表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Hand in Hand  作者:
六年前 終結編
11/60

瀬戸大輝 5

 少年は顔を上げる。

 ここはどこだろう。周りを見渡すと廃ホテルではなく街のようだ。賑やかな声が響き渡る。少年は今どこかのビルだと思われる路地裏に座り込んでいる。

 先ほどまで廃ホテルにいたはずだがいつのまに移動したのだろうか?そもそも意識を失ったような感覚があったはずだがどうやって来たのだろう?周りに人はいない。であれば誰かが運んできた、という事はないのか?車か何かで運ばれればその限りではないが。

 もし運ばれたという線がないのであれば少年自身が歩いてきた?まるで夢遊病だ。しかしあの廃ホテルからここまでは恐らく子供の足では数時間かかるだろう。

 だとしたらやはり誰かが運んだ?なら何故ここに?もし記憶通りに少年が意識を失っていたのだとして、それを発見した誰かが運ぶとしたら病院、あるいは警察だろう。こんな路地裏はありえないだろう。そんな中途半端な善意は有難迷惑だ。

 しかしこれからどうするかがまず問題である。確かに何故ここに、いやどうやってここに来たのかを考えるのも重要であるが考えていても答えは出ないだろう。意識と記憶がなかったのだから。であればまずはこれからどうするか考えなければならない。現状の謎についてはそれが解決、あるいは落ち着いたら考えればいい。

 少年は頭を捻る。

 どうするか、そんな広すぎる議題はそうそう答えを出せるはずがない。

 まず家に戻るわけにはいかない。あんなことをしたのだ、家族はもう少年を受け入れはしないだろう。もしここに少年を運んだ、いやこれはあくまでも少年が誰かによって運ばれたという前提になるが、とにかく運んだ誰かが異変を警察などに伝えていれば恐らく何かしらの動きがあってもおかしくない。そうなれば少年の家は当然調査の手が伸びることになる。そうなればあの家は終わりだろう。なら帰るも何もない。むしろ恐らく両親は少年を死んだと思っているはず。それなのに実は生きていたとなれば再び殺しにかかるかもしれない。論外だ。

 なら素直に自分から警察に?確かにそれが最善ではある。しかし何と言えば良いのだろう?両親に廃ホテルに連れて行かれて殺された。その理由は虐待がバレたことにより職を失うきっかけとなったから、と?確かにそれで通るだろうがしかしそれはあくまでも最終手段だ。いくら何をされたとしても進んで親を捨てるような真似も出来ない。そうすれば本当に変える場所を消すことに繋がってしまう。ただでさえ行き場がないのだ。そうなってしまえばどうしようもない。

 であればどうする?家にも帰れない。しかし帰れる可能性がまだあるかもしれない家を捨てるような事は避けたい。では病院は?病院なら傷も診てくれるのだろうし良ければ食料も提供してくれるかも知れない。しかし駄目だ。そうすれば確実に記録として残ってしまう。いずれは家族に知られてしまう。最悪直ぐに連絡が行くかもしれない。

 病院も駄目。ならどうする?託児所にでも行くか?ありえない。そんなところに行っては直ぐに問題になる。表沙汰の大きな問題に。それは少年の本意では無い。再び殺される可能性もそうだが表沙汰になってしまうのも少年にとって好ましくない。目立つことが嫌いなのだ。生死よりも感情を優先させる辺りまだまだ幼い。

 しかしまずは移動しよう。歩いている内にとりあえずを過ごせる場所、あるいは方法が見つかるかもしれない。そうでなくともここはさすがに居心地が悪い。すぐ近くに人が練り歩いているというのに夜と言うだけあって真っ暗だ。加えてゴミが散乱している。酷い匂いだ。

 少年は腰を上げようと力を籠める。

「……?」

 だがそれは叶わなかった。力が入らないのだ。ただ震えて筋肉が働かない。

 しかし当然とも言えよう。あれだけの暴行を受けたのだ。ただの子供が正常な健康状態でいれるはずもない。

 しかしだとするとここまでどうやって来たのかが本当にわからない。単にここまで来て体力が尽きたのか?それとも本当に誰かがここまで?なんのために?訳が分からない。

「?」

 少年が考えながら立ち上がる努力を続けていると急に気配が近づいているのに気づく。その方向に視線をやれば街の逆行で陰になっているが路地の入口に人が立っているようだった。その人影はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「やあこんな所でどうしたんだい?」

