過去より来る敵
「はっ」
不意に目を覚ます。視界は眩しいくらいに真っ白な壁、いや天井が見える。どうやら横になっているようだ。加えて妙に消毒液臭い。恐らくここは黒井八愛恵の病棟の一室だろう。
体に妙な倦怠感を覚える。意識がはっきりしない。夢現と言うか、まだ半分眠っているような感覚。しかし嫌に長い夢を見ていた気がする。昔の自分を少し離れた場所で、あるいはスクリーンを通して見ていた気がする。酷く気分が悪い。
あの時あの瞬間、自分が何を思っているのかが分かってしまうのが腹立たしい。自分の事なのだから辺り前ではあるが。しかし自分で自分を見るというのは滅多に体験できるものではない。日常であれば鏡や写真、動画くらいのものだろう。故に腹立たしく気持ち悪い。そもそも人間が夢を見るのはレム睡眠とノンレム睡眠の仕組みの影響だと言うがそんな事をするなら素直に眠って欲しいものだ。
しかし今何故そんな夢を見るのだろう。いやそもそも何故寝ている?やはりまだ意識が覚醒していないのか思い出せない。いったい何が起こった?確かにここには幾度となく世話になった。しかし今回は理由が分からない。どうしてここにいる?いやそんなことはどうでもいい。とにかく黒井を探そう。理由はそこで確認すればいい。何よりこれからどうするべきかもわかるだろう。
「目ぇ覚めたかい?少年」
少し訛ったその声に反応して首を回すとそこには長身の若い女性が椅子に腰かけていた。長く綺麗な黒髪に柔和に緩んだすらりと整った顔立ち。白い袴は豊満な胸を惜しげなく晒すようにはだけさせている。
「師匠……」
東門さゆり。自分に剣術を叩きこみ、戦闘の何たるかを教授した人物だ。彼女は安心した様にため息をついてからその顔に柔らかい表情を浮かべた。
「びっくりしたで、まさか君が負ける事があるなんて。余程な手練れやったんやな?でないと君が負けるなんて……」
彼女は柔らかい表情を浮かべたままそう発する。しかしその顔には所々不安と、それから怒りか?そんな複雑そうな感情が見え隠れしている。もともと感情を隠すのが苦手な人だ。よほど思う所があるのだろう。しかしそんな彼女がいったい何の話をしているのかが分からない。覚えていないのだ。完全記憶があったとしても忘れることがある。いや忘れると言うよりかは浮かんでこないが正しい。それを感じ取ったのか彼女は不思議そうな顔をする。
「……もしかして覚えてないん?」
彼女はまあ仕方ないかと言ってから口を開いた。
「君は小さな女の子に……負けたんや」
それだけ言うと彼女は口を閉ざした続きを言うか言うまいかで迷っているかのようだった。しかしそんな事はどうでもいい。続きなんて聞く必要はない。
思い出した。あの子供。赤く、感情の無い顔。あの怪力。あの謎の破裂兵器。
そして……
「真琴は!真琴は無事なんですか!」
飛び起きて叫ぶ。すると全身に激痛が走った。見れば上半身は包帯で覆われ、左肩も同様に包帯と固定器具のような物が接続されていた。あの時の傷か。さすがは黒井、切断されたはずの腕が繋がっている。なるほどこの倦怠感は麻酔によるものか。
余程な剣幕だったのか彼女は一瞬驚いた表情を浮かべたが直ぐに笑顔に戻った。
「落ち着きぃな。ん」
彼女は顎で反対側を示す。首を回るのではないかと言うほどの勢いでもってそちらを振り向く。するとそこにはベッドに顔を伏せって眠っている不破真琴がいた。見た所大きな負傷などはしていないようだった。心底安心する。不破真琴までいなくなってしまうのはダメだ。生きている意味が本当になくなってしまう。
「君がここに運ばれてからずっとそこにいたらしいで。それくらい心配されてるんやね、少年」
「……」
真琴に手を伸ばしてその頭撫でる。綺麗な黒髪はさらさらしていて心地良い。真琴はそれに反応して眉が少しだけ揺れたがしかし目を覚ましはしなかった。よほど疲れているのか。申し訳ない事をした。
真琴から手を放してさゆりに向き直る。一度息を吐いてから彼女に問う。真実を。
「あいつは……あの子供は何です。あの力は普通じゃなかった。まるで化け物だ。師匠、教えてください。今……何が起こっているんです」
