二人の男の違いと六年前の終わり
瓦礫が散在し、所々で火の手が上がっている荒れ果てた場所で瀬戸大輝と男は戦っていた。
辺りを見渡せばそこは瓦礫だけではない。まして火の手だけでもない。
死体。
死体。
死体。
あるいは、肉塊。
頭を割られ、あるいは臓物が引き摺り出され、あるいは手足が欠損し、あるいは焼け爛れて、または潰されて、解体され、そもそも人体の形状がすら保てていない者もいた。そのどれもが血肉を垂れ流し、この空間を赤色と腐臭で満たしていた。もしかしたら流れている血肉自体が元は人一人の人間だったのかもしれない。
たがそれはしたいだけではない。まだ生きて、戦っている瀬戸大輝と男も辺りに転がっている、あるいは流れている死体と同等以上に損傷していた。
瀬戸大輝は左腕を。
男は体中の皮膚を。
断面を晒し、皮膚を赤々と爛れさせている。
見るからに致死だ。
人間は案外少量の血を失っただけで死亡する生き物だ。瀬戸大輝の左腕が切断されている。かなり多くの血を失ったはずである。失血性のショック死は免れたとしても確実に死んでいくし何よりも尋常でない貧血の症状があらわれているはずである。恐らく彼の視界は酷く歪んでいるだろう。
そして火傷も同様。少し面積の広い火傷を負っただけでショック死しかねないのだ。それが全体。体中。酷い激痛と異常な悪寒に襲われているだろう。事実男の体は小刻みに震えている。
生きている事が異常なのだ。生きているのがおかしいのだ。生きているのが不思議なのだ。生きていることが、不可能なのだ。
だがそれでも彼らは血で濡れた瞳で、あるいは周辺の皮膚が爛れた眼で、互いを睨みつけていた。片や気だるそうに。片や妬ましそうに。
沈黙が形成される。ただ睨みつけるだけでお互い動こうとしない。
否。動けないのか。体の負傷もそうだろうがやはりこの場合は違うだろう。
先に動いた方が負ける。まさにそんな空気だ。互いに互いの動きを待つかのように睨みつけ、観察している。
酷い沈黙。極めて静寂。血が地面を流れる微かな水温以外何も聞こえない。呼吸すら止まっているのではないかと言う程の微音。無音。空間が千切れそうな程緊迫したものとなっていた。常人であればこの空気だけで窒息してしまうかも知れない。極めて鋭い空気だった。
だがその静寂はあまり長くは続かなかった。遠くで巨大な爆発が起こったのだ。
おそらく楓が未だ蹂躙を続けているのだろう。爆発が起こった所だけが爆撃の後のように紅蓮の炎と黒煙が立ち上っていた。その爆発が断続的に起こり、轟音をこの場所まで轟かせていた。
その爆音が合図だった。
「っ」
短く息を吐いた二人は体の損傷を思わせない程高速に肉薄し合い、衝突し合った。
顔をほんの数ミリの差で止まり、真の意味でゼロの距離で互いを睨みつけ、日本刀を振り翳した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫と斬撃の音だけがこの空間で空気を振動させ、軋ませていた。
ただ相手を視界から消すこと以外考えていないかのようにただ一心に叫び、ただ一振に刀を振るっている。その度に彼らの体からは血があふれ出した。口から。断面から。皮膚から。血を垂れ流し、噴き出し、吐き出し、だがそれでも彼らは腕を止めなかった。
これでは今にも人体が決壊しかねない。元より瀬戸大輝は死んでも不思議ではない傷を負っていた。そこに更に傷を負った。男も全身に酷い火傷を負っている。その状態で二十四時間以上が経過している。本来であればこんな戦場ではなく治療室にいるべきだ。にも拘らず彼らは未だ武器を握り、戦っている。
常軌を逸しているとしか思えない。異常なほどこの戦争、戦場、戦闘に固執している。と言うよりも目の前にいる相手に対する執着が目に見える。それほどまでに彼らの目には異常なほど戦意と殺意で満ちている。
「どうしてお前だけなんだ!僕とお前に何の違いがあるというんだ!僕は家族に愛されていた!その家族を僕は失ったんだ!だが君はどうだ!君は家族に愛されてなんていなかった!そして最後には殺されたはずだ!まだ僕の方がマシだったはずだ!だというのにどうしてかお前の回りには誰かが必ずいた!いつの日もだ!何故僕の周りには誰もいないんだ!どうしてだ!お前なんかより僕の方が優れているはずだ!なのにどうしてお前ばかり!お前ばかり!お前ばかり!ああああああああああああああああああああああああああ!」