 そして話しかけてきた。少年の目の前に来たところでようやくその人間の姿が明確になる。と言っても路地自体が暗いので目が慣れた、と言うべきか。

 中肉中背の体にくたびれたスーツ。柔和だがスーツ同様に疲労を感じさせる顔の男だ。その男は腰を落として少年に目線を合わせる。

「どうしたんだい?迷子?お父さんかお母さんは?お名前言える?」

 男は柔和そうに笑顔を作ってそう言う。

 しかし少年は警戒して口を開かない。値踏みするように男の目を見つめる。

 それをただ戸惑っていると受け取ったのか男はもう一度笑いながら語り掛けてくる。

「大丈夫、何もしないよ。家出かな?おじさんも君くらいの年頃の時は家出したもんさ。君の気持はよーく分かる。だから安心して」

 男は強調するように更に笑顔を強めた。しかし少年はそれでも口を開かない。

 男はさすがに少々戸惑ったように頭をかく。

「ん~弱ったな~。ずっとここにいるわけにも行かないだろうしとりあえずどこか移動する?ご飯は食べた?お腹すいたろおじさんの家に来なさい?」

 男は一歩少年に歩み寄る。しかし少年は口を開かない。どうしていいかわからないというのもあるのだろうが明らかに眼前の男を疑っている。当然という物。普通の子供でもこの場合は不審がるだろう。加えて少年はつい先ほど親、大人に暴行どころか殺人未遂まで受けたのだ。それで大人を信じられるというのは逆におかしいというものだ。

 しかしそんな事を知らない男は更に一歩踏み込んだ。その時男の腕に時計が見えた。明らかに安物然としているがそんな事はどうでもいい。時間さえわかれば時計の役割は務まる。その時計には7時、いや19時過ぎ、20時前を指していた。

 少年は更に不審に思った。19時?あの廃ホテルで少年がああなったのは恐らく5時前頃。いや4時ごろかもしれない。体内時計で確証はないが恐らくはそのくらいだろう。ならそれからもう3時間以上が経過していることになる。3時間もあればあの廃ホテルから現在位置まで徒歩でも間に合うだろう。いよいよ夢遊病の可能性が濃厚になって来た。相当精神に影響が出たのか。

「どうしたんだい?さあおじさんと一緒においで」

 男は一歩踏み出すと一緒に少年に向かって手を伸ばしてきた。その手は少年の肩に乗り、軽く力を込めた。

「大丈夫だよ。美味しいご飯を食べさせてあげる。だからおいで?」

 男の手は肩から脇に移動し少年を立ち上がらせようと力を込めた。しかしその男の意思は通らなかった。

「な!」

 瞬間ビルの壁には赤い液体が飛び散った。

 男の顔がみるみる恐怖、いや驚愕に染まっていく。現状が理解できないかのように。

 男の首元には大きな鋏が突き刺さっていた。それを握っているのは少年。少年が男を刺したのだ。

 男はバランスを崩して尻餅をついた。その際に首元から鋏が抜け、血をあふれ出す。

「……?」

 少年は疑問に思う。自分が持っている鋏の存在についてだ。いつから持っていたのだろう。意識が戻ってからそんなものを掴んだ記憶がない。だとすればあの廃ホテル、あるいはここまでの道中か。そんな物を無意識で握ってしまうだなんていよいよ問題か。違う病院に行くべきかもしれんない。

 しかしそれ以上に少年は気にしなければならない事がある。少年は男を刺したのだ。凶器として使用すると前提されたわけではない鋏、恐らく剪定用の大きな鋏で。恐らく普通の子供であればいくら鋏、でなくてもナイフを持っていたとしてもそんな事はしないだろう。しかし少年は見たのだ。男が少年を立ち上がらせようと少年の脇に手を入れた際、少年の体を舐めまわすように見たのを。