そう言うと彼女は顔を伏せて沈黙した。どう伝えるべきか考えあぐねているかのようだ。しかし彼女をそこまで悩ませる程の出来事だと言うのか?彼女、東門さゆりはこの世界では事実上の最強と言っていいだろう。自分が人類最強などと言われているが彼女に勝てるビジョンが一瞬でも浮かんだことがない。彼女は今までの戦闘全てにおいて無敗を誇っている。その事から彼女は「生涯無敗」の名で通っている。24歳と言う若さですでに一生を決定づけられたような呼び名が付けられているのだ。それほどの実力を持つのが彼女だ。そんな彼女が思い悩むほどの出来事か……
彼女はしばしの沈黙後重いため息をついてからようやく口を開いた。
「……今、特区で戦争が起っとる」
「戦争……」
戦争。その言葉は常人にはあまりにも現実味がないだろう。こんな世界で生きている者でさえもそうそう経験できるものではない。普段起こっている物などは極めて小規模なものだ。この世界で行われる戦争は表の世界で起こっている戦争のように長期に渡るという事はない。酷く短期的で、それでいて劇的だ。数秒で何万という人間が死ぬことなど当たり前だ。特殊兵器などを使用していないとしてもだ。基本的には人と人も対人戦闘。これは表側に自分たちの存在を公にしないための手段でもあるがそれ故にこちら側の戦争は表側の戦争に比べて血生臭く、激しい。人が人をその手で、意志で殺していく。それがこちら側の戦争だ。そんな戦争を経験した人間は数少ない、生き残っていないがそんな人間は相当な実力を誇るようになる。しかしそれでも誰もが戦争を嫌う。正直に言えば強い者の大半が面倒くさいという理由を口にするだろう。しかし強い者ほど長く生きる。その過程で彼ら彼女らは必ずしも守るべきものを持ってしまうのだ。故に嫌う。故に避ける。しかし今回起こってしまった。彼ら彼女らはどうするのだろうか……
加えて相手が悪い。特区だと?特区は日本のとある地区の地下にある。特区の目的は研究だ。今から約30年前、世界中のありとあらゆる研究機関の粋を集めて結成された研究機関。世界から支援を受けて研究のみに力を注ぎ続けたそこはどこよりも発展し、世界の標準科学力から結成年数と同じだけの開きを出すまでになった。そして特区は6年前、とある大戦争をきっかけとして独立した。日本国内に国家と言えるものを結成したのだ。それだけならまだしも彼らは外界との接触の一切を禁じた。特区に入国する際には何重にも申請を行わなければならない程だ。故に彼らはその国家を守るために研究の矛先を武力に集中した。武器、有人、無人兵器の開発はもちろん、冷戦時よりアメリカが秘かに行っていた超能力研究。それすら引き継いだ。しかも成功させたのだ。当然成功例は極少数のようだが。極論を言えば彼らは通常の人間ではないのだ。戦力、知識、性能、装備、全てを取っても桁違いだ。並みの軍人では太刀打ちできない。表側の軍人など玩具にしかならないだろう。恐らく国外からの支援は望めないだろう。特区の実力を世界中のすべての国が知っているからだ。誰も「敗北」という勲章を受け取りたくはないだろう。国内だけの戦力では絶望的だ。加えてあの子供……。いったい何者だ?あれも特区の完成作品だとでもいうのか?あれではまるで人外だ。あの力は明らかにこの世界のどの動物をも凌駕していた。化け物だ。
「……君があの子に負けてからもう3日が経っとる。今の戦況は絶望的らしい……」
「3日……」
また3日なのか……。3と言う数字に相当好かれているらしい。あの子供から受けたダメージはかなり重いのか。
しかしやはり戦況は絶望的なのか。当然か。今から言って間に合うか……
「行く気なんやな……」
彼女は酷く重い息を吐いた。しかしその顔は暗くない。真っ直ぐにこちらを見つめてくる。それを真っすぐに見つめ返す。それを見て彼女はうんと一つ頷く。
「ならもっと細かく事情説明しよか。君を倒した子供についてなんやがな?いいか?驚いちゃあかんえ?」
「……なんですか改まって。いったいあいつが何者だって言うんですか?」
「君の娘や」
……
「は?」
今この人は何と言った?娘?おかしくなったのか?自分はまだ17だぞ?加えて相手がいないしそもそもそんな話は聞いたことがないし覚えもない。どういうことだ?