男が突如として絶叫する様に瀬戸大輝と自身を比較する発言をした。その目は瀬戸大輝を正に何かの仇化のように睨みつけている。だがどこか別の所を見ている、視界に入れているようにも見える。
見えれば瀬戸大輝より少し距離を置いた後方に複数の人間が存在している。
片ノ坂音遠、橘莉桜、西村樹、花、不破真琴、黒崎真狩、加えて数人の男性。そして更に後方に着陸した輸送ヘリの機内には片桐椎名、それと何故か気絶している城戸龍哉がいる。恐らく男は彼女らを見ているのであろう。瀬戸大輝に近しい人間として。
瀬戸大輝と男は極めて似通った過去を持っている。
瀬戸大輝は数年に亘り酷い虐待を受けた。食事を与えられず、それだけでなく存在すらないかのように扱われた。
そして食事が与えられない、という事は当時まだ子供だった彼の生命線は学校での給食、ということになるが、その学校でも彼に居場所はなかった。無視や悪口は当然の物。上履きに石や葉っぱ、何かの死骸を入れられる、投石等虐めと言うよりは最早端的に暴力を受けるのが当たり前。それが数年。数年だ。あまりにも長い。空腹と暴力と悪意だけに満たされた数年間だった。それが少年、瀬戸大輝の過去。
そしてその過去は同じく暴力と悪意だけで終結することになる。
殺害未遂。否、間違いなく殺害だ。その結果瀬戸大輝と言う存在は間違いなく消失したのだから。
彼は己が家族によって殺害されたのだ。理不尽に利己的に自己中心的な思考で蹂躙され、絞殺された。
極めて理不尽。努めて無常。狂ったほど無情。
それが彼の過去だ。そして彼の最後だ。
次に男だ。名も知れぬ彼の過去。
事実はどうかは知れないために本人曰く、の話になってしまうが彼は両親を殺害されたらしい。
瀬戸大輝は両親に殺され、男は両親を殺された。瀬戸大輝とはこの時点で全くの真逆だ。
だがそれでもやはり違う点、それ以上に違う部分があったとすればそれは幸か不幸だったか、の違いだ。
瀬戸大輝はまず間違いなく不幸だったはずだ。しかし男は違う。幸せだったはずだ。瀬戸大輝とは違い両親に愛され、最後まで両親は彼を守って死んだ。確かに男の言うように瀬戸大輝よりはマシだしどころか雲泥の差があったのだろう。だがその男の今は男が言うように不幸なのだろう。幸せだった彼が今や瀬戸大輝と同じで独りだ。いやむしろ瀬戸大輝が独りになるのを望んでいるだけでそれは叶わず周りには多くの人間が存在している。その点を見れば瀬戸大輝の方が幾分どころか多分に恵まれている。
瀬戸大輝は不幸に不幸を重ねて塗り重ねて更に不幸が持続している。
男は幸から不幸へ、そこへ不幸の上塗りだったのだろう。
その違い。
世の多く人間はこう言う。『幸せから不幸せになった方が辛い』と。
そんなはずはあるまい。不幸が不幸のまま続く方が辛いに決まっているだろう。何よりも辛い事、というのは巨大な不幸が押し寄せる事ではない。不幸が続くことだ。継続でも断続でも。続くのが最も辛い。何よりも不幸だ。それでもなお幸せから不幸に陥った方が辛いなどと言う者は本当の不幸を知らない者だ。戯言も甚だしい。そんな人間に不幸を比較する資格などない。黙っていてもらいたい。
つまり男は瀬戸大輝と比べてもかなり幸せな方である、と言えるのだ。
しかし。男の回りには誰もいない。少し前の数年前までは両親という家族がいた。だがその両親は彼を守ってから死んだ。だから誰もいない。協力者がいる、と言っていた気もするがこの様子ではそこまで親しい間柄でもないのだろう。利害関係、と言ったところか。
だが重ねてしかし、だ。瀬戸大輝はそんな物とは比較にならない、比べてしまうのが間違っているほどに不幸な人生を送っている。送って来た。続けてきたのだ。
少し瀬戸大輝の昔話をしてみよう。
彼はまず両親に殺された。その後は今彼が生きている世界、仕事に御山剣璽によって引き込まれ、その彼に世話になった。が、その二年後である六年前、御山剣璽は死んだ。今瀬戸大輝の眼前に存在している男によって殺された。そして類を見ない程の大戦。いやただの大戦どころではない。予てより日本に対して良い感情を抱いていなかった連中は『最強』の存在という抑止力、弊害を失ったことで箍が外れ、一斉に日本に攻め込んだ。そして世界大戦が起こったのだ。