 気色が悪かった。

 少年は体がひどく小柄だ。加えて散髪にも行けていないため髪が長い。目が半分隠れてしまうほどだ。男はそんな見た目の少年を女児と間違えたのだろう。それでないなら申請の変態か。いや女児でも変態と言って問題ないだろうが。

 真意はわからない。それでも少年には男が少年に対して何か良からぬ事を考えている風に思えたのだ。つい先ほど、いや数時間前か、大人から酷い行いを受けたばかりの少年には大人と言うだけで敵に見えたのだ。更にそんな大人が自分を気色悪い視線で見たのだから尚更だ。

「な、んで……!」

 男の顔が苦悶に歪む。しかし対して少年の表情は微動だにしない。代わりと言っては何だが動けなかったはずの足で少年は立ち上がっていたのだ。驚愕で腰を抜かして地面に座り込む男を無表情で見下ろしている。

「どうして!おれはただ!」

 男が何事かを叫んでいる。しかし少年はそんなの気にも留めない。

 少年の胸中にはただの一つの思いしかなかった。

 死にたくない。

 ただそれだけの思いだった。死にたくない。生物であればすべての者が浮かべる思考だ。殺されかけた少年にはその生存本能が盛んに働いたのだ。理性という物をまだ知らない子供なら凶行にいたっても責められるものだろうか?否だ。いくら法律がどうだろうと常識がどうだろうと関係ない。法律や常識は命を守ってはくれないのだ。であれば自身で守るしかあるまい。そこは誰も否定できないはずだ。

「やめて、くれ……。俺が悪かった!頼むから見逃してくれ!」

 男は恐怖に歪んだ顔で少年に懇願する。首元からは変わらず大量の血液がどくどくと溢れている。大きな血管でも破ったか。あの出血量であれば恐らく数分の猶予しかないだろう。病院まで間に合えばいいが……

「ひっ!」

 男が短く悲鳴を上げた。少年が一歩踏み出したのだ。

 少年はゆっくりと鋏を振り上げる。すると男はその切っ先を見つめて硬直する。

 少年の胸中にはある感情があった。

 死にたくない。何よりもそれだった。男の真意などはどうでもいい。危険人物である可能性が少しでもある、それが問題なのだ。つい数時間前に死に目を見たばかりにまた危険な可能性を残すわけにはいかないのだ。生物であればそれは当然のことだ。好き好んで死地へ赴くほど自殺願望は強くないだろう。こんな子供が心から死にたいなど、そもそも思うはずがないのだ。

 しかし少年の思考はそれだけではなかったのだ。

 それは好奇心。いやもっと硬い、知識欲だ。ただ首を絞められただけ。素手で、首を掴まれただけ。それだけで少年は死んだのだ。ではこの男は?いくら根本的要因は窒息だとしても外側からの、しかも素手での暴力で一つの命が終わったのだ。なら内側にすら影響を与えて、加えて同じ首になら、もっとあっけなく人の命は絶たれるのではないか?自分の命を守るためとはいえ、無駄な体力を使うわけにはいかない。これからがあるのだ少年には。であれば少しだけでも簡単に、それでもいて体力を温存するための方法を取るのが妥当である。それを確実なものにするためには今ここで実践する必要がある。このような事態がこれ限るという保証などないのだから。

「やめ……やめてくれ。俺が悪かった!」

 男が懇願するように叫ぶ。だが少年はそんなものには耳を貸さずにゆっくりと鋏を握る手に力を籠める。

 その瞬間少年の中から感情が消える。生存本能も。知識欲も。家族の事も。自分の事も。全て。

 何も考えられなくなる。真っ白だ。空白に、虚無に満ちた感情。もうどうでもいい、そう思ってしまった。

 鋏を振り下ろした。

「お……あああああああぎゃあああああああ」

 男が激痛に叫ぶ。しかしそれでも少年は何も感じない。動じない。

 鋏を抜き、再び振り下ろす。

「ああ!」

 鋏を抜き、振り下ろす。

「やめ!やめてください!」

 鋏を抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。

「やめ、やめて……許して……」

 引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。

 引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。

 引き抜き、引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。引き抜き、振り上げ、振り下ろす。

 引き抜いて、振り上げて、やめた。

 どのくらいそうしていたのだろう。少年はため息をついた。眼前には顔が判別できないほどまでに壊れた男が横たわり、その上に少年が馬乗りになっている所だった。

 辺り一面は文字通り血溜まり。コンクリートが赤黒く染まっていった。壁にも血が飛び散り空気を汚していた。酷く臭い。いやそれだけでが原因ではない。壁に飛び散っているという事は一番近くにいた少年自身にも返り血が付着している。顔、衣服、腕、あらゆる場所を赤く染め、顔をしかめたくなるような臭いが鼻腔を突き刺す。