「面白い冗談ですね。誰との子供ですか?まさかあなたとの子だなんて言いませんよね?」
「なんや少年?それって口説いとるん?ならもうちょい大人な男になってからにし。うちはもっと男らしい子が好みやねん。君は体系とかちょっと女の子っぽいからな~」
「茶化さないでください。いったい誰との子なんですか?それにあの子供はどう考えても赤ん坊には見えませんでした。背は高かったけれど確かに妙に幼い顔をしていた。でもあれはどう見ても8歳以上。……せめて6歳以上の顔立ちでした。逆算すると最低でも俺が11だか12だかで作ったことになりますが?」
「そう6歳や。あの子は6歳や。つまり6年前にできた子供。6年前、忘れてはいないんやろ?あの大戦争の日や……」
六年前とある人物の死亡を発端とした大戦争が幕を開けた。世界中から勢力と言う勢力が押しかけて日本と言う国家の陥落を目論んだ。その人物が死亡したこと、並びにたった数分で派遣された部隊が全滅したのを理由に誰もその戦争に参加しようとはしなかった。もとより国家にこだわりなどない連中ばかりだ。ただ自分の回りさえ守れていれば良かったのだ。故にその戦争に参加したのはわずか三名の子供たち。敵は一億を下らなかった。その戦争は一週間と言う時間を全て使って続き、そして最後に生き残ったのは三名のみ。戦争に参加した三名の子供たちだった。後に彼らは人類最強、最悪、最恐の名で呼ばれることになる。それが六年前に起きた大戦争の終幕だ。
しかし妙だ。この言い方からして恐らくあの子供はその頃には存在していた。もはや言葉にする必要もないだろうがその戦争には自分も参加した。だがあんな子供がいた記憶がないのだ。忘れるはずもない。それはまず大前提だ。それを置いて尚も彼女の存在は謎だった。存在していたにも関わらず誰にも気づかれていない?余程な存在感の無さだ。しかしあれほどの実力だ。隠そうとして隠せるものではないはずだ。
では一体どういう……?
その疑問を表情から汲み取ったのか彼女は口を開く。
「あの時はまだ調整段階だったんや。あの子供は六年前君と、そして君の彼女ちゃんの遺伝子を組み合わせて作られた、言うなら人造人間。複合型クローンや。君が『こっち』に来てから一年間は特区で色々されたはずや。その時採取した物が使用されているらしい。規格外の戦闘力を持つ真琴ちゃんと、才能に溢れた君の血をあの子は継いどるんや……」
「……」
とりあえず彼女という言葉は聞き流そう。しかしクローン?特区は六年前の段階でそこまでの技術を独自に作って見せたのか?どこまで行けば気が済むんだ特区は……クローンに超能力に次は何だ?怪獣でも作る気か?勘弁してほしいものだ。
「人工的に調整を受けたあの子供は人体としてのリミットを解除されとる上にさらに手を加えられとる。やから君の言うような怪力を出せる」
なるほど。人間は無意識のうちに体の力をセーブしていると聞く。もし前回を出せば内からの圧力に暴走し爆ぜてしまうのだとか。しかしそうならないように根本から構造を見直されたあの子供はリミッターを解除しても死なず、それだけならまだしもさらに手を加えている。つまり壁を破壊して見せたあの一撃は純粋な力技だったという事か……
正真正銘の化け物だ……
しかし再び違和感が押し寄せる。確かに記憶にはないのだ。だが初めて顔を見たときのあの既視感は何だ?自分の血を使われているから同属感が沸いた?それとも真琴の血も使われているから錯覚した?いや違う。確実にどこかで会っている。恐らく直接ではない。間接的に。何か、壁か何か越しに確実に顔を合わせたことがある。そんな感じがする。
彼女は息を吐いて言葉を繋ぐ。
「黒崎真狩」
「……?」
「あの子の名前やで。覚えといたってな?君の娘の名前やで」
彼女は少しだけ寂しい笑顔を浮かべる。それは恐らく親子同士の対決を忌避してのものだろう。彼女はわずか三歳にして自分の剣術の師匠を殺害し、更にはその数年後には実の父親を打倒している。故に彼女にとって親子同士に戦闘は寂しい物なのであろう。何故彼女が実の父親を殺害したのかはわからない。口達者な彼女だがそればかりは絶対に口を開かないのだ。
しかし自分自身はそんな事を気にする質ではないと思う。娘などと言われてもそんな直ぐには納得できるはずもない。産んだこともなければ産まれるような事があったわけでもない。自分が知らない所で、自分が知らない内に産まれたのだ。それで実感を持てと言う方が酷だろう。だから今胸中にある違和感のような感情も気には留めない。どうでもいい。
「……わかりました。でも敵はそれだけじゃないんでしょう?いくらあいつ、真狩が強いからと言ってあの人たちがそこまで苦戦するとは思えない。あなた含め、あの人たちこそ化け物だ。人間で居ながらにして人間を超えている。そんな人たちがいくら特区の兵士がいるからと言って負けるとは思えない。いったい誰がいるんです。あの人たちを苦戦させるほどの相手は」
「いや別に苦戦してると言うわけではないんや。単体の戦力ならこっちが優勢。でもな?向こうには数と蓄えと、そして並外れた知識がある。天才たちが集まれば単純な戦闘力は簡単に凌駕されてまう。今はじわじわと押されてるんや……」
「でも!」
「そうやな!そうや……君に言わん訳にはいかんよなあ……」
彼女は顔を俯かせて少しだけ悩む仕草をした。しかし数秒後には顔を上げて続きを発する。
「今回の黒幕は六年前、剣璽君を殺した子や」
その瞬間心臓が大きく飛んだ。その言葉だけで全身から怒りで血液があふれ出しそうな感覚。体が火照っていく。
六年前の大戦争のきっかけとなったのはかつて初代人類最強と言われた人物、御山剣璽だ。その人物が死亡したのをきっかけとして日本の戦力は極端に落ちることになる。たった一人の死亡でだ。それを好機として狙う者がいて当然だ。しかし御山剣璽は殺害されたその瞬間敵の存在にすら気付いていなかった。敵は気配を完全に絶っていたのだ。それを別の場所から見ていた者だけがその敵の存在に気付けた。しかし間にあうはずもない。助けられなかった。目の前で彼は死んだ。撃たれて、何度も撃たれて、殺された。自分を助けてくれた彼を殺した人間は子供だった。その子供は小さく笑って飛び去った。今思い出しても憎い。そんな奴が今回の黒幕?ふざけすぎている。今度は現人類最強を殺害するためか?ここまで大掛かりな戦争を引き起こしてまで?