いや世界大戦、というよりも世界対日本だった。一億を超えた敵兵。それに対抗せんとしたのはわずか三名だ。不破真琴。楓。そして瀬戸大輝。
新たな『人類』を冠する者が誕生した大戦だ。
その戦争が終結するのを切っ掛けに瀬戸大輝は一時期今の住処を離れた。それは事実上の除隊を意味する。そして彼は長きに亘り放浪に近い生活を続けて部隊を渡り歩いた二年前、瀬戸大輝が当時所属していた部隊員と親しくしていた一般人の女子学生が戦闘に巻き込まれ死亡した。
そして彼はその事件の根源となった人間を惨殺し、再び所属部隊を除隊した。
そして現部隊に再度所属、現在に至る。
これが瀬戸大輝の過去を簡単に記したものだ。
もっと細かく記すとししたらその中でももっと多くの人間が死んでいる。恐らくこの世界で瀬戸大輝程誰かの死を見続けた者はいないだろう。それ程までに瀬戸大輝の人生は死で満ち溢れていた。
いやその認識は間違いか。少なくとも他の者は瀬戸大輝程他人の死を重く受け止めないというだけで他の者もある程度多くの死を見てきているはずなのだから。
とにかく瀬戸大輝の人生は死で溢れている。男と比較したとしても間違いなく瀬戸大輝には及ばない。つまりマシということだ。
だが結果はどうだ。独りを選んでいながらにして瀬戸大輝には人が集まる。男は独りを選んだかどうかは知れないが発言からして否だろう。彼は独りだ。幸から不幸へ。家族から孤独へ。
だからこそ彼は激昂した。『何故だ』と。
だが瀬戸大輝はその叫びにすらあくまでも冷静に。そして至って気だるげに短く返した。
「知らん」
と。
そんな適当とも言える返答に男は一瞬何を言われたかわからない、といった呆けた表情を浮かべ、再度激昂した。
「ふざけるなああああああああああああ!僕とお前の何が違う!いいや違うな!確かに違うさ!僕の方が余程幸せだった!だがお前は不幸だった!不幸でしかなかった!お前など取るに足らない!そのはずだ!なのに何故お前の回りは人で溢れる!そこにいるべきは僕だったはずだああああああああああ!」
男の剣戟の激しさが増した。怒りに満ち、絶望に満たされた剣戟だ。
だがそれすら瀬戸大輝はあくまでも冷静に、そしてだるそうに片手で捌き続ける。
冷静さを失った男の剣程度では瀬戸大輝には片手で十分なのだろう。もっとも、そもそも片手しかないが。
そうしていながら瀬戸大輝は眠そうな口調で言葉を発した。
「それが俺とお前の違いだ。俺は他人なんてどうでも良い。だがお前は他人に固執し過ぎた。人間てのは自分を否定する人間を嫌う生き物だが、それ以上に人間が嫌う存在ってのは、自分にあまりに固執が過ぎる人間だ。言うならストーカーか。お前のはまさにそれだ。気持ちが悪いぜ」
気だるげな口調は失血による貧血と疲労によるものだろうがこの発言は瀬戸大輝の性格を表しているようでもいた。
他人をどうとも思っていない。他人を悪く言う事を何の罪悪感もなく出来る。それが敵となればなおさらだ。
つまり拒絶。相手を自分の境界内に一切立ち入らせないとする完全無欠な孤独体質。
全くもって性格が悪い。生きてきた人生を思えば仕方がないとも言えるが。
「一人が寂しいのか?誰かが傍にいねえと落ち着かねえか?ガキかお前は。いつまでも親にしがみ付いてんじゃねえ。親離れしやがれ。そんなんだからお前は独りなんだよ。そんな面倒な奴、金払われたって友達にはなりたくねえ。自覚しろ。お前は気持ち悪い」
「ぐうううああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
瀬戸大輝は普段滅多なことでは言葉を発しない。必要最低限な業務的な内容しか言葉を発しないため瀬戸大輝の声を知らない者も多いだろう。だからいくら性格が多少曲がっている彼でもここまで一個人を罵倒するのも珍しい。
故にこれは挑発だ。わざと度が過ぎる程悪態をつくことで相手を激昂させ、冷静さを欠かせようとした。そしてその狙いは実現した。その結果が現状だ。瀬戸大輝に軽くいなされる男の姿だ。
