッドホンをベッドに放り投げ一緒に倒れこむ。

 iPhoneを確認するとあの女からだと思われる非通知の着信が大量に来ていた。

 本当に暇なのだろうか。

「……」

 天井を見上げてため息をつく。

 今日は仕事もないとあの女が言っていたが、だからと言って特にすることもない。

 特定の趣味もないとこうもする事がないのか。

 このまま寝てしまおうか。

 タオルケットを腹にかけ目を閉じる。

 そういえば女はあの男性教諭をどこかにやると言っていたが本当にやるのだろうか。

 もし本当に実行した場合は相当に暇だという疑惑が確証に変わってしまうが。

 明日登校した際に確認してみようか。

 ……いやどうでも良いか。

 あの男がどうなろうとあの女が暇がどうかも知ったことではないな。

 ……しかしあの女には仕事だけはしっかりしてもらいたい。

 そんなことを考えながら数分間寝返りを打つがそもそも数十分前まで寝ていたわけだから寝れるはずもない。そこまで睡眠欲求は高くない。

 それ以前に空腹感の方が気になる。

 思えば朝から何も口にしていない。さすがに空腹感も覚えるというものだ。

 しかし冷蔵庫に何か残っていただろうか?この家の住人は買い出しなどは全て人任せにしてしまうのでもしかしたら空の可能性もあるが。

 とにかく一度確認しないことには始まらない。最悪買い出しに行かねばならないがまあいいだろう。

 居間に移動すべくベッドから起き上がる。

 扉に手をかけたところでiPhoneのバイブレーション機能が着信を知らせてくる。

 確認してみるが知らない番号だ。あの女なら非通知のはず。

 誰だ?

 五回ほど振動して着信は止まった。

 相手が誰かは知らないが仕事に関する事であればあの女からもアクションがあるはず。

 なら気にすることもないか。

 iPhoneをジャージのポケットにしまい扉を開く。

 廊下に出ると変わらず明かりもついておらず薄暗い。

 廊下に物が散乱している訳でもないので躓くということはないが多少意識はしてしまう。

 iPhoneを確認すると五時半を回っていた。

 この時間に誰もいないという事もないだろう。電気くらいは点けてもらいたいものだ。

 しかし今の時間帯なら誰がいるだろうか?