 しかしそれでも少年の表情は動かない。呼吸こそ荒くなっているがそれでも気にするほどの物でもないかのようにその血を拭おうともしない。

 少年は立ち上がり大きく息を吸い、吐く。口の中に鉄の香りが充満する。

 路地の入口を見た所誰かがこの状況に気付いた様子もない。すぐそこを見れば大きな道路を車が途切れることもなく走り過ぎていく。あの音で多少誤魔化せたのだろうか?……まさかそんなはずもないだろう。大方巻き込まれるのを恐れたかただの喧嘩だとでも思われたのだろう。しかし今は好都合だ。どの道誰かに助けを求める気もない。こんな格好でもそんな事をすればさすがに警察などに話が行ってしまうだろう。それだけは駄目だ。……しかし警察。警察に行けば身の安全は確保できないか?親からの接触も消えるだろうしそれに食事にもありつけるかもしれない。だがやはりこの格好ではまず話を聞いてもらえるかもわからない。変な男に絡まれたから殺してしまったなどと言っても事情の前に結果だけで判断されかねない。危険だ。

 とりあえず路地の出口付近にあった小さなゴンドラのような物の陰まで行き、外の様子をうかがう。やはり騒ぎを聞きつけて誰かが確認しに来たという事もないようで通行人たちはこちらに目もくれない。

 ゴンドラの陰に隠れつつも引き続き外の様子をうかがうと道路を渡って反対側に別の路地が見えた。それも見て少年は首を傾げると同時に思い出す。あそこは確か父によって学校から連れ出された際に通り過ぎた路地ではなかったか?そうあの、ビニール袋とそこからあふれ出す血液と人の腕。その路地だ。しかしわからない。警察などの要因が見当たらないのだ。代わりにその路地の入口に若い男だと思われる私服の者が二名陣取っている。だがあれだけの「物」が発見されて物の数時間で警察が引き上げるとは思えない。少年が数時間だと思っているだけで実は数日経過しているという事でなければだが。だとしても当分は立ち入り禁止にする物だろう。あれは事故ではないだろう。間違いなく殺人だ。しかも恐ろしく狂気に満ち、それでもいて冷静に周到に処理を行っている。でなければあんな形で死体を隠さないだろうしそもそも犯行すら難しいだろう。技術も兼ね備えているのか、それもかなり高練度の。なるほど世の中は恐ろしい。どこでそんな技術を習得したのだろうか?軍隊?格闘技?どれもしっくりしないな。どうの道かなりの手練れだとは想定できる。恐らく未だに捕まってはいないだろう。今後遭遇することがないようにしなければならない。こんな鋏一本ではさすがに勝てないだろう。

「……」

 とにかく今後どうするかを考えなければ。こんな格好で出歩くのはまずい。それだけでなくまたおかしな者と出くわさないとも限らない。人の通りがない場所を進む必要がありそうだ。

「……?」

 しかし妙だ。あの男たち、路地の入口に陣取っているが気取られない程に小さくだが周りを警戒している。誰かを探しているのか?それに誰かが路地に近づこうとするとさりげなく進路をふさぐような素振りを見せている。……まさかあの男たちが犯行を?犯人は現場に戻ると言うが、だとしても警察がこんなにも早く引き上げるのはおかしい。何かあるのか?あの事件には何か大きなものが絡んでいる気がする。それこそ警察が引き上げるしかないほどの力。