恐らく瀬戸大輝は焦っている。表情や仕草こそ出さないがもう体力の限界なのだろう。見れば瀬戸大輝の足は小さく震え、瞼も今にも落ちそうなほど目から生気が抜けている。だから出来るだけ早くこの戦闘を終わらせるために相手から冷静さを失わせようとした。いや元から冷静さを失っていた訳だからさらに刺激を与えて自滅でも誘おうとしたのかもしれない。
しかし思惑はともかく現状は瀬戸大輝に大きく傾いている。これは大きなチャンスだ。これを機に畳み掛けるのが妥当なはずだ。
だが。
「もう一度聞くぞ。お前は何故こんな戦争を起こした。暇だったからなんて言うんなら俺は帰るぜ。茶番に付き合うくらいなら今すぐ帰る」
そう。この戦争の目的だ。
戦争というものは必ずしも歴史に残る。それは瀬戸大輝たちの世界でも同様だ。この場合はあくまで機械的に記録、だが。
故にこれは義務的行為だ。仕事に対しては何だかんだ言いながらも瀬戸大輝は真面目な方なのだ。故にそんな義務的発言を行ったのだ。
それに対して男は火傷で爛れた顔をさらに歪めさせて叫んだ。
「言っただろう……。お前と、一対一で決着を付けたかったんだ!お前が気に食わないんだ!お前と極めて似通った人格をしていた御山剣璽が癪に障るんだ!どいつもこいつも幸せそうにしやがって!恵まれやがって!気に食わないんだ!そんなお前らが気に食わないんだよ!」
「馬鹿を言うな。そんな個人的な思想でこんな大規模戦争を起こせるはずがない。宗教じゃあねえんだ。ここは科学の国だろ。そんな感情論で上層部が協力しようとするはずがない。そう言えばお前協力者がいるって話だったな?そいつは何者だ?協力者、ってのはお前が言ってるだけで本当はお前は使いっ走りなんじゃあねえのか?つまりお前は、捨て駒じゃあねえのか?はっ、そんな事にも気付けずお前は何やってんだよ。……もう良いだろう。この戦争の目的は何だ。『特区』は何を考えている」
瀬戸大輝がそう言うと男は剣戟を止めて一歩下がった。そのまま更に数歩下がって深く呼吸した。まるで自分を落ち着かせるように。
そして日本刀を逆手に持って目線を一度下げた。
「何だ?否定しないのか?一応挑発のつもりだったんだがな」
そう言う所がやはり瀬戸大輝の性格の悪さを表していたがしかし、瀬戸大輝の意図が分からない。単純に思惑が失敗した、という訳でもなさそうだが瀬戸大輝の表情は変わらず気だるげだ。何が目的なのか。
「……済まない。取り乱したね」
言って右手を謝罪する様に上げた男はそのままその手を額に当てる。
「だが僕もわからないんだ。いや君の考えは半分当たりで半分は外れているんだ」
「どういうことだ」
「この戦争を起こした理由だ。僕がこの戦争を起こした理由は僕が言ったので正しい。本当だ。しかし上がそれで納得した事に対しては正直僕も違和感を覚えていたんだ。確かに君の言うように僕のはあくまでも感情論だ。君が気に入らない。それだけだ。だが協力者。そう『協力者』だ。僕も『あの娘』の正体を知らないんだ。上は何か目的を持ったうえで僕の思惑を利用したんだろうけど。……いや、おそらくはこの戦争は君の言う茶番、つまりプロパガンダだ。この戦争は何かに向けた宣戦布告の可能性がある」
その言葉を聞いて瀬戸大輝の後方にいた者達が慌てたように無線機に手を伸ばした。今男が言った事を上層部に伝達しようとしたのだろう。
だがそれは男が制することで中断される。
皆が訝しげにする中で男は額に手を当てながら物思いに耽るように呟く。
「安心しなよ。上が敗戦を表明したのだからこれ以上は動かないだろう。少なくとも今すぐには動かない。動けない。そうしなきゃ法令に触れてしまうからね。つまり、次に上が動いたその時が、真の目的なんだろうね……」
「……」
これは少し不味い事になった、と言えよう。この戦争が捨て駒であることは現状からも男の発言からも分かる。が、問題はそこじゃあない。問題はこれほどまでの犠牲を出しながらもそれを捨てた特区上層部の目的が、では一体何なのか?だ。これ程までの損失、損害を許容する、という事はそれ以上の利害を得られる可能性がある、いや確証があるのか?その目的とは何だ?その要因とはどれ程の規模だ?