 冷蔵庫の中身次第では買い出しに行かないといけないので誰か一人にでも付いてきてもらいたいのだが。

「……」

 居間の扉の前に着いた所で途端に憂鬱になる。

 騒がしい。

 誰かは知らないが相当はしゃぎまわっているようだ。これではあの学校の騒がしさがマシに思えてしまう。

 扉を開ける。

 すると扉越しでも騒がしく感じていた騒々しさが度の増した。

 部屋を見渡すとそれぞれ談笑していたり酒を組み換えいたり、中にはつかみ合いをしている連中までいる。

 こんな時間からよくもまあそこまで騒がしくできるというものだ。

 ため息をつきつつ冷蔵庫に向かって歩く。

「おーいこらガキんちょ。こっちこーい」

「……」

 無視しようと思い引き続き歩みを進めると突然背中に衝撃が走った。

 その衝撃に寄り体は宙を浮き吹っ飛ばされてしまう。

 受身も取れずに床を転がり壁に激突したところで罵声が飛んできた。

「ああ!てめえこら、なに無視してんだ!」

 倒れたまま確認すると鼻息を荒くした女が先ほどまで自分がいた場所に立っていた。

 どうやら彼女に蹴り飛ばされたようだ。

「……いってー」

「ああ!てめえまた無視か!」

「まあまあ少尉。あんま絡みなさんな。素直じゃねえんだよあの年頃は」

「少尉って言うな!」

 体を起こしてもう一度女を確認する。

 すると丁度仲介に入ろうと声を出した者に何かを投げてつけているところだった。

 橘莉桜。

 肩付近にまで伸ばした髪に如何にもガラの悪そうな目鼻立ち。

 タンクトップから覗く左肩には大きな銃創と火傷の跡が残っていた。

 アメリカ軍特殊作戦群出身でその当時から喧嘩や単独行動が目立っていたと聞くがどうやらその性格は未だに変わっていないらしい。

「……もういいっすか?」

「んだとお!?」

 無視して冷蔵庫に向かう。

「ちっ。相変わらずだな」

 橘の悪態にも触れずに冷蔵庫を開ける。

 思っていたよりも中身はまだあるようだ。これなら買い出しの必要はまだないだろう。

 生ハムを袋ごと取り出した所で後ろに気配を感じて振り返る。

 しかし誰もいない。

 不思議に思い視線を下げると片桐椎名が床に座り込んでPCの画面を見つめていた。

「何してんだよそんなところで」

「向こうはうるさいので」

「……そうかい」

 そのまま片桐から離れる。

 うるさいのなら自分の部屋ですれば良いだろうに。

 静かな所でしたいのなら居間に直接繋がっているこんな所ではそこまで差はないだろう。

「先輩」

 片桐に急に呼び止められる。

 フードで顔はよく見えないがこちらを見つめているようだ。

「……なんだ」

 聞き返すが返答はない。

 先日不破真琴との時もこんなことがあったが今度は何だというのだ。

「……いえ。最近妙な動きが感じられるのでお気をつけて」

「……」

 片桐はそれっきりpcの画面に視線を戻してしまった。

 確かに最近は妙な出来事が多いような感じもするがそんなことは周知だろう。今更注意喚起したとしても無意味ではないだろうか。

 まあいい。

 気にしたところでどうしようもない。

 何かあればあの女から要請が入るはずだ。

 その時に対処すればいい話だ。

 片桐から視線を外し居間に戻る。

 変わらず騒ぎ立てている連中を尻目に出口を目指すと眼前に今度は片ノ坂音遠が立っていた。

 丁度居間の出口を塞ぐようにしているためさすがに無視は出来ない。

 億劫に思いつつも声をかける。

「……どうしたんすか。俺出たいんすけど」

「……」

 しかし片ノ坂は返事をしない。

 ここの連中は人を無視してばかりいるな。

 いや自分もか。

「……あの」

「先日の任務、銃を使ったそうね。映像を見たわ」

 片ノ坂はこちらの言葉を遮って言葉を発する。

 問われて顔を上げるとこちらを真っすぐに見つめる片目と目が合った。

 片ノ坂音遠(かたのさかねおん)

 元ロシア軍特殊部隊所属のスナイパーだ。

 首の中ほどまで伸ばした髪は無色とすら言えるほどの白髪だ。

 過去の影響か、あるいは生まれつきか。

 染髪とはとても思えないほど白一色の頭髪だった。

 それに加えて目に付くのはその片目だろう。

 過去の任務中によるものらしいが彼女は片目を失っており黒い眼帯を付けている。

 彼女は軍人時代から凄まじい功績を残し、特に狙撃では三千メートル先の敵部隊すべてをヘッドショットで全滅させたという伝説すら残している。

 その彼女はその功績から狙撃銃そのものとさえも言われている。

 それほどまでの実力を有した化け物だ。

 そんな彼女から銃を使った事への言及。何を言われるのかわかったものではない。

 罵詈雑言でも飛んでくるのだろうか?そんな性格の人間ではないと思うが……

「……」

 片ノ坂はこちらに向かって歩き手を伸ばしてくる。

 殴られるのだろうか。

 今日はよく暴力に遭う日である。

 しかし片ノ坂は歩きながらその手を自分の肩に置いてきた。

 そしてすれ違いざまに小声で言葉を発する。

「……良く出来ていたわ」

 そう言うと片ノ坂は騒がしい連中の輪に入っていった。

「……」

 良く出来ていた、と言ったか?

 あれがか?

 誰一人として助けられず自分だけ生還するために使った銃がか?

 確かに当たりはしたがしかし状況がそれで好転したという事はない。

 今でも思う。

 他に方法があったのではないかと。

 もちろんあいつらを助けるとしても助けないとしてもだ。

 もっと早くに決断しておけば一人くらいは助けることが出来たのではないか?もっと早く違和感に気づいていればそもそも最初の爆発の被害も出なかったのではないか?もっと早くに戦闘を開始していればあの攻撃ヘリからももっと安全に逃げることができたのではないか?

 そんな考えが頭から離れない。

 特にマサト。

 あいつの顔が脳裏に焼き付いている。

 最後の絶望した時の顔なんてまるであれは昔の……

「……」

 昔の、なんだ?

 深く考えるな。どうでもいい。

 所詮あいつらは生き残れなかった雑魚に過ぎない。

 そんな奴らの事を考えていたとしてもどうしようもない。

 部屋に戻って生ハムを食すとしよう。

 片ノ坂が移動したことによって道が開けた居間の出口を開こうとしたとき勢いよく扉が開いた。

 その扉に押されるようにして開いた扉の反対側、つまり扉と壁に挟まれた形になる。

 今日は本当によく暴力に遭う日である。

「今帰ったぞ~!ご飯まだか~!」

 扉越しに少女声が響く。

「……はあ」

 扉をゆっくりとどけて確認するとどうやら双子が学校から帰ってきたようだで二人組の少女が手を繋ぎあっている。

「あれ?兄ちゃんいねえのか?おーい兄ちゃーん」

 無視してそのまま居間を出る。

 廊下は恐らくあの姉妹がつけたのだろう。先ほどとは違い明かりが点いていた。

 生ハムを一枚取り出し口に挟む。

 その時に気付いたが鼻血が出ている。

 あの姉妹め。

 いや妹の方は大人しいため天真爛漫な姉の方があの扉を開いたのだろう。

 もしや蹴り開けたのではなかろうか?だとすると鼻血が出るほどの勢いだったのも頷ける。

 誰か常識を教えてやらないのだろうか?