 ……

 考え過ぎか。そんな存在など聞いたことがない。国家の操縦者たちがわざわざ一つの町の一つの路地の一つの事件にそんなに力を籠めるはずもない。そこまで暇ではないだろう。

 とにかく移動しよう。しかししつこいようだが返り血塗れではさすがに目立ちすぎる。どうすべきだろうか?あの路地の犯人も相当な返り血を受けたはずだがどうしたのだろうか?まさか着替えを持っていたというのであれば少年は完全に積んでいるな。着替えなどあるはずもない。

 とそこまで考えて少年は気づく。

「マンホール……」

 そう、マンホールだ。そこであればまず人には見られない。マンホールは特殊な器具がないと開けられないと言うが実はその限りではない。中には古い型のまま放置され人の手で開くことが出来るものもかなりの割合で存在する。

 少年はマンホールを探す。もしここの路地にあるとしたらどこ辺りだろうか?そう長くはない路地だ。あるのならちょうど真ん中付近にあるだろう。

 少年は振り返り、ため息をつく。路地のちょうど真ん中辺り。そこにはあの男が横たわっていた。恐らくあの下にあるだろう。少年は再びため息をついて男の場所に歩み寄る。緊張性死後硬直で硬くなっている腕を握り力の限り引っ張る。少し動くと恐らく鋏の連撃により首がボロボロだったのか、頭が胴体と離れた。それを見ても少年は変わらず何も思わないがしかしかなりシュールな光景ではある。もし顔が未だに原形を留めていたならもっとだったのだろうが。

 続けて腕を引っ張る。すると先ほどよりも大きく男の体が動いた。頭が外れたことで多少軽くなったという事か。頭は体で一番重いと言われているだけある。それに乗じて更に体重を入れて引っ張る。二度三度とそれを繰り返すとついに男の体が元の位置から退けた。

 そして少年は安堵する。あった。マンホールだ。

 マンホールに近寄り窪みに指を入れ、力を籠める。かなり重いがしかし持ち上げられない程でもない。少年は大きく息を吸って腕に力を籠める。

 ガコン、と鈍い音を鳴らしてマンホールが外れ、その反動で少年は白餅をついた。

「っ」

 痛みを感じて左手を見る。薬指の爪が少しだけ剥がれている。いや割れたと言った方がいいか。軽く出血している程度で気にする必要はないだろう。あの男の血液から細菌が入るのはさすがに怖いので。あの周辺の血液はシャツでふき取る。それから少年は立ち上がるのももどかしく這いつくばるようにしてマンホールまで近寄る。マンホール、というよりも穴を恐る恐る覗き込む。マンホールは中にはただの貯水区画となっている場所もある。もしそうなっていればどうしようもないわけだが……しかしそれは杞憂だったらしく壁には梯子が設置されており少し下には水路のほかに通路のような地面が微かに見えている。少年はほっと息を吐く。加えて幸いなことにうっすらと電灯らしき明かりも見える。しかし明かりがあるのは確かに幸いではあるのだがそれはつまり人の手がある可能性も出てきたというわけだ。

「……」

 だが今更別の方法を探している時間はない。行くしかないのだ。

 男の死体の手を再び握って引っ張る。このまま放置するのも別に構わない気がするが少しでも発見は遅れてくれるのが好ましい。そうしてくれれば逃げきれる可能性も高まるし対策を講じる時間も出来る。故にマンホール内に隠してしまおうというわけだ。

 先ほどのでコツをつかんだのか今度はスムーズに男を移動することが出来た。マンホール付近にまで引っ張ってから勢いをつけて男を穴に向けて投げるように動かした。反動で再び少年は尻餅をつくがそんな事はどうでもいい。死体は穴に消えていき数秒後に微かに「ゴシャ」と言う気持ちの悪い音が穴の中から反響して聞こえた。運悪く水路でなく通路に落ちたのか。

「……よし」

 少年は息を吐いて穴の中に足を踏み入れた。梯子に足をかけ、ゆっくりと下っていく。

 下は明かりこそあるが少年には暗闇にしか見えなかった。暗く、黒い。闇のようなその空間が少年を吸い込むように眼下に広がっている。

 まるで少年の未来を暗示しているかのようだった。

 それでも少年は進んでいく。

 絶望へ向けて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