ここにいる全ての人間が確信する。
まだこの戦争は終わっていない。
「そうか。お前も分からないのか。だったらお前に用はない。死ね」
そう言って瀬戸大輝は一度大きく息を吐いて、笑った。
微笑みなんてものではない。そんな優しい笑みではなかった。むしろ真逆。残虐性に富んだ酷く歪な笑み。正に無情。冷徹非情。
そんな笑みだった。
その笑顔を見て男は一瞬驚愕したような表情を浮かべる。が、直ぐにクスリと笑った。その顔は火傷で爛れてこそいたがそれでも、男の軽薄そうな笑みが想像できるような笑みを男も浮かべる。
「そうか。君は『それ』を選んだのか。御山剣璽とは違ってやはり君は君なんだな。悪かった。御山剣璽に成り代わろうとしたなんてのは甚だ間違いだったらしい」
言って男は一度うんと頷いて刀を構えた。それに対して瀬戸大輝は日本刀を腰に添えるように構える。鞘は恐らくあの爆発によって失ったのだろう。だがそれでもまるで鞘に刀を収めたような構えを取った。
これは、抜刀術か。
そして更に残虐性を孕んだ笑顔を深めた。
「いいよ。君はやはり気に入らない。そして君も僕が気に入らない。それが『解』だ。興を殺がせて済まなかった。始めよう。この瞬間で『六年前』が終わる」
「口の減らん奴だ。早く来い」
「そうだね。正直僕も限界だ。君も限界だ。次の一閃で、決めようか。文句無しの一回勝負だ。良いかい」
「ああ。来い」
再び静寂が訪れる。まるで時代遅れな西部劇のような雰囲気だ。
この戦争が何の意味で行われたかなどもう当人達には関係ないかのようだ。とにかく眼前の敵を屠る事にのみ集中している。
全神経を捧げて相手の動きを観察する。
「行くよっ」
瀬戸大輝の頬から一滴の汗が落ちたのを合図に男は動いた。日本刀を上段に構え、そのまま瀬戸大輝の脳天に振りかざした。
ここで少し瀬戸大輝の剣術について話をしよう。
瀬戸大輝の剣術は『完全無欠』『生涯無敗』である東門さゆりによって伝授された物だ。東門さゆりの戦闘方式は防御による粉砕。つまりカウンターだ。相手の攻撃を待ち、それを捌いてから切り刻む。攻撃は最大の防御、というのとは違うのだろうが完全防御型、という事だ。瀬戸大輝の戦い方からはそうは思えないがそれはあくまでも瀬戸大輝の身体能力に起因する。
彼の身体能力は極めて高い。俊足だけに留まらず高い跳躍力、瞬発力。そして視力だ。彼の視力は尋常ではない。弾丸をすら視認できる。これは瀬戸大輝の持つ『共感覚』にも寄るがしかしそれはあくまでも付属品だ。根本的素質が常人を遥かに凌駕している。
その極めて高い身体能力を利用した剣術は防御ではない。回避だ。避けて、避けた一瞬で相手を殺す。あの武器庫での戦闘が良い例である。それだけでも脅威だが先ほども言ったように瀬戸大輝の高い身体能力はその活動領域を地面に留まらせない。つまり空中をすら彼は戦域へと変えたのだ。故に彼の戦闘を見た者は彼を『飛んでいるようだ』とも言う。
さて長くなったが本題は瀬戸大輝の体についてではない。彼が今行っている構え。抜刀術だ。この構えは攻撃するための物だと思われがちだが実は違う。その本命は、刀という邪魔物を排除することで、防御、瀬戸大輝の場合、回避にのみ集中するのが目的である。そのために日本刀を視界から消した、という事である。
そして回避した後に、一気に懐を切り刻む。あるいは次の攻撃への隙を作り出す。それが本来の抜刀術。