……
上等ではないか。誰が相手であろうと関係ない。娘であろうと。知識に溢れた兵士たちであっても。たとえそれが仇と言える存在であったとしても。
とにかくこうしてはいられない。行くしかないのだ。殺してやる。絶対に何があっても殺してやる。
「ちょ、ちょっと待ちぃな!わかっとるん?君腕切られたんやで?今はくっついとるけど何かあればまた……」
立ち上がろうとする自分を彼女は慌てて止めようとする。しかし直ぐにそれは止まった。その顔に笑顔を張り付け見つめてくる。
「やっぱり。男の子やな~。ええ顔や」
彼女はうんうんと何度も頷いてから再び口を開く。
「君の心の中は今頃殺したる~って事ばっかりなんやろうけどでもやっぱり体は本能やね。もっと素直な感情が出とる」
彼女はこちらに手を伸ばして自分の手を握ってくる。その手を両手で包み込み、口付するかのように顔を寄せる。
「君はみんなを守りに行くんやな。良い顔してる。さすがは剣璽君の後輩やで」
彼女は両手を自身の額に押し当て言葉を発し続ける。
「でもなぁ、無茶だけはせんでほしい。君はうちのたった一人の弟子やからな。君に死なれたらうちは暇で死んでまう。だから絶対帰って来て欲しい。約束できるか?」
その声は優しくも寂しそうだった。まるで自分の子供を旅に送るかのようだった。天涯孤独ともいえる彼女にとって今あるこの関係はとても大事なのだろう。本当は自分が行きたいはずだ。無敗を誇る実力を持っているのだ。並みの相手であれば文字通り秒殺。この戦争も直ぐに終わってしまうだろう。しかし彼女はそんな事はしない。自分でやると言った者の邪魔になるような行動を、彼女は絶対に取らないのだ。本人の意思の尊重ではない。本人の決意を後押しするための言葉だ。彼女は苦しいだろう。不安だろう。自分が送り出した者が帰ってこないと言うのは辛いだろう。それでも彼女はやめない。それが信条であるかのように貫き続ける。それはこちらも答えなければなるまい。それが弟子の務めだ。
「はい。約束します。絶対に帰って来て見せます。」
彼女の顔を真っすぐに見つめそう答える。すると彼女は眩しい程の笑顔を見せた。その眼尻には、少し涙で濡れていた。
「よっしゃ!じゃあ行ってきぃ!そしてちゃんと帰ってこい!うまい飯用意しといたる!」
「はいっ」
ベッドから飛び起き走り出す。部屋の入口に立てかけてあった日本刀を掴んで病室を出る。
真琴はもう少し休んでいてもらおう。あいつにはまだ無理をしてほしくない。
角を曲がると黒井が自分のジャージを持って立っている。それをすれ違う瞬間に受け取り腕を通す。
「行ってこい。死なない限りは助けてやる」
すれ違いざまに黒井が小さく言ってくる。それに腕を高く上げることで答える。
行こう。みんなのところに。
終わらせよう。過去を。
剣璽兄、待ってろよ。
俺は今からあんたを引き継ぐ。後は任せておけ。
過去より来る幻影を今こそ払おう。
もう過去に縛られるのは終わりでいいではないか。もう素直になろう。失いたくないから誰にも近づかない?馬鹿か俺は。守ればいいじゃないか。剣璽兄はそれをやって見せたじゃないか。なら俺もやればいい。それだけだ。
待ってろみんな。すぐに行く。




