邂逅-1.02-
このところ減る一方だった冷蔵庫の中は明らかに増えていた。
ヨーグルトに林檎、豆腐などの食材が、中段の最も目につく場所に陳列されている。すべて、ここ二週間ほどの間に「あれ?」と疑問に思った――要するに宗佑に食べられた――ものだ。
「これ……」
ヨーグルトを手に取る。
見慣れた色合いのパッケージ。由佳が毎朝、習慣のように食べている商品そのものだ。
「ん?」
ふと中を再度見ると、ヨーグルトがあったその場所に黄色いポストイットが貼ってある。ご丁寧にこちら向きになっているそれを剥がす。
『中身、勝手に食べたこと謝ります。
お詫び……と言っては何ですが、今までに食べてしまったであろうものを買い足しておきました。
きちんとしたお詫びはまた後日。
では。 宗佑』
わかってはいたが、やはり宗佑の仕業だった。気にしていない、無神経さを醸し出してはいたが、実はそれなりに気にしていたということだろうか。
だからといって許すわけではないが、これは素直に受け取っておこう。
ちょうど明日の分のヨーグルトを切らしていたところだし。
「それにしても、これだってよく覚えていたなあ」
手にしたヨーグルトを横目に呟く。
こだわり、というほどのものではないが、気付いたら同じ商品ばかりを手に取っていた。最初の数週間はころころと違うメーカーの商品を購入しては次、また次と変えていたけれども、いつの間にか(主に価格の理由から)固定されている。
一度習慣となったものはなかなか変わらないし、変えられない。もし宗佑が別の商品を買ってきていたら、素直に受け取ろうとは思わなかったかもしれない。
一応、お礼……いや、返事を書いておこうとポストイットを裏返したところに、加えて一筆書かれていることに気付く。
『P.S. ヨーグルト、うろ覚えで買ったのですが、合っていましたか?』
合っていますよ。
脳裏に浮かぶあの無神経男が不安げにこれを書いたかと思うと、不思議と嫌な気持ちはしなかった。今日の合コンが不快だったこともあるのだろうが、気遣ってくれていることはむしろ喜ばしくも感じる。
『ありがとうございます。
ヨーグルト合っていますよ。よく覚えていましたね。ちょっと驚きです。
ありがたく受け取らせてもらいます。』
由佳はさらさらっと書くと、それを中に貼る。相手の見やすいように、奥に、反対向きに。
なんだか文通をしている気分だ。
したことはないが……。
それにしても――
「こんなに買ってきてもらっちゃって、ちょっと悪いなあ……」
呟いて、中を見たときに思った。
――こんなに?
こんなに買ってきた、ということは。
こんなに食べていた、ということを意味するんじゃないか?
そう考えると恩を感じる必要はないんじゃ……。
由佳の中での宗佑株が再度ストップ安となった。
しかし、多く感じた食料は日が進むにつれて、未だかつて経験したことのないスピードでなくなっていった。
普段の倍以上の早さだ。
その原因はただひとつ。冷蔵庫の先に住む者のせいだ。
……この物言いだと何というか、とてもメルヘンチックでオカルトチックなイメージになってしまうけれど、事実がそうなのだからどうしようもない。実際は、オカルトチックではあるがメルヘンチックでは決してないのだが。
話が逸れたけれど、要約すると若い男性の食欲はすごい。この一言に尽きる。
父母に妹一人の家族構成である由佳には、このスピードは驚きだった。
宗佑がお詫びに、と買ってきたときには多いと感じたものだが、それはどうやら宗佑自身も食べるからという計算もあったようだ。 考えてみれば同じ冷蔵庫を共有する以上、至極まっとうな話だ。
そしてもうひとつ、驚いたことがある。
減った分はきちんと補充されるのだ。しかも状況を見て、タイミングも調整されている。例えば、ヨーグルトなら常にストックとして二個は残るようにしつつ、といった具合に。
さすがに悪いと感じ、由佳が補充を入れると宗佑による自動補充は一度ストップし、また在庫がピンチになると再開される。大味に見えて、意外とマメだ。
それでいて由佳の作った料理には、中にあっても決して手をつけなくなった。
……つい数週間前とはまるで別人だ。
そんな中、更なる変化が起きたのは翌週末の夜のことだった。
「うわあっ!」
いつも通り冷蔵庫を開けると、挟んだ向こう側に人が見えた。
その可能性はあるとはいえ、冷蔵庫を開けている時間なんてほんの数秒だ。よほどタイミングが合わない限り、出会すことはない。事実、二度目の邂逅は今まで果たされていなかった。
よって出会すことにおいて最も高い理由は、偶然ではなく故意だ。今回も例に漏れずそのようで。
「お、やっと来た」
と、迎えられた。
飛び出しそうになった心臓を抑え、呼吸を整える。
油断していた。そのせいで野性味溢れる驚きの声を上げてしまった。そこは「きゃっ!」とかだろ、と自身の低い女子力を嘆く。
「な、なに? 待ち伏せ?」
「うん。そう、待ってた」
ささやかな反撃のつもりで言った言葉に、宗佑はしれっと答えてくる。
「もう待ちくたびれたよ。一時間ちょっと冷たい庫内とにらめっこだもん」
「……本格的な待ち伏せね」
「俺らが初めて顔合わせたときもこんなだったのかな。えーと、君は」
「私は二時間待ったわ」
「うへぇ、この倍か。そりゃきつい」
そりゃきついって、あんたのせいでしょうが。
由佳は心の中で毒づく。
「で、何か用でもあるの?」
急かす由佳に、宗佑は「その前に」と前置きをして訊いてきた。
「名前、教えてもらっていい?」
そういえばまだ名前を教えていなかった。相手の名前は、詰め寄る際に流れで聞き出していたので、つい宗佑も由佳の名を知っているとばかり思い込んでいた。
相手に合わせるなら「由佳」か。宗佑に関しても苗字は知らないし、それならばイーブンだ。
しかし――名前で呼び合うのはちょっと……なあ。
いつかの中条じゃないが、恋愛沙汰に思われかねない。よく知らない男にそう呼ばれたくはないし。
かと言って苗字を教えるのは少し引け目を感じる。この数日間やってくれていた食材補充の件も考えると。
「名前わからないと呼び辛いし、『君』とか呼ぶのなんとなく上から目線に聞こえちゃいそうで」
由佳が逡巡している間にも、宗佑は外堀を確実に埋めてくる。
だが、そこで「お前」と来ないところには好感が持てた。もしそう言っていたら、外堀を埋められようが何だろうが、きっと一文字も教えなかっただろう。
「柚木」
迷った挙句に告げたのは苗字だった。うん、名前を教えるまでの関係ではない。
下の名前は? そう言ってくるかもしれないと由佳は身構えていたが、それは杞憂に終わった。宗佑は告げた名を反芻するように繰り返すと一言。
「りょーかい」
と言った。