つまり。
抜刀の構えを取った瀬戸大輝に攻め込んだ男はその瞬間既に、負けが決定していたのだ。
「なっ」
脳天に斬り込まれた男の日本刀を瀬戸大輝は日本刀を形のない鞘から抜き去り真一文字に振り払った。それだけで男の日本刀は吹き飛んだ。それにより男の懐は大きく開いた。
そして当然瀬戸大輝の斬撃はそこでは終わらない。ここからが抜刀術の真骨頂なのだ。
真一文字に振るわれた日本刀を瀬戸大輝はそのまま肩に寄せるように構える。牙突の構えである。
そして一閃。
全体重を乗せた瀬戸大輝の日本刀は一直線に男の左眼に突き刺さり、そしてその更に奥に突き抜け、貫通し、それだけに飽き足らず男は後方に大きく吹き飛んだ。
回避する暇などなかった。防御する暇など以ての外。ダメージを軽減しようとする行為そのものが手遅れ。
あまりに壮絶。あまりに強攻。あまりに速攻。
これが東門流剣術。
これが人類最強。
これが瀬戸大輝。
男はそのまま数メートル飛んでから瓦礫の山に激突し、地面に座り込んだ。
凄まじい威力だ。抜刀の一撃の勢いを流すことなく肩に留めて牙突を放ったのだ。当然とも言えよう。
「ぐ、ぅぅ」
「まだ生きてるのか。しぶとい奴だ」
瀬戸大輝は男の下へ足を引きずって近寄り、そう言った。その顔は先ほどまでの歪んだ笑顔はなかった。
しかし驚きだ。瀬戸大輝の一撃により男の目を貫かれて大きな穴が開いている。向こう側が見えるほどの大穴だ。つまり脳にも影響があったはず。生きているのは尋常ではない。ここまでくると怪物だ。これも特区の改造によるものなのか?
「君が、ぐ、手を、抜いたんだろう?」
「お前がいかれてるだけだ」
「だが、もう終わりだろう。ぐぅ。さすがに、痛いな」
「そうか」
「前言ったミサイルだけどさ」
「ああ」
「あれは元から発射されない仕組みになっていたんだよ」
「……そうか」
「あくまでも現段階は、だけどね。しかし上が強硬手段に出るのを恐れ、君たちにも念入れしたんだ。杞憂だったようだが」
「そうか」
「……君が選んだ『それ』は、辛いぞ?」
「そうか」
「君の今後を見れないのだけが少しだけ心残り、だがもう満足だよ僕は。これで、ようやく六年前から、解放され、る」
「そう、か」
「本当はね?後悔しているんだ。御山剣璽を殺したことを。申し訳ない事をした、と。本当は僕も御山剣璽の事が好きだった。彼はすごい男だった」
「……そうか」
「その償いのつもりだったんだ。君に殺されて、負かされて、初めてその償いが果たせると思ったんだ。自己満足ではあったけれど……」
「そうか」
「瀬戸大輝」
「なんだ」
「済まなかった。こんな茶番に巻き込んでしまって」
「そうか」
「最後に、瀬戸大輝」
「……」
「生きろ。死ぬな。君が選んだ『それ』は君を殺す新たな選択を迫るだろう。だが屈するな。……君は」
「……」
「もう……あの男の幻影じゃ……ない……ん……だから」
正に虫の息で彼は最後、言い残すことがないように、とでもいうように血反吐を撒き散らしながら長く話し、息を引き取った。
この会話は一体何についてだったのだろうか?男が言った『瀬戸大輝の選択』とは何だ?瀬戸大輝が浮かべたあの残虐な笑みか?しかしそれは当人たちにしかわからない。その片割れはたった今死亡した。であれば基本的に無口な瀬戸大輝だ。この事が他に漏れることはないだろう。
「……そうか」