 自他共に認める非常識人の自分がそんなことを考えるのは筋違いであるが。

 鼻血を手で拭い生ハムを咀嚼する。

 味付けも何もされていないが特に味に好みもないとむしろ丁度いいくらいだ。

 しかし毎度生ハムが入っているが誰が買ってきているのだろうか?

 あの連中が進んで買い出しに行くとは思えないが。

 誰かが個人的に生ハムを購入して入れているんだとしたら悪いことをしたかもしれないな。

 しかしまあ今まで特段文句も言われていないので相手も気にしていないのだろう。

 自室に戻りベッドの上で胡坐をかく。

 iPhoneにヘッドホンを接続し曲を選択する。

 ついでに通知の確認もするがあの番号からの着信はあの一度きりだったようだ。

 結局誰だったのだろう?

 気にする必要はないと思うが如何せんすることがないとどうしても頭をよぎってしまうのだ。

 あの女以外の上層部か?

 しかしあの女のような者は通称オペレーターと呼ばれ大規模戦闘を除き一人、あるいは一部隊にそれぞれ一人担当が付くシステムになって言うために別の者から接触を図る機会は滅多にない。むしろ他人の担当の戦闘員になど興味すらないのだろう。

 だとするとあの番号がより一層謎になる。

 たまたま一般人からの間違い電話という事はないだろう。

 詳しくは知らないが基本的にこの世界で使われている端末の番号は特殊で適当に打ってつながる可能性は天文学的な確率にまで登るらしい。

 生ハムをもう一枚口に挟みながら着信履歴の画面を開く。

 かけ返してみるか?本当にその天文学的な確率を的中させた強運な一般人だったらそれはそれで面白い。

 間違いなく消されるのだろうが。

 iPhoneを枕元に置き入れ替わりにベッド脇に置いてある日本刀を手に取る。

 手入れ用の布と一緒に手前に置き、鞘から刀身をさらけだす。

 油によって刀身はテカりを出しており不潔極まりない。血を全て薙いだつもりでもやはり油だけは残ってしまうものである。

 布で油をふき取ると油の物とは違う光を刀身から放たれる。

 鈍く、それでいて真っすぐな光だ。

 この世界で有名な刀鍛冶の一人娘である少女の処女作から愛用しているが相変わらずいい腕をしている。間違いなく父と並ぶ、あるいは超える可能性もあるほどの物を感じる光だった。

 日本刀などこの時代では間違いなく邪道であろう。

 銃器類が普及しヘリ、戦闘機、戦車などによる戦闘が当たり前になった現代で日本刀を振るうなど時代錯誤も甚だしい。死に行くようなものである。

 しかしどういう訳か手放せない。

 今更新しい物に手をだすというのが手間というのもあるのだろうがとはいえさすがに長年こだわる理由にはなるまい。

 やはり思い入れなのだろうか。

 あの男との思い入れ……

 やはり尽く顔を合わせたものが過去を口にしてくるのは事実そうだからなのだろうか?

 しかしそんな自覚もつもりもないのだから仕方がない。

 過去にこだわる程人生長くもなければ感情的な性格でもない。

 まあ考えていても仕方がない。

 一日に何度もそう思っている気がするが仕方がないものは仕方がないのだ。

 刀身に潤滑油を吹きかけそれを馴染ませてから鞘に戻す。

「……」

 柄を握りもう一度抜こうと思ったが止めた。

 せっかく馴染ませた潤滑油が荒れては意味がない。

 刀を同じくベッド脇に戻し目を閉じる。

 今日も一日が終わっていく。

 仕事に行って、黒井に会って。

 学校に行って、教師にがなり立てられて。

 帰って騒がしい連中を鬱陶しく思って。

 変わらぬ日々はこれからも続くのであろう。

 それがどれだけ血塗られていようと、どのような思い入れが存在しようと変わらず時間は平等に過ぎて行く。

 そう。

 死ぬまでは。

 永遠に。

 終わりの見えない戦場の日々が。

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