今日が後日
「柚木さん、夕飯これからだよね?」
教えたばかりの名前で最初に言われたのは、予想外の質問だった。
しかし宗佑はというと、既定路線の質問だったようで顔色ひとつ変えていない。
「……まだだけど」
「そりゃよかった。肉と魚、どっちが好き?」
絶対思っていないだろ、と言いたくなる返し言葉のあとに続けて訊いてくる。
「に……魚」
肉、と答えそうになったところで余計なプライドが邪魔をした。……いや別に、目の前の男にはどう思われようと関係ないのだけれど、反射的に良い子ぶってしまった。
宗佑は「オッケーわかった」と言うと、冷蔵庫から一旦離れていく。戻ってきた宗佑の手には一枚のお皿。
冷蔵庫越しに手渡してきたそれを促されるがままに受け取る、と――
「……鮭?」
――お皿の上には鮭の切り身が一切れ乗っていた。周りには野菜が彩られている。
「なにこれ?」
「サーモンのムニエル」
「そうじゃなくて」
「ちょっと待ってて。味噌汁もあるから」
「へ?」
「あ、そうだ。パプリカのマリネもあったんだ」
「いや、ちょっと待って。話聞いてってば!」
「何? どうしたの?」
次から次へと出てくる料理を半ば強引に遮るように声を少し張ると、やっと宗佑は止まってくれた。
「なんなの、これ?」
「なにって……サーモンムニエル」
「それはわかった」
「レモンソースでいただきます」
「……美味しそう」
「でしょ?」
「うん。……じゃないじゃない、そうじゃなくて」
目を奪われそうになるのを、すんでのところで頭を振り留まる。
程良く焼き色のついたサーモンは空腹の由佳を誘惑するのに充分だ。
「どういうことなの?」
「もしかしてサーモン嫌いだった? なら肉もあるけど」
「……ちなみに肉って?」
「生姜焼き」
生姜焼きか。生姜焼きも悪くない――ってそうじゃないってば。
そうじゃなくて、なんでいきなり料理をばかばかと渡してくるんだって訊いているのに。
「あれ? 俺書かなかったっけ?」
「何を?」
「ほら、『きちんとしたお詫びはまた後日』って」
聞くと今日のこれは、宗佑からのお詫びの品だったらしい。
勝手に料理食べちゃったからね。お詫びはイーブンに、俺が料理作らないと――とは宗佑の言。
もう食材を買ってきてくれたからそれで充分だとも言ったが、「二人分作っちゃったし食べてくれないと余っちゃうよ。それに、せっかく作ったんだから食べてほしい」と言われ、結局は由佳が折れることにした。
「いただきます」
冷蔵庫に向かって食事の挨拶をし、箸を持ち上げる。
テーブルに並んでいるのは、先ほどのサーモンムニエルに加えて、ご飯と味噌汁、パプリカのマリネ。中央に陣取るこんがり焼けたサーモンはレモンソースの香りが加わり、空腹感を刺激してくる。サイドには味噌汁と、赤と黄の色鮮やかなパプリカ。
組み合わせは和なのか洋なのか、統一感がないように見える。きっと主菜を肉と魚の選択制にしたせいだろう。
ちらりと冷蔵庫に目を向ければ宗佑が見える。あちらは我関せずか、既にご飯を頬張っていた。
由佳も料理に手を伸ばした――が、なんとなく落ち着かないのでとりあえず味噌汁を手に取ってみた。大根に人参、葱が浮かぶお椀に口を近付け少し飲む。
「おいしい……!」
素直な感想が、つい口に出た。
お世辞ではなく美味しい。
由佳の普段作っているものよりも、それどころか実家の母が作るものよりも、確実に美味しい。
「ねえ、これどうやって作っているの?」
宗佑は驚いたように顔を向け、戸惑ったように答える。
「味噌汁? ええっと、普通に作っただけだけど……」
「絶対普通じゃないでしょ。全然味が違うもん」
なんていうか、なかなか言葉が出てこないけどほら、味噌!って感じじゃないっていうか、ちょっと良い和食屋さんの味に近いというか――。
由佳が繋がらない言葉でなんとか表現しようとしていると、宗佑は何やら合点がいったようで助け船を出してきた。
「深みがある感じ?」
「そう!それ!」
「――っふふ。あはははは」
一転、宗佑が笑いだす。
意味がわからず呆然としていると、やがて笑いが収まった宗佑が弁解してきた。
「ごめんごめん、柚木さんって意外とおもしろい人だったんだね。初めて会ったとき、ずっとムスッとしてたからちょっと驚いた」
そこで一呼吸置くと宗佑は、味噌汁の作り方だっけ? と続ける。
「深みってのは、たぶん出汁のことだよ」
「……ダシ?」
「そう、出汁。たぶん柚木さん家は出汁とらないで作ってたんじゃないかな?」
ダシなら使っているはずだ。小学生の頃だっただろうか、母親に尋ねた覚えがある。そう、たしかあれは市販の味噌についてだった。
母親に連れられてスーパーに行った際、調味料コーナーで目にした「だし入り味噌」という文字。
書いてあるものと書いていないものがあることを不思議に感じた由佳は母親に訊いた。
「『だし入り』ってなに?」
「美味しさが多いってことよ」
そして母親が手にしたのは「だし入り味噌」だった。
「なるほどね」
だし入り味噌を使っているはずだと告げると、宗佑は短く答えた。
「なにか違うの?」
「違くはない、かな。俺が使ってるのも"だし入り味噌"だよ」
ほら、と市販の味噌を掲げる。
ラベルには「だし入り味噌」の文字。
「でも、それだけだと足りないというか、ちょっと弱いんだ」
「どういうこと?」
「深みをより出したいんなら、これを入れながら沸騰させると良いよ。で、もっと出したいなら、これ」
出てきたのは乾燥昆布と顆粒だし。
「ラーメンで煮干しスープとかあるでしょ? それみたいなもので味噌汁にも、水そのものに下味を付けるんだよ」
「へえ……」
ラーメンと言われればわかりやすい。テレビでやっている有名ラーメン店の紹介で、煮干しとか豚骨とかを鍋で煮込んでいる姿を思い出す。
「今度使ってみると良いと思うよ。昆布以外にも鰹節とか煮干しとかあるけど、一番ラクなのは昆布だろうからまずは昆布を買って……って」
何かを思い出したように宗佑が言葉を止めた。
「どうしたの?」
「いや、わざわざ買わなくても冷蔵庫が繋がっているんだから、そこに全部共有として置いておけば良いのかな、って」
「あ」
その通りだった。
繋がっているということは、なにもデメリットばかりではないようだ。取られる心配ばかりしていたが、なるほどそういう使い方もあるのか。
その他も宗佑の料理はどれも美味しく、結局はひとつひとつ作り方を尋ねてはまたひとつ知識が増えて、の繰り返しだった。宗佑の知識は決して手間がかかる方向ばかりに偏っているわけではなく、むしろ市販の簡単料理の素なども使っており一人暮らしの時短料理という面でも有用そうだった。
しかし。
しかし、女子としてこの状況が喜ばしいのか、ということは別問題ではあるが。
同い年の、同じく一人暮らしというイーブンな状況下で、女子が男子に料理を一方的に教えてもらってしまった、という点で……。