言って瀬戸大輝はゆっくりと地面に倒れた。そのままやはり気だるげに天を仰ぎ見た。
黒煙が舞い、当初の純白さなど毛ほども見せない天を見上げ、嘆息をつく。
だがその視界に黒い影が落ちた。
「少年」
その影から少し訛りを含んだ声が落ちてくる。
「……師匠」
黒い長髪に長身。豊満な胸。着崩した袴。優し気な微笑みで顔を崩した女性、東門さゆりだ。
「起き上がらんでええよ。ご苦労さん。ようやったよ少年」
言って東門さゆりはしゃがみ込んで瀬戸大輝の頭を優しく撫でた。
「勝ったんやなぁ。負けなかったんやねぇ。頑張ったんやねぇ。皆を守ったんやねぇ」
言いながら瀬戸大輝の頭を優しく撫でる東門さゆりの顔は同じく優し気に目を瞑り、微笑んでいる。
そんな彼女からは大いなる母性のようなものを感じる。いや愛情か。我が弟子に向けた労いの感情が溢れている。
「おっと。うちよりも君はあの子の方が嬉しいやろ?」
「は……?」
そう言って東門さゆりが立ち上がり一歩下がるのと入れ替わるように瀬戸大輝の視界に不破真琴が飛び込んできた。その顔は東門さゆりのように優しい笑顔を浮かべていたが眼尻には涙が浮かんでいる。瀬戸大輝の生還を心から喜んでいるようだった。
そして瀬戸大輝の額に、まるで熱でも測るように手を当てる。
「本当無茶しやがって。馬鹿」
そう言って微笑む不破真琴の顔を見て瀬戸大輝も小さく笑った。
それを見た不破真琴は安堵したように瀬戸大輝の横に並んで寝ころんだ。
次いで黒崎真狩も真似たように寝転がる。
「しっかしまあ結局わけわかんねえまんまに終わっちまったな~。戦況もなんつーかグダグダだったし」
「確かに少し危うい戦況だったわね。それにまだ『今後』があるわ」
そんなことを言いながら橘莉桜と片ノ坂音遠も瀬戸大輝に歩み寄り、見下ろす体勢になる。
「ご苦労様。よく戦ったわ」
「よ、お疲れ。満身創痍、だな。帰ったら当分は病院だな」
彼女たちは労いの言葉とからかいの言葉を落とす。が、その言葉を受けた瀬戸大輝は一瞬面倒臭そうな表情を浮かべ、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「けっ、素直じゃねえなあお前は。たまにはデレてみやがれ」
橘はそう言って悪態をつくが、瀬戸大輝がデレる姿、想像も出来ないな。
「そういやお前あの爆発で何で無事なんだ?」
橘莉桜が言ったその一言に皆が一斉に瀬戸大輝に視線を向けた。
確かにそうだ。男のダメージを見た限り、いやそれだけでなく現場を不破真琴たちが見たようにあの爆発は惨状だった。左腕こそ失っているがそれ以外のダメージがほとんどない。どういう事だろうか?
「いや……。たまたま開いた隙間に落ちて……」
「なんだそら」
瀬戸大輝が面倒くさそうに言うと周辺に笑いの渦が起こる。
見ると瀬戸大輝の周辺には不破真琴を始めたとした多くの人間が集まり、瀬戸大輝の周辺で談笑している。
加えて遠くからは救護班の物だろう、プロペラの風切り音が聞こえる。それを聞いて瀬戸大輝は終わった、と実感を持ってまた嘆息をついた。
「そろそろ救護班が来るようやの。……それじゃあそれまで」
東門さゆりが皆をぐるりと見渡してから両手を音を立てて合わせ、言葉を紡いだ。
六年前を終わらせるかのように。
「昔の話でも、しよう」
2016年 7月21日。
この日を持って『六年前』は茶番に満ち、真偽の程も何もかもがあやふやなまま、終結を迎えた。




