はじめましてのふたり
朝食セットは無事だった。
無事だった――が、異変はその奥にあった。その奥、本当ならばただの行き止まりであり、壁であるはずの冷蔵庫を通したその先に、いた。
予想外の光景に由佳は思わず扉を閉じる。
脳が認識を拒絶する。人間、理解を越えたものを前にすると、反射でなかったことにしようとするみたいだ。気持ちを落ち着かせ、いやいやそんなはずは、と思いつつ再度扉を引く。
……視覚情報は一片たりとも変わっていなかった。
そこに――冷蔵庫を通した先に見えたのは、優顔の、それでいて由佳と同じく状況を吞み込めないのであろう間抜け顔をした男だった。
「……どうも」
「ど、どうも」
「今日は良い天気ですね」
「……そうですね」
間の抜けた会話。
互いにこんがらがった頭のままのようだった。内容のない会話は長くは続かず、沈黙が訪れること数分――由佳が叫んだ。
「食材ドロボーはあんただったのね!?」
ようやく理解が追いついた脳は、目の前の男が犯人だと断定した。
え、え? と返す男に、由佳は逃すまいと畳み掛ける。
「とぼけないでよ、冷蔵庫の中身がなくなってんのは知ってるんだから!」
「醤油とかマヨネーズとかドレッシングとかそういうものから始まって、この前はサラダまで!」
「それ以外にもあるよね? 買っといたヨーグルトとかも減り早過ぎるときあったもん」
由佳の言葉を頷くもなく目をぱちくりさせながら聞いていた男は、やがて静かに口を開くと一言、
「食べました」
と言った。
どうやら異変が起きたのは二週間ほど前らしかった。
ある日、会社の先輩たちとの飲み会から帰宅した男――「宗佑」という名らしい――が、酔い覚ましにと冷蔵庫を開けたときが最初だったという。
昨日入れておいたはずのスポーツドリンクが姿を消していた。残り半分の中身とともに、ペットボトルごと。
あれ? と見渡してみれば、なんとなく調味料類の位置も違っている気がする。ってか、ヨーグルトなんて買っていたっけ?
そうして始まった疑問は、徐々に確信へと変わっていった。
やはり確信させたのは、あのサラダの件だった。
「ちょっと待って」
由佳が手を上げて話を遮る。
「おかしいの気付いていたのに、なんで食べたの?」
何かがおかしいとわかっている、明らかに自分の記憶にない食べ物を食べる。その感覚が、由佳には理解できなかった。
気付いていなかったと言うなら話は別だけど(それはそれで基本的な記憶力を疑うけれど……)、気付いていて平気で食べられるものなのか。
「おかしいとは思ったよ。思ったけれども、世の中不思議なことがあるもんだなあって……」
「へ?」
「いや、だから不思議なことがあるもんなんだなあって」
「……はい?」
言っていることがわからない。
この宗佑という男は何を言っているんだ? 記憶にない明らかにおかしい食べ物が現れたら、まあいいか精神で食べるのが普通なのか?
「自分にとってプラスな出来事なら、人間、そんなもんじゃない?」
宗佑は悩む素振りスラをまったく見せずに言う。
そして、
「これは戴いていいのかな?」
悪びれる様子は露ほどもなく、飄々と朝食をせしめようとしてきたのだった。